390 「ラスト・エンペラー再び(2)」

 来る気は全くなかったのに、また瀋陽故宮にやって来た。


 昨日の約束どおり、朝10時の面会に合わせるべく、1時間前の9時に到着。昨日は日付が変わるくらいまで川島さんと過ごしたから、正直寝不足気味だ。

 その寝不足気味の頭で、ボーッと考える。


(溥儀と何を話せと? まあ向こう次第だけど、愚痴を聞いて終わりなら助かるんだけどなあ)


「玲子ちゃん、顔に出てる」


「中に入ったら取り繕います」


 そう返すとマイさんが軽く苦笑する。気持ちは分かるというわけだ。

 随員の方は、今回の旅のお供の護衛担当ばかり。シズとリズ、それに八神のおっちゃん。道中とか周辺には、さらに数名。何やら警備の人達は、溥儀とその周りよりもそれ以外を気にしていた。


「一応言っとくけど、私とマイさん以外は奥に入れないからね」


「分かっている。それに入りたくもない。ただ、中の警戒や警備は軽すぎだ。拍子抜けするくらいだな」


「外には関東軍がいるからね。それに、陛下をどうこうしようって人がいないから、警備も最低限で問題ないのよ。それで、おっちゃんは昨日から何を警戒しているの?」


 シズ達もそうだったけど、これからの相手の事もあるので念の為に口にしたら、ほんのちょっとだけ感心の表情が返ってきた。


「気づいていたのか。……まあ、気付くか。監視されているかもしれん。ただ確証はない。監視している奴がいるとしたら、相当の手練れだ」


「フーン。私、誘拐されそう?」


「今のところは多くて数名。周りに不審者、不審な車両もなし。情報も集めさせているが、問題は感じない」


「昼から汽車に乗っても大丈夫?」


「汽車の方は事前に客も洗ってある。むしろ安心だ。これは半ば勘だが、監視しているだけだ」


「誘拐犯じゃなくて覗き見趣味ね。まあ、心当たりがありすぎて、気にしても仕方なさそうね」


「そういう事だ。ただ、ついでに推測しておいてやるが、覗き見しているのは関東軍だろう」


「そりゃあ、川島さんと会った上に、これから陛下とだものね。気にもなるか」


「だろうな。もっとも、気になるだけだろう。だが念には念で、メイド達は側から離すな。二人ともいいな」


 「二人とも」の言葉は、私とマイさんではなくシズとリズに向いていた。二人もすでに色々承知しているらしく、短く頷き返すだけだ。

 何も知らぬは守られていた私達、というわけだ。


「大陸は相変わらずきな臭いわね。さっさと面会終わらせて、仕事にかかりたいものね」


 そううそぶいて、ラスト・エンペラーの元へと歩みを進める事にした。



 瀋陽故宮は、約2年前に来た時よりも、確かに色々と整っていた。前回来た時は後宮だけだったのが、今は各所が使われている気配がある。

 そして案内されるまま進んでいくと、昨日の深夜に別れた川島さんがまさにチャイニーズな女官といった出で立ちで出迎えてくれた。

 こうした姿になると、確かにプリセンスだ。


「似合うだろ?」


「はい。この瀋陽故宮と合わせて、映画の世界に入り込んだみたいです」


「ハハハッ。映画なら私も気楽で良かったんだがな」


「私もです。ところで、私達は装束を整えなくて、本当に良かったのでしょうか?」


「構わない。陛下からも、急に呼んだので気にするなとのお言葉を戴いていて、侍従どもも承知している。それに汽車が待っているのだろう。着替えなど面倒があって乗れなかったとあっては、申し訳ないし面目も立たんよ」


「ご配慮痛み入ります」



 そういうわけで、高級だけどフォーマルな洋服で、二度目のラストエンペラーとの対面となった。

 そして溥儀だけど、前回は謁見の部屋でこっちが待つ形になったのに、今回は待ち構えていた。それだけで、色々と察せてしまえる心理状態だ。

 そして普通なら、私達が土下座モードで詫びるなり感謝しないといけない状態でもある。けどその辺りも事前に聞いていたので、深々と頭を下げるに止める。


「久しいな、お客人。今回は無理を言って時間を作らせ、大儀だった」


「滅相も御座いません、陛下」


 そんな感じで今回も回りくどいやりとりと言葉で、まずはご挨拶。見た目は前回と変わらず、私が前世の知識で知る軍服姿ではなく、チャイナ風のゆったりした衣装。

 今回も、客人をもてなす主人というスタイルだ。

 そして一通り挨拶と最初の軽い雑談が終わった時だった。


「鳳の家は、非常に多くの情報を集め、分析すると聞いている」


「はい。商人ですので、情報は何よりも大切に御座います」


「ならば、その情報を少し朕に教えてはくれまいか? ここの者達は忠義に厚いが、厚すぎて朕に誠の事を教えてくれない。関東軍、満鉄、日本の他の者は言わずもがなだ」


 内心だけで(えー)と引きつつも川島さんをチラ見すると、川島さんの反応が少し遅れた。

 予想外という事らしい。単に知己が訪れたので愚痴を並べるだけと、みんな思っていたんだろう。

 そしてこの状況は、私に全部かかってきている。

 真実を教えるもよし、嘘を誠として吹き込むもよし、私や鳳に都合の良い事を並べていってもよし、と言えなくもない。

 世間知らず相手なので、海千山千の政治家に比べれば赤子も同然ってやつだ。


 もっとも、今まで散々誇大妄想的な期待を裏切られ、真実からは遠くに置かれてきた境遇を思うと、無責任ではあるけど同情を感じなくもない。

 けど、私が溥儀に感じるのは同情ではダメだ。そう思って、この際だから言ってやることにした。


「関東軍の目を盗み、内密に色々お伝えする事は可能でしょう。ですが、敢えて申し上げますが、過度の危険を冒す理由が私どもには御座いません。以前お話ししたように、私どもは日本人です。陛下に忠誠を示す立場にございません。ご容赦の程お願い致します」


「だが、我が父祖の大地にて、油を掘っているではないか」


「石油採掘の十分な対価は、満州臨時政府にお支払いしております。そして全ては商売の上での事。私どもは商人で御座いますので、ご理解頂きたく存じます」


 何度も反論される事がないのだろう。見た目で不機嫌度がアップするのが分かる。とはいえ、こんな姿を見せられては、忠誠を誓えとか言われたら即座に断りそうだ。

 けど、溥儀が口にしたのは違う事だった。


「では何を望む。朕は本当の事が知りたいのだ」


 意外に真摯な眼差しに見えるけど、自分の望みしか言っていない以上、商人だと言った私に出せるものはない。


(情報の商品カタログでも用意して、代金払ってもらおうかなあ)


 私個人としての溥儀は、壊したらダメな高価な床の間の飾り物くらいの関心しかない。心をくすぐる要素はゼロ。忠誠心を持てというのも無理ゲーだ。川島さんの気持ちもが、短時間話すだけでも理解できてしまう。

 そして私としては、川島さんへの義理で自分を動かすしかなかった。


「失礼を承知で逆にお伺い致しますが、陛下は何を望むとおっしゃられました。では陛下は、私どもにどんな対価をお出し下さるのでしょうか。

 仮に無償や私どもにとって価値のないものを対価にという事でしたら、適当にそれらしい事か、誠の事と申して私どもに都合の良い事だけを申し上げるかもしれません」


「っ?!」


 私の言葉に面食らっていた。

 何か出てくるかもと思ったけど、怒りすら通り越えたみたいだ。青や赤でなく、顔色を失うって感じだ。

 予想通りというか、面と向かってこんな言葉を叩きつけられた事など、生まれてこのかた無いのだろう。

 だから言葉を続ける事にした。これ以上は変に期待されても迷惑だし、何もしてやれない以上、多少強い言葉を贈るくらいが、まだ無礼が許される年齢の私に出来る事だ。


「再度申しますが、私どもは商人です。高貴なるお方であろうと卑賤の者であろうと、正当な対価を出してくれる方に誠意を示します。

 そして今の陛下がお持ちのもので、私どもが望むものは御座いません。ですから私どもが出来る話は、私どもにとって利のある話ばかりになるでしょう。

 重ねて問わせて頂きますが、それでも構わないのでしたら、少しばかりお答えさせて頂きたく存じます」


 最後に頭を深めに下げたけど、すぐに返答はない。

 そして自主的とはいえ陛下に頭を下げた以上、こちらは簡単に頭をあげるわけにもいかないので、しばらく様子を見る。

 これで何かに目覚めて、鳳が欲しがる何かを無形であっても見せてくれれば良いけど、そんなものは無いだろうし、そんな情景は映画やお話の中だけだ。

 そして歴女として知る限りの溥儀は、英明で勇気あふれるおとぎ話の中に出てくるような君主ではない。

 だから無責任な期待もせずに待った。


 そうして十数秒が経って、「頭を上げよ」と溥儀の言葉。ただ、頭をあげるも、溥儀からそれ以上の言葉はない。そして頭を上げたら溥儀の視線があったので、そのまましばし睨めっこ。

 それなりに善意で本心を言ったという目力を込めておく。


(この人相手だと睨めっこも気にならないけど、取り敢えず何か言って欲しいなあ)


 諫言(かんげん)ではないけど、もう言うべき事を言ったから、こっちは気軽なものだ。それに、何も聞いてこないだろうという読みもあった。

 溥儀の側にいる川島さんも、なんて事言いやがるって感じの表情を敢えて見せてきている。

 溥儀がいなければ、舌でも出しているところだ。

 そんな事を思っている間にさらに十数秒が経ち、ようやく溥儀が少し立ち直った。


「そちの言葉は、朕に何も教えないか、耳に心地よい事か、違う、ダメとしか言わない者共の言葉より心に響いた」


「恐れ入ります。また、分を越えた言葉の数々、平にご容赦頂きたく存じます」


「よい。むしろよく言ってくれたと言いたい。だが今の言葉は、朕に受け止めきれぬものだった。それにだ」


 そこで一旦言葉を切ってきた。

 私はそれを黙って待つ。聞かれる以外で、私に言える言葉はない。


「もし誠を聞いた場合、それが真実・誠だと見抜く力は今の朕にはない。また、朕にとって辛い真実・誠であったとしたら、今の言葉以上に朕は受け止められないだろう。そして朕は、そなたに強い言葉を返すだろう。……ご苦労だった」


 そう言って溥儀は力なく席を立ち、その場を後にした。

 そしてごく短い溥儀との対面は終わった。




「よく言ってくれた。というよりだ、私でも陛下にあれ程強くは言えないぞ。陛下が首を刎ねよと言い出すのではないかと肝が冷えた」


 瀋陽故宮を後にして奉天の駅に向かう車中で、川島さんがしみじみと言った感じでコメントをくれる。

 それに私は、軽く肩をすくめて返す。


「私はまだ子供です。その点は心配していませんでした。けど、大人ではないからこそ言える事もあります。そう考えて、直言させて頂きました。申し訳ありませんが、後の事はよろしくお願いします」


「気にするな。それにしても、直言か。確かにその通りだ。だがこれで、少しは頭が冷えただろう。それに陛下に必要なのは、当人が口にされたように辛い真実・誠だ。ご自身でそれに気づかれるようになられただけ、陛下も成長なされているのだろう」


 そう言って軽くため息をついた川島さんだけど、感心とか感動ではなく、単に素直な感想って感じだ。

 そして意を改めると、私にいつもの笑みを浮かべてきた。


「だが、今回の件は参考になった。これからは私も、そして周りにも出来る限り玲子のように話すとしよう。

 やはり玲子に会ってもらって正解だったな。手間をかけさせた。感謝する」


 そう言って、何か吹っ切れたように頭を下げられた。

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