107 「ニューヨークに行きたいか?!」

 9月20日、ついにニューヨークに到着した。

 ナイアガラの滝を見たあと東に向かい、紅龍先生が何度も講演会をしないといけない古都ボストンに到着。と言いたいところだけど、アイビーリーグの8箇所を四国のお遍路さんのごとく巡らないといけない。

 しかも、8校以外にも訪問して欲しいと請われて紅龍先生が安請け合いしたので、さらに訪れる大学は増加。おかげで、約2週間かけて行脚する事になった。

 紅龍先生の体調が気になる程だけど、当人は気疲れこそしているけど体はいたって健康。自分自身で、頑丈な体が少し恨めしいと愚痴をこぼすほどだ。


 一方の私達は、大学行脚に付き合っても仕方ないので、紅龍先生を見捨てて先にニューヨークに行っても良かったけど、急いで行く必要もないのでボストンやフィラデルフィアなどの街の見物などしつつ、ノンビリと過ごした。

 その間、誰か歴史上の人物に会えないかと、東京にいる間に調べてもらったが、興味のあった人はいずれも見送った。

 発明王エジソンは存命だったけど、晩年はオカルトにのめり込んでいたという話を覚えていたので、会わない方が主に私の為だろうと考えて断念。

 有名人だと大西洋横断のリンドバーグ辺りはすぐに思い浮かんだけど、調べると新婚ホヤホヤなので押しかけるのはよくないとこれも断念。それに、どうせ数年後には訪日する。

 当然だけど、政治家は全員却下。今会うのもまずいし、主に私の心が持ちそうにない人がチラホラいる。


 一方で、私のビジネスの相手となる人達も、私がニューヨークに踏み込むまでは接触する気は無いらしく、比較的ノンビリと過ごす事ができた。

 もっとも、何もしないわけでは無い。

 予め私が顔を出す事になっている紅龍先生の為のレセプションやパーティーがあるので、それには顔を出す。そして基本的には道化を演じておくが、たまに本当の言葉を私と話す物好き達に言いふらす。

 また一方で、時田とセバスチャンが、鳳が株から全降りして大きな買い物の為の商談に動いていると話して回る。一部では、私抜きで商談の前段階の顔合わせのようなものもした。

 そんな行脚をしつつ、ようやく目的地のニューヨークだ。



「流石世界一の都会ね」


「……はい、そうで御座いますね」


「あまり驚かれておられないようですな」


「まあ、夢で何度も見ているから」


 私の感想に対して、シズは完全にニューヨークの街並みと喧騒に圧倒されていた。時田は何度も来ているので慣れたものだけど、その時田は私に少し驚いている。

 まあ、この時代の普通の日本人なら、ニューヨークのマンハッタンの中心部に立って驚かないわけない。

 けど、私からしたら、むしろショボいくらい。

 何と言っても前世の記憶で、大都会には慣れっこだ。ニューヨークも観光で来た事がある。


 確かに高層ビルが壁のように並んでいる。何やら見覚えのある高層ビルもチラホラと見受けられる。

 道には市電以外に無数の車が走っている。まさに、これぞ都会と言える光景だ。ここと比べたら、今の東京など田舎町も良いところ。


 ただ前世の記憶で知っている建物は少ない。流石に前世の記憶にいつ出来たかという記憶はあんまり無かったので、この後の時代を含めて調べた事があったけど、あと5年ほど経ってから訪れたら、おなじみの建物に出会えていた。

 1929年初秋の時点では、二つのとんがった超高層ビルのエンパイアステートビルとクライスラービルが競い合いながら絶賛建設中。

 クリスマスツリーで有名なロックフェラーセンターは、確か大恐慌の後から作り始めている。

 なお、鳳ホテルのクリスマスツリーも、私がこれを覚えていたので先取りして行ったようなものだ。


 他に、映画でも有名なティファニー本店は、1940年開業なので存在すらしない。ニューヨークの代名詞と言える場所の一つタイムズスクエアにも行ったけど、21世紀に見たイメージとは少し違っていた。看板やネオンだけの差でもないだろう。

 一目で分かるのは、自由の女神像とマンハッタン橋、ブルックリン橋くらい。というか、橋が両方とも既にあるとか、かなり驚きだ。


 そうした中で、ブロードウェイ・ミュージカルを少し楽しみにしていた。私でも知っている「ショウボート」がちょうど公演しているからだ。

 もちろん人種差別を考えないといけないけど、金を積んでボックス席に入り込めば問題ない。ビバ金持ち。


 さらに私はお金持ちなので、滞在先はホテルではない。

 フェイクを含めて3ヶ月程度の滞在予定なので、郊外の別荘を借り切って拠点としている。

 もちろんニューヨークには、鳳グループの鳳商事、鳳ホールディングスのアメリカ支店があるので、鳳の物件や施設も相応に揃っている。社員の邸宅を丸ごと借受ける案もあったけど、どうにも貧乏くさい。

 かと言って、豪華ホテルのワンフロアを長期間借り上げるのは少し露骨で、周りからもあまり良い目で見られない。

 それにずっと都会の中も窮屈なので、郊外の別荘を買い上げて滞在先とした。もちろん無駄遣いする気はなく、私が日本に帰ればグループ社員の保養施設になる予定だ。

 

 そうして臨時の邸宅で数日滞在したけど、アメリカの『王様』達からの正式な招待も訪問もない。かろうじてモルガンの使者が一度訪れて、私の元に挨拶に伺うと伝えてきたのみだ。


「もう待てない。一度、ウォール街に行きましょう」


「はい、畏まりました」


 部屋でしびれを切らした私に、シズが恭しくお辞儀をする。




 そうしてお付きと護衛を連れてニューヨークの中枢部、ウォール街へと足を踏み入れる。そしてさらにニューヨーク証券取引所へ。そこは喧騒の中にあった。

 何しろ9月3日のピークを境として、ダウ・インデックスは『祭り』の最高潮を迎えていた。ケネディ大統領のお父さんの創作と言われる逸話で有名な、靴磨きの子供ですら株に興味を持つ状態だ。

 しかし9月3日以後は、微妙な下げを記録していた。

 そして9月26日にイングランド銀行が金利を引き上げ、アメリカにあった資金がイギリスへと流れる。これで瞬間的な大幅な下落が発生。一瞬私も焦ったほどだけど、320ドルを底値として再び上昇へと向かい、人々は「永遠」は続くと安堵した。

 今は360ドル台をピークとして小幅な値動きが続いている。

 そして市場は、次にいつ上がるのかを今か今かと息を飲んで待っているような雰囲気。まさに祭りのクライマックス直前。


 そうした中で、株を全部売り払ったフェニックス・ファンドは、不気味な存在だった。

 320ドルに落ちた時にも買い戻しをしていないので、一時的であれ株から完全に手を引いたとは見られていると時田が報告していた。

 だがセバスチャンの情報網からだと、いつ買いに戻るか分からないと見られているらしい。

 そしてこの5年間、ダウ・インデックスのメインプレイヤーの一人だったフェニックスがゲームに戻る時、それは次の上昇カーブへの号砲になるのではないかとも見られているらしい。


(3年ほどは株を買う気無いんだけどねー)


 他人事のように思いつつ、証券取引所の中心部を見下ろす。しかし頭の片隅では、もう一つの考えが渦巻いていた。

 (もし、私が大量に買い込めば、市場をある程度維持できるんじゃない?)と。

 そこまでは無理でも、軟着陸や下落幅の抑制などできるのではとも考えてしまう。何しろ今の私には、膨大なドルがあった。本当に膨大な金額だ。


 何しろ20億ドル(40億円)の大金だ。


 このうち1割は日本に色々手を尽くした上に、大蔵省などと調整しつつ時期をかなり分散して送金して、鳳グループ、鳳ホールディングスの運営資金に回っている。

 更に言えば、今までに儲けた1億ドル分ほどが、これまでに別口で日本に戻っている。鳳を立て直し、青田買いをし、鈴木を飲み込むなど、私が日本で好き勝手してきた資金だ。

 更に日本では、アメリカの株を担保に数億円が調達されているので、既に日本経済を引っ掻き回している。


 それはともかく、別の1割ほどはこの頃はあまり誰も注目していない金(金地金=純金)に1年ほどかけて交換し、日本とスイスの銀行に合わせて半分を送った。残り半分は、アメリカで最も安全な場所を中心に保管されている。これでスイスの口座の純金は、元々の5000万ドルを含めて二倍に膨れ上がった。

 5億円分の金地金は、この頃の日銀が保有する金地金の半分にも相当する。

 そして全体の15%、3億ドル分を、アメリカ国外に持ち出す事に成功していた。逆に、残り85%はアメリカに留め置かれている。


 85%のうち、5%は純金に、5%は鳳ホールディングスのニューヨーク支店に。残り75%・15億ドルはフェニックス・ファンドの口座名で、アメリカ中の大銀行に。いわば人質で、これを使う予定だと宣言しているに等しい。


 21世紀のように、お手軽に様々なペーパーカンパニーを介して海外の口座に溜め込むことは無理だ。そもそもこんな大金を不用意に日本に送り込んだら、日本のお金を巡る問題が大変な事になる。金本位制だからと安心もできない。

 日本の円価不足で、日本の貿易を殺してしまう。私は海外亡命するしかなくなるだろう。


 段階的とは言え15%、日本には12・5%を動かすのも大変だった。政府と海軍には、相当お世話をかけた。けど、その分政府や政治家には献金したし、海軍には重油を沢山贈りつけた。そして、こういう事が分かる山本権兵衛がまだご存命で本当に良かった。

 それでも、私の予想より多い15%を動かせたのは、日本経済が予想していたより堅調なおかげで、受け入れるだけの許容量があったからだ。北樺太保有もそうだけど、何より昭和金融恐慌の未発が効いている。

 それに一部を純金にしたのも大きい。金はドルでも円でもないからだ。


 ちなみに、私の前世の日本の1929年の名目GNPは、前世の記憶をクリアしたものが確かなら約160億円。つまり約80億ドル。日本の預貯金総額が85億円から90億円程度。総資産額は約3300億円。

 そして、この世界の日本は、この数字より1割から2割大きい。

 総資産額はリアルタイムでの計算が面倒くさいので置いておくとして、私が持っている20億ドル、40億円は、日本人が銀行に預金している金額の4割近くにも達する。

 例えにも比較にもならないけど、21世紀に日本の預金総額が1000兆円程度と言われる中で、400兆円の自由になる現金を持っているのと同じと言う事になる。

 アメリカだと、ただのビッグプレイヤーの1人だけど、日本だと国家予算を上回る天文学的単位のお金だ。しかも黄金に直結したドルだ。

 そして元手とした金以外は、泡銭(あぶくぜに)だ。




「姫、何をお考えかな?」


 声の方を見上げると、私の護衛でアメリカくんだりまで来る事になった八神のおっちゃんだ。

 言葉自体は、大人が悩みを聞いてあげような感じだが、表情が全然そうじゃない。そしてそれは、八神のおっちゃんらしかった。


「ここから見ていると、何でも出来そうな気がしてね」


「流石は姫。ですが、慢心は禁物ですぞ」


 同じようにワンさんも私を諌める。そんな表情をずっと浮かべていたんだろう。こういう時、中立的というか一歩引いた場所で見ている人の意見は貴重だ。

 シズくらい私に近い立ち位置だと、場合によってはゴーサインを出してくれたりする。けど、私の命を預かっている二人なら、ダメならダメと引き下がらせるなりしてくれる。

 そう思い一度深呼吸する。


「二人ともありがとう。ちょっと舞い上がっていたかも。こんなところから世界を動かしている現場を見ていると、神様にでもなった気分になるわね。私はこんなに小さいのに」


「分を弁えていれば、足を踏み外す事もないだろ」


「時として迷う事も肝要。ですが、一人で悩まれる事なかれ。臣めらが付いておりますれば」


「お嬢様が足りぬところは我ら使用人が補いますので、望む道をお進み下さい」


 マッチョ二人どころか、シズにも心配をかけていた。

 もう溜息でもして誤魔化すしかない。


「ハァ、私もまだまだ子供ね」


「はい、その自覚をお忘れなきように」


 二人以上に思っていたらしく、シズには追い討ちまでされてしまった。

 その通りだけど、もう苦笑しか出てこない。こういう時は、心の方向転換に限る。


「あーっ、もう! こんな魔窟にいても気が滅入るわ。もっと開放的なところに行きましょう!」



____________________


アイビーリーグ:

アメリカ東部の名門大学の通称。

米国の政財界・学界・法曹界をリードする卒業生を数多く輩出している。


ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ハーバード大学、ペンシルベニア大学、プリンストン大学、イェール大学



ニューヨーク証券取引所:

1世紀以上の間、世界を動かしている場所。特に1929年前後はその傾向が強い。

そしてここから地獄が始まり、WW2へと堕ちていく。

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