234 「子供達の床屋談義(1)」

「それではご説明させて頂きます」


 一応アポを取ったとはいえ、私の問いかけに貪狼司令直々に解説が始まる。

 ギャラリーというか聴講者は、私とお芳ちゃん。それに途中で鉢合わせした龍一くん、玄太郎くん、勝次郎くんの男子3人。扉の側にシズとリズが控える。平日の午後だから、大人達はみんなそれぞれの仕事中だ。


 虎士郎くんは歌のレッスン、瑤子ちゃんは一応声はかけたけど流石に辞退。けど、男子3人とお茶をするなら、強引に誘っておけばよかったとちょっと後悔。

 学校では一緒だったみっちゃんと輝男くんも、午後はいつもの訓練のカリキュラムが入っているから同席していない。なんだか二人とも、成長とともにアスリートっぽくなっているのは、ゴリゴリ鍛えている影響だろう。



(貪狼司令的に、この状況はありなの? 押しかけといてあれだけど、気がひけるんだけど)


 黒板の前に背広のおっさん、それを見る数名の子供達。まるで学習塾の授業のようだけど、授業内容はあと2週間以内に決するであろう政権交代と、次の内閣の鍔迫り合いだ。

 そして私の内心をよそに、いつもの黒板上での達筆を見せる貪狼司令。黒板にものを書いている時の貪狼司令は、見ていてどこか気持ちいい。

 しかし書いている事は俗な事この上ない。しかも、一言悪態を付かないと気が済まないらしい。


 ・中途半端な満州の現状

 ・まとまらない陸軍中央

 ・亀の甲羅に閉じこもる海軍

 ・崖っぷちの若槻内閣

 ・次の内閣の鍔迫り合い


(各方面にディスりまくりでしょ。好きだなあこの人も。いや、好き嫌いじゃなくて、天然でこれなんだろうなあ)


 などと思っていると、書き終えてこちらを向く。


「さて、ご要望により、軽くおさらいをしてから本題に入らせて頂きますが、よろしいでしょうか」


 そこで小さく挙手。勝次郎くんだ。


「玲子と芳子嬢だけだと、どの辺りから話すつもりだったんだ?」


「そうですな。最後だけで問題はないかと」


「ではもう一つ、本当に俺が聞いて良いのか? 三菱が掴んだ情報で俺の耳まで入る話では、鳳が満州での騒動に相当深く関わっているという話だが?」


「お嬢様が勝次郎様をここにお連れしている以上、問題御座いません」


「なら良い。では始めてくれ」


「ハッ、それでは」


 と、話が始まるけど、確かに最後の辺りまでは、私とお芳ちゃんにとっては簡単な復習でしかなかった。

 ただ時折、貪狼司令の辛辣な一言が入るので、思わず吹き出したりして、男子3人から顰蹙(ひんしゅく)の視線をザクザクと突き刺された。

 確かに笑うような事じゃない。私にとっては日常になりつつある事なので、軽く考えがちなのは良くはないと自身を戒めるしかない。


 なお、「中途半端な満州の現状」は、関東軍を中心とした連中は、独立という形で満州を大陸中央から政治的に切り離したかったのに、それが達成されていない事。

 物理的に切り離しただけでは気に入らないのは、軍人の悪い癖だというのが貪狼司令の論評だ。


 「まとまらない陸軍中央」は、政争とも関わる軍中央での勢力争い。主に宇垣一成を中心とする長州閥と、永田鉄山ら中堅実務職を牛耳る一夕会の対立。

 猿山の大将になるのがそんなに大事か、というのが貪狼司令の論評になる。これは流石に言い過ぎだろう。


 「亀の甲羅に閉じこもる海軍」は、『海軍大粛清』とも言われる『統帥権干犯問題』での大失態で、政治的な関与をする気を無くして、政府に面従腹背状態な点。

 そして政治的影響力が低下しすぎて、陸軍の政治的独走を許している点。

 けど私は、私しか知らない言葉で言うところの「シビリアン・コントロール」が強くなり、組織の若返りが出来たので、プラスの方が大きいと感じている。

 貪狼司令から見れば、居もしない敵に備えが必要だと言い立てた自分の言葉に、自ら踊らされた結果だそうだ。


 「崖っぷちの若槻内閣」は、満州事変が中途半端だと騒ぎ立てる連中に、その中途半端な状態に乗った点を政治的に責められている状態。

 しかし実態は、ドル買いと海外送金、さらに金買いをしすぎて死にかけている鳳以外の大財閥救済の為の倒閣工作。

 投機しすぎた末に金本位制停止を目的とした倒閣工作だから、全ての方面から非難轟々だ。


 ただしこれに対しては、自分達のお題目に掲げつつも政友会の時の政府が解禁したという理由で、金本位制停止を言い出せず政争に拘った末の民政党の自爆というのが、貪狼司令のコメントだ。

 確かに、現状でも即座に金本位制停止すれば、すぐに若槻内閣を倒そうという動きはかなり沈静化するだろう。何しろ満州事変は、私的に見て政治的、外交的な大成功だ。波風が立ってないとか、最高すぎる。

 ただ政府は、実質何もしていないと世間から見られている。だからこそ、日本の信用維持の一環という従来路線とは違う面での、金本位制の維持に汲々としてしまっている。


 そして貪狼司令としては、諸々の大事な視点が政争に欠けている時点で、日本の政治は腐っているという事になるらしい。



「以上が前置きになりますが、ここまでは宜しいでしょうか?」


 そこで私が小さく挙手。


「貪狼司令、少し私情を入れすぎ。あと、もう少し言葉を選んで。私達は慣れているけど、子供には刺激が強いでしょ」


「これは失礼を」


 口では謝るけど、気にした風はない。それに視線は私を見た後で、男子3人へと向く。自然私も視線を横へと流す。そうすると男子3人とそれぞれ目が合っていく。

 龍一くんは、お兄様な龍也叔父様から多少は話を聞いているんだろう、軽く苦笑していた。その苦笑いが、お兄様に似てきている。

 玄太郎くんは、話を聞いている時も軽く首を左右に振っていたから、見た目以上に内心での衝撃は大きそうだ。勉強だけしていれば良い年頃に、こんな話を聞けば当然の反応だろう。

 勝次郎くんも、玄太郎と少し似ている。ただ、私と目があうと苦笑した。


「鳳の情報網は凄いな。うち以上だと思う。大陸情勢と陸軍内の話は、なかなか正確な話が手に入らないからな。それと、この夏からのドル投機だが、もうぐうの音も出ないよ。ただ、一つ聞いて良いか?」


「鳳が同じ事をしなかった理由?」


「ああ。投機としてだけ見れば、濡れ手で粟で儲ける絶好の機会だ。アメリカ株で未曾有の大勝ちをした鳳が手を出さない事に、家の者達は大層不思議がっていたぞ」


「うちはお上から、安易にドルを日本に持って帰るなって言われているのよ。まだ国家予算以上のドルが、アメリカで唸っているからね」


「それだけか?」


 そう聞いてくる勝次郎くんの視線が少し強めだ。

 ゲーム上で、悪役令嬢を糾弾する時と少し似ている気がする。とはいえ、勝次郎くんも外見が子供じゃなくなってきている影響だろうと同時に思えた。

 ただ思っているのは頭の片隅だけ。私の口は動いていた。


「うちだって、通すべき義理ぐらいあるわよ。加藤様や政友会の方々には色々頑張って頂いたのに、これ以上無理は出来ないわ。アメリカの王様達にも、アメリカで買い物しても持ち帰る時の関税が高くなりすぎるからって、ほんの少しだけどドル買いには手心を加えてもらったのよ。……それより、三菱が加藤様の足引っ張るのは予想外なくらいなんだけど?」


「やりすぎた連中は、父上らにこっぴどく叱られている。加藤様にも当然貸しだ」


「それだけ?」


 強めのジト目で視線ビームを送る。色恋沙汰じゃないから、私の攻撃力は極めて高い。

 予想通り、勝次郎くんがバツの悪そうな表情になる。


「金輸出再禁止後の話か? それは俺ではどうにも出来ない」


「そうだとは思うけど、また財閥が政府と癒着して甘い汁を吸うって槍玉に挙げられるわよ。もう、世間は随分騒いでいるけど」


「分かっているが、こうなっては他との競争には負けられない。それに鳳も悪い」


「アメリカ株で一人勝ちしたから? そんなのただの嫉妬でしょ。それに、鳳はアメリカから暫くドルは動かさないのに?」


「それを知っている者はいない。まあ、玲子に言っても仕方ないな。俺も交換を手控えるように父上に進言してみる。玲子のおかげで、うちは株で儲けさせてもらっているからな」


「他の財閥は、アメリカの皆さんと同じく、手を出したところは大火傷みたいだものね」


「ああ。それに加えて、昭和恐慌での苦境だ。だからドルを買ったんだからな。ただうちも、しばらくは政友会の上の方々に頭が上がらないだろうな」


「となると、政友会内閣は確定かあ。一番お尻に火がついている三井様とかの内情知ってる?」


 気軽に聞いたのに、嫌な目で見られた。知っているけど言えない、けどこれから話を聞くから多少は言わないといけないという点を突いた私の勝ちだからだ。

 私にその気は無かったけど、言ってそれに気づいてしまった。

 だから手をヒラヒラとする。


「良いわよ、何も言わなくても。うちは一応政友会側だから、多少のことは知っているもの。ねえ、貪狼司令」


「そうですな。ですが、私にしろ勝次郎様にしろ、ここで話す内容でもありますまい。というところで、次の話に移ってもよろしいかな?」


「どうぞ。子供が聞く話じゃないんだけどね」


「じゃあ、誘うなよ」


「僕も少し後悔している」


 龍一くんはただの悪態だけど、玄太郎くんは少しマジ顔だ。


(玄二叔父さん、やっぱり鳳に向いてないわよね。子供を大切にしすぎでしょ。いや、私の方がおかしいのか、鳳一族がおかしいのか……)


 そう思い、先に泥沼に片足を突っ込んでいる身としての言葉を探す。けど、言えることなど限られている。


「虎士郎くんも瑤子ちゃんも断ったわよ。付いて来たくせに文句言わないの。それに、来年度からは今日聞くくらいの話は、普通に聞くようになるのよ。練習と思ったら?」


 二人も私の言いたい事は分かっているので、それぞれの表情で私の言葉を受け入れる表情を見せる。

 それに私は笑みを返しつつ、視線を貪狼司令へと戻した。

 ようやく、私にとっての今回の議題だ。

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