235 「子供達の床屋談義(2)」

「それで最後の「次の内閣の鍔迫り合い」だけど、犬養毅と床次竹二郎が競り合っているのよね。後ろにいるのは誰?」


 私の質問に、貪狼司令が軽く頷く。


「床次竹二郎の後ろは原敬です。今までの労に報いると言ったところでしょうな。犬養毅は、陸軍が推しています」


「陸軍が? 犬養毅は大亜細亜主義者なのに? むしろ満州の事だと敵なんじゃあ?」


「犬養は、政友会への合流組です。現状では政友会が強すぎるので、非主流を総理に据える事で政友会内に溝を作り、勢力を削ぎたいようです。要するに陸助どもは、自分達で好き勝手したいだけなんですよ。でなけりゃ、無能の荒木なんぞ担ぎ出したりしません。秀才どもの考えそうな事だ」


「貪狼司令、言い過ぎ」


 言いつつ苦笑が漏れる。私の前世の歴女知識でも荒木貞夫の評価は低いけど、無能とまでは言われてなかったと思う。

 そして苦笑で一息つけたので、次の疑問が出てくる。


「けど、西園寺様の辺りは? 元老はもう西園寺様だけだから、重臣集めて会議って感じになるかもしれないけど、普通はそこで決まるんじゃないの? 陸軍は総理選びに関係ないでしょ?」


「確かにその通りです。そして西園寺公望は、議会主義者なので軍人を嫌っています。床次側の宇垣も議会は尊重する方だし、その辺を解かっていますので、陸相を推すにとどめています。ただ西園寺は、床次をあまり評価していないと言われます。また、枢密院議長の倉富勇三郎が犬養側です」


「倉富って、ロンドン海軍軍縮会議も反対だった人よね。けど、それで陛下から信頼失ってなかった?」


「左様です。ただ、民政党内閣を倒す事には力を発揮しているので、全く無視もできません」


 「なるほどなるほど」私は軽く腕を組むけど、そこで玄太郎くんの手が上がる。顔がすごくご不満そうだ。


「本格的に話を聞く前とはいえ、二人で進めないでくれないか。重臣の会議とか言われても、さっぱり分からない」


 そりゃあごもっと。私はそう思い直し、3人の方に体を向けた。


「あ、ああ、ごめん。今回は、選挙せずに政権交代でしょ。それに大正時代は、陛下が元老に後継者推薦の下名をされていたでしょ。けど今の元老は、もうかなりのお年の西園寺様だけだから、元老に匹敵する政界の重鎮の人達が集まって、次の総理を指名する可能性があるんだって。選挙はその後。多分、政権交代してから3ヶ月以内に、民意を問うって感じでするんじゃない?」


「そうなのか。それで、重臣はどなたが参加される?」


 そう言いつつ、玄太郎くんの顔が私から貪狼司令へ向く。

 貪狼司令も小さく頷いた。


「元老の西園寺公望。元総理の原敬と加藤高明、内大臣の牧野伸顕、それに枢密院の倉富勇三郎あたりでしょうな。山本権兵衛はもう歳をとりすぎて動けないと聞きます」


「田中義一さんは?」


「体調もあり隠居するというのがもっぱらの噂。夏以後は、表舞台に出て来ておりません」


「となると、長州閥は厳しいわね」


「はい。ですので、宇垣一成がまとめています」


「なるほどねえ。お兄様も大変だろうなあ」


「一人で納得するな。さっぱり話が分からないぞ」


 次に龍一くんの抗議の声に、男子二人が強く頷く。ずっと興味深げに聞いているだけのお芳ちゃんを見習ってほしいものだ。話の腰が折れて仕方ない。


「龍一くんなら、多少は分かるでしょう。龍也お兄様達は一夕会。その敵が長州閥で、今の親玉が話に聞いた通り宇垣一成。一夕会は犬養推し。だから長州閥は、自動的に床次側よ」


「それで、誰がどうなっていて、どっちが総理になりそうなんだ?」


「少しお待ちを」


 玄太郎くんの言葉に、貪狼司令が一度黒板を消して、またカッカツと小気味よい音を響かせつつ書いていく。



 ・総理候補:犬養毅

陸相候補:荒木貞夫(一夕会に担がれた)


 後援

倉富勇三郎(枢密院)



 ・総理候補:床次竹二郎

陸相候補:阿部信行(長州閥)


 後援

原敬、宇垣一成(現陸相)


 備考

・蔵相はどちらも高橋是清一択

・海軍大臣は現横鎮司令の山梨勝之進が有力


 不明

・西園寺公望(胸の内は不明)

・森恪(犬養毅と対立するも、一夕会と繋がりあり)



「現状はこのようになります。後援を見る限り、床次が有力です。政友会全体で見ても、約6割が床次支持です」


「じゃあ犬養さんは無しかあ。逆転の一手とかない?」


「それは、西園寺公望を味方に引き入れるしかないでしょう」


「その前に、知らない人の名前もあるんだが?」


「勝次郎くんでも?」


「でもとは聞き捨てならないが、この歳で知っている方が、かなり特殊だと玲子には自覚を持って欲しい」


 うん。ムスっとする勝次郎くんは可愛い。けど、それはそれ。


「あっそ」


「何故そっけない」


「反論しても、全部言い訳になるから。えーっと、軍人は今は置いとくとして、前の蔵相の高橋様は幾ら何でも知っているわよね。アレ? 誰を知らないの?」


「森恪(もりつとむ)?」


「もりかくが正解。前の外務政務次官。そっか、大臣じゃなかったから知らないのか。田中義一さんのお気に入り。それと三井の流れの人よ」


「三井と。そうか、あとは家で聞く。続けてくれ」


 勝次郎くんの言葉を受けて、貪狼司令が軽く咳払いしてから、棒で黒板上の名前をトントンと軽く叩く。


「西園寺としては、犬養を推したいという向きもあります。床次は官僚からの転向組の先駆けで、政党家ではない。これに対して犬養は、生粋の政党家です。ただ今回は、総理の座欲しさに陸軍も利用しているので安易に支持できない」


「年齢的にも、この次はないでしょうしね」


「どうでしょうかね。元気な爺さんだと聞きます。と、それはともかく、犬養も不利は自覚しているので、党内工作を精力的にしています。床次は政友会の重鎮ですが、いまひとつ人気がないのに比べると、犬養は途中から合流したにしては党内人気が高い。逆転の可能性はあるでしょう」


「それで西園寺様の支持を得られれば、牧野様の支持も得られるだろうし、ほぼ決まりよね。アレ? むしろ床次の方が不利?」


「政友会内での綱引き次第ですな。ただし陸軍の方が宇垣がやや優勢なので、これを何とかする必要がある」


 そこで全員が口をつぐんだ。

 まだ12月の頭では、これ以上の推測は出そうにない。

 するとそこに、勝次郎くんが声色を変えてくる。気分を変えようという事らしい。


「玲子が当事者ならどうする?」


「そういう勝次郎くんは?」


「そうだな、政友会の事はまだよく分からないが、俺が犬養毅なら宇垣一成を説き伏せる。陸相は荒木貞夫を通す代わりに、陸軍の中堅幹部を抑える為に、そうだな、外相あたりに宇垣一成を迎え入れる。それで陸軍内を対立状態にして、政治に口出ししにくくさせる」


「原さんも説得しないとダメよ」


「政友会の重鎮なら、引き際をわきまえているだろ。床次竹二郎には有力大臣の椅子を用意すれば、犬養毅は度量の大きさを示せるし、党内融和も図れる。相手も受け入れざるを得ない。

 森恪はよく分からないが、田中義一のお気に入りなら、閣僚に迎え入れた宇垣一成に押さえさせたら良いんじゃないのか?」


(ちょっと無理はあるけど、今の説明だけなら通らなくもないかな?)


「それで玲子なら?」


「え、ああ、そうね。政友会内の支持集めに全力を入れて、西園寺様の信任を得る。まずは数で勝たないと」


「物量戦か。玲子らしいな。玄太郎と龍一は? それに芳子嬢も」


 俺様キャラらしく、この辺りは公平だ。それにさっきと違って面白がっている。ちゃんと床屋談義だって分かっているからだろう。

 龍一くんもその言葉で吹っ切れたらしく、笑顔が見える。玄太郎の方は、まだ真面目に考えているっぽい。

 そして最初に答えたのは、既に答えを出していたであろうお芳ちゃんだった。


「私は玲子様に一票。まずは党内で勝って、その優位を利用して対抗相手の説得をして優位を維持・拡大します」


「俺は勝次郎の案だな。重要人物の説得の方が効率が良さそうだ。でもさあ、俺が犬養毅なら宇垣一成と組むけど、何でそうならないんだ?」


 龍一くんの言葉の後半に、玄太郎くんが強めに頷く。ただ「メガネはクイッ」はしてないから、満額回答ではないらしい。


「それは僕も思った。宇垣一成は、大正時代に陸軍の軍縮を行なった人だろ。犬養毅も亜細亜主義者で、植民地帝国主義の人じゃない。この組み合わせの方が自然に思えるんだけど?」


「理想通りいかないのが政治の常、というやつですな。いやはや、流石は皆さんだ。小学生の会話とは到底思えない。それこそ、当事者達と陸助の馬鹿どもに聞かせてやりたい程です」


 最後に貪狼司令が、今回の講義をそう締めた。


__________________


宇垣一成 (うがきかずしげ):

史実の「三月事件」が全くないので、陸相、陸軍大臣を続けている。


なお海軍の方は、『大粛清』で老人連中と艦隊派の提督が軒並み海軍からも政治の世界からも消えている。

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