269 「事件の原因」
「ザッ!」
「ああ、楽にしてくれ。今日はこっちが呼んだんだ」
二人して最敬礼のビシッとしたお辞儀。この辺りは陸軍将校らしい。西田税と辻政信だけど。
二人の出で立ちは、西田は袴付きの和装。当人の雰囲気のせいか、どこか書生じみている。辻の方は日曜だと言うのに背広。ここに来るから、相応しい格好を選んだってところだろう。
どちらにせよ、軍服以外と言うのはちょっと新鮮だ。
(ジロジロ見んなよ。来たくて来たんじゃねーし)
内心の奥底で悪態を吐きつつも、儀礼的に笑みを浮かべて会釈だけしておく。
「玲子の事は気にしないでくれ。鳳の長子だから、同席だけさせている。で、何を聞かせてくれるんだ?」
お父様な祖父が上座に座りつつ、二人にも席を勧める。それに二人ももう一度お辞儀してから席についた。その間に、お兄様と私も席に着く。
貪狼司令は、必要な書類などを持ってきたので、その少し後に入ってきた。そして移動式の黒板までも部屋に一緒に入れている。貪狼司令は、どうも黒板好きらしい。説明しやすいからだろう。もっとも、諸々の準備をしてから部屋を後にしたのは、マイさんの彼氏さんの涼太さんだ。
そして扉のところにシズが立って、お話を聞く準備は完了だ。
「こいつは貪狼。うちの総研の副所長をさせている。龍也、任せる」
「はい。じゃあ、西田、辻、順に聞かせてくれるか」
「ハッ」。二人して返事して、まずは西田が口を開いた。お兄様の1年下で可愛がっているし、辻が数年後輩に当たるからだ。それにこの段階で辻ーんなムーブする理由もない。辻も殊勝な態度をとっている。
「私は、ご存知かもしれませんが、大川周明と知己がありました」
「過去形でいいんだな? うちの調べだと、大川がお前に接触してきたという話があるんだが?」
「これは敵いませんね。事実です。私が鳳先輩、ではなく龍也様と親しくするようになって、龍也様と少し似た考えを持つ北一輝との距離を空けました。だからでしょう、フランス留学から帰国すると、彼の方から接触してきたのです」
「大川周明は、社会主義や統制経済を唱えております。フランスは社会主義運動も盛んですので、西田様が北との関係を薄れさせた事と合わせて、脈ありと見たのでしょう」
「まさに。そこまで明確には語ってきませんでしたが、言葉の端々には出ておりました」
「で、お前さんは、大川の誘いには乗らなかったと?」
貪狼司令の解説に続いてお父様な祖父の言葉にも、西田は頷く。なんだか、西田が白か黒かを見極めているみたいだ。
「私は、龍也様の目指す現実主義的な総力戦体制の構築と、将来的な日本の改革への道を選びました。そしてそれを、軍人として為すべきだと考えております。理想実現の為とは言え、暴力的行動すら辞さない彼らには、もはや賛同出来かねます」
(に、西田の言葉とは思えない。お兄様の薫陶宜しきを得て、綺麗な西田になってる……)
私が内心で驚愕している横で、お父様な祖父が軽く頷く。
「政治の方は程々にな。俺みたいに後ろ指指されるぞ。それで今回の件だが、お前さんの見立ては?」
そう聞かれて、西田が仕草を加えてしばらく考える素振りをする。
「そうですね。大川周明は、徳川義親侯爵から多くの支援を受けられる立場にありました。他にも様々なツテを持っております。海軍将校数名が事を起こすとなると、武器、資金共に彼に依存するのは当然でしょう」
「そこは総研の分析と同じだな。お前さんも援助を受けた事はあるのか?」
「まさか。知り合ってそれほど間をおかずに考えが相入れない事が分かり、悪い状態で関係は途切れていました。ですから、向こうから接触してきて驚いた程です」
「なるほどな。じゃあ、続けてくれ」
その後、西田が語ったのは、さっきの部屋で貪狼司令が悪態混じりで話した事と似ていた。
犬養毅は大川周明にとってアジア主義者という点で思想的同志なので、暗殺に反対して激昂した将校と撃ち合いになったんだろう、と。
(要は、私の前世の歴史で、もう一つの金蔓で方々に顔の効く西田がいないから、仕方なく大川周明を頼った。けど、当然の結果として内ゲバになっただけ、か)
「どうした玲子?」
「あっ、いえ、海軍将校達は、自分達との対立が目に見えていた大川周明以外に、資金や武器調達で頼れる者がいなかったんでしょうか?」
「他に何人も政府転覆や軍事革命を狙う、金を持った危険人物がいたらたまらんぞ」
「それでしたら、もう一つ候補があると、一部では言われております」
「誰だ?」
貪狼司令の不穏な言葉に、私を半ば茶化していたお父様な祖父がスウッと目を細める。
貪狼司令が、それを正面から受け止め続けた。そしてお父様な祖父は、意外そうな表情になる。
「うちが? どこのどいつだ、そんな馬鹿な妄言をするのは? 鳳に悪評でも立てたいって連中か?」
「それも御座います。小さな噂、根も葉もない非難中傷は、星のごとく。ですがこの話は、鳳一族ではなく、正確には龍也様ですな」
「俺が? 有り得ない、とは言い切れないのか。確かに、誰かを介さずに資金源となりうるとも見えるし、国家総力戦体制を唱えている以上、似た事を考える者から見れば革命予備軍と言えなくもないからな」
お兄様が、苦笑まじりに即座に自己分析を済ませてしまう。思考時間、コンマ数秒って感じだ。
そして西田と辻の方を見る。話の出所が、陸軍の青年将校ではない辺りまで推測した証拠だ。話を聞けば、私もそう考える。何しろ鳳一族自体が財閥で貴族だから、市井の運動家、思想家からの距離が遠い。
そして辻は平然としていたけど、西田の表情が苦味を増した。ビンゴだ。
「折を見てお話ししようと思っていたのですが、噂のみでどこにも確証や証拠がない、という事を」
「分かった。聞かせてくれ」
お兄様は即断だ。本当に思考速度が速い。
「秩父宮雍仁親王殿下は、去年秋より歩兵第3連隊の中隊長を務めておられます。そして同連隊に属する一部の若い将校達と、親しくしていると聞きます」
(ギャーッ! 2・26の連中だーっ!)
顔が引きつりそうになるのを必死で抑える。けど、秩父宮殿下とお兄様に、繋がりはほぼ無い。それこそ西田らを通じて、何度か話した程度だろう。
当然、話には続きがあった。
「一方で、鳳家の鳳紅龍博士は、定期的に陛下のご進講をされておいでです。その時、雑談として陛下に龍也様のお考えの一端なりをお話しになり、その話を秩父宮殿下が陛下から小耳に挟んだのではと、その将校達が推測したらしいのです」
「殿下は具体的に何かおっしゃられたのか?」
「そこまでは。ただ、表には出ていない龍也様の総力戦構想の論文を、存じておられたという噂です。そこで、どうやって知ったのかという話になり」
「で、その妙な噂になるのか。龍也。玲子、分かるか?」
お兄様ではなく私に喋らせる。『夢』を踏まえて話せって事だろう。お兄様は自分が言えない事にご不満そうだけど、ご指名を受けた以上、お父様な祖父相手にダンマリは通用しない。
ただ、少し考えがまとまらないから、軽く平手を前に出して考えさせてなゼスチャーを出しておく。
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五・一五事件:
直接関与したのは、海軍将校6名、陸軍士官学校の本科生が1ダースほど。あとは民間人が数名。
支援したのが西田税。けど、土壇場で仲違いして西田は打たれて死にかける。
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