384 「昭和10年度予算編成(2)」
「ハァ、逆恨みが怖いわね」
「その件は、総研を中心に情報収集など行っております。ご安心をとは申せませんが、遅れを取るつもりは御座いません」
私のため息交じりの言葉に、貪狼司令がいつもの薄い笑みと表情で答えてくれる。この人がやや中途半端に答えるという事は、まだ不確定が多いという事だ。
けど、希望も持てると意を強く持つ。
「ありがとう。それにしても、10年前は三割でやり繰りできたのに、相変わらず贅沢な連中ね」
「いや、駐留費と人員増の増額分くらい足すのは、認めてやれよ。なあ、龍也」
お兄様の言葉をフォローするお父様な祖父だけど、フォローしているのは口だけだ。財閥を持つ家の当主だから、度し難い連中を軍のことしか見ていない愚か者だと理解しているのは間違いない。
お兄様も、小さく苦笑する。
「そうですね。ですが景気拡大、税収増加に付け込もうとしたのも事実です。もっとも陸海軍共に、多くの者は認められないのは分かっての要求でしたので、大きな反発ではありません」
「だが、他の省庁は陸海軍ほど要求が削られていないってわめく声が、こっちにまで聞こえているぞ」
「それはごく一部です。それに各省庁といっても、時局匡救事業を無くす分の割り当てが回ったようなものです。その点は、陸軍の中枢は理解していますよ」
お兄様はそうは言うけれども、制限を受けている海軍は、今年も予算が増えた分だけ軍縮対象外の艦船と航空隊の増加を求めている。陸軍の方は、師団復活が無理ならという論法で、重砲、戦車、航空機の大幅増強を求めている。
「一方では、4割寄越せと言っている方々もいるわけですね」
「ああ。ただ遠慮ない者達は、対ソ連軍備の為には4割でも全然足りていないと唱えている。彼らは際限がない。何から何まで全部認めたら、国家予算の半分が陸軍予算になってしまうよ」
「その人達は、国が破産して国民全員が路頭を彷徨ってもいいって事ですね」
「まあ、ソ連が五カ年計画で毎年のように1000両の戦車や戦闘機を作られたら、不安になるってもんだ。言うくらいは、まけといてやれ」
思わず語気が荒くなるのを自覚するけど、流石にお父様な祖父にたしなめられてしまった。
私も小さく深呼吸して、話題を変える。
「対ソ連軍備か。戦車を一杯増やすのですか?」
「ああ、そうだよ。まだ仮称だけど『試製快速重戦車』の大幅改修型を『九五式重戦車』として、本年度中に正式化して来年度くらいから量産する予定だ。
『試製快速戦車』の方も、既に計画が進んでいる砲塔と載せる砲を変更して『九五式中戦車』となる。こちらは本年度から量産予定だ。予算枠を考えたら、本年度予算で『八九式』と合わせて200両は配備できる」
「あれを作るんですね。けど、沢山増やしても200台か。ソ連相手には厳しいんですよね」
「ああ。けど、数年前だと戦車保有総数が200両だった。それを思えば、ここ数年の増勢は目を見張る思いだよ。関係部局は大忙しだ。それに、ソ連も極東に配備できる数は限られている」
お兄様の言葉だけど、なんだか陸軍の貧乏さに哀愁を感じてしまいそうになる現状だ。何せ陸軍は大所帯だから、人件費や兵隊の衣食住で大金が飛んでいく。
ただこの件では、別の事で気になる事がある。
「そうですね。ところで新型は、全部、鳳と小松で生産ですか?」
「まず陸軍造兵工廠には、次の開発の為に技術指導しとる。もっとも、機械も揃っとらんし、工員は腕は良いが職人芸の連中ばかりだから、量産効率の話をしても最初は理解しとらんかった。生産能率の上野先生も、頭を抱えておったよ」
私の疑問には虎三郎が、「フンッ」と鼻息も荒くご返答。相当ダメらしい。
「エーット、三菱は?」
「八九式って先代の次を作らないと、メンツが立たん。だから別のメンツを捨てて、うちから工作機械をラインごと買っているところだ。ただまあ三菱は、前から上野さんの生産能率とかの辺りは導入しているから、陸軍や他の会社より随分マシだな。それでも足りん分は、うちから人をやって指導しているところだ。ただし当面は、うちで生産するしかない。三菱での生産は、2、3年先だろうな」
「まあ、鳳が開発したものだから、鳳で生産する件に関してはどこも文句はないよ」
「三菱も?」
「今の三菱は生産能力はあっても、開発能力が十分にない。この点では、鳳とは比較にならない。新型の重装甲車も、小松で生産するからな」
「なあ、少し話が逸れてないか」
お父様な祖父の声。確かに、新型戦車の配備の話に傾き過ぎていたのを自覚する。
「ごめんなさい。けど、ついでに次は海軍の話、聞いてもいい?」
「まあ、ついでか。貪狼」
「ハッ。現在海軍は昨年度より第二次補充計画を推進中ですが、本年度予算では想定以上の予算を獲得できた事になります。そこで、うち3000万を同計画に補充。大型の何かの母艦を1隻、小舟を幾つか、それに航空隊を2隊追加します」
「何かの母艦?」
「敷設艦、機雷を敷設する船のようですが、予算が新型の水上機母艦並みです。海軍は『敷設艦甲』と呼称していますが、総研では何か別の母艦だと推測しております」
(あー、確か『甲標的母艦』ってやつなんじゃないかな? ゲームでは結構お世話になったなあ)
「玲子、何か知っているのか?」
軽くトオイメをした表情を読まれたらしく、目ざとくお父様な祖父が聞いてくる。貪狼司令の言葉と合わせると、誰も知らない事になる。
「夢で見た景色にあったそれが、多分そうだと思う」
「水上機母艦ではないのか?」
「水上機母艦も兼ねるけど、確か船体の中に倉庫、じゃなくて格納庫があって、そこに小さな潜水艦を沢山載せて、それで攻撃するのよ」
「なんだそれは? 敵地の近くまで行って、小さな潜水艦で攻撃するのか? 海軍はウラジオでも攻撃するつもりか?」
お父様な祖父が首を捻る。お兄様も、珍しくお悩み顔だ。
けど私の前世の記憶には、あまり詳細に残ってはいない。
「確か敵を事前に攻撃する兵器だから、艦隊同士の戦いでも使うつもりじゃないかな」
「つまり、洋上で小型の潜水艦を大量に展開して、漸減邀撃の一部に使うという事か。それなら、現在建造中の大型水上機母艦に似ているのも分からなくはないな。あれも、かなりの高速発揮ができる。だが、空母予備艦ではないのか?」
お兄様が、独り言モードで自分の思考に入りつつある。多分正解かそれに近い事なんだろうけど、私には今ひとつ理解できない。
けどそれは他の人達も同じらしく、軍事予算に関する話はこれで切り上げのようだ。
「まあ、龍也は放っておいて、次に進めよう。それで、今までの時局匡救事業分を盛り込んだ形の各省庁の公共事業だが……」
そうして鳳グループにとっては本題と言える予算に関する話になったけど、ほとんどは予想範囲内だった。
それよりも私は、本年度予算のうち軍事費の増額を絞った事の方が気になった。
貪狼司令を信じないわけじゃないけど、高橋是清だけでなく『二・二六事件』の大きなフラグだからだ。しかも私が捻じ曲げたり関わって変化してきた昭和のクーデターやテロの中では、珍しく綺麗にバッドフラグが立った事例になるから、なおの事気になった。
しかも『二・二六事件』は、今が3月初旬だから約1年後に発生する。
既に手を打つか打ちつつあるけど、せっかくゆとりがあるのだから、もっと何か出来ないか考えないといけない思いを新たにした。
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甲標的母艦:
史実の第三次計画の時の『日進』。お金があるけど軍縮条約があるので、違反ではない大型船として前倒しで建造。
『九五式重戦車』:
史実の『九五式重戦車』とは全く異なる。
ソ連軍の『BT-7』より少し大きく頑丈そうなシャーシの上に、『三式中戦車』の砲塔が載っているイメージが近いでしょう。
名称は『ジハ』かな?(『九一式重戦車』、『試製快速重戦車』の次になる為。)
砲塔と載せる砲を変更して『九五式中戦車』:
ソ連軍の『BT-7』のシャーシに『九七式中戦車』の砲塔が乗ったイメージが近いと思います。
ただし名称は「チハ」ではなく、試作を挟んだので「チニ」になる筈。
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