096 「旅立つ準備」

「それで、他にも話があるんだったな」


「あ、はい。以前から少し話していた長期渡米の件よ」


 話が少し軽い話題になったので、ここで口調を変える。

 そうじゃないと、ちょっと神経が持ちそうになかった。


「どれくらいを予定している?」


 曾お爺様の質問に対して、少し考えるそぶりを見せてから考えていた事を舌の上に乗せる。


「移動を含めて3ヶ月程度くらいは。春休みに色々見てきたけど、今度は世界を見てきたいって思っているの。春の旅で、私は何も知らない事を知ったから」


「……その年でそんな言葉を吐かれたら、保護者としては旅に出させるより他ないよなあ。良いだろ、父さん」


 曾お爺様より先に、お父様な祖父の好意的な返事が聞けた。フリーハンドと思って良いだろう。

 しかし曾お爺様は少し難しげな表情を浮かべる。


「3ヶ月か。まあ、お前に小学校の学業は不要だし、次の進級までに戻るなら良いだろう。幾らでも、飽きが来るくらい見てきなさい」


「十分に護衛なり準備しないといかんがな」


 お父様な祖父が、ついでと言った感じで相槌を打ったのだけど、私には違和感があった。


「護衛? 私、そんなに危ないの?」


「そうだなあ、鳳の中枢の人間は誰でも似たくらい危ない。だから春の旅行で護衛を付けただろ」


「はい。少し驚いたけど、特に何もなかったわよ」


「帝都ほど安全じゃないが、国内だからな。しかしだ、アメリカ行きだとそうは行かんぞ。知ってるか? この年の二月に、アメリカのシカゴって街で、ギャング同士が銃を使って派手に殺しあったそうだ」


(おっ、『セントバレンタイデーの虐殺』だ。そっか。アメリカは禁酒法で、アル・カポネの時代だったなあ)


 そう思いつつも、口にしたのは別のこと。


「だから護衛も必要なんだ。あ、けど、私が行く方法だと、一度にあんまり行けないの」


「なんだ、飛行機でも使おうってのか? 悪いが、飛行機で太平洋横断はまだ無理だぞ」


「ううん、違うの。ドイツの飛行船。この夏に世界一周で日本にも立ち寄るから、それに乗りたいなーって」


「おお、ツェペリンの飛行船か。それなら俺も乗りたいぞ!」


 お父様な祖父がノリノリである。やっぱり、男は空を飛ぶのが好きならしい。


「飛行船が日本に来る話など、聞いた事ないが?」


 曾お爺様は、お年のせいかそうでも無かった。


「夢に出てきた話です。夏前にはヨーロッパの方で動きがあるから、切符を取って欲しいの。ただ、少ししか乗れないから」


「ああ、確か客は20人だったよな、あれ。となると、お前ともう一人くらいだな。まあ、時田で良いだろ」


「時田はもうアメリカよ」


「そうか。そうだったな。では他に誰かいないか?」


「そうだよなあ。子供一人を乗せるわけにはいかんよな」


 3人して考え込む。意外な盲点だった。

 とりあえず私が提案してみる。


「誰かグループ内の有力社員の人で、アメリカでの用事などを作ってもらえれば良いんじゃない」


「そうはいかん。玲子、お前と親しく、知識と教養、できれば最低限お守り出来る能力のある者でないと託せるか」


「時田以上の適任はいないんだがな。鳳投資の社長で、十分重要人物扱いだし」


「それにだ、一族の者が乗らないのに、先にグループ社員の誰かが空の旅とか、風聞悪くないか?」


(それは、ちょっと嫉妬ありだろ、麒一郎)


 少し意地悪な笑みを浮かべつつお父様な祖父の言葉を聞く。

 けど確かに、今まで空を飛んだ鳳一族の者はいない。そもそもごくわずかなパイロット以外だと、日本人全体でも実質初めてだ。

 しかし、私以外でわざわざ渡米する用事のある者など、と考えると一人ヒットする人がいた。


「それなら、紅龍先生、もとい紅龍叔父様が良いんじゃない? 確か欧米から講演会に来てくれって手紙が何度かきてたでしょ」


「ノーベル賞合わせか。しかし、受賞を逃すと間抜けにならんか?」


「じゃあ招かれている大学の下見って名目を付ければ?」


「そういえば、そんな話もあったな。フム、紅龍は武道も多少は嗜(たしな)んでいるし、数日間の狭い船内での空の旅のお供くらいは務まるだろ」


「うむ。良いだろう。講演会などの根回しも、あっちの支社にさせておこう」


 それで話は決まったが、お父様な祖父が「それにしても」と少し残念なものを見る目で私を見る。


「あの紅龍とすら仲良くできるのに、なんで玄二はダメなんだ? あれと普通に話すくらい、一族の中では一番楽な方だろ」


「むしろ異端同士だから紅龍と玲子は仲良くできるんだろう。ん?」


 曾お爺様も、大概な評価をしてくれる。反論できないのが、ちょっと悔しい。


「玄二叔父様が嫌いってわけじゃないのよ。けど、あの人がグループの上に立ったら、ほぼ確実にダメになるのよ。二人も分かっているでしょ?」


 そう言い切ってやると、二人とも「せやな」的な表情をする。私も、玄二叔父さんに邪魔するなと言っただけで、直接ダメとは言ってないので似たようなものだけど、曖昧なのは良くないと思う。

 そして曾お爺様もそう思ったようだ。


「あいつも、子供の頃は息子の虎士郎のように芸術家になるとか言っていたんだが、虎士郎と違って才能がなくてな。それでも麒一を盛り立てると気を取り直していたんだが、巡り合わせが悪いとしか言えん」


「へーっ、そうなんだ。それなら趣味の道なりに戻ってくれればみんな幸せなのに」


「言い過ぎだぞ。こないだも、玄二には面と向かって言いすぎだろ。……それにしても玲子、お前ってちゃんと子供だったんだなあ」


「なっ! 子供に決まってるでしょ。そりゃあ、早く大人になって色々しないとって思っているけど、こればっかりはどうしようもないでしょ!」


 子供だからこそ遠慮がないんだという、お父様な祖父のあんまりな言葉に思わず声が高くなる。

 しかしそれすら曾お爺様には、溜息されてしまった。


「早く大人になりたい、ではなく「大人になって」という時点で、あまり子供の言葉ではない。外では気をつけなさい」


「は、はーい」


「しかし、そうも言っていられないか。良いか玲子」


 一転して、曾お爺様が口調と姿勢をただす。

 私もそれに応じて姿勢を正し、曾お爺様の方を向く。


「お前に今回の渡米もしくは渡欧での、鳳一族の決定権を委ねる。そしてその結果を考慮して、今後のお前の立ち位置を決める」


 ここはいつもの意図的なタメ口な子供言葉ではなく、相応の口調にしてきちんと指を揃えて頭も深く下げる。

 これで私も少なくとも鳳一族の中では一人前になれる。そうは思ったが、疑問があるので言葉を続けた。


「謹んでお受けします。それで、一族内の事は?」


「気にしなくて良い。それに玲子の夢のお告げ通りなら、勝ちは見えているんだろ。それなら気にせずに、何より世界を見てくるんだ。それで心が折れていなければ財閥を率いよ。だめなら本格的な婿探しをして、その者に次代の鳳を委ねる。良いな」


 曾お爺様の言葉の最後を受けて頭をあげる。

 言葉も柔らかめだったので、こちらもそれに合わせようとしたが、何かに魂を引っ張られてしまう。


「はい。では、見事凱旋を果たし、財閥だけでなく日本を羽ばたかせてみせましょう」


「そういう大言壮語、どこで覚えてくるんだ? そういう所も妙に子供だな。ま、安心はするけど」


 お父様な祖父も、そう言って一族当主として肯定してくれた。そしてその言葉は、一族内では一人前として扱う宣言でもあるんだろう。曾お爺様も、お父様な祖父の言葉に目尻を下げている。

 しかしそれも一瞬だった。


「そして渡米がアメリカ株の件を含めて失敗したら、責任はお前が負うんだ。少なくとも一族内ではな。だから、失敗したら『夢見の巫女』である事すら出来なくなるかもしれない。

 決して軽々しく行動せず、言動にも注意するように。これは、お前より先を生きる者としての助言だ。それと、日本に戻ったら善吉とも良く話すように」


 曾お爺様の言葉の最後に頭を下げつつも、少し寂しくなった。

 私に決定権を委ねるのは、単に旅先が遠いからではない。電信なりでやり取りは十分にできるし、それをする時間もある筈だ。

 にも関わらず決定権を委ねたのは、拙速を重んじたのではなく、私を急いで一人前にしようと言う意図を感じたからだ。

 恐らく曾お爺様は、自身が老い先短いと悟っているのだろう。

 そうでなかったとしても、もはや隠居としても一族の何かに強く深く関わる能力を維持できないと考えたに違いない。

 だからこそ私は、強く真摯に返事をした。



 「はい、分かりました。肝に銘じます」

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