120 「イギリス観光」
11月の中頃、ヨーロッパに着いた。
順調な航海を続けたオリンピック号は、途中アイルランドのクイーンズタウン、フランスのシェルブールに寄って、目的地のサウサンプトンに到着した。
サウサンプトンは、イギリス海峡に面したワイト島とブリテン島の間の、さらに入江の奥にある天然の良港だそうだ。
イギリスの北米航路の出発点としてよく使われていて、特に豪華客船の発着場所となっている。また近くには、イギリス海軍の本拠地のポーツマスもある。
そんな風に観光気分で情報を見たところで、この街に用はない。
けど、イギリスには用がある。途中のシェルブールで降りなかったのもその為だ。
一番の目的は、紅龍先生がノーベル賞を受賞したアレクサンダー・フレミングにお祝いを伝えに行くのだそうだ。
逆に、それくらいしか用はない。
鳳商事と鳳銀行の支店がロンドンにはあるけど、アメリカの惨状が惨状なので、鳳の会社には特に用事もない。旅の下準備をしてもらっているので、労いの言葉を言いに行ってもいいけど、私が行く方が邪魔だろう。だから、少しだが迷惑かけた人達に手間賃として臨時の俸給を上乗せするだけにした。
ただ、どうしても避けて通れないお話相手が、予想どおり一箇所だけあった。ていうか、ガチで待ち構えていた。サウザンプトンの港で挨拶され、もう逃げようもなかった。
その方々は、私の認識では前世の歴史で出光さんの会社と関わりの深い貝殻マークの石油会社だ。
だから、深刻なお顔で「お話しましょうか」とばかりに、少しだけお話することになった。
それにしても、ライバル財閥と対立している筈が、結局はどこかで繋がっていたらしい。私としては(お前らプロレスしているだけかよ)な感想しかない。
そして気の重い話が済んでしまえば、時間の許す限り観光に精を出す。その為に、憂さ晴らしの為にヨーロッパに来たのだ。
私個人としては、定番の観光スポットと、前世で世界一有名な魔法学校関連と、アーサー王ゆかりの地に行ければイベントクリアって感じだ。
定番スポットと魔法学校関連は、ほとんどがロンドン市内。フレミング博士も、ロンドン大学のセント・メアリーズ病院医学校。オックスフォード大学とアーサー王ゆかりの地だけが、ロンドン以外になる。
「それで、アーサー王の墓は行く価値があるのか?」
「私が行きたいの。それにアーサー王は、」
「アーサー王伝説くらい知っている。しかし、オックスフォードも行くのだろう? 経路としてはオックスフォードに行ってから、さらに足を伸ばしてそのグラストンベリーという場所になるのだから、私も行こう」
「えっ? ホントに何もない場所よ?」
私の我儘に、紅龍先生が行くという。つまり全員が来てしまう。それは流石に申し訳ない。何しろアーサー王のお墓に行くのは、一応は建前はあるけれど私の前世のオタクマインド的に行きたいだけ。前世では行けなかった、単なる『聖地巡礼』だ。
「しかし由緒ある場所なのだろう。それに、ロンドンとオックスフォード以外で行ってみたいところと言っても、後はストーンヘンジくらいだ。どっちも似たようなものだろ」
「あっそ。行きたいっていうならお好きにどうぞ。それより紅龍先生は、どこかで講演会するの?」
「ニューヨークからフレミング博士に手紙を出した返事で、是非にと請われている」
そう言っているが少し嬉しそうだ。
しかしフレミング博士つながりなら、オックスフォードじゃないだろう。
「じゃあロンドン大学? オックスフォードは何しに?」
「せっかく英国まで来たんだ。見てみたいだろ、普通」
「まあ、それなりに。けど、ビッグベンとか大英博物館とか、行きたいところ一杯あるんだけど」
「軍事博物館は?」
「そんなのあったんだ」
そう聞くと、ちょうど紅龍先生が見ていた何かの小さな冊子を別の手で指差す。
「これに紹介されている。まあ、医者の私や子供が行くところでもないか。それで、どう回る?」
「講演会は?」
「3日後だ。フレミング博士にも、その日の午前中にお会いする」
「じゃあ、2日間はロンドン観光ね」
「3日目も好きに回ってこい。私のご高説など聞いても、つまらんだろ」
「いいの?」
「気晴らししてこい。まあ、もう不要に見えるが、子供は自分で思っているより心は柔だ。羽を伸ばせる時に伸ばしておけ」
「はーい」
「……なんだ、やけに素直だな」
少し怪訝な、それでいて少しホッとするような表情を見せる。
そんな紅龍先生に、私もなるべく柔らかい笑みを返す。
「人の忠告を聞けれるくらい、ガキじゃなくなったのよ」
「そう言っている時点で、確かに餓鬼ではないな」
そう言って、「やれやれ」な表情と共に頭を軽く左右に振って、さらに肩まで竦める。その通り過ぎたが、子供らしく「イーッ!」と真一文字の歯を見せる変な顔で応戦してやる。
そして反応も待たずに、それまで座っていた椅子を飛んで立ち、1メートルほど先に「スタッ!」と降り立つ。
「さあシズ、観光に行きましょう!」
「畏まりました」
そうしてイギリス滞在2日目、ロンドン観光にいざ出発。
とは言え、ここからは殆ど日曜夕方の国民的アニメのオープニングのロンドンバージョンとなった。
ニューヨークと違って、1929年でも行きたい場所の大半は21世紀とほぼ同じ。しかも、イギリス自身が世界帝国からまだ落ちきっていない時代なので活気も違う。不景気の波もまだ押し寄せてはいない。けど、シティの金融街にだけは絶対に近寄らなかった。
21世紀と多少違うのは、某魔法学校関連の名所くらい。みんなが怪訝に思ったキングス・クロス駅を私一人がウキウキで攻めても、以前一度来ているのに例のホームを探すのにかなり苦労させられた。
また大英博物館だけど、この頃でも1日で回れるものじゃなかった。全部回ろうと思えば、1週間は覚悟しないとダメなのは同じらしい。さすがブリカス。収集癖だけは、カラスも真っ青だ。
他だと、車窓から見た限りだけど、パブと並んでフィッシュ・アンド・チップスの店が沢山あった。ただ21世紀と違い、庶民のもので観光用はない為、私が食べたいと駄々をこねても直接買う事は出来なかった。
それでも使用人が買いに行ってくれたのでありつく事はできたんだけど、ある意味期待通り過ぎてむしろ安心した。
それ以外の食べ物は、基本偉そうなホテルでのフレンチばかり。たまにイタリアンがあるくらい。これはアメリカ滞在中とほぼ変わらない。アメリカでも西ヨーロッパでも、探せば華僑がしている中華料理屋があるらしいけど、私のようなブルジョアが気軽に行けるわけない。
だから日本から持って来た、もしくは送られて来た和食が癒しとなる。
だから食の観光には見切りをつけて、観光地巡りをゴリゴリ進める。滞在4日目は紅龍先生抜きで回ったけど、その後もロンドン攻略を着実に消化。
ただ、イギリス滞在4日目にフレミング博士に会った紅龍先生は、当人からも日本の医学会(東大)が医者は偶然見つけただけで、相応しくないと告げていた話を聞いていた。
しかもフレミング博士は、発見者である紅龍先生を推していた事が、博士の罪悪感から証拠付きで力説されてしまい、紅龍先生の東大医学部憎しの感情を募らせるだけに終わった。
その上フレミング博士は、紅龍先生の他の発見も絶賛しており、ノーベル賞の人達から何か聞かれたら推してくれると自分から言っていたらしい。
当然、合流してからは私に愚痴を言いまくり。何しろ紅龍先生が愚痴を言える相手といえば、私くらいしかいない。
そんな愚痴を聞きつつ、オックスフォードへと転進。
そこでは私も紅龍先生も、全く目的とお目当が違うけど大学施設を堪能。ここは前世でも来た事が無かったので、マジ来られて良かった。
しかも来られたのは、殆ど紅龍先生の名声のお陰だ。
そんな満足感に満たされつつ、最後のチェックポイント、アーサー王の墓があるグラストンベリーへ。
そしてそこで私を待つ人がいた。
「やあ、プリンセス・オブ・フェニックス。随分待ちかねたよ」
アーサー王の簡素すぎるお墓の前で、私に語りかけてきたのは葉巻をくわえたら似合うこと請け合いの不敵な面構えのオッサン、もとい紳士。
その名も、サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル。
「チャーチル、様?」
アメリカではビッグネームなネームド(歴史上の人物)はなるべく避けて通ってきたけど、ヨーロッパは単なる観光と油断し過ぎていたらしい。
けど、向こうから攻めて来るとは予想外すぎた。
(というか、なんでチャーチルが?!)
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貝殻マークな石油の会社:
シェル石油。この場合は、ロイヤル・ダッチ・シェル。一応はロックフェラー(スタンダード・オイル系)のライバルだけど、ユダヤ系なので繋がりがあると想定。実際は知らない(苦笑)。
グラストンベリー:
アーサー王の墓があると言われる場所。一応、オタクの聖地の一つ。だから主人公も行った。
シティの金融街:
シティ・オブ・ロンドン。ロンドンの中心部。19世紀の世界の中心。
様々な名所があるが、イギリスの金融センターがある。
世界一有名な魔法学校関連の名所(1929年に行けそうな場所):
この時代だと、キングス・クロス駅、オックスフォード大学、バラ・マーケット、レドンホール・マーケット辺りだろうか。
キングス・クロス駅
ホグワーツ特急が出発するプラットフォーム「9と4分の3番線」がある。
オックスフォード大学
クライスト・チャーチ・カレッジ(食堂、階段のモデル)
ボウドリアン図書館(ヒロインが使っていた図書館。大英図書館に次ぐ規模がある)
バラ・マーケット
1000年以上の歴史を誇るロンドン最大の市場。
レドンホール・マーケット
ロンドンの金融街、シティの一角にある屋根付き商店街。
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