169 「1930インターバル・サマー(6)」
夏の旅行は続いていた。
翌日朝からのチェックポイントは、宿泊先から近い川西飛行機を見学。なお、川西の人に対して私は単なるお嬢様を通しているから、みんなで工場見学するだけ。
けど、男の子達は大喜び。来た甲斐があったと言うものだ。
会社もしくは工場は、一年ほどで随分規模を拡大していた。増設した大きな倉庫には、鳳が世界中から買い集めた飛行艇があって、ちょっとした飛行艇博物館。
けど、そのうち半分くらいは解体されていて、技術習得用に使われている。
会社の研究所の一つでは、来年開催されると言われる水上機レースのシュナイダー・トロフィーに向けた競技用機体を開発していたりと、以前来た時よりずっと賑やかだ。
中には海軍の依頼で購入したイギリス製の飛行艇もあり、これを海軍の依頼で国産化中と聞いた。
せっかく作るんだからと、後で鳳も幾らか買うように指示しておこうと思ったけど、なんだか軍人っぽい技師の方が気になってしまった。
けどまあ、今回の私はみんなと見に来ただけ。飛行機の事はよく分からないから、社会見学も済んだから次のチェックポイントへ。
大阪に繰り出し、私が前回行きそびれた日本初のターミナルデパートの阪急百貨店を攻めた。
大きな建物の中にホームがあり、その建物ごと百貨店というのは後の世から見れば日本の都市のよくある景色だけど、大阪の阪急百貨店がその始まりだ。天井の作りや装飾も凝っていて、大きな聖堂のようですらある。
私は前世の記憶での関西遠征の際、電車のホームじゃなくて大きな通路になった状態を見た事があったけど、それでもこの時代にこれだけのものを作ったという事に驚かされる。
当然、初見である鳳の子供達も大いに感心していた。側近候補の子供達など、口をポカンと開けるだけだった。
一見の価値アリってやつだ。
そしてその後は道頓堀に移動。食い倒れな道頓堀で食事を済ませると奈良へ向かう。かなりの駆け足旅行だ。
そして休む間も無く、翌日は朝早くから奈良の神社仏閣を攻めまくる。気分はもう日曜夕方の国民的アニメのオープニング。けど、前世の私はここまで奈良を色々と回った事はなかったから、思った以上に満足できた。
それ以上に良かったのは、前世で一度は泊まりたいと思っていた奈良ホテルに滞在できた事だ。
ただしここは、今の時代は迎賓館に匹敵する施設で客を限定していたので、泊まれたのは鳳伯爵家の人間だけ。
使用人の一部は世話役として例外扱いにできたのも、甲子園ホテルと同じ。側近候補の子供達と使用人は別の民宿への宿泊となった。
そしてお次は奈良から京都へ。
いい加減、鉄道を大人数で移動するのも憚られたので、奈良各地を巡るのにも使ったバスで移動。道は良くないけど、この時代の小さなバスもそれなりに情緒はある。
そして京都市内へと入るまでに、宇治の平等院、伏見稲荷を攻めた時点でタイムアップ。伏見稲荷は、男子どもが規模も確かめずに神社奥の山巡りを提案したおかげで、途中で断念したにも関わらず子供達全員ヘトヘトに疲れきってしまった。
ついでに伏見稲荷では、もう一生分の鳥居とお狐様を見て、最初の感動も何処へやら誰もが気分的にお腹いっぱいだ。
そして大西洋上での体験もあるから、奈良辺りからは何か不思議な出来事の一つでもあるんじゃないかと半ば期待しつつ思っていたけど、目が覚めたら普通に次の日の朝だった。
白昼夢もないし、不思議な出来事はゼロ。神様も仏様もお狐様も出てくる気配はゼロ。
どうにもこの世界は、霊的なオカルトはあっても神様仏様の類はいらっしゃらないか、お顔をお出しにはならないらしい。乙女ゲームの世界の具現化のくせに、サービス精神は少ないようだ。
そんなわけで、京都市内を一巡しても特に変化はなし。
最後に京都市郊外で一泊して、京阪神を後にする。
「で、何で俺たち熱海にいるんだ?」
「えっ? だって夏休み中でしょ。それと熱海の後は湘南海岸で海水浴よ」
「夏を満喫する気満々だな。他に予定は?」
「あとしたい事は、軽井沢で避暑かなぁ。今は虎三郎の一家が居るから、そのあとね」
「じゃあこれからしばらくは、鳳の別荘巡りだね」
「そうなるわね。普通のホテルは護衛の人が大変だから、その方がいいでしょ」
「玲子ちゃん、そういう考え方が子供じゃないんだよ」
「はーい。子供らしく、後はダラダラ過ごしまーす」
鳳の子供達への一言コメントをしているのは、質問の通り熱海温泉にある鳳の別荘。
熱海では、鳳ホテル系列として去年秋からホテル事業も始めているけど、鳳の家の者は別荘を利用する。
また今回は、旅に同行した私の側近候補の子供達と、シズとリズ、それにワンさん以下の使用人と護衛の人も招いている。
この別荘は、企業の保養施設も兼ねているから、30人程度なら十分に宿泊出来る規模がある。
それに、鳳の別荘なら瑤子ちゃんが望んだ、男女別室の大部屋というシチュエーションもありだ。
「何だか、一生分の旅行をした気分です」
カポーンという音が鳴りそうな温泉で、そう感想を述べるのは私の側近候補のみっちゃん。
私より1歳年上な上に背が高くなる設定のおかげか、11歳なのにすくすくと色んなところが成長しつつある。髪の毛も、小学校入学の時に私が我儘言ったせいで、ポニーテールを解くと腰に達する。
お風呂では、その長髪をタオルでまとめてアップしてあるけど、かなりのボリュームだ。
他に温泉には、瑤子ちゃんと側近候補の女子達。私の横には、お芳ちゃんも真っ白な肌を少し赤くして、湯船に気持ち良さげに浸かっている。
「でも、まだ終わりじゃないんでしょ?」
「そうよ。次は湘南海岸で海水浴。その次は軽井沢で避暑。他に何かしたい事ある?」
「暢んびり出来るならそれで十分。でもさ、暢んびりしてていいわけ?」
「夏の間はね。秋には大豊作が待っているから、忙しくなるわよ」
「大豊作ですか! 今年は農家も安心ですね!」
みっちゃんが嬉しそうに、思ったまま口にする。この時代、日本人の多くが農村出身なので、幼い頃の情景でも思い浮かべていそうだ。
他の側近の女の子達も似た感じの子が多い。
(けど、そうじゃないのよね)
そんなみっちゃんには何も言えないでいると、お芳ちゃんも小さく苦笑を浮かべていた。
色々な情報に触れる事が出来るようになっているから、豊作とその先の米価暴落を予測していそうだ。実際、豊作の兆候は各所から上がって来ている。
「で、お嬢は、豊作はどうするの?」
「雇用を作る」
「他には?」
「下手に先物市場に手を出しても、ドブにお金捨てるようなものよ。多少はするけど。ただ、来年に備えて備蓄準備はしてる」
「政府はアテにならないの? あんなに寄付したのに?」
「してなかったら、今頃養蚕農家と生糸業者の支援と救済は、あんまり出来てないでしょうね。お米の方は、2年前に二つ法案通してお上が多少は準備しているから、極端に酷くはならないと思いたいわね」
「「米穀統制法」と「米穀自治管理法」か。その為に準備してたんだ」
「今年を含めて、この先5年ほどの対策ね。本当はもっと実効性のある法律を通して欲しいけど、今の日本じゃああれが限界。これ以上は、統制経済か社会主義だから」
「『夢見の巫女』は伊達じゃないね。統計や情報だけじゃあ、こんな予測と準備は絶対に無理だ」
そう言って、軽く天を見上げる。
同じように天を見てみるけど、私に見えるのは穴だらけ、虫食いだらけの歴史の記憶。
けど、多少は強気を通すしかない。
「でしょ。だから鳳は、短期間で大きくなれたのよ」
「うん、納得。こんなの、天才が束になって掛かっても敵うわけない。でもさ、私なんているの?」
お芳ちゃんは一通り感心しきった後、思いの外真剣な眼差しが私に注がれる。
いつもより瞳に赤みが強い。
「必要に決まっているでしょ。仮に多少の何かを知ったところで、この小さい手一つで何ができるって言うのよ。だいたい、一人の異能や天才で全部片付くなら、世界なんて退屈で仕方ないわよ、きっと」
「そんなもんかな。けど、お嬢って、お米でこれだけ出来るんなら、こないだの選挙、随分と愚痴ってたけど何かできたんじゃない?」
真剣な眼差しのままの不意打ち。
お父様な祖父は、愚痴を言わなくても気づいて無視してたと思うけど、この辺りはお芳ちゃんが子供だからだろう。
「出来たとしても、私は家の中、せいぜい財閥の中でしか責任取れないのに?」
「それ、逃げの口実じゃない?」
さらに踏み込まれた。
けど、諫言してくれる人はありがたい。こっちも、本音を言えようというものだ。
「さらに逃げさせてもらえば、政治や社会全体のことで問題が起きたら、責任を取るのは私じゃなくてお父様達大人よ。睨まれ過ぎたら暗殺の危険だってあるのに、怖くて踏み込めない事だって沢山あるわよ」
「それくらい、ご当主様なら承知済みじゃない?」
「だとしても、私の優先順位は私、一族、財閥。私、国士様なんかじゃないもの」
「フフフッ、まあそうだよね」
そう軽く笑って追求をやめたお芳ちゃんに、それまで沈黙していた瑤子ちゃんが湯船から手を出して、上を向けた人差し指を左右に振る。
「お芳ちゃん、玲子ちゃんの言葉をあんまり真に受けたらダメよ。結構、適当に言っている時があるから」
私を一番知っている瑤子ちゃんだけど、既に達観の域に達していたとは少し意外だった。たまらず笑顔が引きつるけど、二人の追い討ちは続く。
「知ってる。知ったかぶっている時もあるよね」
「アルアル。難しい事を言ってても、自分が理解してない時とかね」
「えっ? そんな風に見えてた?」
「そりゃあもう」
「うん。お嬢は、外で何かをする気があるなら、もう少し仮面をかぶる練習した方がいいと思うよ」
「が、頑張る」
多少は感情を押し込め、制御できるようになってきたと思っていた。けど、距離の近い子供達に見透かされているようじゃあ、魑魅魍魎の蠢く政治や経済の中枢で通用する筈もないだろう。こういう未熟さも、躊躇する理由の一つだ。
けど、こういうものは、それこそ人としての経験値とか、余程凄まじい体験を重ねるとかしないと無理だろうし、どう頑張るのか皆目見当もつかなかった。
そして一人湯船で悩む私を、私の愛おしい人たちが生暖かく見守っていた。
そこは、「生」抜きで見て欲しいけど。
その後、熱海、湘南、軽井沢と遊び倒した私たちは、蝉の声が変わる頃に帝都へと帰還した。
ただ、この夏は現実逃避で少し遊びすぎてしまった。
自分でも自覚があるけど、曾お爺様の旅立ちが近いと感じているせいもある。だから屋敷に戻っても、お父様な祖父にも内心を見抜かれて、溜まっている習い事を消化しろという言葉を頂き、本当に必要な事以外からは命令でしばらく距離を置く事になった。
29年春から習い事は溜まりっぱなしだから、消化するには丁度良いと思うしかないんだろう。
________________
シュナイダー・トロフィー:
シュナイダー・トロフィー・レース (The Schneider Trophy) は、1913年から1931年まで欧米各地を持ちまわりで開催された、水上機の速度を競うエアレース。
日本は参加した事はない。
イギリス製の飛行艇:
ショートKF型飛行艇。これを国産化したのが『九〇式飛行艇』になる。
奈良ホテル:
近畿において国賓・皇族の宿泊する為、『関西の迎賓館』とすら呼ばれた。
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