265 「五・一五事件前日?」
5月14日、日本中がチャールズ・チャップリン来日で沸いている中、鳳一族並びにグループの危機管理に関係する人達が、鳳総研の地下に集結していた。
けれど、今回集まった目的に対して、正直私は楽観している。
相手が不意のテロリストか軍隊じゃなければ、今の鳳ならどうとでも出来る。そして今回の案件は、中途半端な連中の中途半端な大規模テロだ。
当然だけど、手は抜かない。と言うか、以前からお父様な祖父を始めとした鳳の中枢の人達には話してあるので、私が寝ていても事が動く。だから数日前に、鳳の新工場を見に行ったりもしていたわけだ。
「犬養政権に倒れられたら、せっかくうちの方針を通してもらったのが台無しになるな」
「むしろそっちは大丈夫じゃない」
「そうなのか?」
「生産力の拡大を邪魔しないわよ。しかも、一財閥が私財を投じてせっせとしている事を、国は少し後押しすれば良いだけ。国家総力戦体制とか唱えているどこかの方々は、内閣の一つや二つ倒れても推してくれるわよ」
「逆に、より押し通すために、軍の誘導が効きやすい内閣にしようと画策する連中はいるかもしれないですな」
お父様な祖父の楽観を私が、私の楽観を貪狼司令が訂正していく。
他に、時田、セバスチャンが部屋にいる。
「ですが、政府の積極的すぎる財政政策を非難する声もあります」
「そうですな。玲子お嬢様の言う所の傾斜生産に舵を切ったはいいが、政策自体は共産主義的、社会主義的、もしくは最近小耳みに挟むようになった国家社会主義的とも」
「国家がどうとか言う連中は、逆に喜んでいるんじゃないのか」
「かもしれませんな」
誰もが口にしないけど、国家と頭につける連中は、今のところは『右翼』だ。そろそろファッショやファシズムなんて言葉も聞こえているし、もう少ししたら全体主義という日本語訳も聞こえてくるようになるだろう。
日本軍内にいる過激な連中も、軍部独裁というよりは全体主義の亜流だ。しかも実に日本的に、中途半端な。
一方で、自由経済のダイナミズムに任せておいて良い時代でもなくなってしまった。何しろ、その挙句が世界恐慌だ。
「景気回復は、積極財政と公共投資をどんどんするしか無いのにね」
「未来の『夢』に、他の手は無いのか?」
「あるにはあるけど、私には理解出来なかった」
「玲子に理解出来ない事があるのか。どんだけ難しいんだ?」
お父様な祖父が、軽くおどける。けど、ちょっとだけ驚いてもいる。私の前世はともかく、この体と特におつむは特別製だからだ。
けど、前世の私はポンコツだから、肩を竦めるしかない。
「私が専門外だから。セバスチャンやトリアが私の夢を見たら、理解出来たかもね」
「そりゃあ無理な相談だ。じゃあ、無理と分かったところで、現実を見るとするか」
「うん。それが健全ね」
そう言って話を促す。そして話を聞きつつ、今言った内容を少し思い返す。
『夢』の向こうの他の手。経済誌か何かで見て、ちょっと気になったから調べてみたけど、胡散臭く思ったせいで記憶に殆ど残っていない。残っていたら、悪役令嬢の優秀な頭脳が解析してくれた事だろう。
もっとも、仮に解析したところで導入は無理ゲーだ。
生涯をかけてノーベル経済学賞を取るくらいの論文を書いて講演して回って、みんなを納得させないとダメだろう。
早期導入もしくは即時導入するには、どこかの異世界ファンタジー世界のように、妙に無知なのに聞き分けが良くて理解の早い住人達が、是非欲しいところだ。
けど考えてみると、なんだか新興宗教みたいに思えてきそうだ。前世のお話で見かけた異世界の住人達は、薬か宗教でもキメているんだろう。
だからそうでない場合、現行の経済とは根本的に違う理論、理屈を導入するんだから、どこかの赤い独裁国並みに国を意のままに動かせないといけない。
つまり、日本で短期間で導入する方法は、私が小馬鹿にしている右翼や過激な軍人と全然変わりない。下手したらそれ以下になる。
だから、現実的な路線を見据えつつ、一歩ずつ歩いて行くしかない。
「お嬢様、よろしいですか?」
「うん。ちゃんと聞いてる。続けてちょうだい」
私が頭の片隅でグチグチと脳内妄想を弄んでいる間にも、賢者達の話は進んでいる。
ていうか、本当に今回私はいらない。話してしまえば、それで役目を終えた感じだ。
既に過激な思想の海軍将校はマークされている。
『血盟団事件』の主犯格井上日召をテロの道に唆(そそのか)した藤井斉は、いまだ憲兵が取り調べを続けている。また、陸軍でも『桜会』の過激な連中を中心とした将校達も、憲兵に監視されている。右巻きな人達、国家主義者は特高(特別高等警察)などが、その動きをマークしている。
(けど、フラグが全然立ってないから、今回の事件は完全不発よね。張作霖爆殺がないし、満州事変も政府の言う事を一応は聞いたから、軍人の独断専行は前例なし。これはでかいわよね。
それに、陸軍のクーデター未遂は構想すらされてないし、その陸軍との繋がりを作る西田税は陸軍将校をしているけど、ヤバい海軍将校と接触を持った形跡は見られず。それどころか、北一輝とか市井の右翼連中との関係も、フランスからの帰国以後は薄れているって話だし)
「言いたい事があるなら、言っとけよ」
「えっ? ああ、特には。どう考えても、今回は『夢』が未発だと思うもの」
「実際夢を見たお前がそう思うなら、その可能性はあるんだろうが、油断してて良いのか?」
「油断しないのは大前提で宜しく。国民から政党、財閥が嫌われているのは、変わりないわけだしね」
「その上、今はまだ不況下ですからな。ですが、玲子お嬢様の夢より随分と緩和されているのでしたな?」
時田の言葉に強めに頷く。正義を振りかざす人達にとっては、大きな要素の筈だからだ。
「うん。何度か言ったけど、随分マシな筈。日本中の大学生なんか、余っているのは全員うちが抱えたしね」
「お買い得だったよな。それに買わなくても、買ってくれって押し寄せるんだから。入れ食い状態だ」
ワッハッハとお父様な祖父が左団扇。
5年ほど前まで、鳳に入る帝大生は限られていた事を思えば、いろんな意味で笑いたくもなるだろう。
「それだけじゃなくて、農村の飢饉も不況もかなり抑え込めたと思うの」
「それは間違いありません。それに、本年度予算による大規模な公共投資で、土木産業界は空前の好況に沸いております」
「この2年ほど、鳳だけが推進してきた事業が、ようやく花開き始めたと言ったところですな」
セバスチャンと時田が、二人して頷き合う。二人にはかなり苦労かけたから、感慨もひとしおだろう。
そして復習が終わったところで話を戻す。
「みんなありがとう。それで話を戻すけど、将校は処罰、特に犯罪者として不名誉な処刑を恐れていると思うの。自分の行いが国家、つまり国民にまで否定された形になって、一族郎党にまで不名誉が及ぶわけだからね」
「だから、玲子がよく言っていた、独断専行が起きていない事が重要になるわけだな」
「うん。それに海軍は、30年の統帥権干犯問題で大変な事になったから、それも将校連中の頭の上にチラついていると思うの。それはまだ拭い去れないでしょう」
お父様な祖父への言葉に、さらに頷かれる。
「神童として郷里の期待を担って海軍に勤めている連中にとって、事を起こす心の足枷になるのは間違いないな」
「うん。それにね、裏方とまとめ役に欠けている筈なのよ」
「そうですな。血盟団を唆した藤井斉は未だ壁の向こう。お嬢様が注意せよと言う西田税は、どう見てもシロ。陸軍の馬鹿どもとの具体的な接点も見られず。注意すべきは、大川周明くらいでしょうか。おっしゃられた通り、海軍の馬鹿どもとの接触は続いております」
貪狼司令の相変わらずな論評に、何人かが苦笑する。
けど、すぐに顔を引き締める。
「だが、海軍将校が何人かしょっぴかれただろ。暴走しないか?」
「中心の藤井がいない以上、動かす人物に欠けると見られます。また、血盟団とつながっていた市井の連中は、特高か、漏れたやつらもうちの者達が張っております」
そんな貪狼司令の言葉に、お父様な祖父が少し重めに頷く。そして次へと進んだ。
「じゃあ、当日の配置だが、」
__________________
五・一五事件:
海軍の青年将校による首相暗殺事件。
一応はクーデター未遂事件でもある。
あとは、教科書なりネットで調べてください。
チャールズ・チャップリン:
史実でも1932年5月14日に来日。神戸港に到着している。
「五・一五事件」の当初のターゲットの一人にされていた。
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