094 「1929年社長会」
今日は鳳グループの社長会『鳳凰会』の開催日。
その社長会に、別室とは言え半ば出席する事になった。
新学年も始まり、まだ9歳の私は普通なら小学校に通うだけでいい。
しかし華族にして財閥なので、それ以上の勉強や習い事をしなければならない。その上、私は鳳一族にとっての『夢見の巫女』の扱いなので、半ば一人前として扱われる。
それでも半ばだ。子供なので責任能力はないので、曾お爺様、お父様な祖父が責任を取る形で私が提案した事、言い出した事が、次々に実行されていく形にしか出来ない。
だがその事は、一族の大人達は知っている。
そして大成功を収め、さらなる高みへと至りつつあるので、少なくとも一族内での私の地位は磐石と言える。
影で何を言おうとも、表立って何かを言える一族の者はいない。鳳一族の個人的な「財布」もしくは「金蔵」に膨大という表現すら不足するドルが流れ込みつつある現状で、もはや逆らう以前の問題にすらなっている。
一族の玄二叔父さんが私を『得体の知れない』と言ったのも、まあ理解はできる。
そして能力はともかく、鳳の大人達以外の殆どにとって私は理解し難い存在だろう。だから表に出ることもなく、「鳳の巫女」と噂されつつも表向きは子供で過ごしている。
だから鳳の社長会に顔を出す事はない。今回も、声だけ聞いておくようにと曾お爺様から言われて、それに従ったに過ぎない。
それに私も、可能な限り表に出たくはない。それ以上に大人達の場に居合わせたくはない。
何しろタバコ臭いったらない。
この時代、いや平成の半ばくらいまで、日本人の特に成人男性はよくタバコを吸う。特に戦前から戦後しばらくくらいは強烈な喫煙率だ。昭和初期だと、成人男性の8割が吸っていたという統計まである。
前世がアラフォー女子なので、平成後半生まれの人よりタバコへの耐性は強く、鳳の大人達が吸っている程度なら別に気にはならない。
しかしものには限度がある。こんな大勢となると話は別だ。
この社長会にしても、百人単位のおっさん達が豪華な食事をとりながら、平然とタバコを吸い続ける。
喫煙室も用意されているけど、紳士の場でわざわざ吸う者はいない。まあ大人数だから仕方ないというのもあるが、食後ともなると天井付近がタバコの煙で雲ができた様になっているのは、もはや呆れを通して絶景とか圧巻とか思いそうになる。
「なんでこんなにみんなタバコが好きなのかしらね」
「好き嫌い以前に、紳士の嗜(たしな)みだからではないですか?」
宴会場が上から覗ける窓のある別室から、シズと二人で少し下のある意味絶景を見る。この部屋は向こうからは殆ど窓すら認識できず、しかもこちらが窓に近づかない限り見られる事はない。
鳳のホテルなので、こうした特殊な部屋が設えられている。一応はVIP用の特別室で、相応のお値段を出して頂ければ外の方でもご案内させて頂いている、らしい。
その部屋には今は私とシズだけで、他の人達は私が眺める宴会場にいる。
「紳士ねえ。タバコに関してだけは、男に生まれなくて良かったって思うわ。私が権力握ったら、食事中は絶対禁煙にしてやる」
「そうなさいませ」
「反対しないの?」
いつものワガママ発言を肯定されたので、思わずシズの方を見てしまう。
シズはいつもの澄まし顔だ。
「喫煙室まであるのですから、食事が終わっているからと言って、食事中の喫煙はあまり紳士らしいとは思えませんので」
「そりゃあ、ごもっとも。けど、この社長会自体は成功ね」
「はい。ご当主様のおっしゃる通り、親睦が深まる良い機会になっている様ですね」
「他の財閥も真似し始めているらしいわよ」
「そうなのですか? 上手くいかない財閥もありそうですが」
「そうよね。鳳の場合、トップが調整型で堅実な善吉大叔父さんだからこそ、上手く行っているってのもあるしね」
「そうですね。もし仮にお嬢様がグループ総帥でしたら、これほど上手く行かなかったかもしれません」
「でしょうねえ。私がトップだったら、多分後ろから刺されているわね」
皮肉げな言葉に対してせっかく正解を言ったのに、「自分で言うかよ」的なシズの半目の視線がちょっと痛い。
けど私は、間違った事は言っていない。
日本の組織は、ヤマト王権の時代から、もしくはそれ以前から権力格差が大きい。下は上に直接文句を言えない。サムラーイだろうとリーマンだろうと一緒だ。そしてこれだけなら、アジアの他の地域でもよく見られる傾向だ。平伏や叩頭なんて挨拶があるのが良い例だ。
そのくせ日本は、トップダウンじゃなくてボトムアップだ。
しかも、全員の合意によって決断を行う文化を持っている。ミカドもショーグンも、トップダウンのようでそうじゃない。
合意なくして何も決まらない。
そのくせ、一部組織は中堅幹部がある程度団結すると、トップを操る形で物事が動かせてしまう。ボトムアップといえば聞こえが良いが、悪いボトムアップだ。
特に、既に現状の日本帝国陸軍などがその典型例で、バブルから21世紀初頭の頃のテレビ業界もそうらしい。勿論だけど、どちらも悪い見本だ。何しろ、勝手に動く中堅連中は責任を取らない。責任を取らない、もしくは取れない奴が組織を勝手に動かす事ほど悪い事はない。
そう言う点では、日本人が何故か大好きな「軍師」も同様だ。考えてみれば、あれ程無責任な立ち位置もない。
そして今の私も似たようなものだ。
私の事はともかく、対等な関係な上での合意ならやりやすいだろうけど、相性の悪いものが組み合わさって構成されているからなのだろう。
これは島国だからこそ可能だとも言われる。いわゆる「空気読む」とか「以心伝心」とか、前提になる共通の価値観や考え方が存在する「単一民族」でやってきたからこそ成立してきた。
だから一度崩れると、ロクなことにならない。
そして日本で新しい物事を進める場合、何より大切なのは富でも血筋でもない。両方ともあるに越した事はないけど、どちらも二次的だ。
何より、根回しが出来る政治力が一番大事だ。というか、根回しが全てと言っても過言ではない。独断で何かをしようとし続ければ、ほぼ必ず後ろから刺される。
私ですら、最低でも曾お爺様、お父様な祖父と話し合う。
私の場合、独断しようにも命令する権利がないし、ほぼこの二人しか根回し出来る相手がいないからだけど、それでもする。弾丸ツアーだって、突発事態を除いて了解を取っていた。
弾丸ツアー自体も、非公式に現地の人に会って回るのだから、根回しの延長みたいなものだ。
独断と合意。これを日本史上で一番感覚的に分かりやすく例えれば、織田信長と徳川家康だろう。勿論これも、二人の個性や記録を極端化して強引に分けて表現しているだけだけど、まあ分かりやすい例えだろう。
日本人は、極端な変化を独断で行う者を半ば本能的に排除しようとする。農民根性、島国根性などの言い方をされる事もある保守性故だ。
強いリーダーシップを取りすぎると村八分にされてしまう。
最悪、突出して「我に続け」と旗を振り回すと、村八分どころか後ろから刺されたり蹴落とされる。強いリーダーシップを取っても本当に割に合わない。
お国は違うが、ジャンヌ・ダルクの様な末路が基本だ。
それはともかく、日本で何か革新的な事をしようとすると、とにかく凄まじいコミュニケーション・コストがかかる。つまり根回しだ。
そして根回しで事実上決するので、公の話し合いの場になった時点でもう結論は出ている。
しかも、革新的な事をするにも根回しがいるのが日本だ。後世、色々言われる織田信長だって、そうして来た筈だ。
では日本で、ジャンヌ・ダルクや織田信長の末路にならない様にするには、十分な根回しをすれば良いのか。
それも少し違う。革新的な事をすると決めた時点で、後ろから刺される覚悟か厳重な警戒をしておかないといけない。
じゃあ、どうすれば良いのか?
日本で革新的な事をする場合、『黒船』しかないだろう。
外からの圧力を切っ掛けに、要するに『黒船』を言い訳にしてみんなで一斉に革新的な事をしてしまうのだ。
みんなですれば、革新的な事も相対的には普通の事に近くなる。
そしてそんな事は、余程の機会がないと行う事は出来ない。言わば『戦時』もしくは『有事』の手段だ。
だから『平時』の日本では、『漸進』と『改善』をしながら進んでいくしかない。得意なのではない。それしか『平時』の手段がないのだ。
そして鳳の長子達は、ダウ・インデックス株での圧倒的勝利とドルという擬似的な『黒船』を用意した。いや、まだしつつある段階だけど、今の所は成功している。
一方でリーダシップについては、鳳長子のやり方は良くない。
恐らくだけど、巻き込める範囲を無難に巻き込んで改善を積み上げ、周りをそれなりに納得させる『技あり』を取る。取り続ける。これが最善だ。
ただし、『一本』をとってはいけない。下手に取るとやはり排除されてしまう。『一本』を取るにしても、『技あり』の後の『寝技』でないとダメだ。
正しいかどうかは二の次で、手堅く纏めて、緩やかに感じられるリーダーシップを取り続ける。
これが安定しやすい状態だ。
そして今回の場合、善吉大叔父さんは、日本的なリーダーシップの発揮を得意としていた。トップダウンな向きの強い鳳一族内では通じないけど、こうして見ると何故善吉大叔父さんが鳳に入ったのかが良く分かる。
本来善吉大叔父さんは、内閣でいうところの官房長官的ポジションで鳳に迎え入れられていたのだ。
そして善吉大叔父さんは、一族と財閥の潤滑油やつなぎ役を期待され、そしてそれを自分で理解した上でその位置に就いている。
一方で、『鳳グループ』なんて妙なものを作った鳳一族の中枢の連中は、グループ内の社長達では手が届かないというか、村八分すら出来ない位置にいる。
曾お爺様はやりたい事をするだけしたら、終活に入ってしまった。少なくともそう見られているので、余生を静かに過ごす老人に追い討ちをかけると、日本人社会では風聞上のデメリットが大きすぎる。
お父様な祖父は一族当主だけど、陸軍という別の世界に属している上に、財閥やグループの場には出てこない。だから、こちらも手が出せない。
そして私だけど、何だかよく分からない「鳳の巫女」で、周りを唆(そそのか)している張本人かもしれない。けど、何しろ10歳に満たない子供だ。子供相手に手を上げるわけにはいかない。排除しようにも、排除する以前の問題だ。それよりも、周りの大人に利用されていると見られる向きが強い。
警戒心の強い人が、善吉さんなど鳳のお家事情について言ってみても、お父様な祖父が決断した事だと言われてしまえば、私など存在しないに等しい。
そんなこんなで、鈴木を飲み込んで鳳グループを作った当初は混乱が見られたし、善吉大叔父さんはかなり説得などに苦労したと聞いた。だが、鳳グループに属する人たちは、一つの暗黙の了解に達した。
革新は過ぎたので過去として忘れ、現状で出来る事をしよう、という結論に。
そしてそういう風に持っていったのが、善吉大叔父さんと善吉大叔父さんの指示で動いた側近達だ。
一族内では、外から入って来た善吉大叔父さんだからこそ出来た技で、まさに『技あり』と言える。
以前私は、善吉大叔父さんを保守的な人と考え、あまり高く評価はしていなかった。けど、徐々に評価を変えて、今では私達に出来ない事が出来る凄い人だと考えている。
見た目などで「華」がないとは今も思っているけど、それはそれ。善吉大叔父さんは、鳳グループにはなくてはならない人だ。
ただ問題はゼロじゃない。
「善吉大叔父さんって『平時』の人よね」
「どうされたのですか唐突に?」
「え、ああ、ごめん。考え事してたら、つい」
「そうですか。しかし鳳グループをまとめていく事が、『平時』なのでしょうか?」
「うん。何をするのか決めたのは曾お爺様。善吉大叔父さんはまとめ役で調整役。決める役じゃないでしょ」
「それはそうですね。しかし、鳳としての決定権をお持ちでないのですから、単なる役割分担では?」
「それもあるか。けど、半年後に始まる混乱は間違いなく『有時』になるわよ。善吉大叔父さんにこのまま船頭が務まると思う?」
「私には分かり兼ねます」
鳳に仕える者としての黙秘権を発動されてしまった。
しかし、澄ました表情が半ば答えを言っているようなものだ。
それを見つつ私は小さく嘆息する。
「とにかく、曾お爺様に相談だなあ」
「そうなさいまし」
「うん。ちょっと憂鬱なんだけどね」
その言葉に、シズの返事も相槌もなかった。
ただ一礼されたのみだ。
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