382 「新年のタイマン」
「そういえば、ここにお参りするのは初めてだな」
勝次郎くんが、ぽつりと言った。
「お互い、いつもは挨拶したりされたりで、正月はゆっくり出来ないもんね」
「父上達は、明日からは仕事始めで、また忙しいがな」
「それはみんな言ってた」
顔を見合わせて、クスリと笑う。
場所は鳳の本邸の庭の片隅。この場所に昔からある、八幡様の小さなお宮の前。
本来なら鳳の子供達全員で案内するところだけど、それぞれ家族の相手をして手が離せないところだったので、ちょうど手の空いた私が連れてきた。
私もすぐ後に別の来客の相手の予定があるし、勝次郎くんも次の挨拶回りがあるから、そんなに長居するわけじゃない。
正月はいつもそんな感じだけど、子供じゃなくなるにつれて忙しさが増している。
少し離れた場所に、シズと勝次郎くん付きの使用人が待機しているけど、普通の声なら届かないくらいの距離を開けているから、実質二人きりだ。
そして私は派手な正月の振袖、勝次郎くんも正月らしく紋付袴姿。三菱の紋もちゃんと入っている。背丈も私より高くなったから、堂々として見える。
なお、正月の着物は小紋が普通らしいけど、私はご令嬢としての演出を兼ねてあえて派手に振袖で毎年攻めている。
だからこうして並んでいると、私的には成人式のカップルだ。けど、こうして二人きりになるのも、多分今年の春までだろう。
何しろ春には、私の婚約発表の予定だ。
「では、お参りさせてもらおうか」
「どうぞ。まあ、鳳じゃなくて毛利の神社だけどね」
「明治以来鳳一族の屋敷なんだから、鳳のものじゃないのか?」
「神社の人が来るけど、一応昔の長府藩にある神社から分社してるらしいのよね」
「そうか長州藩じゃなくて長府藩の屋敷だったな」
「これとお庭、それに離れの一部以外、もう残ってないけどね」
「長府藩の屋敷なのに、鳳は長州藩の家臣なんだな」
「高祖父は、そのあたり適当だったみたいね。それに鳳のご先祖様が下関の商人だから、このお屋敷を管理するようになった事になっているのよ」
軽く自嘲気味に返すと、意外に爽やかな笑みが返ってきた。
「うちの御先祖様の起源も、正直なところ嘘か本当か分からない。似た者同士だ」
「三菱と鳳とじゃあ、つい最近まで比較にもならないじゃない」
「そうでもない。父上は、日露戦争後から鳳には注目していたし、先の大戦での事業拡大も高く評価しているぞ」
「その話は、お父様や時田からも聞いた事がある。けど、鳳が大きく成り上がったのは、つい8年程前。完全に大財閥と言えるようになったのは、精々ここ5年ほど。新興財閥の出世頭って言う人も多いわよ」
「言いたい者には、言わせておけ。負け犬とまでは言わないが、単なる犬の遠吠えだ」
「ありがと。身内以外でこういう愚痴を言えるのは、勝次郎くんだけよ」
「それは何より。だが」
そこで勝次郎くんの言葉に力が入る。
「なぜ俺を選んでくれなかった」
瞳の力もめっちゃ強く真っ直ぐだから、私はしばらく言葉を返せなかった。
けど、心に動揺とかそういったものはない。
だから静かに言葉を言えた。
「山崎家から、勝次郎くんを奪うわけにいかないでしょう」
これでこの話は終わりと思ったけど、勝次郎くんの覇気というか強い雰囲気に変化はない。
それどころか、さらに強まった。
「俺も少し前までは、そう思っていた。だが、一つ妙案があるんだが、聞いてみるか?」
「私がハイと言わなくても言うくせに。で、どうするの?」
「俺が玲子の入り婿となり、鳳グループで頂点を極める。そして鳳が、三菱を飲み込むんだよ」
言い切って、ドヤ顔アンドしてやったりな表情。
確かに、そこまでの大風呂敷は考えてもみなかった。私は、多分呆気にとられた間抜けヅラを晒しているだろう。それに、顔に出ていなければと気になる程、心臓の鼓動が高まった。
そして私の顔を見て、勝次郎くんがニヤリと、だけど嫌味のないいつもの笑みを浮かべる。
「流石に考えてもみなかったようだな」
「……当たり前でしょう。ありえないし、流石に呆れさせてもらうわ。それに私は鳳の長子よ。一族当主はどうするの?」
呆れた発言ついでに、両手を腰に当ててジト目で見返す。そうしないと、高まっている心臓の鼓動を悟られそうだった。
「次の鳳家当主は、恐らく龍也さんだろう。次の次は狙うが、多分その座は俺達の子供になるだろう」
「どうやって三菱を飲み込むの? 流石にうちも、そこまでのお金はないわよ」
「手段など幾らでもある。例えば、まずは満州への進出。どこかの新興財閥が政治家を使って狙っているが、それを掻っ攫う。鳳には、以前その話も来ていただろ。そして満州の経済開発を手土産に、アメリカ財界との関係をさらに強固にする。もちろん、三菱にも全面的に協力を仰ぐ」
「それは私も、ぼんやりとだけど考えた事ある。けど、足りないわよ。もっとも私は、三菱をどうにかしようって考えた事はないけどね」
「つまりそこが玲子の限界という事か。初めて、玲子より高い視点を持てたのか?」
「だったとしても、現実性が無さすぎ。妄想の類でしょう」
「まあ、否定はしない。だが、男子たるもの、夢は大きくないとな」
「どうせ私は、夢もない散文的な女ですよー」
「そう拗ねるな。それでどうだ、少しは考えてくれるか?」
再び強い視線を私の瞳に注ぎ込んでくる。
私もそれを正面から受けるけど、勝次郎くんの案には鳳一族として致命的な欠点が一つある。
だから、表向きは小さく、実際は気取られないように深く深呼吸してから、腕ごと人差し指を勝次郎くんに突きつける。
「鳳一族としては落第点ね!」
「なっ! なぜだ?!」
「いやいや、気づいてないとか言わせないわよ。鳳一族は、1日でも早く私とお父様以外の長子が欲しいの。できれば、長子の予備も。
日本経済の覇者とか野望とかは、どうでもいいとまでは言わないけど、それは財閥としてだけ。一族としては二の次、三の次よ。それとも勝次郎くんは、大学生で子持ちの親になる気? そんなの世間が許さないし、夢も野望もご破算よ。分かっているわよね」
「ぐっ」。矢継ぎ早の私の言葉に、流石に勝次郎くん声を詰まらせる。
けど、諦める気はまだないようだ。
「そこは改革できないのか? 言ってはいけない事ではあるが、歴史も浅い一族内の事だろう」
「それは無理よ」
「何故だ? 前々から、凄く疑問だった。長子の財産というだけで説明が出来ないだろ、普通に考えれば」
「……絶対に他言無用を約束してくれるなら、ちょっとだけ教えてあげるけど」
「無論だ。それで?」
即答すぎて、軽く苦笑してしまう。けど、こちらもそれは一瞬で、すぐに真顔に戻す。
「私もまだ完全には教えてもらっていないけど、その件で曾お爺様の代の辺りでもう身内の血が流れているから。鳳一族は、身内の犠牲の上に成り立っているのよ。源氏ほどじゃないけど、血の制約とか呪いの類ね。
何年か前、玄二叔父さんが勝次郎くんの言った長子の問題を変えようとしていたけど、歯牙にも掛けられなかったのよ」
「そうなのか……」
「うん。それにね、一族内の安定をとって、強い結束にもなっているのよ。あと、私の優先度は財閥より一族。ここは譲れないの。一族も従兄弟も沢山増えたし、みんなには相応に幸せになって欲しいのよ。鳳の財閥や世の中に色々口を挟んで、無茶な事をしているのも、全部その為」
一通り言い切ったけど、しばらく勝次郎くんは口をつぐんだまま、私を見続けた。
そうして少し苦い笑みへと表情を変える。
「財閥よりも一族か。そこまで強い想いだとは考えてなかった。限界ではなく、三菱との合併など考えなくて当然だな。だが、玲子の動きを見ていると、がむしゃらに財閥と日本経済を大きくする事だけを考えているように見えていた」
「まあ、そこは否定しないわよ。鳳の財閥が大きくなって、日本が豊かになれば、一族も安泰だもの」
「一族安泰の為に、財閥ばかりか日本を大きく豊かにか。俺より大風呂敷だな」
「そう? けどね、畳むのが大変なのよ。手伝ってくれるか、それこそ三菱財閥で引き継いでくれるなら、これほどありがたい事、いや違うか、嬉しいことはないんだけど?」
少し茶目っ気も載せて、挑戦的に見返す。
その私の目をしばらく見返していた勝次郎くんだけど、一瞬目を下に向けた後で小さくため息をつく。
そうして再びあげた顔は、いつもの俺様キャラな勝次郎くんだった。
「いいだろう。まあ、俺が三菱をどうにかできるのは、早くて2、30年先だろうけどな。それまでは、愚痴を聞く相手くらいは努めよう。それともう一つ」
「なに? まだ注文?」
「そうだ。俺が三菱の総帥に就くまで、俺の分を残しておいてくれ。退屈はしたくない」
その言葉に、ジト目&ため息を返してやる。
「何を言うかと思えば、経済は日々変わるのよ。残すどころか、幾らでもやる事は湧いてくるわよ。退屈なんて、している暇ないから」
「全くだな。埒も無い事を言った」
「その通りよ。それより、うちの八幡様の前で無駄話しすぎたわね。早くお参りしてちょうだい」
「ああ、謹んで参らせてもらおう」
そう言って、ようやく私から視線を背けた勝次郎くんは、思いの外真剣にしかもかなり長い時間、鳳の本邸にある小さなお社へ何事かを願っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます