084 「春の弾丸ツアー?(6)」

 川西を後にしたその日の午後、いざ宝塚へ。

 単に普通の観光がしたかったと言えばそれまでだけど、私の前世の魂が現実逃避できるエンターテイメントを欲していたからだ。


 何しろ家で気軽に楽しめる音や映像と言えば、蓄音機以外だとかろうじてラジオがあるだけ。アメリカではテレビが一部で始まっているらしいが、アメリカですら普及はまだまだ先だ。

 蓄音機で聞く音楽も、クラシックが主流。かなりお願いして、ジャズが少しある程度。そのジャズも、まだ黎明期。

 学習会の後の虎士郎くんの歌が、どれほど癒しになるか分かろうと言うもの。


 外に出ても、映画はまだまだモノクロ。しかもアメリカで始まっているトーキー、つまり音声付きの映画は日本ではまだ。その上、殆どがこの時代風の時代劇。

 いや、時代劇は嫌いじゃないし、もう私が知っている題材も作られていたけど、ものには限度がある。現代劇というのもようやく登場してきたけど、私には合わないし数も少ない。


 当然だけど、アニメはまだない。海の向こうではディズニーが活動を始めているけど、日本ではまだ見ることが出来ないし、私の見たい作品が作られるのはまだ先だ。

 漫画も、私が知るようなタイプの漫画の登場は、1931年の「のらくろ」を待たねばならない。今は四コママンガが精々だ。


 あとは、大人向けの和風の娯楽なら色取り取り、洋風だと演劇、オペラの類などもあるにはある。舞台に演劇、歌舞伎、能狂言などの娯楽は盛り沢山だ。管弦楽団もNHKのやつが公演していて、他も徐々に芽吹きつつある。しかし、私にとっては娯楽不足も甚だしい。

 いや、そもそも私は、金持ちすぎて気軽に映画を見に出かける事が出来ない。

 飢えていても仕方ないと同情してほしい。

 


 そして何より、二次元のイケメンたちに会いたい。

 この魂の想いを少しでも埋めてくれる存在こそが宝塚歌劇だ。

 いや宝塚だけじゃなくて、明日は大阪の道頓堀にある松竹座にも見に行く予定だ。大阪の方は、東京の松竹歌劇団の姉妹劇団なので私としては重要度は少し低く、それに何と言っても宝塚だ。


 なお、私は随員への配慮も忘れていない。

 私が現実逃避を堪能している間、虎三郎は付き合わせるのも悪いので有馬で一休み。護衛のおっちゃん達の事は私の想定外だったので、虎三郎と一緒で良いかと思ったけど、ワンさんが私に付いてきた。


「いつか見てみたいと夢見ておりました。このような機会を与えてくださり、姫には何とお礼申し上げて良いか!」


 同行を許可したら、滂沱(ぼうだ)の涙と土下座モードで感謝されてしまった。流石に引く。


 護衛だから離れられないと言う理由もある筈だけど、この人に演技という言葉はないと思うので、素なのだろう。

 それでも心の同志が居るのは心強い。何しろ、シズは私がどれだけ熱心に説明しても宝塚に関心を示してくれない。

 だが、それも仕方ない。

 何しろこの時代に宝塚のレビューが見れるのだが、29年の春先だと、まだ始まって1年半の最新トレンドだ。

 それに知らなくても、見せれば分かってくれる事だろう。




「いやーっ、聞きしに勝る素晴らしさ! 私の心は一瞬で虜となってしまいましたぞ!」


「わかるー。ヅカのレビューはやっぱり最高よね!」


「然りっ! 今日の事は生涯忘れませんぞ!」


「もー、そんな事言わずに、また行きなよ。来年の夏は、もっと面白いやつを公演する筈だから」


「何と! あれよりもですか! もはや想像すらできませんな! これは万難を排し、休暇と切符を手に入れる所存ですぞ!」


「その意気、その意気。私も時間取れたら見に行くから、もし時間取れたら護衛に呼ぶね。そしたらわざわざ休暇とらなくてもいいよ!」


「おおっ! 願っても無い。その折は是非に!」


 身長差が二倍ほどもある筋肉ダルマと意気投合して、その場を後にした。そしてシズは、演劇や演出は面白かったと評価はするも、微妙なままだった。


 ・

 ・

 ・


「お前、何やっている?」


「姫の護衛に決まっているだろう。私ほどの男があれほど側に居てみろ、往来では誰も何もできまい。それに、姫の気づかれない場所で部下が控えている」


 夜の闇の中、視認しにくい色の服装の巨漢二人が小声で話し合う。

 八神と王だ。


「……なるほど、そういう意図か。その手は考えつかなかったな。俺も考えておこう」


「まあ、宝塚は存分に楽しませてもらったがな。来年の夏には、休暇をもらうぞ」


 浅黒い大男が、さらに大男の巨漢を半目で見返す。俺の感心を返せと言わんばかりの、少し強めの視線だ。

 しかしそれも一瞬で、すぐに『仕事の顔』になる。


「……まあ、好きにしろ。それで?」


「見張られていた。だが、シズ殿の話では、姫が東海道本線に乗ってからと変わらずだ」


「フンっ。手を出す機会を窺っているのは間違いないな」


「廣島の宿でもそうだったからな。仕掛けて来ると思うか?」


「どうだろうな。今頃は、廣島湾に浮かんでいるお仲間を見つけるやつが出る頃じゃないか? そうなると焦るかもしれん」


「そうだな。……こちらから少し仕掛けるか?」


 八神の肉食獣じみた笑みに対して王もどう猛な笑みを返すが、こちらは戦闘態勢に入った雄牛だ。


「その方が良かろう。廣島でこちらの意思を伝えたのに、まだ諦めておらんとは、とんだ愚か者どもだ。そろそろ私の堪忍袋の尾も切れようというもの」


「お前がどうかは関係ないが、単に鳳への無言の圧力が目的ではなく、拐(かどわ)かしが目的と見るべきだな」


「そう見せているだけかもな。それで、連中の居場所は?」


「確認済みだ。人数は4人。こっちは4人貼り付けてある。他に2人が姫たちの宿に張り付いている。他はなし」


「縄張りから出てきた鳳の人間二人が狙いにしては少ないな。丸ごとが、黒幕の伝言という事か?」


「だろうな。潰して良いだろう。どうせ何も知らん」


「しかしこの動き、大陸人ではないぞ」


「確かに西洋臭い。今のところ西洋人はいないがな」


「では、毛唐の匂いがするかどうか確かめに行くとしよう。さっさと済ませて、温泉に入り直したいからな」


「まだ入るのか?」


「当前だ。明日の朝、前回のように血の匂いを残したまま姫の前に立つわけにいかんからな」


「確かに。あの姫様は荒事に鈍いくせ、妙に鋭いところがあるからな」


「なればこその天意を受けし者よ」


「ハッ、俺にはどうでも良いがな。さ、仕事にかかるとしよう」


「心得た」


 最後の言葉とともに、二人は夜の闇へと消えていった。



_______________


宝塚歌劇団

日本歌劇団(OSK)

松竹歌劇団

日本三大少女歌劇団。と、これ以上の説明は不要だろう。

東京中心の松竹歌劇団はもはや消滅。日本歌劇団も、21世紀初頭に一時解散。

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