365 「選挙の結果」
学生が夏休みに入ってしばらくした8月5日、総選挙が行われた。そして翌日、床次竹二郎を新たな総理とする新政権の発足が決まる。
それが、私の前世ではなかった選挙の結果だ。
そして私の前世とは違う人が総理になった。
政友会が勝ったと言う以外での選挙結果は、予想よりも民政党が善戦した。
政友会6に対して民政党は4。前回がダブルスコア近かったので、大きく盛り返した事になる。けど、一部でも政友会が分裂していたら、結果は分からなかったという結果とも言えた。
だからこの点では、鈴木喜三郎は政友会自体に貸しを作り勢力を拡大する事になった。この人の後ろには、私の前世で戦後に総理になった鳩山一郎もいるし、日産の影もちらつく。勢力自体も侮れない。
けど、分裂はなかった。重鎮達もまだ健在だし、予想より勝てなかった衝撃から、党の結束は強まったとすら言える。
なお、予想より民政党が善戦した理由は、政党政治が本格的になってから民政党があまり政権を取っていないから、国民のバランス感覚が働いたというのが一般評だ。
そして民政党を支持したというよりも、政友会が天狗になりすぎるなと釘を刺した結果だとも言われた。
有権者がそうした判断をできるところに、日本の政党政治、議会選挙も少しは定着してきたと思いたい。
そうして新たに発足した新内閣だけど、陣容は床次総理のようにどこか無難なものだった。
総理大臣:床次竹二郎
内務大臣:宇垣一成
陸軍大臣:林銑十郎(一夕会のスピーカー)
海軍大臣:山梨勝之進(協調派・軍縮派)
大蔵大臣:三土忠造(高橋是清が後見)
外務大臣:吉田茂
商工大臣:中島久万吉
「吉田様にお祝い送らないと」
「それは当然だが、うちは政友会自体を支持しているんだが?」
「そう言うのは、お父様がしておいてよ。私がよく知っている人って、宇垣様と吉田様くらいよ。まあ、裏方の重鎮の人達にもお手紙は出すけど」
「爺さん連中だから、子供から手紙をもらう方が嬉しかろう」
「そうよね。みんな曾お爺様くらいなのよね」
「原敬が78、犬養毅が79、高橋是清80だな。田中閣下はまだ70だが、老いが強いと聞く」
「みなさんご高齢ね。そう考えると、民政党の方が若い人多いのね」
「若いって歳じゃないが、重鎮連中だと10歳くらい違うな。だがそれだけに、次を狙って来るだろうな」
「終わったばかりなのに、もう次の選挙の話?」
「当たり前だろ。政治家ってのは、そう言う生き物だ」
「なんだか、祭りが終わった次の瞬間に、来年の祭りの事を考える人達みたいね」
「ハハハッ、言い得て妙だな。似たもんだと思うぞ。俺には忙しなく見えて仕方ないがな」
「『代議士は落選したらただの人』だからじゃないの?」
「そう言う奴もいるな。それで、玲子は今回は満足か?」
雑談がひと段落したので、顔も声も昼行灯のまま少し真剣な目で私を見てくる。本館の居間で、実質二人だけなのに因果な人だ。
「政党政治が維持されて、積極財政、景気拡大の方針を続けてくれるなら、それで十分」
「軍人が政治を牛耳るのはダメか?」
「それは論外って、前も言ったでしょう」
「だが、いつまで保つかな?」
「ずっとよ。景気拡大、所得向上が連動して高い水準で維持される間は、民意を得られないわよ」
「ずっとは無理だろ」
「あと5年、1939年まで続けばいいのよ。そこからは、なんであれ戦時経済に突入するから。日本だけだと、戦争特需だけなら万々歳なんだけどね」
「……その話は何度も聞いたが、なんとも酷い話だな」
「そう? ドイツの裏財政なんて、実質もう準戦時体制よ」
「メフォだったか? なんで軍備じゃなくて経済に突っ込めないんだ? 極端な連中だ、まったく」
「極端だから、ドイツ人なんじゃない?」
「そこは普通、ドイツ人だから極端だと言うべきだろ」
「そうかな? 私的には逆の方がしっくりくるけど」
そこで小首を傾げて話を切る。話が脱線したから、修正するためだ。今の雑談は、ドイツなんてどうでもいい。
「まあ、俺もその認識に改めておくよ。それで話を戻すが、景気拡大するなら蔵相は高橋さんが良かったんじゃないのか?」
「あと10年、5年、いや3年若かったら頭を下げに行ったかもね。けど80歳よ」
「だが、あの爺さんの財政手腕は、間違いなく日本一だ」
「そんなの言われなくても分かってる。けどね、この先5年は地味でも多少大雑把でも良いから積極財政でいいのよ」
「その心は?」
「さっきも言ったように、5年後、遅くとも6年後には、嫌でも戦時財政に突入するのよ。積極財政どころじゃないくらいお金を刷るの。そうなったら、これから5年の散財とインフレなんて、可愛いどころか富士山の前の子供が作った砂の山みたいなもん。誤差の範囲よ。
けどそれで、前もって日本経済と生産体制を大きく出来るんだから、お買い得でしょう。戦争になったら、軍人さん達が泣いて喜ぶくらい、兵器と弾薬が生産できるようになるのよ。しないで、どうするのよ」
思わず熱が入ってしまった。
思い続けている事だから、たまに吐き出さないとやってられなくなる。それを分かってくれているお父様な祖父は、そんな私を苦笑で受け止めてくれる。
「もう、無茶苦茶だな。だが、玲子が夢で見た戦争、いや大戦争は確定なのか?」
「ドイツでナチス政権が成立して、メフォ手形をばら撒いた時点で、ドイツの対外膨張はほぼ確定。この秋から膨大な額が組まれる予定が見えてきているけど、自分で死刑執行のサインしているようなものよ。
ドイツは、インフレでまた死にたくなければ、借金踏み倒して他国の中央銀行を力づくで奪い取るしかないの。狂ってるわよ、まったく」
「露助も、第二次五カ年計画とか言う、経済原則を無視した極端な重工業と軍備の拡張中だしな」
「その軍備拡張だって、普通の視点から見れば、準戦時体制どころか戦時体制の兵器増産レベルよ。国防とか言って、他国を侵略する気満々じゃない」
「だから陸軍は、満州の防備を少しでも固めたいんだよ」
「その為にも、多少無茶してでも積極財政と景気拡大を推し進めて、平時予算を増やせるだけ増やして、当面の備えと万が一の時の為の準備を整えるしかないのよ」
「平和はないのか?」
軽口でそのまま続けてくるけど、心なしか重みを感じる。
「凄くあって欲しい。平和が一番に決まってる。けど、もう無理でしょ。撃鉄は起きたの。1929年の秋に」
「それを確かめる為、お前はアメリカくんだりまで行ったわけだからな。……せめて今は、この平和を満喫するとしようか。今年は何もないんだろ」
「もう私の見た夢とは違いすぎているから、確かなことは言えないわね。今回の内閣自体が、夢には全く出てこないのよ」
「そういえば、同じ人は誰もいないのか?」
「エーット、陸相は同じだったと思う。床次さんは、何かの大臣をしてたような」
「曖昧だな」
「夢だからね。けど、そもそも民政党中心の、政党政治じゃない内閣よ。違うところだらけよ。選挙すら無かった筈だし。時期だけだいたい同じなのが、却って不気味なくらい」
「解散日が同じなんだっけか。だが、お前が『夢』で見たと言うでっち上げの疑獄もなし。次の総理の順番も決まった。陸海軍共に大人しい。良い事づくめじゃないか。それでも不気味か?」
「事が順調すぎて不気味なの。それに解散日が同じってのは、状況が夢と同じになるかもって思うでしょう」
「悲観しすぎだ。良くなるように、努力してきた。金も使った。何事も積み重ねの結果だ。そして今回は、多少の運もあって報われた。その事を、内心だけでいいから少しは誇れ」
「……うん、ありがとう」
「礼を言うのはこっちだよ。10年も前から、無理ばかりさせてきて、これからもさせてしまう。祖父としても親としても俺は失格だ。だがお前は、自慢の娘であり、自慢の孫だ。そいつも、少しくらいは頭の隅に置いててくれ」
「うん。私もお父様の孫で良かったと思ってる」
「……お父様の孫ってのも、変な表現だな」
せっかく少ししんみりした話になっていたのに、軽く腕を組んで考え込んでいる。
けど、それを見て私は軽く笑う。
「そうね。あっ、こういうのを、私が見た未来の夢ではパワーワードっていうのよ」
「力のある言葉?」
「強く印象に残る言葉、かな?」
「確かに。まあ、俺と玲子の間だけの言葉だから、今更って気もするがな」
「確かに。あっ、けど」
「けど、なんだ?」
「私が結婚して婿養子を迎えたら、どうなるの?」
「……この場合、お前の後見人ではあるが、祖父に戻るだけだな。どうせ、お前の相手は一族の誰かだ。それにしても、そんな事を意識するようになってきたんだな。政治や金儲けの事ばかり考えるより、良い事だ」
「ハイハイ、私の頭の中はどうせ散文的ですよ」
「分かっているなら、散文的でない事も多少は考えろ。14の娘だろ」
その後もくだらない会話がしばらく続いたけど、それも選挙が上手く運んだお陰だ。
そして別の面では、私の頭の一部では散文的でない事を意識しているからでもあるんだろう。
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