266 「チャップリン来日」
「ようこそお越しくださいました、チャールズ・チャップリン様!」
「お世話になります。お嬢さん。ホテルの皆さん」
鳳ホテルの正面玄関で、気合120%な振袖姿の私が、あのチャールズ・チャップリンを出迎えていた。
日時は14日の夕刻。
その日の朝、神戸港に到着したチャップリンは、大群衆に迎えられた。そして特別列車に乗って、一路帝都へ。東京駅到着でも、なんと4万人の群衆が待ち構えていた。
そして海外からの賓客は、普通なら帝国ホテルへとチェックインする。東京駅からも近いし、それ以前に半ば国策ホテルである帝国ホテルに泊まるのが慣例だし、警備などの点でも妥当とされていた。
それにホテルの格というものが違う。
けど、チャップリンの求めにより、東京での滞在先は鳳ホテルとなった。
1928年の開業以来の快挙だが、その遠因は私にあった。29年夏から半年間欧米を旅した私は、最初のチェックポイントのロサンジェルス滞在の折に、ファンレターを出した。そして東京でホテルを営んでいるので宜しければ、という類の言葉を添えておいた。
そうしたらその後、予想外に丁寧な返事をいただいた。さすが日本人好きだ。そしてそこには、来日の際には訪れると記されていた。それを私も、見せたみんなも、リップサービスだろうと考えていた。
そして当然また返事を書いたけど、そこには訪日を楽しみにしていると言った事が書いてあった。チャップリンの日本人好きは知られていたけど、それもリップサービスと考えていた。
けど、違っていた。彼は有言実行の人だった。
事前に連絡受けた時、吃驚仰天。政府や外務省、帝国ホテルにも慌てて連絡をとって、対応協議となった。けど、向こうが指名している以上、日本側が強引に変更するのは礼に欠くと、チャップリンが白羽の矢を立てた鳳ホテルに、帝都での滞在先が決定。
その後すぐに、政府から帝国ホテルから沢山人がやってきて、国賓級の人を迎え入れるのに相応しいかのチェックが、厳重に行われた。
その時のお役人の「ここって首相官邸の隣なんだな」という呟きが印象深かった。それだけ、今まで意識すらしていなかったという事だ。隣にでかいビル建てやがって、くらいにしか思ってなかったんだろう。
それはともかく、その視察による多少の嫌味を含めた指摘された点を改善し、迎え入れの日となった。
迎えの車は、お父様な祖父が愛用している黒のデューセンバーグ。防弾仕様の特別製だから、万が一撃たれても安心だ。それに日本ではうちしか持ってない、世界最高額の車の1台。馬車で出迎えるか悩んだけど、警備上こちらになった。
そして、主に『お隣さん』に備えての万全な警備体制の中、鳳ホテルにお出迎えとなった。
「本当に天ぷらで良かったのか?」
「そうよ。海老の天ぷら。これ鉄板だから」
「てっぱん? よく分からんが、チャップリンの好物なんて、よく調べたな」
「まあね。で、抜かりないわよね」
「あるわけないだろ。東京一の職人をこの期間だけホテルに雇ったし、そいつの言う全てを揃えさせた」
お出迎え前、お父様な祖父と控室でひそひそ話。
私のチャップリン知識は、当然前世のものだ。映画はそれなりに好きだから、彼の訪日時の逸話も覚えていた。何が役に立つか、世の中分からないものだ。
「それと、日本橋の天ぷら屋にご案内もして。あと、和風のステーキも抜かりないわよね」
「和風の味付けの洋食は幾つか用意させた。日本橋の「花長」も手配済みだ。政府の奴らと、招待する場所込みで入念に計画してある。抜かりはない」
「うん。変に洋風の真似事じゃなくて、日本風で攻めて」
そんな風に最後の指示を飛ばす私を、お父様な祖父が少し怪訝な感じで見てくる。
「なあ、海軍将校の一件より気合入ってないか?」
「当たり前でしょ。そっちで私が関われる事は、もうないんだから。それに、血なまぐさいものを遠くから見物する悪趣味は持ち合わせていないわよ。チャップリン様を歓待する方が、余程やり甲斐もあるわ」
「もし起きたら、日本の政治がひっくり返るんじゃないのか? 軍国主義になって、政党政治が終わるんじゃなかったのか? 俺が聞いたのは空耳か?」
言葉を重ねるごとに、かなり脱力していく。
(ちょっとマズイかも)
そう、お父様な祖父は、陰謀大好き、荒事大好き人間だ。そして普段は昼行灯を装っているけど、本当に昼行灯になる時がある。それは、当人がやる気をなくした時だ。躁うつ患者並みになる時もあると、時田が苦笑混じりで話していたものだ。
「いや、言った事に間違いはないわよ。全部本当。けど、今回は外堀も内堀も全部埋めて、万が一の配置も完了。流石はお父様って凄く安心しているから、こうしてチャップリン様をお持て成し出来るんじゃない」
「まあ、そうだけどな。陸戦素人の海軍将校や陸士の生徒が20人ばかりと田舎右翼が相手じゃあ、張り合いがないくらいだからな。将棋なら飛車角落ちでも勝てるほどだ」
「でしょ。人も呼んだし配置も万全。チャップリン様に惨劇のニュースを入れない為にも、頑張ってね!」
「……結局チャップリンか。救国の念に燃える海軍の跳ねっ返りも、ここまで軽く見られると、いっそ哀れだな」
(うん、説得失敗……まあ、お父様もあとは見ているだけだし、大丈夫でしょう)
そんなやり取りもあったけど、私は正面玄関でチャップリン様をお出迎え。そして花束贈呈までこなし、エスコートしつつホテルを案内する。
泊まるのは、私もたまに使う鳳ホテルのスイート。基本的に私の前世基準だから、部屋が複数あるロイヤルスイート級で、どんな貴人でも泊まって頂けるだけの設備だ。初めて中を見た帝国ホテルの人が、驚きを押し隠そうとして失敗していた程だ。
流石は成金ホテルと、聞こえるように小馬鹿にはしてくれたけど。
「2年ほど前、ロスで手紙をくれたのはお嬢さんで良いんだよね」
「はい。その折は、大変失礼致しました。ちょうどアメリカを旅行中だったので、せめて何かをお伝えしたくて」
「構わない。嬉しかったよ。ただ子供なんだから、遠慮せずにスタジオに来てくれたら、もっと嬉しかった。だから、次の機会があったら、遠慮なくスタジオを訪ねて欲しい」
「有難うございます。是非、遊びに行かせて頂きます」
「うん。是非おいで」
チャップリンをエスコートしつつ、そんな会話をする。
銀幕の向こうでしか会った事のない人と話すなんて、少し変な気分だった。映画の中に入ったみたいとまでは思わないけど、少し現実感が薄れてしまいそうだ。
「ところで、どこかお勧めの場所はあるかい?」
続いてそう聞いてくる。そこで歴女アンテナがピンときた。「五・一五事件」の時、チャップリンは首相官邸での歓迎会の予定を急遽変更して、両国国技館で行われている相撲の見物に行って、難を逃れたと言われている事を。
だから私の言葉も決まっている。
「今ちょうど、相撲が行われています。チャップリン様なら、歌舞伎など映画に近いものがお好みかもしれませんが、是非一度ご覧下さい。近くで見ると、凄い迫力です」
「スモーか。使用人から聞いた事がある。使用人からも勧められていたところだ。必ず見に行こう」
「はい。ですが、できるだけ早い方が良いかと。特に明日日曜日は、盛り上がる日です」
(まあ、13日に始まったばかりだから、全然序盤だけどね)
内心のごく一部でそう思うけど、笑顔120%で推す。するとチャップリンも破顔してくれた。
(よし! 掴みはオッケー! まあ、事件は起きないとは思うけど、念の為ね)
ただ、チャップリンの笑顔を見ると、ほんの少し罪悪感はあった。
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