106 「ピーク」

「初めましてヘンリー・フォード様、鳳玲子と申します」


「初めまして、鳳のお嬢さん。ヘンリー・フォードです。遠いところをお疲れ様。あなたの大叔父のトラは元気にしていますか?」


「はい。今は国で、私がフォード様から工場を買って戻るのを待ちわびています」


「ハハハっ。彼らしい」



 そんな感じで、私は今デトロイトにいます。

 しかもネームド(歴史上の人物)上位と言えるヘンリー・フォードその人と対面中。

 両脇には実質的な交渉事を行う時田とセバスチャンを連れているが、最初の挨拶は鳳伯爵家の名代として私が務めている。


 そして今いる1929年のデトロイトは、まさにアメリカを象徴する街の一つ。フォード、ゼネラル・モータースなど、自動車会社がしのぎを削る、まさに自動車の街、モーターシティだ。

 そしてその王の一人というよりも、初代王とでも呼ぶべき人が、ヘンリー・フォードその人。

 大量生産技術を始めとして、20世紀の資本主義を完成させた一人だ。その考えは「フォーディズム」と当人の名前を冠して名付けられており、鳳も虎三郎が事実上の弟子入りをするなど、積極的に取り入れている。

 

 なお、鳳虎三郎は日露戦争の前に渡米して、足の向くまままだ小さな会社だったフォードの門を叩き、そしてフォード自身に気に入られ入社。フォード社の東洋人初の社員、というより下っ端の工員となった。


 歴史の教科書にすら載っているT型フォードを作る前で、世界大戦(第一次世界大戦)での事業拡大のため鳳本家から戻るように強く言われるまで、10年以上もフォードの工場でせっせと一社員として働いていたそうだ。辞める頃には、かなり偉くなっていたと自慢話を聞いた事もある。しかも身分その他を一切隠して普通に働いていたと言うのだから驚きだ。


 そして事情を話して日本に帰る際、退職金代わりだとT型フォードを大量に持たされて、そのまま日本支社を作るように託された。

 その後、正式に日本でのフォードのノックダウン生産先として鳳財閥が指名されている。

 そして虎三郎は、その傍らで学んできた技術を活かして、鳳自身でのトラックや自動車などの開発・生産に乗り出して今に至っている。


 さらに虎三郎は、このフォード氏とペンフレンドだ。だから今回会いにきた時も、私は虎三郎から手紙を預かってきている。そして虎三郎の手紙を渡し、社交辞令な挨拶を交わしたら私の出番は終わりだ。

 あとは大人の話になるので、時田とセバスチャンを残して、シズに連れられて別室に下がる。

 それに時田は、何度か渡米した際にフォード社とは何度もビジネスパートナーや顧客として交渉しているし、一度はフォード氏と直に会っているので任せて問題ない。

 というより、フォード氏が私の化けの皮について問うてこなかった以上、大人の話に触れないのがマナーだろう。

 私のある意味暗い面に触れなかったという事からも、フォード氏が善きアメリカ人の一人なのだと実感する。


 

「それで、フォード氏とのお話はどうだった?」


 帰りの車の中、二人に問いかける。私はシズの膝の上だ。


「今年の春にGMの株を全部売り払っていた事もあり、交渉はうまくいきました。とはいえ、本日は挨拶程度ですな」


「セバスチャンの?」


「はい」


 時田は短く答え、セバスチャンも澄ました表情のままだ。だが一応聞いてやるのが義理だろう。


「そっか。けどセバスチャン、私の側にいたいんだよね?」


「左様に御座います。ですが、真に認めて頂く為にも、今は実績を積みたく存じます」


 私が完全に認めてないのを良く分かっている。私が認めているのは時田の人を見る目であり、確かにセバスチャンはまだ保留だ。

 それに、やたらと慇懃なのがちょっとキモい。結構適当だったり素に戻る事もある、八神のおっちゃんやワンさんとここが違う。


「あっそ。けど、頑張るんだったら、最長で3年はアメリカ駐在よ」


「お嬢様に御目通りするまで3年かかりました。もう3年程度、短いものです。しかし3年ですか?」


 3年という予言に近い言葉に、セバスチャンが少し驚いている。これから起きる経済の激変の予言に近い言葉だと、正確に理解していると分かる驚き方だ。

 しかし一瞬の事で、すぐに澄ました顔に戻り、言葉の最後には精力的な笑みへとさらに変わる。

 このセバスチャン、21世紀ならハゲタカ・ファンドとして辣腕を振るえた事だろう。


「そうよ。しかもハゲタカみたいな事をする羽目になるかもだけど、構わない?」


「お嬢様が気にされる事では御座いません。ただ、やれとお命じ下さればよう御座います」


「それは盲目すぎ。まあ、非合法な事は頼まないから、程々にね」


「お心遣い痛み入ります」


 前後の車両に乗っている八神のおっちゃん達以上の過剰演技に、少し毒気に当てられそうだが、私の駒になってくれるというなら受け入れるのが主人の務めと諦める。


「まあ、その態度が2ヶ月後も保てるなら、もっと信頼してあげる。とりあえず3日後を注目してちょうだい」


「その件ですが、宜しいでしょうか」


 今度は時田だ。しかも声色がビジネスモードになっている。

 そして何を話そうとしているのか、私も察しがついている。


「最後の売り抜け?」


「はい。残り1億ドルほど。といっても元手が約1億ドルですが、これを380ドル台に迫った8月末に入った頃より、分けて全て売りに出しております。最後の売り抜けは9月に入ってする予定ですが、既にそのアナウンスなども済んでいますので、市場は興奮に満ちていますな」


「どれくらいになるの?」


「27年辺りに150から160ドルで買い増した分になりますので、単純計算で240%程になるでしょうか。税金、手数料などを引くと、約2億ドルといったところですな」


「我ながら途方も無い金額ね。けど、これでまだ市場が上がり続けるのなら、私達はとんだ道化ね」


「はてさて、どうなりますやら」


「最初の歴史的光景、実に楽しみです」


 セバスチャンがそう言った時の光景は、私達がちょうどナイアガラの滝を眺める日にやってきた。

 アメリカ、ダウ・インデックス株が、私の前世とまったく同じ日に最高値381ドル17セントの値で取引を終えたのだ。

 私、というか鳳がゲームに介入しているのに、私の前世の歴史とは違いがなかった。予言なり夢が当たったと喜ぶべきなのだろうけど、世界経済を動かすのは無理だと歴史に宣告を受けた気分でもあった。

 しかし、そんな私の内心を知らない者は、少しばかり興奮していた。



「ここからは、この滝と同じですか?」


「さあ、どうかしら。私はただの妄言を言っているだけかもよ」


 あえて悪役っぽく振舞って見せるが、せっかく前世を含めて二度目のナイアガラの滝を拝んでいるというのに、今ひとつ気分が乗らない。


「とてもそうは見えませんが?」


「預言者や詐欺師は、他人には自信に満ちた態度を見せるものよ」


 そう言って軽く肩を竦める。

 そうすれば、アメリカ人であるセバスチャンも少しばかりオーバーなリアクション付きで返してくれる。


「確かにおっしゃる通りです。それにしても、預言者と詐欺師が同列なのですね」


 今日も私の相手を主にしているセバスチャンが、面白そうな声色で返す。

 だから私の返事は決まっている。


「アラ、違ったかしら? けど、本当に詐欺で終わればいいのだけれど」


「では、明日の市場に願いを託しますかな?」


 同じように後ろに控えていた時田の声も、どこかいつもの平静さが欠けている。

 だからだろうか、私はあえていつも通り振舞うことにした。「じゃあ、願掛けで滝にコインでも投げてみましょうか」と。


 ただ思ったのは、(大統領になる人のお父さんって、いつ頃株売ったんだろ)という別の、どうでも良いような事だった。



 そして翌日、ナイアガラの滝の近くのホテルでゆっくり一日過ごしたけど、その日の夕刻にもたらされた情報は、ある意味残酷だった。

 ダウ・インデックス市場は、昨日の値を超える事はなかったからだ。

 そして昨日の値を超えるには、私の前世と同じ値動きなら1950年代半ばを待たねばならなかった。


________________


約2億ドル:

約4億円。平成円で3000から4000倍の価値。平成円で1兆円を楽勝超える金額になる。

しかもこの頃の日本の国家予算の約5分の1。

しかし、当時のアメリカではそこまでの大金じゃないという落差。

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