264 「鳳のトラック工場(2)」
妙な向かい風の中で鳳自動車は、川崎市内に広大な土地を取得。新規にフォード式の巨大工場の建設を開始した。
場所は多摩川に近い川崎市の日吉。この数日前には、1キロも行かない場所に慶應義塾大学が日吉の土地を取得したという場所だ。
まあ、虎三郎は自分の家から通いやすい場所に土地を探しただけなので、本当に偶然だと思う。
それはともかく、そこに日本的ではない距離感が狂うほどの大きな建物を作って、そこに輸入したばかりのフォード式のラインを引いた。
ただし土地はまだまだ余っていて、今後の工場拡張に十分に対応できるようになっている。
それにトラック工場だけじゃなくて、自動車開発部署や取り敢えず何でも作る鳳機械産業の傘下にある、鳳精機、鳳発動機、鳳電気のうち、自動車に関連する工場も取り敢えず作ってある。
工場を集めたのは、日本の今の町工場では、鳳が求めるフォードに準じるくらいの製品基準を満たすのが難しいからだ。
工作機械もじゃんじゃん輸入して、人も養成して、企業城下町の形成も開始されているけど、計画前倒し状態だから間に合わなかったというところだ。
状況は順次改善していく予定で、他の鳳傘下の会社も、自分たちに都合のいい場所へと工場をまた作るだろうから、半ば緊急措置だった。
ただ、こうして眼前に出現した情景は、知っている人が見ると「デトロイトみたいだ」という事になる。知らない人は、ただただ驚くだけ。畑の真ん中に何百メートルも工場の建物が続く情景は、工場の建設中から日本中の度肝を抜いた。
「けど、乗用車作らないんだ」
「俺の満足する水準で量産できるようになるまで作らん」
腕組みをして、どこか遠くを見る虎三郎。相変わらず、機械馬鹿らしい。けど、気になる事は別にある。
「他の会社に塩を送っているって事はない?」
「トラックは性能と頭数重視でも良いが、乗用車の種類は沢山あった方が面白いだろ。昔のデトロイトは、本当に面白かった」
ニヤリと満足そうな笑み。しかも大の大人が見せる子供の笑みだ。羨ましいくらいに、キラキラしていやがる。
こっちとしては苦笑しかない。
「まあ、虎三郎が良いんなら、それで良いけどね」
「そうなのか? もっと怒ると思ったが」
「乗用車は、5年以内に鳳の製品が出せるくらいにはしておいて。お金を突っ込んでいるから、流石に格好つかないし」
「主に俺の格好がつかんな。まあ、色々と開発はしている。あと2、3年待ってくれ。フォードさんに見せても恥ずかしくない、安くて頑丈なやつを生産ライン共々作るつもりだ。それに、玲子が生まれる前から、技術蓄積を兼ねて競技用や試作品は作ってきている」
「色々してくれているなら、後は好きにして」
「……なら一つお願いがあるんだが」
虎三郎にしては歯切れが悪い。多分、高い買い物だ。けど、目の前の工場より高いものがあるとは思えない。
「何でも良いわよ。けど、億は超えないでね」
「い、いや、そんなにいらない。10万ドルもあればお釣りがくる。輸入したい車があるんだ」
「それなら、いくらでもどうぞ。技術獲得で金は惜しむ気ないわよ」
「まあそれもあるが、単に技術的な興味だ。それに乗ってもみたい」
「趣味で10万ドルかあ。ちょっと高い買い物ね」
「そこを何とか!」
拝まれてしまった。余程欲しいらしい。この歳でこういう可愛さを見せられたら、改めて苦笑が浮かぶのを自覚する。
「仕事用で良いわよ。そんなに凄い車なの? どこかの新型?」
「デューセンバーグだ!」
「また? ロールスロイスやキャデラックだったら、本家や幹部用に使えるから別枠のお金出せるけど? 確か宮内省がメルセデスを買ったし、それでも良いわよ。それより確か、フォードさんの所のリンカーンが新型出したでしょ。あっち買わなきゃ」
「リンカーンの新型はともかく、他の面白みのない金持ち趣味の車なんざ用はない!」
「いやいや、デューセンバーグの方が高いでしょ。前も、何台買ったと思ってるの。あれ確か1台2万ドルもしたでしょ」
今まで全く気にしてなかったけど、マイさんが乗り回すので気になって記録を調べると、1929年に『タイプJ』を一度に5台買い込んでいた。うち1台を技術評価用や試験用にして、1台を本家、ほか3台が虎三郎の車庫にあって、家族みんなで乗り回しているという。
しかも、お父様な祖父が主に乗る本邸にある装甲車みたいな奴は、特注品のさらにカスタムで3万ドル以上していた。
(けどまあ)と、今回の工場のご祝儀に丁度良いと思い直す。
「まあ、良いわ。それでどんな車?」
「うんっ、タイプJの発展型だ。スーパーチャージャーが付いて、最高速度は時速約130マイル。200キロ超えだぞ。凄いだろ!」
「もう、空でも飛びそうね。で、何台買うの? また5台?」
「5台買って良いのか?! もっと欲しいくらいだが」
「ち、ちょっとストップ。良いとは言ってないでしょ。でもまあ、いいわ。その代わり、2台をセダン型の防弾車にしておいて。お金は余分に出すから」
「防弾車にするなら、他の高級車でも良いだろう。前も麒一郎の我儘を聞いたが、デュースにする事じゃないぞ」
「我儘はどっちよ。それに面白い車が良いんでしょ。史上最高の高級車の防弾車なんて、イカしているじゃない」
「どっちかというと、イカれているだな。まあ5台買えるなら文句はない。だが防弾仕様は、値が張るぞ」
「良いわよ。あちら向けのお買い物の一環って事にするから、金に糸目はつけないわよ。最高のものを作ってもらって。うちの良い宣伝になるわ」
「流石は玲子だ。その思い切りの良さは、気持ちいいな」
「目の前の工場と合わせて考えたら誤差の範囲よ」
「うん。そういう視点も玲子らしいな。俺は嫌いだ」
上げて下げられた。
自覚はあるけど、商売に対する私はシビアというより散文的だ。
だが、容赦はしてやらない。
「1台は赤くしてマイさんにあげて。鳳の宣伝でも使うから」
「それは了解だ。家族の中だと、舞が一番転がすのは上手いからな」
そう言う虎三郎は、心なしか嬉しそう。て言うか、サラさん以外の全員、あれを運転できるって言っているに等しい。なんて家族だ。
ちょっと呆れつつも、マイさんの運転を思い浮かべる。
「そうでしょうね。そもそもあの車、素人が乗るには厳しいでしょ」
「うちの連中なら平気だ」
「それなのに、作るのはトラックばかりってのも皮肉ね」
「皮肉なものか。でもな、この工場では4トン車やそれ以上も作るぞ」
「積載量が?」
「そうだ。それにダンプカーも、トレーラーも作る。ゆくゆくは、もっとデカイのも。それに玲子の言っていた、コンテナトラックも開発の目処が立った。あと、ヂーゼル・タイプも作るぞ」
「へーっ。車用のディーゼル、もう開発、じゃなくて量産できるんだ」
「重機とかで色々作ってきたからな。船舶用のどでかいヤツじゃない限り、今の所日本じゃうちが一番だ。本場ドイツのやつには、まだ劣るがな」
「全体の生産量は?」
「トラックだし、初年度は年産で1万台は行かんだろうな。まだ工員が足りんし、部品工場も足りん。ナイナイ尽くしだ。2年目も2万台が精々だ」
「全部足りたら? それに拡張したら?」
「そうだな、最大で10万台は保証する。だがよう、そんなに需要ないだろ」
「うん。今の日本だと、未舗装の道も多いし運ぶものもないから、松田さんのところのオート三輪トラックの方が良いのよね。だから、あっちの増産を急いでもらってる。虎三郎からも、よろしく言っておいてもらえる」
「新型開発と合わせて、忙しくて目が回ると言っていたな。分かった。じゃあ、あそこにもラインを入れるのか?」
「うん。もう工事は始まっているから、来年には稼働予定」
「予定より早いな。アメリカの買い物も粗方済んだんじゃないのか?」
「ううん。全然。まだ半分も買ってないわよ。本格化は、この夏くらいから来年の夏くらいにかけてね」
「そんなもんか。どでかい製油所や製鉄所の新設と追加だったか?」
「他にも色々」
「聞いちゃあいたが、呆れるな。それに人が足らんぞ」
「うん。集めているし、探してもいる。虎三郎も探しておいて。限られた人に社長を幾つもさせるわけにいかないしね」
「適当に会社を飲み込んだ方が早そうだな」
「それもしてる。まだ不景気の余波が続いているから、どこも人を解雇しまくっているからね。虎三郎も、有望なところあったら声かけてみてよ」
「任せとけ。俺の人脈の見せ所だな」
「うん。けど、凝り性なだけの人はやめてね。経営手腕か運営手腕のある人お願いよ」
「そいつぁ無理な注文だな」
「そうよねぇ。虎三郎の友達だもんね」
「そういうこった」
そう言って虎三郎が馬鹿笑いする。
言いたいことがないわけじゃないけど、今日は鳳が大きな一歩を踏み出した記念日だ。
少しくらい笑っていてもいいだろう。
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川崎市の日吉:
現在は三菱ふそうトラック・バスの本社と工場がある場所を想定。
(史実での土地取得は1941年なので、先に陣取りしても大丈夫な筈。)
乗用車の値段:
一番安いフォード・モデルAの価格が500ドル、普通のセダンが1500ドルくらいの時代にタイプJは2万ドル。
日本製の乗用車は3000円くらい。
ヂーゼル:
ディーゼルの事。戦前はこう呼ばれていた。
基本的にドイツが得意。日本陸軍は空冷にこだわる。
年産で1万台:
同じ年の史実のトラック生産台数と比べると、これでも日本全体の3倍以上の生産力。
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