263 「鳳のトラック工場(1)」

 5月の上半期。鳳のごく一部は緊張に包まれていた。

 一番の原因は、私が伝えた『夢』だ。何しろこの5月15日に、『五・一五事件』が発生する。

 ただ、世の中は比較的落ち着いている。


 特に鳳グループは、順風満帆すぎた。

 世界恐慌下、世界中の経済がどん底なのに、アメリカを中心としたお買い物に忙しい。精密機械、工作機械は、ドイツやチェコスロバキアなどからも優れたものを大量に購入している。

 そして日本に持ち込むのが難しいドルは、膨大な製品、鳳にとって、そして日本にとってはかけがえのない『財産』となって雪崩れ込んでいる。


 しかも世界経済がどん底な中での派手なお買い物なので、引く手数多。安売り競争は当たり前、おまけも当たり前、現地や場合によっては日本での接待も当たり前。お金がないだろうに、賄賂まで送りつけてくるところもある。

 けど接待も賄賂も、やりすぎたところとは接待と賄賂自体を断ると同時に、取引もしていない。また、買い物の際にも、相手の足元も見過ぎないようにしている。


 あとで恨まれない為、悪い風評が立たないようにする為、理由は色々あるけど、悪目立ちしないように、という理由が一番大きい。

 それでも、私が想定していた以上に色々なものを安く買えたので、想定より1割以上お買い得で、沢山買えた。そして使い切るつもりで多少過剰でも安く買った分だけ沢山買ったので、取引先とはWinWinな関係も築けた。

 アメリカを中心に一部企業とは、鳳の買い物が済んだ後も、取引を含めた良い関係へと持っていく事もできた。


 そうした中、虎三郎が作り上げた鳳とフォードとの関係が一段階先へと進んだ。

 以前から、鳳はフォードの車をノックダウン生産していた。フォードの方は、本国での余り物の部品を日本に送りつけただけだけど、GM(ゼネラルモータース)も差し置いていち早く日本での販売を開始する事が出来た。まさにWinWinだ。


 そして28年からは、鳳はトラックを自力生産するようになった。けど、その代わりとばかりに、鳳はフォード車を日本で売りまくった。地主が持つ農耕馬がトラクターになり、余剰したお金が車に化けたわけだ。

 そして、ノックダウン生産と中規模のトラック生産で培った技術と人、大量に購入した工作機械、そしてついに建設されたフォード式の巨大工場。これらによって、ついにノックダウン生産からの離脱を達成する事に成功する。


「やっとここまで来た。玲子のおかげだ」


「虎三郎の努力の賜物よ」


「玲子が大儲けしてくれてなかったら、このどデカイ工場を作るどころか、鳳自体がまずかっただろ。子供にそんな事させる麒一郎に一度ならず怒鳴ったもんだが、玲子には礼しかない。ありがとな」


「……うん。虎三郎も良かったね」


「おうっ。夢が一つ叶った」



 大叔父の虎三郎は1877年生まれで、今年55歳。見た目は、デカくてごついガタイの工場の親父さんっぽいけど、帝大とMITを出たインテリ技術者。博士号も持っている。そして機械大好き人間だ。

 それが高じて、アメリカをブラついている時に気に入った、創業当時のフォード社に入社。そのまま10年以上も、素性も隠して働いていた。完全な機械馬鹿だ。

 そしてT型フォードよりも、生産システムに機械として惚れ込んだらしい。本物のアホだ。


 ただ機械馬鹿なので、経済面での優位とか諸々はあんまり分かってない、少し残念な人でもあった。そのせいか、日本に帰って自力で工場を作ろうとして、資金面、経営面で失敗。けどメゲずに鳳機械産業という会社を作って、自力での工作機械づくりまで始めてしまう。やっぱりアホだ。

 ただし国産の工作機械づくりは、先代の『夢見の巫女』の麟(りん)様の夢のお告げの実行という面もある。ただ、虎三郎から見ると、ほぼ渡りに船だった。

 そして、それら全てが鳳の機械部門での隆盛の大きなきっかけとなった。


 また、フォードさんから退職金がわりに大量にもらった輸入車の販売は、ちょうど第一次世界大戦勃発で輸入車の輸入が出来なくなっていた日本で、『成金』への販売で大成功した。

 ただフォードさん、都合1000台もくれたのは剛毅すぎるだろう。締めて100万円の売り上げだ。


 そしてフォードさんの虎三郎への個人的な信頼と友誼、それに販売実績によって、フォード社と一番強いつながりを持つ日本の自動車会社となった。

 世界大戦が終わると、鳳自動車という看板をかけた工場の横に「日本フォード自動車株式会社」が作られ、二人三脚でフォード車のノックダウン生産と販売が行われた。


 けれども気のいい虎三郎は、ノックダウン生産に力を入れた為、他社に自動車関連の日本初の称号の多くを持って行かれてしまった。さらには、自力生産にも完全に乗り遅れた。

 ただこの点は、虎三郎が高い水準での自力生産に拘りすぎたのも悪い。


 当時の日本で、アメリカの生産水準を持ち込むのは技術的に凄く難しく、周りからは過剰品質と小馬鹿にされていた程だ。ただ虎三郎自身は、単に自動車やトラックだけを作りたいわけじゃないから、当面はあまり気にしていなかったらしい。

 それよりも、何でも作れるように工場の建設、工作機械の開発に力を注いだ。ただ、鳳財閥自体が世界大戦後の不況で大打撃を受けていたので、思うようにはいかなかった。フォードさんからもらった「退職金」も、溶けて無くなった。


 そうした状況で自力での自動車開発もしたけど、先行する同業他社に価格面などで太刀打ち出来ず、量産も虎三郎の基準ではまだまだ難しいから商売にはならなかった。

 ただ、博覧会には出品して、評価自体はかなり高かった。そうしたところで、虎三郎は日本の発明家や工業系企業の人との人脈も作っていったそうだ。

 一方では、鳳財閥自体が石油事業を展開しているので、輸入車、ノックダウン車の販売とセットに近い石油事業、ガソリンスタンド事業はかなりの成功を収めていた。


 そうして私が転生してきた関東大震災は、虎三郎にとってチャンスとなった。

 震災で市電が壊滅したから、その代わりをトラックを改造したバスで補うという話になった。そこで安いフォード車が注目されたわけだけど、取り扱っているのは日本フォードとそして日本側の窓口と言える鳳自動車だった。


 かくして、フォードが日本にトラックを持ち込み、鳳自動車がバスへの改造を行った。これが「円太郎バス」らしい。

 鳳が深く関わっているから、多分、私の前世とは経緯が違っているんだろうけど、私はこのあたりの前世情報を持ち合わせていないので気にもならない。


 そして1925年、フォードが自力でノックダウン工場を作る。これは当然だけど、鳳自動車にとっては大きなマイナスだった。

 けれども、この頃だと既に私の『夢』に従って鳳財閥の拡大が開始されていたから、自動車以外にする事が沢山あるので、逆に渡りに船ともなった。


 そして1928年、長年の技術蓄積、フォードからの技術導入、虎三郎以下開発陣の努力によって、鳳自動車が日本初と言える、フォード式を取り入れたトラックの大量生産を開始する。日本初なのは、コンベア式の量産ラインの事だ。

 この当時としては破格の規模の工場にラインを敷いたフォード式で年産5000台だから、業界に大きなインパクトを放った。


 何しろこの当時の日本では、1年で売れる車の総台数が1万台程度だ。売れる乗用車は、すべて海外製だった。

 そこにいきなり従来の総生産台数の五割の数の、しかも量産効果で価格が大きく下がったトラックが群れをなして工場から出てきたので、政府が慌てたほどだった。

 同業他社が一瞬で崩壊してしまうからだ。


 この為鳳のトラックは、陸軍を中心とした政府買取は枠を制限された。それでも品質が良く故障率は他社より低く、しかも安いので、民間では売れた。売れなくても、鳳グループの拡大が進んでいたから、かなりを自前で使った。

 1932年春の時点でも、鳳グループのトラックが路上のトラックの半分くらいを占めているほどだ。しかもこの上、松田さんところのお手頃価格なオート三輪も加わる。


 一方、鳳の営業で、トラクター販売で余剰した地主達の金でフォードの乗用車を買わせる戦略が大当たり。

 しかも鳳が作る国産の安いトラックが、フォード、GMの故障知らずな輸入トラックを圧迫しているので、フォードはGMに勝つ為に鳳との協力関係を強化。

 そうした辺りで、世界恐慌が訪れる。


 だから私を始めとして鳳グループは、1年ほどは拡大の準備期間と考えていたけど、前倒しの修正を余儀なくされる。日本国内で、自動車の自力開発の機運がさらに高まりを見せていたからだ。

 トラック生産で鳳が圧倒的優位になり政府需要が知れているから、という理由もあるけど、政府自体が国産自動車保護の姿勢を強めた為だった。



__________________


フォードが自力でノックダウン工場:

現在の横浜市神奈川区の守屋町。現在はマツダのR&D(研究開発)センターの所有。

1930年前半だと、日本最大の自動車工場になる。

1933年には、すぐ近くに日産が工場を作る。



円太郎バス:

鳳財閥が関わるところ以外は、だいたい史実と似た経緯。

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