164 「1930インターバル・サマー(1)」

 小学五年生の夏休みに入った。

 学校には半分くらいしか通ってないけど、夏休みは夏休みだ。


 世の中はと言うと、世界恐慌の波が本格的に日本に押し寄せ、「昭和恐慌」と言われるようになっていた。

 そして恐慌の大きな要因の一つとなった、「スムート・ホーリー関税法」が6月にアメリカで成立していた。こいつは、凄まじい関税障壁を作る為の法律で、以後列強間で報復合戦となって最終的にブロック経済が形成される。


 さらに、アメリカからの投資に頼っていたドイツ経済が瀕死になる。そしてそこから、ちょび髭総統の召喚儀式が本格化してしまう。

 出来れば何とかしたかったけど、どうにもならなかった。


 ただ、ドイツ経済が再び死にかける世界恐慌は、ステップとジャンプだった。

 ホップに当たるのはダウ・インデックスの暴騰で、アメリカ資本がドイツへの投資から、より簡単に儲かるアメリカ株に向かったのが原因だ。


 後で調べていて発見した事だから、本当に後の祭りだった。

 ただ、株の暴騰による儲けで、私は色々と好き勝手出来るようになったわけだし、私には制御方法が何もない事も分かり過ぎるくらい理解させられたのがダウ・インデックスだったから、事前に知っていたとしても大河の流れを見るだけに終わっただろう。


 一方国内では、立憲民政党による濱口雄幸内閣が動き始めていた。そしてその初仕事は、大陸問題となった。

 と言うのも、7月27日に中国共産党軍と言うのも勿体無いテロリストの群れが、武漢南西にある長沙を占領。長沙ソビエト政府樹立を宣言した。

 まあ、テロリストが勝手に言っただけで誰も認めるわけないのだけど、とにかくアカは危険なので、長沙にいた日本を含む列強の現地滞在者は脱出。


 その翌日には、案の定って感じで長沙の日本領事館が焼かれた。焼かれたり略奪、破壊されたのはイギリスなど他の列強も同様で、半ば恒例行事とばかりの事件ながら皆さん大激怒。

 イギリスは、日本も軍を派遣するように強く求めた。何しろ近在唯一の列強で、上海駐留の軍隊も多い。そして長沙は揚子江水系に属するので、小型の河川用軍艦が入り込むことができた。

 そこでイギリスなどは、列強が徒党を組んで艦隊を派遣して、艦砲射撃して海兵隊(陸戦隊)でコミュニストどもを蹴散らそうぜと、イギリスらしく持ちかけてきた。


 そして濱口内閣は、外相に幣原喜重郎を据えたように協調外交を方針としている。だが同時に、中華との友好、大陸への不干渉も掲げているので自縄自縛の板挟みとなった。

 けど、日本国内からの声も強いし、南京の蒋介石はあてにならないし、列強は軍を出せとうるさいし、という状況を前に、1日を議論に費やした後、艦隊と陸戦隊派遣を決定。


 列強が長沙に艦隊を派遣すると、共産党軍はすぐに長沙を放棄。奥地へと逃げていったので、名前だけがご大層な組織は一瞬で瓦解した。

 そのあと、揚子江地域の治安を請け負う形で列強から支援を受けている蒋介石の軍隊が入り、列強の海兵隊と共に治安を回復。


 そして列強は、共産党の跳梁を許した蒋介石を叱りつけるけど、そこは強かな蒋介石。頑張るから金くれと、臆面もなく泣きつく。そして大陸では金がないと何も出来ない事を多少は理解している列強は、蒋介石への支援を実施。

 これで揚子江流域の治安もある程度は安定した。


 一方で列強の軍が揚子江の内陸まで入り込んできたので、張作霖の統制が効かなくなりつつあった各地の軍閥が大人しくなった。

 問題は華南の汪精衛などを中心とした勢力だけど、華南で好き勝手しているだけで今の所実害はない。実害があるとすれば、中華統一が半ば崩れた象徴となっているという事だろう。


 そして今回の騒動で、中華地域内での蒋介石の評判が落ちた。

 中華世界的に列強に尻尾を振るやつは万死に値するわけで、許してやるのも金をくれる間だけ。しかも金をもらえるのは軍閥とか地域のボスだけで、庶民には無関係。

 当然庶民からの蒋介石の評判は落ちる。


 それでもなんとかなるのは、去年ソ連に負けてから北京に引き篭もり状態で、列強、特に日本からの支援で勢力を保っている張作霖が、不甲斐なさ過ぎるからだ。

 しかも元北洋政府が一応の中華民国政府なのだけど、半ば傀儡と庶民から見られているので人気は最悪。


 だからと言って中国共産党が支持されるのかと言えば、そんな事があるわけない。山奥の地主を殺しても、農民の生活はそのまま。軍隊は金がないからまともに訓練も出来ないので、ごく一部を除いては軍閥と大差なし。アカらしく、テロリスト、ゲリラ、アジテーターの群れでしかない。

 華南の汪精衛も左派勢力だから、列強の支持が皆無。共産党とも分断されているから、連携もできず。蒋介石と仲直りする素ぶりもなし。

 もう、みんなバラバラだ。


 一方で万里の長城の北側、モンゴルの方ではソ連が作った赤い政府が支配権を拡大しつつあるけど小康状態。

 内蒙古は事実上どこにも属さず。多分だけど、活仏を連れてきたら全員なびくだろう。そんな世界だ。


 そしてさらに東に来ると満州だが、北は赤いロシア人が支配権を回復したけど、鉄道と都市を押さえた植民地経営しかしていないから、騎馬民族な皆さんは好き放題。と言うか、今まで通りの生活を続けている。


 けど南満州の方が、少し事情が変化し始めていた。

 日本名川島芳子をパイプ役として、清朝最後の皇帝溥儀を担ぎ上げる為の現地組織が編成されつつあったからだ。

 もちろんバックにいるのは、陰謀大好き独断専行大好きな関東軍。調べてみると石原莞爾ではなく、現地諜報組織が担ぎ出して資金を与えて組織されたそうだ。

 そしてさらに軍事顧問を派遣して、軍隊の訓練と編成も始めているのだと言う。


 これであと政党と秘密警察を揃えれば、蒋介石以上のファッショな組織が形だけは出来るだろう。そんな事を思っていたら、関東軍はせっせと私が思った通りの動きをしているのだそうだ。

 誰しも考える事は同じと言う事だ。


 これで全てが関東軍の思惑通りに進めば、1932年か遅くとも33年には現地政府を傀儡とした関東軍による満州支配が確立出来る、らしい。

 そしてこの考えと行動は、陸軍中堅の将校がかなりの数参加していた。石原莞爾も一応はこの中の一人で、現地での作戦立案と実働を任される立場だ。

 もっとも、今後どう言う風に情勢が変化するのかは分からず、混沌としている。



「こんなものね」


「欲を言えば、もう少し精度が欲しい」


「そうなのお芳ちゃん?」


「うん。大陸情勢は、鳳の情報網でも分かり辛い」


「……」


 列車内の一室で、私と私の小さな側近達が向かい合って座る。

 と言っても、外側の二人は護衛見習いで、話しているのは私とお芳ちゃんこと皇至道(すめらぎ)芳子(よしこ)だけ。

 あとの二人七美(しずみ)光子(みつこ)と涼宮(すずみや)輝男(てるお)は、話すよりも一応は護衛の訓練中だ。

 輝男くんが無口なのはいつも通りだけど、一応お仕事中だからだ。逆にみっちゃんこと光子(みつこ)ちゃんは、輝男くんとの交代なので休憩中だから会話に入って来る。


 そして列車内と言ったが、今は東京から京阪神方面に向かう一等客車の中。隣にはシズ達メイドが控えている。

 もう片方は私の従兄弟達がいたけど、今は展望車両でお寛ぎ中だ。私と違って遠出は初めてなので、子供でも広いとは思えない場所で半日過ごすのは苦痛なのだ。そして従兄弟達に付いて、使用人達の幾人かも展望室の方に付き添っている。


 他にも数名の護衛もいるし、ぶっちゃけ鳳伯爵家が警備上の都合ってやつで車両1両を丸々借り切っていた。

 そこまでする必要はないとは思うけど、世間に鳳は金を持っていると知られているから用心をするに越した事はない、と言うのがお父様な祖父麒一郎の判断だ。


 もっとも鳳の大人達は来ていない。子供だけの旅となっていた。逆に子供だけなので、私の小さな側近達も連れて来る事ができた。他の護衛や側近となる予定の子供達6名も、別の場所で訓練したり休息をとっている。

 他の大人、時田もセバスチャンもいない。セバスチャンはめっちゃ来たがったけど、仕事とあっては是非もない。しかも忙しいので、頭脳担当のトリアも来ていない。


 私の周りのメイドは、シズといつもの世話をしてくれる人達以外で同行しているのは、新顔のリズくらいだ。

 このリズは、休暇中や暇な時は射撃場などで訓練に勤しんでいるという。護衛としてはあまり熱心に見えないけど、私には見せていない側面があるようだ。多分まだ十代の若さだけど、アメリカの王様が寄越したくらいだから、腕利きの人なんだろう。


 そんな護衛を加えた夏の旅の目的は、夏休みを利用した京阪神観光。

 お約束の場所を訪ねる予定だけど、他にも鳳グループの会社の幾つかを訪問する予定だ。要するに、鳳の子供達の社会勉強を目的としている。

 さらに私は、個別で何人かと会う予定だ。



「精度は仕方ないわよ。当人達ですら正確に分かっていないし、鳳の情報は政府にも情報回すくらい精度が高いんだから、これ以上は高望みよ」


「分かってるって。お嬢は一言多い」


「アハハ、ハッ! も、申し訳ありません。そ、そうだ、神戸で護衛の本職の人と合流するんですよね」


 側で見ていたみっちゃんの失笑、謝罪、そして誤魔化すための質問と、実に見事な三点セット過ぎて、一言言う気にもならない。

 だから手をヒラヒラとさせながら、質問にだけ答えることにした。


「ええ。何人か来ているはずよ。不要だとは思うけど、前に約束があるのよ」


「護衛の兵士と約束ですか?」


 珍しく任務遂行中の輝男くんが、僅かに目線だけ向けて来る。仕事がらみだから気になったんだろう。こう言う所はまだ子供だ。


「仕事は関係ないわよ。仕事を口実に宝塚を一緒に観に行こうってだけ」


「は?」


 3人共が同じ反応を示した。まあ、訳わからないだろう。


「その人も宝塚のファンなのよ。だから一緒に観に行って盛り上がりたいの。私のわがままよ」


「傭兵が宝塚とかさっぱり分からないけど、お嬢の行動だから気にしないことにする」


「う、うん、お芳ちゃんに賛成」


「……僕も」


 珍しく三人一致の答えが出た。




 そしてその日の夕方、さらに3人を困惑が襲う。


「これはこれは姫、遠路遥々(えんろはるばる)ようこそお越しくださいました」


 身長2メートルに迫る筋肉の塊が、膝をついて駅のホームで出迎えたからだ。

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