152 「1930年社長会」

「ああ、今回は憂鬱ね」


「晴れ舞台なのではありませんか?」


「本当にそう見える?」


 そう返すけど、少なくとも私の見た目は凄く気合いが入っている。

 シズの答えも揺るぎない。


「はい、勿論で御座います。それに、お嬢様が風呂敷を広げられたのです。お片づけはご自身でなさるのがお嬢様の美徳の一つと、シズは心得ております。それを今回だけ厭(いと)うのは感心致しません」


「はいはい、その通りです。善吉大叔父さんだけに苦労させるわけにいかないものね。見世物になれば文句ないでしょ」


「シズはお嬢様に文句など一切御座いません。ただ見世物というのは如何かと」


「じゃあお披露目?」


「その認識で宜しいかと」


 シズといつものようなやり取りをしつつ、控え室で気分を落ち着ける。

 ここは鳳ホテル大宴会場の隣の小さな部屋。去年は、ここから鳳グループの社長会を見下ろして、好き勝手にコメントだけしていた場所だ。


 今日は1930年4月19日、土曜日。

 これで3回目となる鳳グループの社長会が、山王の鳳ホテルで開催される。

 あと数日で国会、国政が大変になるかもしれないというタイミングだけど、私の方も正念場だ。

 前回の社長会と違い、今回は荒れる事が確定的だからだ。


 何しろ2月初旬に財閥総帥の鳳玄二が倒れて緊急入院し、一週間後に長期入院の発表。これで従来の財閥の中枢である鳳会社は、トップが事実上いなくなる。そこで、鳳ホールディングスの鳳善吉が鳳会社社長代行となる事を発表。

 鳳善吉が、今まで半ば二重体制だった鳳グループの完全なトップとなった。

 

 そしてここで、鳳善吉が財閥一族の婿養子なのが問題となる。

 財閥一族だけど、出自が婿養子だ。三井や住友のような伝統のある財閥一族だからこそ、後継者や実務者として婿養子に任せられる。けど鳳一族の場合、善吉大叔父さんが初めてのケースなので、不安定だと当初から見られていた。

 しかも7年前の関東大震災で、財閥総帥の龍次郎と、後継者と見られていた麒一を失っている。いれば全然違っていただろう。


 だからこれだけ見ると、実質的に鳳一族の財閥支配の力が弱まり、鳳グループへの直接の影響力を低下させたようにも見える。一族以外のグループ関係者が色めき立つのは当然だ。


 特に旧鈴木商店側は、三頭体制が崩れた事に強く反応した。反発になっていないのは、金子さんのお陰だ。

 しかも鳳が巨大資本で融資、出資を鳳ホールディングスに統一したので、懸念は強くなった。


 なお、1927年春の時点で、台湾銀行は旧鈴木商店への融資額が約3億5000万円あった。

 このうち、1930年春の段階で台湾銀行が融資した状態のままの約2億5000万円を、鳳ホールディングスが肩代わりすると言う話も広まっている。


 広めたのは鳳側で、これにより他財閥の不良債権で未だに経営が苦しい台湾銀行を、来るべき世界恐慌に伴う日本の不況に耐えさせるのが、私の目論見の一つだ。

 そして台湾銀行は半ば国策銀行なので、鳳は台湾銀行と台湾銀行から融資を受けている財閥、会社などなどだけでなく、日本政府自体にも大きな貸しを作る事になる。そして何より、鳳グループはこれで旧鈴木商店を完全に丸呑みする事ができる。

 そしてそれを行うのが、巨大な自己資本を有する鳳ホールディングス(鳳金融持株会社)だ。


 これだけでも鈴木にとっては大変なのに、さらに焦る要因がある。

 鳳グループである旧鳳財閥と鈴木商店(財閥)の上位に立つ鳳ホールディングスは頂点ではなく、さらに上に鳳の長子が保有するフェニックス・ファンドがどっしりと鎮座している。

 鳳ホールディングスという当時の日本では少し特殊な銀行と並んで、これが鳳財閥の特徴だ。


 つまり、結局のところ鳳一族が、肥大化した大財閥の頂点に君臨している事になる。

 それでもフェニックス・ファンドは間接的な立ち位置だと説明され、資金を供給するだけで経営には干渉していないので、今までは何とかなっていた。そして今後もそうであったとしても、29年に現金化した金額が問題だった。


 フェニックス・ファンドは、アメリカ以外に移動した分を含めて米ドルで18億ドル近く保有している。保有資産が公表されているわけではないけど、とんでもない金額を保有しているという噂は、日本国内でも知っている人は知っている。


 いや、新聞を読むような人なら、鳳が大金を持っていると知っていることだ。

 これを日本の報道各社は『昭和の黒船』とすら呼ぶようになりつつある。それだけのインパクトを持つ、日本人が持つ巨大ドルだからだ。

 しかも鳳財閥という、それまでパッとしない精々中堅の財閥が大金を持って凱旋してきたのだから、そのインパクトはさらに大きい。


 そしてこの「誰でも」は、私が日本政府にポンと2000万円もの金塊をあげてしまった事で、もはや日本国民全体レベルだ。

 日本財界の一般説としては、フェニックス・ファンドは国家予算に匹敵する10億ドル程度持っていると噂されていた。

 そしてそのうち2割から3割を、政府の協力を得て日本へと持ち帰る事に成功し、その大半を鳳ホールディングスや鳳商事の自己資本としたと言う話まで広まっている。


 10億ドルは、日本円だと約20億円。まさに国家予算に匹敵する金額だ。比較にはあまり向いていないけど、この世界の日本の1929年度のGDPが約190億円なので、ざっと一割という事になる。

 さらに27年春以後には、鳳ホールディングスが大量の自己資本を有していると言う安心感から、日本中の預金が中堅財閥だった頃からは考えられないほど集まっていた。


 さらに鳳ホールディングスは、全国展開を目的として中小の銀行の吸収合併を他の大財閥と競うように実施した。

 中には、借金まみれなので救済合併してくれと、土下座モードで馳せ参じたところまであった。そうしたところは政府と話しを付けて、救済を兼ね半ば政府の金で丸呑みしていった。

 結果、29年度中のうちに、日本の預金総額のうち5%を超えるに至る。ここまで集めれば十分に大銀行だ。しかもこれから不景気に突入するので、さらに拡大するのは確実だ。


 一方で、この頃すでに三井・三菱・住友の日本3大財閥が、日本の預金総額約110億円のうち3割程度を持っていた。大銀行の安田と第一を足すと、5割に近くなる。

 けど鳳は、自己資本と合わせると単独で日本三大財閥に匹敵する資本、つまり「現金」を保有している事になる。


 しかも実際に鳳宗家が掴んだ泡銭は、倍の20億ドル、40億円。この時代、日本の財閥の現金や金塊(金地金)での自己資本は少ないので、もはや圧倒的な資金力となる。端(はた)から見ればモンスター、『黒船』呼ばわりされるのも当たり前だ。


 それが日本でそれ程威力がないのは、ドルを簡単には日本に持ち帰れない事が影響している。逆に言えば、多少なりともバランスを取っていると言える。

 それでも、そんなものが財閥、グループのトップに君臨しているので、一見すると財閥宗家の支配は安泰だ。


 ただし鳳一族は、財閥だけをしていない。

 曾お爺様は、かつては枢密院までしていた政治家だ。今際(いまわ)の際(きわ)が近いという現在でも、相応の政治力を持っている。一族当主は陸軍の現役将官で、こちらも中央に対する政治力は皆無ではない。

 だから、有力な後継者候補と見られていた人物が突然倒れてしまったという点が一番重要だったのだ。


 そしてフェニックス・ファンドが鳳長子のものだという話は、ごくごく僅かではあるけど、知っている人は知っている。

 つまり曾お爺様の蒼一郎、お父様な祖父の麒一郎、そして私、玲子のものだ。さらに蒼一郎は、隠居で余命僅かという話が外にも漏れている。そして私は子供。そうなると、一族当主でもある麒一郎が全てを握っていると誰もが考える。


 しかもフェニックス・ファンドは、筆頭執事の時田が金庫番を務めている。

 だから鳳グループの真の支配者は麒一郎。私は、多少は鳳の噂を知る人から見ても、『鳳の巫女』という与太話や神懸かりを装った偽装(ダミー)や欺瞞(デコイ)というのが普通の評価になる。


 そこに今回の社長会で、私は鳳の長子の名代として参加する事になっている。

 事前に社長会参加者に回されているパンフレットには、鳳の長子の参加が明記されているので、恐らく大半の者がお父様な祖父の麒一郎が参加するのだと考えているだろう。

 しかし急用にて麒一郎は欠席。私の登場と相成るわけだ。



「それじゃあ、晴れの舞台とやらに出ましょうか、シズ」


「はい、畏まりました」


 私が立ち上がり部屋を出ると、既に扉で待っていたトリアとリズ、それに本来なら既に席についていても良いセバスチャンが恭しく一礼する。

 

「セバスチャン、あなたの席はあるでしょ。何か急用でも?」


「いいえ。しかし、お嬢様の晴れの舞台に付き従う事こそが私の望み。それにこういう時は、ハッタリを効かせるものです。準備は整えておりますのでご容赦のほどを」


 そう言ったセバスチャンの後ろには、彼が連れてきたアメリカでの部下達と、私に仕えるメイド達が控えている。

 要するに大名行列をして、威圧しろって事だ。

 そして私はセバスチャンの主であり、何より悪役令嬢だ。

 だから、セバスチャンに見せるように小さく嘆息した後で、出来る限り不敵な笑みって奴を見せてあげる。


「許しはしないけど認めてあげる。それじゃあ行きましょうか」


「「はい、玲子お嬢様」」



______________________


日本のGDP:

史実の1929年度は162億8600万円、預金総額は約93億円。

不況がピークの1931年度は125億2000万円、預金総額は約82億円まで減る。



※備考:

この世界の日本は、北樺太(の油田)を保有する事、地味ながら早めの積極財政、鳳財閥が派手に動いている事、さらに1927年の昭和金融恐慌がないので、1920年時点でプラス5%ほど、1929年時点でプラス20%ほど大きくなっている。

それと当然だが、主人公たちの20億ドルの大半はアメリカにあるので、日本の統計からは除外した数字になる。


(※ノーテンキ過ぎる設定にも出来ないので、この程度が限界です。勿論、これでも楽観視した数字です。)

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