118 「幽霊船(3)」
「これは失礼を。考え事をしていたので、つい驚いてしまいましたわ。ところで船長さんでしょうか?」
「はい。当船の船長エドワード・スミスです。それで考え事とは、お伺いしても? 長いお話でしたら、よろしければあちらの談話室でお伺いしますが、如何でしょうか?」
そう言って髭面のスミス船長が、私がさっきいた方向を指差す。私に否などない。
「是非。ですが、スミス船長はお忙しくはないのですか?」
「事故でも起きない限り、こうして乗客の話を聞くくらいしか、私に仕事などありませんよ。それにこのタイタニック号は、最新の技術を用いて建造された不沈船。例え私が酒に溺れて眠りこけていても、無事ニューヨークに到着するでしょう」
堂々とそう言い切って「ワッハッハッ」と豪快に笑う。まるで私にではなく、レストランの人達に話すような声の大きさで、客たちもスミス船長の『演説』に聞き入っている。まるで映画のワンシーンでも見る思いだ。
私はその演技臭さにちょっと引いてしまったが、「さ、あちらに」という言葉に誘われるまま隣の談話室へと移動する。
そこでスミス船長は、部屋のボーイに「何か飲み物と軽いものを」と命じて、私にはあくまでレディに対する礼を尽くして席を勧めてくれる。
「さて、飲み物が来る前ですが、お話を伺っても?」
唐突に切り出してきた。そして何か期待を込める目を私に向けているように思う。気のせいと思いたいけど、「圧」が強すぎる。
だから気圧されないように注意しつつ、思っていた事を口にする。
「はい。考え事と申しましたが、私が気になるのは、この船がいつまで浮いているのかと言う事です。帰れなくなったら困りますので」
「ハッハッハッ、面白い事を仰る。1日半もすれば、我々乗組員はともかく、あなたを含めて乗客の皆様は船を降りていらっしゃいますよ。そうすれば、当船が浮いている事を気にされる必要もありますまい」
(うーん、誘いには乗ってこない。てことは、この人はシロって事? まあ、続けてみよう)
「確かにそうですわね。変な事を申し上げ、大変失礼しました。ですが、気になりますの。占いに、そう出ていましたので」
「占いで、この船が沈むと? ちなみにどのように、いつ沈むと、その占いには出たのでしょうか?」
「本日の日付が変わる少し前、月が天頂に差し掛かる時、大いなる災いがこの船を襲い、教会の朝課の鐘が鳴る頃に船は多くの贄(にえ)と共に果てるだろうと」
「ふむ」そう呟くと、スミス船長が少し考え込んでから口を開いた。
「随分具体的ですが、肝心のところが曖昧(あいまい)ですね。大いなる災いが何か、分からないのですかな?」
思惑通り誘いに乗ってきた。だからこちらも、少し演技を強めてあげる。
「確かな事は言えませんが、数時間でこの大きな客船を沈める程の災厄となると、限られていますわよね」
「その通りですな。一撃で沈めるなら、戦艦の砲撃くらいが必要でしょう。もしくは中型以上の他の船を、横腹にぶつけるくらいしなければ、沈めたくても沈まないでしょうな」
「……大きな氷山は?」
「氷山ですか? 確かにこの時期は北大西洋航路で氷山の目撃例が多くなります。ですがご安心を。今回の航海では、念のため少し南側に航路を取らせております」
(資料にあった証言通りの言葉しか出てこないなあ。ここまでか)
「そうでしたか。要らぬ心配のあまり占いまでして余計に心配になっていましたが、スミス船長のお言葉で安心しました」
「それは何よりです。しかし、一つ腑に落ちない点がありますが、よろしいか?」
「はい。お答えできる事でしたら」
「今日は月は殆ど見えておりません。それに天頂に差し掛かる頃というのも、月の廻りから考えると変です。何かの暗示でしょうか?」
「分かりません。素人の占いですので、お気になさらないで下さい。それより、こちらからも一つよろしいでしょうか?」
「何なりと」
「この船を設計された方が乗船されているとか。是非お会いして、この素晴らしい船の処女航海に乗船できたお礼をお伝えしとう御座いますの」
「なるほど、分かりました。美しいご婦人からそのような言葉を聞けば、アンドリュース氏も大いに喜ばれる事でしょう。誰か、アンドリュース氏の所在場所を調べてくれ。すぐにだ」
言葉の後半で人を手で呼び、そうしてキビキビと命じる様は確かに船長の貫禄と指揮能力を感じさせる。
けれども話した限り、この人は私を呼んだ人じゃないと改めて思えた。誘いの言葉にすら乗ってこないので、あくまで沈没前の時間に囚われた状態とでも考えるべきだろう。
そう思いつつも、アンドリュース氏の所在が分かるまで、少しの間スミス船長との他愛のない歓談を続ける。
その間も、スミス船長が何か変わった事を言うことは無かった。
そして意外に長く待たされると思っていたら、船員に連れられて二人の男性がやってくる。一人は、タイタニック号の設計者のトーマス・アンドリュース。そしてもう一人は、ホワイト・スター・ライン社長ブルース・イズメイさんだ。
(面白い。どう反応するか見ものね)
生存者と死者が両方やってきた。これは見ものだと思い、最初の挨拶は少し遅めを心がけた。
「やあ、スミス船長」
「これはミスタ・イズメイ。どうされました?」
「いや何、アンドリュースを呼びにきた船員が、スミス船長がお呼びと聞いて、君の顔でも見ておこうかと思ってね。では行こうか」
言うが早いか、イズメイ社長は船長に移動を促す。
そう、まるで私がいないかのように。
だがスミス船長が、イズメイ社長と私の両方に視線を向け、そして私を腕で指す。そう、スミス船長には私が認識できている。そして恐らく、アンドリュースさんも同じだ。仕草や行動が私に反応している。
「いや、待って下さい。ミスタ・アンドリュース、こちらがあなたに会いたいというお嬢さんだ」
「初めまして、レーコと申します。本当に素晴らしい船ですね。感動のしっぱなしですわ」
「初めましてアンドリュースです。そこまで喜んで頂けるとは、設計した甲斐があったというものです」
そしてそこで握手。そう言えば、この船に乗って、無線室以外で、能動的に他人と接するのは初めてだ。
そう思いつつもイズメイ社長を観察する。当然、怪訝な表情だ。
「二人とも、何をパントマイムで遊んでいるんだ? それは私への何か見せ物なのかな?」
「はっ?」「えっ?」と、こちらも当然の反応。
思えば、もっと早くこのパターンの状況を、別の誰でもない人で確かめても良かったかもしれない。けど、この船の事実上のトップ3だから、いきなりゴールでも問題はないだろう。
そう思いつつ、私は悠然と構えて3人に順番に視線を向ける。
二人は私を認識できているのが分かるが、もう一人は目を白黒させている。「わけがわからないよ」と顔に書いてあった。
そしてようやく、他の二人も事態に気づく。
「ミスタ・イズメイには、このお嬢さんが見えてないのか?」
「そんな筈ないですよね。握手もしたんですから。あの、レーコさん?」
「はい。わたくしは、ちゃんとここに居ますわよ。そちらの方が、変なのではないでしょうか? 何しろ、あと3時間ほどしたらこの船から逃げ出す方ですもの」
そう言い切った私の言葉に、死者の二人の表情が大きく変化する。最初は驚き、そして少し歪む。その歪みは徐々に大きくなる。
一方のイズメイ社長は、全く状況が理解できずに混乱するばかり。「何がどうなっているんだね?」「担ぐのも大概にしてくれたまえよ」などとしか口にしていない。
その時だった。
「やはりそうだったのか」
混乱するイズメイ社長を尻目に、少し俯いていたアンドリュースさんが、暗すぎる言葉を吐く。
雰囲気も一気に変化した。どうやら彼が、犠牲となった1513人の代表のようだ。船の設計者なら、代表者に相応しいだろう。
そしてアンドリュースさんの言葉と同時に、イズメイ社長が動かなくなる。まるでよくできた蝋人形のように。この談話室にいる何名かも同じだ。
それ以外の人はそのまま動いているのだが、別に状況に対して驚いてはいない。
しかし、何かがおかしい。まるでゲームのモブキャラのように、決まった反応しか示さなくなっている。さっきまで話し、驚き混乱していたスミス船長ですら例外ではなくなった。
一方でアンドリュースさんは、静かに私と同じテーブルの椅子に腰掛けて対面する形になる。もはや船長も社長も見ていない。私だけを見ている。
そして軽く頭を下げた。
「まずは謝罪を。そして私の話を聞いてはもらえないだろうか」
「ちゃんと元の場所、元の時間に戻して下さるなら」
「それなら問題ない。あなた自身は、ちゃんとオリンピック号の船室で眠りについている」
「ではこれは夢ですか?」
「だと思う。曖昧ですまないが、夢だとしても私の夢かあなたの夢か、それとも別の第三者の夢なのかも分からない。ただ、私はこの場を通る人に呼びかけるのだが、たまに応えてくれた人が訪ねてきてくれる。今回はあなたという訳だ」
(この場って事は、今オリンピック号がタイタニック号の近くの海上を航行中って感じなのかな?)
「多分、思っている通りの状況で問題ないと思う」
表情に出ていたのか、考えを見透かされた。
まあ、状況が多少分かったのなら、私の聞くべき事は限られている。
「そうですか。それで、私に何のご用? それとわたくし、普通に目を覚ますのかしら?」
「過ごしたければ、ここで永遠の1日を過ごし続けてもらって構わない。呼びかけに応じてここを訪れる客人は、皆現実から逃れたいと思った人だ」
確かに私は現実逃避したかった。けど、こんな空虚なところで同じ一日を繰り返すとか御免被る。
だから強い語調で問い返す。
「では、私に何かをして欲しい訳ではないのかしら?」
私の問いかけに少し寂しげに失笑した。
「何か出来るのなら、そりゃあ時間を遡ってタイタニック号の沈没を防いで欲しいに決まっている。しかし、出来ない事も知っているし、してはいけない事も分かっているつもりだ。何が起きるのかを知っている者が歴史を変えるなど、冒涜もいいところだろう。そうは思わないかい?」
彼の言葉は、まるで歴史を捻じ曲げてきている私に対する言葉のようだった。
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教会の朝課の鐘が鳴る頃:
「朝課」は午前二時くらい。中世の頃の時間。
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