388 「遼河油田再び」

「八神のおっちゃん、久しぶりー」


「これはこれは姫、大変ご無沙汰致しております。ですが、もうお年頃だというのに、その言葉遣いは如何なものかと存じますが」


「外で気さくに話せる相手が少なくなったから、敢えてしているのよ。けど、本当に久しぶりね」


「そうだな。前に会ったのは、満州での騒動の頃か」


「それじゃあ3年半ぶりね。それに、八神のおっちゃんと最初に会ったのもここよね」


「あれはまだ大正時代だったか。ここも随分変わったもんだ」


「隔世の感ありよね」


 海の上の鋼鉄製の桟橋を降りると、イカツイ体にイカツイ浅黒い顔の中年男性が待っていた。多分30代半ばくらいだろうけど、この時代では十分中年扱いの年だ。そして八神のおっちゃんが口にしたように、最初に出会ってから9年近く経過していた。

 もっとも、見た目の印象は出会った頃と何ら変わりない。


 そして意外に律儀なのも相変わらずで、私とのやり取りが終わると、まずは鳳一族でもあるマイさんに挨拶。同じ鳳一族相手なのに、マイさんとは姫と従者ごっこはしない。

 次いでシズとリズには、「久しぶりだな、メイドの嬢ちゃんたち」と軽くご挨拶。それに対して二人は、慇懃にお辞儀のご挨拶を返す。




「それで今回は何をする?」


「敢えて言えば、落穂拾いかな」


 桟橋から、パイプラインと並行している長い鉄橋のような道を車で移動しつつ、八神のおっちゃんが聞いてくる。


「落穂拾い? まだ油田があるのか」


「うん。少し前に北満州の油田を探しに来た時に満鉄で移動したけど、どうにも気配を感じたのよね。だからそれの確認」


「という事は、満鉄沿線にあるのか?」


「多分、数十キロは離れてる。あの感じは、この辺りの二つの河の間くらいじゃないかと思うのよね。だから、その辺を奉天の近くまで遡りつつ探すのが目的」


「時間がかかりそうだな」


「そうでもないわよ。この辺りに他にもあるって随分前に言ってあるのもあって、方々で地震計使った調査と調査ボーリングはしているし、何箇所かは油田を見つけているから」


「仕事熱心な事で。北満州の油田も同じか?」


「うん。そっちはまだ中核油田の開発初期だけど、土地問題とかで後で揉めたくないから、出来るなら先にって感じね。なにせ、向こうの油田は大きいから」


「確か鉄道や道路どころか、あっちじゃあ職員用の本格的な街も作り始めていたな」


「原油を運ぶ専用列車ばかり運行する新しい鉄道の線も、ここまで引く工事している筈よ。本当はパイプラインで一気に運びたいけど、まだ産油は少ないし、何より鉄と鋼管の生産が追いついてないから、専用線とタンク車の運搬で我慢するの」


「我慢ね。ワンから聞いたが、とんでもない量を掘るんだってな」


「三年以内に1000万トンは狙いたいわね。景気が良いから、日本の需要もうなぎ上りだし」


「これだけ掘って、ここじゃあ足りんのか?」


「全然。それに日本で大きな製油所も稼働を開始するから、油も運び込まないと」


「運ぶために、あんな巨大な船を何隻も作っているんだろ。正直、お前の正気を疑うよ」


「船の大きさはともかく、アメリカはもっと凄いわよ。それに日本も、まだまだ序の口。四半世紀後には、億トン単位の石油が必要になるように日本を発展させないと」


「ハッ! お前の方が、関東軍よりよっぽどおっかないな。見ている景色が違い過ぎる」


 八神のおっちゃんが、ついに呆れてしまった。

 だからこっちも、軽く肩を竦めてあげておいた。


「関東軍なんかと、間違っても比べないでよ」




 その後、油田の事務所や居住区のある小さな町の区画へと到着。そこは9年ほど前にも立ち寄った場所らしいけど、まるで違う景色になっていた。

 途中には、巨大なタンクが整然と並んだ一時備蓄基地があり、多数のパイプがそこに集まり、そして岸、桟橋へと伸びていく。

 そんなタンク群からも、何かのタワーのような鉄塔の群からも少し離れた場所、殆ど油臭くない場所に、職員の町がある。


 そこは普通に町で、商店すらある。しかも近くには、この油田や周辺で使うための各種精製した油を使うための製油所、くず油を燃やす火力発電所などがあり、ちょっとした工業地帯になっている。また道路のかなりが、余り物のアスファルトを使った舗装道路になっていた。

 そして夜になると、電気が安いのもあってか煌々と明かりが灯る。警備用も兼ねているらしいけど、21世紀でも見たような景色で、正直東京の街中より明るい。


 もっとも、宿泊施設はホテルとはいかない。色々準備してくれていたけど、ここで働く人の為の施設の一部の客人用って感じの場所だった。

 これは予定を立てる時にも聞いていて、大連か奉天のヤマトホテルに滞在して、朝から現地に行けば良いのではという案もあった。

 けどそれだと時間のロスもあるので、私の言葉で現地滞在となった。だから文句もないし、私はどこでも眠れる体質らしくて、それなりの寝床さえあればよく眠れた。


 そしてその日は最低限の現地の説明だけ受けると、すぐに就寝。翌朝は、朝早めに起きて食事など諸々を済ませると、すぐにも出発する。

 移動は現地に詳しいここの社員の運転で周り、私が感じるままに「あっち」「こっち」「そっち」「ここ」と指示をしつつ徐々に内陸部へと移動していく。

 どれも小さな感じ方だけど、そこかしこに確かに何かあるのが感じ取れた。


 その後昼をはさんでさらに内陸へと進み、最終的には100キロ以上内陸に入った奉天の西側2、30キロの辺りにまで至った。


「この先にはなさそうね。ここを記録したら、予定通り奉天に行きましょう」


 最後に声をかけると、同じ車のシズが答える。八神のおっちゃんがハンドルを握っているけど、マイさんとリズは別の車だ。


「では、そこで一泊ですね」


「鉄道でハルピンまで行く便はもうないのよね?」


「はい。既に夕方近くですので、ございません」


「夜行列車があれば、そのままハルビンまで行くんだけどね」


「満州は日本と違って、夜が安全じゃないからな。まあ、明日の昼過ぎまで待てば、「あじあ」が来る。それに乗れば、夜にはハルビンだ」


「実はその予定で、もう切符は買ってあるの」


「まあそうだろう。「あじあ」は人気もあるから、当日途中からってのは難しいだろ」


「うん。一等の特別室を取ってあるから、5人までいけるわよ」


「それは護衛が楽でいいな。だが、普通の客車も「あじあ」は豪華だぞ。三等でも普通の二等並みだ」


「……詳しいのね。乗った事ある?」


「何度かある。乗った客車は三等止まりだったがな」


「じゃあ今回は二等に乗って。二等なら一等の近くだし、護衛には良いでしょう」


「分かっているじゃないか。まあ、「あじあ」に妙な奴が乗るとは思えんがな。調べてあるんだろ」


「はい。問題ございません」


 最後に聞かれたシズが、座りながら器用にお辞儀をした。



__________________


専用線とタンク車の運搬:

1両あたり約50トン。100両編成で、1編成5000トンを運搬できる。

量が限られている時は、タンク車が効率的。

大規模になるとパイプラインが必要となる。



夜行列車があれば:

調べた限り、当時の満鉄に夜行列車、寝台列車はない。

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