391 「特急「あじあ」」
「綺麗なプルシャンブルーね」
「ぷ、ぷるしゃん? 紺青や濃紺色でしたっけ?」
「日本語だと紺青ね。それにしても、モダンな流線形で綺麗な機関車ね」
「それより、少しお急ぎを。奉天は停車駅で、始発駅では御座いません」
「ハーイ。乗りましょう、マイさん。みんなも」
いきなりおしゃれな色表現などされてしまったので、慌てるように声をかけ、奉天駅のプラットホームから「あじあ」に乗り込む。
乗り込む「あじあ」は、朝に大連を出発して奉天には午後1時40分くらいに到着する。だから午後1時半までには駅のホームに到着。
そして10数分待つと、定刻通り特徴的な姿を持つ「あじあ」が奉天駅へと入ってきた。
日本の国鉄の特急よりも幅の広い線路を走るせいか、大きさも一回り違うように見える。何より、プルシャンブルーで塗装された流線型の姿が特徴的だ。
速度を出すためあまり多くの車両は接続していなくて、機関車、炭水車、手荷物郵便車、三等座席車2両、食堂車、二等座席車、展望一等座席車で編成されている。
私達が乗るのは、展望一等座席車。そこのコンパートメントになった1つしかない特別室。と言っても、ベッドルーム兼用ではなく座席しかない。
「鉄道の座席に安楽椅子ってどうなの?」
「金持ち用だから、そんなもんだろ。さ、どうぞ、姫君達よ。そちらにお座りください」
「ありがとうございます、八神さん。あ、玲子ちゃんは窓側?」
マイさんの気遣いだけど、私は首を横に振る。
「マイさんが窓側どうぞ。と言っても、景色の殆どは赤茶けた平原ですけどね」
「この季節なら草原だぞ。それに南部は畑も増えた。デカイ機械で大規模にやっているところを、最近よく見かける」
八神のおっちゃんは世間話って感じだけど、私としては少し真剣になりそうな話題だ。
けど八神のおっちゃんは気にする風もなく対面の席に座り、シズとリズも同じく席についていく。
「それは日本の意向ね。満州は、資源と農作物の供給地にするのを第一にしているから」
「大豆とこうりゃんだったわね」
マイさんも軽く頷きつつ真面目な声色だ。
「あとは、粟とトウモロコシも作っていた筈。農業生産は、満州に日本政府が一番期待しているところだから」
「資源、というか石油よりもか?」
八神のおっちゃんは、私たちに対してあくまで世間話だ。私たちとの認識のズレというより、関心が薄いんだろう。
「石油だけじゃなくて、石炭、鉄鉱石もそうね。鉄は運ぶ手間を省くため、鞍山で銑鉄まで大規模に作る計画が進んでいるわね」
「石油はそうはしないのか? 現地で製油した方が楽だろ」
「うちはもう国内にどでかいのを作ったから、これ以上手を広げる気はなし。あとは、満州の開発をどうするかで、政府と関東軍、それに満州臨時政府がまだもめているのよ」
「関東軍は、満州を牛耳りたくて仕方ないからな」
「事変以後増長が激しいから、いっそ関東軍を解体しようかって話も、政府と軍の中央の一部であるらしいわよ」
「……そんな事をしたら、連中、満州を今度こそ本当に軍事占領して、勝手に独立国にしちまうぞ」
物騒な事を口にしているのに、八神のおっちゃんはちょっと楽しげだ。
「だから、発展的解消が大前提。満州駐留軍とかに名前を変えて、軍の中央から人を沢山送り込む体制にして、中央の制御が効くようにするって計画。まあ、まだ構想の前段階って感じらしいけど」
「そして今まで関東軍だった連中は、気分良くさせて無害な場所にでも移動か? そう上手くいくものかね」
私も同じ思いなだけに、皮肉げな笑みがちょっと憎たらしい。
「駐留軍が随分増えたから、昔のままだと駄目なのは確定だそうよ。単純な規模拡大だと、関東軍を増長させるだけだし、今の混乱もそこが原因だから」
「抑える為に色々しても駄目なのか? 満州政府軍の増強も、鳳が石油事業牛耳るのも、北満州油田を政府主導にして海軍まで引き入れたのも、政府が満鉄を守る姿勢を強く示しているのも、全部連中を押さえつける為だろ」
「そして全部に関東軍は不満を溜めて、今や一部の急進派は爆発寸前。しかも、陸軍中央の急ぎ統制体制強化するべきだって人達も加わっているから、面倒らしいわね。……それでさあ、旅の間くらい、こんな辛気臭い話からは解放させてよ。ホラ、もうすぐ出発するし、車窓を楽しまないと」
「赤茶けた大地しかないんじゃないのか」
また皮肉を返されたので、「イーッ!」と憎たらしく返しておいた。
「マイさん、こんな人放っておいて、展望室を見に行きましょう」
そうして「あじあ」は奉天を離れ、四平街から新京へと向かい始める。
「外から見て分かってはいたけど、日本の展望車と違って密閉式なのね」
「あれも風情があるけど、こっちも良いですね」
「一等室と繋がっているし、解放的ね」
「コンパートメントより快適そうですね」
「ほんと」
まだ奉天を出たばかりだけど、大連から乗っている人が数名いて、その場は半分ほどの席が埋まっていた。
展望室は12人程度が座れるようになっていて、ソファーが囲んでいる。そして真後ろ以外には広い窓があって、景色を楽しめるようになっていた。
他にも安楽椅子やテーブルもあって、テーブルでは身なりのいい男性客二人がポーカーをしていた。専用のテーブルのようだ。
私とマイさんは、展望室の空いている椅子に腰掛けると、しばらくは談笑しつつ景色を楽しむ。
奉天の街を抜けてしまうと、新緑の草原か一面の畑が広がっているだけだった。
けど、奉天を抜ける少し前、出来れば目に収めたい場所があった。
「なに?」
「満州事変の発端の場所」
「へーっ。分かるの?」
「今は満州軍が使っている兵営が進行方向側の近くにあるし、事件の場所には共産党の非道を訴える記念碑が建てられているから、注意深く見れば分かると思うんです」
「じゃあ、探しましょう。展望室なら探すのにうってつけね」
「実はその為に、最初にここに来たんです」
そう言って二人してニコリと笑みを交わし、景色を注視する。そして街を抜けてすぐくらいに、二人同時に「あっ!」と声をあげる。
「あれかぁ。記念碑って聞いたけど、すごく小さい!」
「あれじゃあ、注意しないと気づかないわね。でも、あの事件は新聞でも脱線した列車の写真を見たことあるわ。あそこがそうだったのね」
「けど、何もない場所でしたね」
「ほんと。事件の経緯は資料や新聞で読んだけど、陰謀論が出るのも納得ね」
「間抜けであまりにも陳腐な発端だから、陰謀論にでもしないと納得できなかったんでしょう」
「確かにそうかも」
一応歴史の現場を見たというのに、盛り上がらないことこの上なかった。
その後「あじあ」は淡々とまっすぐな、ひたすらまっすぐな線路の上を進み、新京には夕方到着した。
新京は、満州臨時政府の新たな都として、1933年から日本の莫大な援助と支援を受けて大規模な都市計画が開発が始まっていた。
1935年春先の今は、まだまだ都市計画が始まったばかり。以前から日本人街を形成している駅前の鉄道付属地、長春としての旧市街以外は、整然とした大きく広い道が区分けされたくらいで、大きな建物は殆どない。あっても、その大半が建設の初期段階って感じだった。街の中心部の主要建造物の完成は、1938年を待たないといけない。
けど、満州でも私が買い込んだり、作らせたりしている建設重機が多数使われているから、建設速度は人力オンリーよりケタ違いで早い筈だ。日本人はあまり増えていないけど、華北の方から大量の流民が流れ込んでいるから、労働力にも事欠かないと聞く。
新しい都が姿を見せるのも、そう遠くないだろう。
そして新京で機関車を変えると、さらに終着駅のハルビンを目指す。日本が素早くソ連がロシア時代から所有していた鉄道を買収したので、ハルビンが終着駅だ。
ただし、新京を抜けた時点で夕方から夜へと入ってしまい、ハルビンの少しロシア風な街並みを拝むのは明日の朝になる。
そして夕日が落ちて街灯ひとつない真っ暗な中を列車は走るけど、私たちは少し遅めの夕食を取るべく豪華な食堂車へと足を運んだ。
「あじあ」の食堂車は、歴女である私はネットの海と歴史関連の書籍で写真を見たことのあるけど、全く同じ豪華な情景だった。ウェイトレスを、ロシア人の美人さんがしているのも同じだ。
そして洋食の夕食を楽しんだわけだけど、同席した八神のおっちゃんとマイさんは、「あじあ」の食堂車のオリジナルのカクテルというものを楽しんでいた。他の目がないからとせがんではみたけど、八神のおっちゃんは意外に厳しく許してくれなかった。
お酒を飲めない点だけは、早く大人になりたいと思ってしまう。
そうして食事も終わり部屋に戻りウトウトしていると、ようやく終着駅のハルビンに到着。時間は夜の9時半。
事前に連絡は入れてあるので駅に着くと迎えがおり、そのままホテルにチェックインして、そのままバタンキュー。
特急「あじあ」の旅もそれなりに楽しんだので、明日は北満州油田に移動だ。
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「あじあ」号
1934年11月運行開始。
南満州鉄道株式会社が運行した特急列車。
流線型の車体を持つ機関車で、当時の日本の鉄道技術の最先端が投入された。
日本列島での弾丸特急、新幹線にも強い影響を与えた。
ハルビンまでの運行は、史実ではソ連の鉄道買収の遅れから1935年9月から。ロシア人ウェイトレスも、その時から。
この世界では、早くに中東鉄道(東清鉄道)を買収した流れで、少し違っている。
プルシャンブルー:
「あじあ」の機関車はパシナブルーと呼ばれる明るい水色が知られているが、紺色や濃い藍色もある。客車などの車体は濃緑色。
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