163 「ライオン宰相(2)」

「はい。私はアメリカ経済が崩れ去るのを見てきました。そして欧州を回って帰ってきたんですけれど、誰も彼もが不景気を楽観視していました。けど、それじゃあ駄目なんです」


 私は言葉の最後に語気を強める。

 けど、ライオンは頷いたりはしてくれない。


「それで不景気対策の予算の確保。そこは分かる。でも、玲子さんなら、あんな大金をいきなり市場にばら撒いて良いわけじゃない事も、分かっているよね。その必要が?」


「はい。アメリカは、世界中からドルを集めて金庫に仕舞い込んで、自分達だけ少しでも安心しようとしています。世界中から、余分な分以上のお金が消えるんです。日本でも、春先に繭(まゆ)が暴落しましたよね。あれが全ての商品で起きます」


「不景気を予測する者はいたが、ここまできっぱり言われたのは初めてだ。で、お腹を満たすには?」


「一番良いのは、『大きな政府』を極限までする事です。釈迦に説法なのは重々承知ですが、金は天下の回りものです」


「……なるほど。予想はしていたけど、私のしたい事とは全く逆だな。じゃあ、緊縮財政をした場合は?」


「国の借金は確実に減るし、インフレは抑えられるでしょう。預金を持つ人は安心すると思います。けど、景気はどん底になります。それと断言しますが、2、3年で世界経済は回復しません。逆に2、3年後に世界経済のどん底がきます」


「アメリカ株式市場はそこまで下がり続けると?」


「あそこは、あと二年は下がります。ピーク時の1割近くまで」


 ここまで言い切ったのは親族と側近以外で初めてだけあってか、流石に黙り込んでしまった。嘘だと頭ごなしに言い返さない分別はある人のようだけど、流石に信じられないんだろう。

 だけどこの機会に、私は言いたかった。言わないといけないと思った。


「ですから私が、いいえ、鳳がして欲しいことは、最低限でも良いので積極財政の継続。できれば軍備を抑え、不景気対策を重点的に。

 それが無理なら、できる限りで構わないので、鳳のする事に余計な口を挟まないで下さい。私達は10年先を見て動いています。2、3年先を見越した程度で文句を言われたら、たまったもんじゃありません。それともう一つ」


「なんだ、まだあるのか」


 私の言葉の途中で口を挟もうとしていたのに、さらに言葉を加えたので、流石の濱口雄幸が本気の苦笑だ。

 ここまで子供に怒らなかったのは感謝しているけど、例え怒鳴り散らされても言わないといけない事だった。


「今年は、数十年に一度の大豊作になります。それに今年から五年の間は、豊作と凶作が交互にきます。その為の備えを出来る限りして下さい。2000万は、その為の手付金でもあるんです」


「手付金? じゃあ何か、君は毎年莫大な献金でもするというのかね?」


「その積りです。毎年とはいきませんが、出来ればあと2回。大金が必要と判断したら1回になるかもしれませんけど、国庫に注ぎ込む予定です。なんなら、アメリカから大金を持ってきて、税金としても追加しますよ」


「待て待て待て、幾ら献金する積りだ。それ以前に、何が起きると言うんだ。それはあれか、「鳳の巫女」とやらのお告げとでも言うのかね?」


 濱口雄幸が、徐々に焦りを含んだ口調になってきている。

 私が口にするあまりの予測と行動予定に、本物の妖怪を見たような心境なのだろう。

 だけど、容赦してやらない。

 こっちは『夢』を元に、情報収集と分析も進めている。私の前に来た以上、楽観論など絶対に許してあげない。


「もう起きているんです。豊作凶作の話はともかく、お告げでも、予言でも、夢枕でもなんでもなく、空前の不景気は現実に起きているんです。正確には起きつつあるのですけど、世界中から情報を集めて分析したら分かる事です。

 けど皆んな、気づいてないか楽観してばっかり。アメリカの景気対策も大失敗しますよ。間違いなく。せめて日本だけは失敗しないで下さい」


「勿論その積りだ。それで、この話は政友会にもしたのかな?」


「高橋様には。高橋様は、よくご理解しておられました。けど、次の選挙に政友会の目はないだろうし、高橋様も今回で隠居するとおっしゃっていたので、こうして偶然の機会を得られた濱口様にお伝えしているんです」


「偶然がなければ?」


「何らかの形で情報はお伝えする積りでした。軍に理不尽に恨まれてまで献じたお金を、無駄にして欲しくありませんから」


「それはもっともだな。政権を取ったら、最善を尽くすと玲子さんに誓おう」


「お誓いにならなくても、濱口様は常に全力を尽くされる方だと存じております。ただ、向かう方向だけは間違わないで下さい。特にこの先は暗中模索になりますから、くれぐれも気をつけて下さい」


「玲子さんが先を照らしてはくれないのかな?」


 濱口雄幸にしては、声も表情も冗談じみている。

 おべっかと取られたのかもしれないけど、本気で言ったのに少しムカつく。けど、私の前世の歴史を知っているから、今言い続けないと後悔すると直感が告げていた。


「照らせるほど先が見えるなら、こんなに苦労はしていません。ただ濱口様ご自身は、身辺の警護を過剰だと思うくらいに増やす事を強くお勧めします。私どもも、法を犯すほど身辺は常に固めているくらいです。これから国の頂点に立つ方に万が一があれば、それだけで日本の行く末が揺らぎます。

 それと一つお教えしますが、以前原敬様が暴漢に襲われた件で鳳の新聞記者が取り押さえましたが」


「お告げがあって、鳳が阻止したと?」


 言葉を継がれてしまったが強く頷いた。そして「ただ」と続ける。


「今後の襲撃は、拳銃が使われる可能性が高まっています。鳳でも対策を立てていますが、くれぐれも備えを怠らないようにお願いします」


「統帥権の一件か。確かに自分で言うのもなんだが、あれは悪手だった。だから用心はしているよ」


(けど、多分全然足りてない。21世紀のSPくらい徹底しないと駄目だ。それにしても、この人も因果な事だ。統帥権干犯問題で、党内で強く反対していたのに首相になれば非難されるんだからなあ)


「ん? どうしたのかね? 私の顔に死相でも出ているかね?」


 少し考え込みそうになっていた。それに暗い顔でもしていたんだろう。慌てて首を横に振る。


「いいえ。ですけど、濱口様が死を覚悟しておられるように見えます。勿論、お覚悟は本当にご立派だと思います。けど、狙ってくるような輩は、そういったものを無視するような者達です。今までのお話は、子供の戯言と切り捨てになっても構いませんので、どうか身辺警護はくれぐれもお気をつけ下さい」


 そう言い終えると、自然に頭が下がった。

 前世の歴史で知っている事が、どうしても頭から離れないからだ。

 けれども、頭の向こうから聞こえてきたのは苦笑だった。


「頭をお上げなさい。私が身命を賭するのは、政(まつりごと)を預かろうと言うんだから当たり前だ。だから玲子さんが、身を守れと頭を下げる事じゃない。それにそんなに親身になって心配されたら、さっきまでの話でどやし返してやろうと思っていたのに、出来やしないじゃないか」


 また本気で苦笑された。その顔を見ると私も合わせて苦笑するしかなかった。

 そしてお互い少し笑った後、濱口雄幸は真剣な表情をする。


「今日は予想外に色々な事を話せて良かった。聞いた話は忘れないし、出来うる限りの事はすると約束しよう。だが私には、政治家として通すべき筋がある。曲げられない事もある。信念などとは言わないが、そこは曲げられないんだよ」


「はい。濱口様の進まれる道を阻む気は毛頭ありません」


「うん、ありがとう。では最後にお聞きしよう。これは玲子さんの曾お爺様から言われたんだが、鳳の決定権は玲子さんにある、とね。

 そこで問いたい。いや、お願いしたい。立憲民政党を支持してもらえないだろうか」


 真剣な一対一の関係の目線が、私の全身を貫くようだった。

 これが大人のステージなのだと実感させられ、竦みそうになる。けど私も、少しは強くなっていたのだろう。その目を真正面から見返す事が出来た。


「国債増発を含めた徹底した不況対策を。これは私の願いです。緊縮財政を行わないなら支持する。これが鳳としての条件です。後、できるのなら」


「ハハハッ、まだあるのかね」


「はい。可能な限り早く、金本位制の停止を。アメリカは世界中から容赦なく金を吸い上げているので凄く危険です。あの人達は、その為なら何でもします」


「実際会ってきた人の意見は重いな。最後の点は十分に検討し、時期を見て実施しよう。ただし、緊縮財政は曲げられない。高橋さんは、銭をばら撒きすぎている。そろそろ一度締めないと、不景気以前に経済が不健全になってしまう。

 それと最初の点は、私もしたいとは思っている。だから、玲子さんが政府以外で何かをするのは決して邪魔しない。これは濱口個人としての約束だが、必ず果たそう。でないと、暴漢より先に玲子さんに撃たれてしまいそうだ」


 そう言ってまた笑った。これで交渉終了と、その顔には書いてあった。

 そしてその後、濱口雄幸以上の要人が鳳本邸を訪れる事は無かった。特に立憲民政党の人はパッタリと途絶えた。

 そして鳳は、選挙で政友会を支持する事になる。




 7月に行われた第17回衆議院総選挙では、とばっちりの心労で首相が倒れた為、世論は政友会にやや同情的だった。対して、陛下をも巻き込んだ政争を仕掛けた民政党に強く当たった。

 けど、それでも今までの政友会が賄賂や献金で腐っていたので、民衆からの支持は大きく上昇しなかった。

 対して濱口雄幸と政策を表看板とした立憲民政党が、議席の半分以上を獲得して選挙に勝利。

 ここに濱口雄幸内閣が成立する。

 それは私が前世の歴史で知る、約一年遅れの濱口内閣の成立だった。



_____________


大きな政府:

政府・行政の規模・権限を拡大しようとする思想または政策。主に広義の社会主義的な政策。

この場合、大規模な公共投資による市場の維持、拡大。

戦前の日本のような新興国の場合は、史実で高橋是清が行なった積極財政政策、大規模な傾斜生産でも効果あり。

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