329 「女学校のとある一日」
2週間ほどで満州から日本に戻ると、日本では妙な事件が起きていた。
その後、「ゴーストップ事件」と呼ばれる事件だ。私が帰国した6月下旬に入る頃だと、まさに事件が大きくなろうという頃だった。
正直、ウンザリさせられる事件だけど、僅かに私の歴女知識に引っかかるキーワードだった。軍が関わっているから、軍国主義に向かうフラグの一つなんだろう。
もっとも大阪での事件だから、鳳の報道組織だと、京阪神の中心となる支社を神戸においている皇国新聞が中心となっている。
東京方面はその記事の転載くらいだから、他に信号が関わると言うので、交通ルールを説明させて啓蒙してもらった。
マイさんや車の運ちゃん達から聞いたけど、この時代信号自体がまだ珍しいらしく、交通法規ってやつが日本人に馴染みないらしいからだ。
今回の事件も、大元を辿ればそんな事が原因している。
だからついでなので、下らない事件が今後起きないように、私が覚えている限りの未来の簡単な交通ルールなどの決め事を含めて研究させ、道路交通法制の整備をお上に建白する事にした。
何しろ私達の影響で、日本を走るトラックなど産業車の数は、年々大幅に増えている。
ただ、日本の未熟さをこんなところで見る事になるとは、思いもしなかった。
また建白だけでなく、紅龍先生の陛下への御進講で話をしてもらい、そこから啓発を促すという流れも作る予定だ。
政治と関係のない良い事を広めるのだから、陛下を政治に関わらせたくない西園寺公も文句はないだろう。
一方の私だけど、何故か女学校で咎められていた。
もちろん、信号無視じゃない。
(姫乃ちゃん、可愛いなあ。ゲーム時期のJKの年齢の頃より、今くらいの方が好みだなあ)
「お話聞いて頂けていますか、玲子様」
「あ、うん。聞いてます。けど級長、私は学校に届け出は出しましたよ」
「それは先生から後から聞きました。でも、一言くらい言ってから旅立たれても」
「そう? 私、小学校からいつも同じようにしてきたから、気づかなかったわ。今度から、同じ学級の人には伝えますね。ただ、お仕事上お伝え出来ない時もあるので、それは許して下さいね」
「許すだなんて。ところで、どこに行かれていたんですか?」
「それはお仕事上、話せません。ご免なさいね」
「い、いえ。お仕事ですか。しかも小学校から? 財閥の子女ともなると大変なんですね。余計な事を言って、申し訳有りませんでした」
最後にぺこりと深くお辞儀されてしまった。
私が遊びに行っているとでも思ったんだろうけど、素直に引き下がってくれた。女学生が仕事と言っても、普通は言い訳と取られかねない。けど、こう言う素直さは姫乃ちゃんらしい。ゲーム上の悪役令嬢には、とんと見せた事がないけど。
それに、やっぱりと言うべきか、微妙な違和感を感じてしまう。
(良い子ではあるんだけど、なんか私とはズレてるなあ……。理由は何であれ、悪役令嬢に突っかかってきたし。これが宿命ってやつ?)
ただし、私に声をかけてきたのも、姫乃ちゃんが級長、この時代の学級委員長をしているから。
私は、前世ではどうでもいいような委員しかした事がないし、この体になってからは昼からいなくなるから学級の何かに関わった事がない。だから、ご苦労様くらいにしか思わないお役目だ。
だから私の気持ちに、悪いとか思うところはゼロだ。
(それにしても、二人っきりだと今までで一番長い会話かも?)
遠ざかる姫乃ちゃんを見つつさらに思う。
新学年の最初の方は、一通り挨拶など交わした。その後は必要な会話こそするけど、それ以上はなかった。
今日姫乃ちゃんが私に話しかけてきたのも、級長だからに過ぎない。
だから私と日常会話をするのは、私の側近候補達くらいだ。
これが何かのお話の中なら、何らかの理由で敢えて私に接近してくる子がいるのだろうけど、そう言ったイベントに出くわした事はない。
学園から暗に示されているのも影響して、私に接近し過ぎる人などいない。しかも、遠巻きに見られるどころか、私が存在しないように振る舞う人すらいる。
『触らぬ神に祟りなし』と言うやつなんだろう。
そして私も小学校から慣れっ子の状態だから、気にもしていない。マイさんは友達を作ったと言うけど、あれは真の陽キャだから出来る事だと思う。
それでも小学校から鳳の学校の子だと、多少の日常会話くらいする子は何人かはいる。だから、側近候補達を含めて話し相手には事欠かないから、ボッチじゃないだけマシと思っている。
(まあ、主従抜きの友達は欲しかったかもなあ。とはいえ姫乃ちゃんとは、いずれ対立する定めってやつなんだろうから、この距離感が良いでしょうね)
「月見里先輩なら、校友会で話した事あるわよ」
「そっか、瑤子ちゃん級長してたもんね」
「うん。ちょっとは上に立つ練習もしとかないとね」
「私の場合、上に立つより君臨とかだからなあ」
帰りの車の中に乗る前、駐車場での瑤子ちゃんの何気ない会話。
1歳下で今年女学校一年で、瑤子ちゃんとは習い事のある日だけ一緒にお昼に下校する。勿論、私たちが駐車場に行けば車はすでに準備されているけど、瑤子ちゃんとは帰る前に少し話す事が多い。
ただし、危険分散の為に車は別になる。私はお芳ちゃんとセットで、マイさんがハンドルを握る防弾仕様の超高級車のデューセンバーグ。瑤子ちゃんは、普通のリンカーンに乗る。
なお、瑤子ちゃんだけど、私などよりも余程クラスでクイーン・ビーをしている。鳳女学校に通う鳳伯爵家の子女としては、私の方が異端児だ。
ただ私達の場合は一年違いだから、瑤子ちゃんに鳳の女子としての役目をしてもらっていると言う面もある。
2年続いて鳳の子供がいると、生徒はともかく先生方が気を使い過ぎるから、私は学校に来るだけなスタンスを取っている形だ。
だから、生徒の間でも空気に近いと言う面もある。前世で学生を一通りしてきたから私はあまり気にならないけど、私の体の主も同じ境遇だったら、メンタル的にかなり来るんじゃないだろうかと思う。
そんな女学校に『君臨』する私を「フフフッ」と穏やかに笑う瑤子ちゃんは、私が思っていた以上に大物になりつつある。
ゲーム上では、主人公に寄り添う優しい一族の女子というポジションでしかなかったけど、取り巻く状況が違ってきているせいか雰囲気から違ってきている。
私が依存し過ぎたせいでメンタルが成長したとかだと、嬉しい半面、少し私が凹みそうだ。
それでも、この包容力をゲーム主人公にも向けてくれるならと、思い直す。
「それで、月見里さんとはどんな話を?」
「殆どは実務的な話ね。でも玲子ちゃんと同じ学級だから、控えめにどんな人みたいな事は聞かれたわね」
「で、変人って答えるわけね」
「アハハ。ちゃんと取り繕ってるから安心して。でも月見里先輩は、思っていたのと雰囲気が違うって言ってた。前から知り合いだったの?」
「ううん。一年の時に成績優秀者だから、ちょっと褒めた事があったくらい。それは他の子にもしているし、それくらいかなあ?」
「そういうの覚えているところが、玲子ちゃんね。同じ事を何人にも言ってたら、私だったら忘れてそう。それで、同じ学級になってからは?」
「必要な事以外は、殆ど喋らないわね。けど、他の子と同じなだけよ」
「玲子ちゃん、側近の子達もいるから、ちょっと近寄り難いところあるもんね」
「うん。そこは諦めてる。それに学校は、俗世から離れてぼーっと出来たらそれで満足よ」
「……流石にそれはどうかと思うけど、それも今更なんだよね。私も何か手伝えれば良いんだけど」
「女学校で頑張ってくれているだけで大助かりよ。これからもお願いね」
「その程度、お安い御用よ。さぁ、そろそろ帰りましょうか。今日のお稽古って何だっけ?」
「今日は……マイさん、何でした?」
「ハイ。本日は西洋ダンスとピアノになります」
「じゃあ楽な方か。私、センスないから、お華とか芸術的な奴が壊滅的なのよね」
「でも瑤子ちゃん、ピアノは上手じゃない。それにしても、書道、華道、茶道、舞踊、琴、ピアノ、テニス、多過ぎでしょ」
「その上、家事、裁縫、料理を習う子もいる事を思えばマシよ。それに、学習女学院行かなくて良いって点は、鳳に生まれて良かったわ」
「あー、それ凄く分かる。学習女学院だと「ごきげんよう」って挨拶するもんね。あれは無理」
「でもね、鳳も女学校の規模が大きくなって有名にもなったから、学習女学院や仏英和高等女学校みたいに、その挨拶とか取り入れようって話が校友会で持ち上がっているわよ」
「エーッ、マジやめて。演技以外で、お嬢様言葉なんか使いたくないのに」
「玲子様、瑤子様、そろそろ移動される方が宜しいですよ」
「ハーイ」
私達の会話を苦笑まじりに聞いていたマイさんの言葉で、強制的に会話も切り上げだ。
中身がアラフォーでも体は中学生だから、話し出したら止まらない。他の子、特に姫乃ちゃんとも、いつかそうなれば良いのに、などとモノローグを脳内で綴ってしまいそうな程だ。
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ゴーストップ事件 (ゴーストップじけん):
信号がまだ普及してない頃に起きた、本来なら大したことのない事件。
1933年(昭和8年)に大阪で起きた陸軍兵と巡査の喧嘩、及びそれに端を発する陸軍と警察の大規模な対立。
「ゴーストップ」とは信号機を指す。
日本の軍国化のイベントの一つとされる。
要は、陸軍と内務省(警察)の面子の張り合い。
級長:
戦前の学級委員長の呼び方の一つ。
校友会:
戦前の課外活動の上位組織。
ここから発展して、戦後に生徒会などと呼ばれる組織になる。
基本的には先生と生徒の代表の双方が属する。
戦前でも、戦後の生徒会に近い組織を持つ学校もあった。
仏英和高等女学校:
のちの、白百合高等女学校。
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