119 「幽霊船(4)」


(なんだか、タイムスリップもののSF作品のセリフみたい。他意はないでしょうけど、天然で私に対する当て付けとかアンチテーゼね。それともこれは、私のそうした気持ちが見せている夢なのかも)


 期待していた予想とは少し違う言葉に混乱させられる。そして改めて疑問も湧いてくる。


(これは本当は私の夢? それとも幻? 超常現象? それともオカルトの何か?)


「ああ、済まない。一方的に話してしまって。それで、あなたはどうするんだ? ここに留まる気があるのなら、一食分程度の飲食をすればいい。理由は知らないけれど、それで契約成立だ。そして幸いというべきか、あなたはまだ何も口にしていないから、飲食しなければ普通にここを離れられる筈だ。

 でも、たまのことだが、こうして出会って話すまでに何かを口にして、戻れなくなった人もいるんだけど、あの人達はどうしたんだろうか。それが少し気になるんだけど、あなたは知らないだろうね」


 怖い事を平然と口にされた。

 レストランで誘惑に負けなくてよかった。危うく取り返しがつかなくなるところだった。それに死者の国で何かを食べたら現世に帰れなくなるとか、神話の時代からの定番だ。


「ここに誰かが招かれたなどという話は存じ上げませんわ。私が知っているのは、今が1929年で、この船が沈んだのが1912年、私の生まれるずっと前という事くらいですわね」


「へえ、あなたはそんなに若いのか。あ、これはレディに失礼を。いや、ここを訪ねて来る人は、自分が最も望む年代で来るらしくてね。ここはいわゆる死者の国の類なんだろうが、だからこそ虚ろな永遠とでも呼ぶべき場所なんだよ。まあ、船と一緒に沈んだ我々は、そうはいかないけどね」


 そう言って軽く肩を竦める。すごく自然で、普通に生きているようにしか見えない。

 けど、ここは死者の場所で、私は目覚めてしまわないといけない。彼の言う通りなら、そういう事になる。


「そうですか。では、どうやったら戻れますか。もう一度眠れば戻れるのなら、楽で良いんですけれど?」


「どうだろうか。その辺は私も知らない。こうして外の人と話すのも多分数年ぶりで、前の人がどうだったかは思い出せないんだ。多分、この一夜に囚われ続けているからなんだろうな」


(数年ぶり? それが「たまに?」。じゃあ、数名しかここには来てないって事になるけど、帰る人と帰れなくなった人が分かるほど来ている話と矛盾しない?)


 要領を得ているようで、アンドリュースさんの話は整合性が見えてこない。


「あの、数年ぶりということは、過去に数人しかここに来ていないのでしょうか?」


「いいや。私が呼ばれたのが数年ぶりなだけだ。あ、そうそう、ここに来た客人が明確に呼んだ人の一部だけが、一時的にこの一夜の呪縛から少し逃れて、こうして話すことができるみたいだね。だから、客人が来てその人と話したって人は、その人の一族や親しい人が多いようだ。私も沈んですぐの頃は、結構話す機会があったが年々減っていてね。今は、近くの海上を船が通過した時に、時折迷い込んで来るだけらしい」


(つまり、死者と対話する場所って事か。万年お盆な会場みたいなもの? けど、それだとタイタニック号の死者は、天国に行けない地縛霊状態って事よね)


「この一夜から解放されたいとか、この一夜の世界だけでも沈没を避けたいとかは思わないのかしら?」


「最初の頃は、別れを告げられなかった人に会えるのを重宝した気はするけど、出来るならそろそろ天に召されたいとは思う。ただ、こうして過ごしていると、何が現世で何が天国か地獄なのか分からなくなってくるね」


「変えるのは不可能って事かしら?」


「そうらしい。沈没してしばらくした頃に、何度も挑戦した人がいたよ。私も他の人から呼ばれたことがある。でもダメだった。船長でも、どの航海士でもダメだった。全員で挑んでもダメだった。ここは未来が定まった、閉じた場所なんだよ」


「それじゃあ、天に召される方法は分からないの?」


「神父様や牧師様が来て色々してもらったけど、ダメだったね。でもね、徐々に魂というか中身のある人は減っていっているから、そのうち誰もいなくなるかもしれないし、この場所自体が無くなる可能性も十分にあると思う」


 淡々と語るが、諦観すら通り越えた語調と雰囲気だ。そして嘘をついているとは思えなかった。

 それでも、こうして話す機会があったのだから、という気持ちが沸き起こる。


「私が出来る事はないのね」


「そうだね。この近くを通ったら、花の一輪でも海に投げてくれれば。最初の頃は忘れないで欲しいと言った人もいたらしいが、どうやら普通に死ぬより人々に覚えられ、さらに話が広がっていると聞いた。何とも皮肉だけど、それだけ大事件だったと思い知らされたよ」


(そっか。船が沈んだのが、自分のせいだとか思えてしまうんだろうなあ。そりゃあ成仏なり、昇天なり出来ないよね)


「そうですね。私も事件の後で知りました。だからあなたには何も言いませんし、ここで何もしません。けど」


「けど?」


「オリンピック号が引退して解体する事になったら、何か買い取って保存しようかと思います」


「そりゃあ豪勢だね。見たところ東洋の方のようだけど、余程のお家の人なのかな?」


(初めて私自身にまともに興味を向けてくれた。まあ、だからどうだって話だけど)


「はい。その気になれば、船ごと買って長期保存も出来ますよ。何ならしましょうか?」


「アハハハ、そりゃあ面白そうだ。でも不要だよ。退役した後のオリンピック号の記念品の横にでも、タイタニック号という悲運の船があった、みたいなプレートの一つでも置いておくれ」


「分かりました、必ず。それを、私個人にとってのこの船に来た記念にしたいと思います」


「そうだね。我々は何も差し上げる事は出来ないと思うので、悪いがそうしてくれると有難い。それに、久しぶりに辛気臭い話以外の事が話せて良かったよ。ありがとう、東洋からの旅人のお嬢さん。あなたの旅と人生に幸多からん事を」


「ありがとうございます。アンドリュースさんに、一日でも早く永遠の安らぎが訪れる事をお祈りしています。では、さようなら」


「うん、さようなら」


 座りながらアンドリュースさんと静かに会話を続けていると、徐々に意識が遠のく感じがして、最後の言葉を聞いた時点で完全にぼやけてしまった。




「・・・ます。お嬢様、朝でございます」


 次に意識が目覚めてくると、いつものシズの涼やかでクールな声。

 この部屋の合鍵を渡してあるので、鳳の屋敷でのように私をいつも通り起こす。

 そう、いつも通り、日常に戻って来た。

 だから「ガバッ」と一気に上半身を起こす。


「んーっ! よく寝たー!」


「おはよう御座います、お嬢様。・・・っ?」


「どうかした?」


 クローゼットから私の服を取り出そうとしていたシズが、一瞬にして真剣な空気をまとう。何かあったという証拠だ。


「見たことのない首飾りが御座います。どういう事でしょうか?」


 そして怪訝な声。アウトな案件かもしれないけど、私の頭をよぎるのはパンピー的な常識。


「前の人の忘れ物?」


「この部屋に入った折り、不審な物が何もないのは確認して御座います。ここに入っているのも、お嬢様の衣服や身の回りの小物入れだけの筈です」


「昨日、シズが部屋を出てから誰も入って来てないわよ」


「はい。扉が開けられた痕跡も御座いませんでした。どういう事でしょうか」


「何? 手にとって大丈夫」


「見た限り問題はございません。ネックレスです。少々お待ちを」


 そう言ってハンカチを取り出す。

 そして振り向いてハンカチの中のものを、手のひらの上で広げる。


「こちらです。見覚えは?」


 そう言って見せてくれたのは、死者の夢の中のタイタニック号で16歳の姿の私が急いで身につけたアクセサリーだ。特に気にしていなかったけど、冗談みたいに大粒の赤い宝石。多分ルビーだ。そしてそのルビーを中心とした、シンプルだけど細工の凝ったネックレス。ルビー以外に他の宝石は散りばめられていないけど、他に必要ないほどの存在感がある。金属の部分は純金だろう。

 改めて見ると、ちょっと絶句してしまう。


(あの夢の世界で身につけたものだから、具現化でもしたのかな? それならもっと別のものでも出来たのかも?)


 見覚えがありすぎて、つい現実逃避してしまう。


「お嬢様、見覚え御座いますか?」


「ええ、夢で見た事のある首飾りよ」


「夢、ですか。夢の中でお使いになられたと。ですが、どうして今ここに? 夢から持ってこられたり出来るのですか?」


「そんな事が出来たら、今頃私、世界一のお金持ちになっているわね」


「そうもそうですね。それでは、この首飾りはどうなさいますか? 忘れ物として届けますか?」


 いつも通りに戻ったクールなシズの声に、私は首を横に振る。


(乗船記念、それとも記念館を作る為の資金にくれたんでしょう。まあ、記念館でも作った時に、適当に話をでっち上げて展示でもしておけば良いわよね)


 深く考えずにそう思う事にした。


「記念に持って帰りましょう。大切に保管だけしておいて」


「……畏まりました。それよりお着替えを。紅龍様が、すでに談話室でお待ちです」


「あ、はいはい。じゃあ、ちゃっちゃと着替えましょうか」


「はい、お嬢様」



 色々と妙な事はあったけど、良い気分転換にはなった。それに、関係ない事だとはいえ、初めて歴史を変えるなと言ってくれる人にも出会えた。きっと私は、この夢を、この事件を忘れる事はないだろう。


 そんなモノローグを頭の片隅で思いつつ、私の波乱万丈であろう日常に戻る事にした。


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夢の向こうの品は、あまり気にしないで下さい。

某タイタニックな映画で、呪いのブルーダイヤモンドが出てきたので、真逆の色の宝石ってだけです。

この世界には、転生以外にも不思議なことがあるという程度のものです。たぶん。


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気分的には、アメリカを離れる時点かここで一区切りって感じです。

ここから10話かそこらは、欧州あたりをグルグルします。半年間の海外旅行・・・一回くらいしてみたいなあ。


また大西洋横断自体が、外伝に近い話です。

掲載の比較的前に書いていて、毎日連載を継続する為に連載に組み入れました。

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