374 「三度目の受賞」

 辻政信がモスクワに旅立って少し後、ソビエト連邦が国際連盟に加盟した。

 ソ連の外交方針の変更と、ドイツでナチス政権が誕生した影響の結果だった。また、少し前にようやくアメリカがソ連と国交を結んだ事が影響したのも間違いないだろう。

 一方で、一年ほど前にドイツが国際連盟を脱退しているから、国際的にはプラスマイナス・ゼロって感じだ。


 しかし、ソ連を敵視するより協調すると言う事は、日本の国防上ではマイナスだった。

 何しろ日本の基本外交方針は、主にイギリスと協調しつつの反共産主義路線だった。ついでに、大陸での国際協調になる。この二つを満たすために、満州は自治政府で留め置いていると言う論法もあるので、ソ連を強く脅威と感じる陸軍や国粋主義者、ドイツと連携するべきだと言う連中への言い訳が難しくなってきた。


 ただし、依然として中華民国の中央政府は張作霖とその軍閥が中核となっている。そして中華民国の経済安定政策で、日本は英米などと協調路線を取っていた。

 さらに南京臨時政府の蒋介石は、依然としてドイツとの関係を結んで軍備を増強しており、日本国内のドイツ・ラブな連中の大きな足かせとなっていた。


 一方で、日本の仮想敵は一番がソ連だけど、去年あたりに二番目がドイツに変更されていた。

 これは第一次世界大戦までの日本の仮想敵と同じだけど、アメリカを仮想敵としている日本海軍にとっては、由々しき事態だった。


 政府も陸軍ですらも、取り敢えず英米との関係は現状維持しようという向きが強い。そして政治的に弱い海軍は、その言葉に従わざるを得ない。

 当然というべきか、一部が不満を溜め込んでいた。現状では、陸軍の精神論者達より海軍の急進的なごく一部の将校の方が危険ではないかと、日本国内でも考えられているほどだった。


 その少し後、イギリスではウィンストン・チャーチルが、無駄に頑張っていた。

 チャーチルは、保守党大会でインド自治の反対派を半数以上にする事に成功していた。私の前世の歴史とかは全然知らないけど、流石はガチガチの帝国主義者のチャーチルらしい。

 ただ、この後でチャーチルは、やりすぎたと反省したらしく、保守党のインド自治に賛成した人達との和解をしている。


 そしてさらに皮肉なのが、念のため賛成派が当のインドに自治について聞いてみたら、藩王、ラージャ達が自身の権力維持などの為に反対だという意見だった。

 しかもこの一連の騒動は、結局チャーチルにとってプラスにはならなかった。

 インドはイギリスの議会なんか、別にどうでもよかったからだ。だから保守党内で強引に反対票を集めたチャーチルの評価が相対的に下がっただけに終わった。


 なんとも、チャーチルらしい失敗って感じで、お慰めの手紙だけ一筆したためておいた。

 そんな話は後日談で、チャーチルが無駄に頑張っていた頃、10月初旬を迎える。

 そう、今年のノーベル賞の発表だ。



「鳳紅龍博士の前人未到の三度目のノーベル賞受賞を祝して、万歳三唱。バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!」


 日本中、そんな感じで一色に染まった。

 特に、鳳ビルのある山王から虎ノ門にかけて、そしてそこから日比谷公園に至るまでは、壮大な規模となった提灯行列とか諸々のお祝いが行われた。

 特に今回は、前人未到の三度目の受賞という事で政府が音頭取りをとって祝われた。


 当然というべきか、鳳の本邸とその周辺部の鳳の城下町と言える六本木界隈も、提灯行列で一度は埋め尽くされた。

 また、紅家の本拠地であり紅龍先生の邸宅もある川崎の生田の方でも、派手な提灯行列の集団が押しかけて、それは盛大に行った。

 おかげで学校にすらろくに行く事が出来ない有様だ。



「では、暫くの間お世話になります」


「好きなだけ居てくれ。と言っても、11月にはスウェーデンに向かうんだったな」


 紅龍先生とその一家が、式典諸々に便利という建前で、群衆やブン屋から逃げる為に鳳の本邸にやってきた。

 川崎の紅家の方は、学校どころか邸宅の庭にまで無断で入ってくるブン屋などがいるし、ご家族すら取材対象にしてホトホト困り果てた末に逃げてきた形だ。


 けど、この屋敷の中なら安心だ。

 警備は軍事施設並みに厳重だし、24時間体制で警備犬付きの警備が行われている。それを知らずに不法侵入を試みた馬鹿は何人かいたけど、敢え無くジャーマンシェパード達の餌食となり、追いかけ回された挙句にお縄となった。


 そしてそれを公表して、そのブン屋が属する大手新聞社が激しい非難に晒されるというおまけもあった。

 部数争いも結構だが、節度や品性がないのは今も昔も変わらないらしい。そのぶん、鳳が抱える皇国新聞がクオリティ・ペーパーとしての評価は高まるのだけど、江戸時代の瓦版と変わらない無節操さは本当に何とかして欲しいと思う。


 まあ、それはともかく、これでようやく紅龍先生と妻のベルタさん、それに毎年のように増えているお子さん達も一安心だろう。

 紅龍先生の顔にも安堵がある。



「はい。授賞式、各地での講演会、それに妻の故郷でクリスマスと新年を迎える予定です」


「良いんじゃないか。好きなだけ向こうで過ごしてこい。人の噂も75日、帰ってくる頃には熱(ほとぼ)りも冷めているだろ」


「はい。ですので、日本を発つまでは、宜しくお願いします」


「畏るな。今やお前、いや鳳紅龍博士の方がずっと偉いんだからな」


「とんでもありません。私など、まだまだ未熟。最近は研究も停滞気味で、自身の限界を感じるばかりです」


「ノーベル賞3つもとったやつが言うと、嫌味になりかねんか? 謙虚も過ぎると、嫌味にとるやつがいるぞ」


「確かに。ご助言ありがとうございます」


「そんなもんじゃないよ。まあ、ゆっくりしていってくれ。ベルタさん達もな」


「お心遣い、感謝いたします」


 そのあと続いて、私達も挨拶を交わす。

 私達というのは、鳳の本邸にいる人達の多くも顔を出していたからだ。目的は、もちろんお祝いの言葉を言う為。今更紅龍先生は珍しくもなんともない。人で言うなら、二人のお子さん達に会えるのが楽しみだった。


 ベルタさんの前の旦那さんのお子さんの、長女のアンナちゃん。今年でもう7歳になる。結婚から半年もせずに生まれた長男の紅明(こうめい)ちゃん、それに次女の玲華(れいか)ちゃん。

 玲華の名の玲の字は、紅龍先生が私の名前からとったものだけど、初めて名前を聞いた時は大声をあげそうになるくらい驚いたものだ。

 なお、紅明ちゃんは今年3歳、玲華ちゃんは年子で今年2歳。天使みたいな子供達に、こっちはニッコニコだ。


 とはいえ、アンナちゃん以外はまだ小さすぎるから、ちょっとした挨拶しかさせてもらえない。この辺りは、鳳は結構厳しい。年が一定以上離れていると、交流は最低限にされてしまう。私が虎三郎一家の人たちと親密な交流が遅かったのも、その為だった。

 そして私は鳳の長子だから、子供達と遊ぶよりも大人同士の会話に付き合わないといけない。



「改めて、ノーベル生理学医学賞受賞おめでとうございます。紅龍先生」


「ありがとう。だが、玲子のおかげだ。こちらこそ、改めて礼を言う」


「もうそう言うやり取りはいいだろ。きりがないぞ。それで紅龍、宮城の方はどうだ?」


「はい。宮内省の方からは、もう私に与える位階と勲章がないと、愚痴半ばに言われてしまいました。まあ、どうでも構いませんがね」


「あとは皇族にでもならないと無理だからな。爵位は?」


「はい。代わりに爵位を上げるとのことで、子爵に上がるのではないかと」


「もう一番上の公爵でいいだろ。ケチくさい。三度の受賞者など全世界で見ても唯一無二、今後二度とないぞ。維新の元勲以上だろ」


「一代限りならともかく、爵位はそうはいかないでしょう」


 お父様な祖父の愚痴に、一応ツッコミを入れておく。この日、屋敷にいた他の大人達も苦笑気味だ。

 ただ、紅龍先生は、微妙な表情だ。


「紅龍先生、何かあるの?」


「……実はな、その話もなくはないのだ」


「その話?」


「その、公爵だ」


「どう言うカラクリで? 流石に無理があるんじゃあ」


「いや、一つあるぞ」


 お父様な祖父が最初に答えにたどり着いたらしく、ニヤリと笑みを浮かべる。それを見たお兄様も、その手があったかの表情。会話なしで、会話が成立している。

 けど、私を含めて他は全員気づけてない。


「分からんか? 断絶して家名だけが残っている公爵家の名を貰うんだよ。それで上手くいけば、公爵様の出来上がりだ。まあ、そんなもん貰ったら、2、30年もしたら、博士どころか陛下の近臣にされちまいそうだがな」


「ご当主、冗談でも仰らないで下さい。西園寺公や牧野様に叱られてしまいます」


 紅龍先生の顔が、かなり大きめに引きつっている。マジでシャレにならないって顔だ。これで鳳凰院とかの名前が出てきたら、私的にもシャレにならない。

 一方のお父様な祖父は、面白がっている。


「西園寺の爺さん、いい加減引退だろ。牧野さんも、病気がちで今年くらいで引退するって話だし」


「ちょっと待って。それって、紅龍先生が将来内大臣とかになるかもって? 医学者なのに?」


「別に学者がダメって法はないぞ。それに陛下とは似た学問をしているから、話し相手としては丁度いいくらいだろ。元老は廃止だろうから、なるとしたら内大臣か侍従長だな」


「いやいや、色々覚える事とかあるし、畑違いでしょう」


「もうだいたい覚えたぞ」


「……なんで?」


 思いっきりジト目で見返したら、さも当然とばかりに見返された。


「2、3ヶ月に一度のご進講以外、他でも呼ばれる事も増えたんだが、その都度小言やお叱りを言われては面倒だからな。陛下のなされる諸々と宮内省の事については、おおよそ把握済みだ。おかげで、年々愚痴や小言を言われるのも減っているぞ。なんなら、私の方が詳しい事すらあるからな」


 さらに、ちょっと自慢げに返された。

 けど、天才としての能力の使い道を間違っている気がする。軽く周りを見ると、私と同意見な表情も少なくない。

 けどなんだか、紅龍先生らしいと思えた。


「……まあ、好きにしたら」


「好き嫌いの問題ではあるまい。それより話が逸れてませんかな?」


「おう、そうだったな」


 そうしてそこからは、色々とノーベル賞の事と宮城の事について話を聞くことになった。

 三度目ともなるともう慣れてしまっていて、特に紅龍先生自体は淡々としているのが印象的だった。


(偉人というか大人物なのは間違いないのかもね)


 話す紅龍先生を見ながら、そんな風に思えた。



__________________


保守党大会でインド自治を反対:

史実と同じ。ただし、この時チャーチルの反対派は僅差で敗北。チャーチル低迷が続く要因の一つとなる。

そして英本国が賛成したのに、インド自体が拒絶。

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