386 「飛行艇」

「ここが羽田空港かあ」


「夢に出て来たのと違う?」


「うん。私の夢に出てきたのは、随分先の羽田空港ですから」


「もっと大きいの?」


「多分、この10倍くらいの滑走路が何本もあった筈」


「10倍、何本も?……」


 私の隣で、秘書スタイルのマイさんが絶句してしまった。こういう時、少し前まではシズがツッコミ役だったけど、後ろのシズとリズは無言だけど単に私の言動に慣れてしまっているだけだろう。

 他の同行者は、満州の治安がさらに安定したという事もあって、石油関連の人と使用人という名目の私達の護衛がかなりの数乗り込む。ただし今回も、子供は私だけ。


 セバスチャン、エドワードも留守番というか、仕事が忙しくて同行は無理だった。一応は第一線を退いた時田も、まだまだ私の執事として以外の仕事で忙しい。

 それに仕事とはいえ旅路になるから、年寄りの男が一緒では窮屈だろうという配慮もあり、2年近く前の満州行きと同じメンバーになった。

 それに現地に着けば、鳳石油のボスである出光さんが待っている。


「うん。けど、空いている土地も多いから、もうすぐ滑走路とかの拡張工事をするんだって聞きました」


「そうなのね。今度はどれくらい?」


「計画書では800メートルの滑走路を作るって。その頃には、うちの飛行艇も肩身が狭くなるんですけどね」


「そうなの? あっちの大きな格納庫を使っているんでしょう」


「飛行艇の方が大きいから。けど、飛行艇は面倒もあるから、アメリカとかドイツで今開発中の新型の飛行機が空を飛ぶようになったら、多分お役御免。川西にも、飛行艇じゃなくて陸上用の旅客機を開発してもらっているし、飛行艇は滑走路のない南洋でしか使い道がなくなるでしょうね」


「でも、確かアメリカでも、大きな飛行艇を開発したわよね」


「うん。川西の新型にも刺激されたって、総研が言ってました。飛行艇は滑走路がいらないから大きくしやすいし、今は利点もあるんだって」


 歩いて近づきつつ、そんな話に興じる。

 そうして、海に近い場所にある大きな格納庫から既に牽引車で引き出された飛行艇の前まで来る。

 そこには私の一言で真っ白に塗装された、私的には普通くらい、この時代的にはすごく大きな飛行機があった。


「大っきい!」


「愛称は『白鳳』。翼の長さは40メートル近いそうです」


「エンジンが4つもあるのね」


「4つじゃないと、この大きな機体は飛ばないって前に見た資料には書いてたけど、実感って感じです」


「確かに。でも、何年か前に写真を見たけど、これは違うのね」


「九〇式飛行艇ですね。あれはもう海軍にあげました」


「相変わらず太っ腹ね」


「うちの飛行機会社、大赤字上等の経営なのに、余計な機体を持っていたら文句言われるんです。この新型も6機生産予定だけど、まだ全部納入されてなくて、川西は海軍の確か九一式とかいう小柄な飛行艇の生産を優先させているんですよ」


「採算が取れないから?」


「うん。もっと沢山作ってあげないと、作る会社の方は。その点海軍は、相応の数を発注してくるから」


「確か、日本じゃあ民間需要が少ないのよね」


「飛行機全般で。この飛行艇も、川西の技術向上、民間操縦者の育成って面が強いんです。その分、金と人は突っ込んだから、欧米の機体にも負けてないし、半歩くらいだけど先を進んでいるらしいんです。金は突っ込んでみるものだって実感しました」


「玲子ちゃんの、その思い切りの良さは毎度感心するわ。でもこれ、海軍は使わないの?」


「評価が散々だそうで。運動性が悪い、最高速度が遅い、到達高度が低い、大きさに比べて積載量が少ないとか、他にも文句ばっかり。安全性を第一に人や荷物を運ぶのが目的なのに、そんな事求められても困るって、開発の人が言ったそうです。けど、これなら直接パラオにも行けるし、便利なんですよ」


 思わず憮然としてしまう。それを見てマイさんが小さく苦笑する。


「今までは無理だったのよね」


「うん。小笠原諸島経由でサイパンに行って、そこからパラオ。けど、日本から直接パラオだと、空路上に島がないから緊急時の安全性に問題があるのと、パラオ直通だと乗客がなさすぎだから、サイパン経由だそうです」


「その資料は見たわね。大連空路、台湾空路、樺太の豊原空路。どれも、日本航空輸送とか他の会社の小さな機体だと直接行けない場所に、鳳の空路があるって」


「うん。ただし今日は私達だけの特別便。さあ、そろそろ乗りましょう」



 添乗員の案内で中に入ると、飛行機の中は案外狭い。21世紀の旅客機でも見た目から受ける違和感を感じたりもしたけど、その辺は変わりなかった。

 中のレイアウトは、基本的に中央の通路を挟んで2列ずつ座席がずらりと並んでいる。

 けど、席の幅は思ったより広く、エコノミーって感じはない。ビジネスクラスか新幹線くらいのゆとりがある。


 席は合計32席。これに機長、操縦士、航法士、通信士、それに添乗員兼給仕2名が乗り込む。添乗員は、他社に対抗して女性を採用している。

 客席は基本的にはリクライニングシートだけど、一部がロングソファーになっていて、長距離や夜間運行などの際にベッドとなる。

 乗客席の後ろは、乗客に軽食やお茶を用意する調理室、それに小さな化粧室とお手洗いが乗客が行き来できる場所になる。機体の下には貨物室もあり、郵便物など軽い貨物も運搬する。基本的な配置は、私が前世でも乗った旅客機とほぼ変わりない。



「皆様、本日は鳳航空輸送をご利用いただき、誠にありがとうございます。本機は東京羽田空港を離陸致しますと、約4時間半の飛行で大連へ到着いたします」


 特別機だけど、普通に運行して欲しいと事前に頼んであるので、添乗員の案内をなんだか懐かしさすら感じる気持ちで聞く。

 そうして機体は、エンジンを動かし始めると自力でスロープを降りて海へと入り、進路を整えると一気に加速。離水して空の上へと駆け上がる。


「あれ? マイさん平気?」


「ええ、飛行機は乗った事あるわよ。飛行艇は初めてで、離陸、じゃなくて離水の時とか面白いわね」


「操縦資格とか持っていたりして?」


「流石にそれはなし。取りたかったけど、トラが許してくれなくて」


「飛行機は、まだ安全性が高いってわけじゃないですからね」


「うん。技術的な事を延々と言われた」


「虎三郎らしい」


「でしょ。そういえば、玲子ちゃんは空の旅は初めてじゃないのよね」


「五年ほど前、飛行船に乗ってアメリカまで」


「あの大きなやつよね。良いなあ」


「それが全然。この飛行機より中が狭いくらいで、4日も過ごして息が詰まりそうでした。あれは外から見るもので、乗るものじゃありませんね」


「そうなんだ」


 そんな風に私とマイさん、それにリズは平気だったけど、シズの顔が少し強張っていたのは見ないであげた。初めては意外に緊張するもので、人が空を飛ぶ生き物じゃないのを実感させてくれるように思う。

 けど、一度飛び上がって水平飛行に入ると、シズや他の同乗者たちもリラックスしていく。そうして添乗員が、紅茶と茶菓子を配り、のんびりと前世以来の空の旅を楽しむ。

 この辺りは21世紀と大きな違いはない。


 けど21世紀の飛行機と違い、成層圏を飛ぶということがないので、思っていたより地表が近い。山越え以外では空気が十分にある高度を飛ぶから、下の景色がよく見えた。しかも速度は多分新幹線より遅いくらいだから、結構山並みや地表の風景を楽しめる。

 もっとも、21世紀じゃないから殆ど緑。市街地の色は、見知った地形の一部しか分からない。

 そして直線で日本海を横断するわけじゃないから、日本列島、朝鮮半島の景色を見て飛んでいく。




「やっと着いたーっ! 体がバキバキ。ていうか、寒っ!」


 ようやく到着して大連に上陸できたので、大きく伸びをしたり体を動かす。そしてまだ3月の満州の寒さに体を震わせる。

 飛行艇は初めてだったけど、着水する時とかなかなかに迫力があって面白かった。それに朝に出発したのに、まだ昼間とか最高過ぎる。これが汽車と船なら、大連まで2日の距離だ。船の分を少しでも短くする為、半島を鉄道で横断する場合もあるというけど、それでも大きな時間短縮にはならない。


「けど、このまま哈爾濱(ハルビン)まで行けたら良いのに」


「お嬢様、ハルビンは内陸の都市です」


「けどシズ、あの街って大きな川が流れているから、そこに降りれば良いじゃない」


「降りても、そこからの設備がありません」


「じゃあ整備しようか」


「設備と体制が整う頃には、陸上用の旅客機が導入されるのでは?」


 シズとやり取りしていたら、リズからのツッコミ。

 ただの軽口だったけど、ぐうの音も出ない。


「まあね。日本航空はダグラス社のDC-2を輸入してるし、中島飛行機がライセンス生産してたっけ? 川西も早く陸上機作ってもらわないとね」


「それは将来として、まずは遼河ね。半島の反対側に船が待っている手筈だから、移動しましょう」


「はーい。今日中に遼河油田には入りたいもんね」


 そういうわけで、移動はまだまだ続く。



__________________


羽田空港:

1931年(昭和6年)8月開業。

当初は、面積53haの広い敷地に延長300m幅15mの滑走路1本。滑走路が小さいように、当初は単発の小型機を運用した。1938年に拡張。

当時は、隣に海水プールと海の家、別荘地、さらには明治の頃に建てられた神社があった。



大赤字上等の経営:

この時代の日本の空路は、1日1便もない場合が殆ど。1機当たりの乗客数も10名以下。それくらい乗る人が少ない。

そもそも、アメリカでDC3が開発されるまで、旅客輸送だけで黒字運行は不可能だった。



九一式:

九一式飛行艇。1933年から運用開始。この頃の海軍の主力飛行艇の一つ。



半歩くらいだけど先を進んでいる:

1934年前後だと、アメリカも大型飛行艇全盛時代。マーチン社の「チャイナクリッパー」という愛称の大型飛行艇や、シコルスキーの大型飛行艇などがある。

今回の川西の飛行艇も、史実の九七式よりアメリカの大型飛行艇に近い大きさと形状を持つ。航続距離や輸送力はともかく、軍用には向かない想定。鳳の発注なのもあり、「試製○○式」や「○○式」という名称もない。

また、触れてはいないが、この時代の日本最大級の機体になるだろう。(九二式重爆撃機が一番)



日本航空輸送:

この時代、ほぼ唯一の日本の航空会社。逓信省航空局所管の中ば以上に国策会社で、大株主には大財閥が参加。

最初は小型機による郵便、貨物輸送で営業開始。

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