085 「春の弾丸ツアー?(7)」

「おはよー、八神のおっちゃん、ワンさん」


「お早うございます、姫」


「おう。よく眠れたようだな」


 筋肉ダルマなワンさんは慇懃すぎるくらいに頭を下げ、八神のおっちゃんは軽く手を上げるだけ。八神のおっちゃんは、朝から従者ごっこはしたくないらしい。

 なお、男女別の部屋にしていたので、就寝から朝風呂や朝食も終えてからの合流となった。虎三郎も二人と一緒だけど、この二人はガタイ的に目立つので、つい先に挨拶をしてしまう。


「なんだかんだで疲れているからね。そっちは平気・・・そうね。けど、飲み歩いて来たんじゃない?」


 私が軽く牽制を出すと、二人に見つめられた。

 驚いてはいないけど、表情がどうしてだと聞いている。


「いや、別に多少羽目を外すくらいは全然良いよ。昨日と今日は半分慰安旅行だし。あ、でも、飲みすぎないでね」


「あ、ああ。気をつけている」


「……何か、匂いますかな?」


 ワンさんにそう言われたので、軽く匂ってみる。

 しかしここは天下の温泉街。匂いと言えば、だいたいお決まりの匂いしかしない。


「うーん、ここの温泉の匂い? 有馬の湯って独特よね。私もめっちゃ入ったから、すっごく匂うし。アレ? ちょっと鉄っぽい? 何にせよ、今ひとつ好きになれないのよねえ。これはもう、北陸の温泉に期待するしかないわね」


「次は北陸ですか。それも楽しみですな」


「だよねー。温泉と料理が楽しみかなあ。けど、今日は大阪巡りだから、まずはよろしく」


「お任せ下さい。全ての邪魔者を排除してみせましょう」


「俺は適当にさせてもらうよ」


「オーケーオーケー。じゃあ、レッツゴー!」



 と言うわけで、行きにスルーした大阪。この頃は『大大阪』とも言われて、事実上日本一の大都市だ。民間活力が強くて凄く活気に溢れている。

 ただ大阪駅自体は実質スルーした。有馬温泉から一気に車でやって来たので、鉄道は経路が全然違ったからだ。それでも大阪駅の近くまで来たのだけど、第一目的地は最後の仕上げ中でまだ中には入れない、筈だった。



「お忙しいのに押しかけて申し訳ありません」


「まあ、ガキの我が儘ってことで勘弁してやって下さいな」


「酷いですわ虎三郎大叔父様。……その通りなのですけれど」

 

 そこで私達を案内してくれている人が大笑いする。

 阪急グループの創業者、小林一三さんだ。


「よろしいよろしい、来るとお聞きして私も楽しみにしてたんですよ」


 偶然、工事の視察に来ていたと言うけど、なんでこう大物ネームド(=歴史上の人物)が私の前に現れるのかは謎だ。しかも誰も、私と言うか鳳一族が作り出したあぶく銭の話は、こちらから切り出さない限り言ってくることはない。

 駆け引きとしてそうしているのかもしれないけど、特に阪急には今の所お金を落とす予定もないので、慎重にしないといけない筈だ。多分。


「うちは私鉄は持ってないから、本当に物見遊山だ。だが、本当に大したもんだな」


 同じことを思ったのだろう、虎三郎が釘を刺す。

 一応私は、ここでも虎三郎の付属物のお飾りお嬢様として振る舞う。


「大した物なら、鳳のホテル。あれには驚かされました。あれだけのホテルを東京のど真ん中に作るとは、剛毅でいらっしゃる。それに、私どもも参考にしたい設備や仕掛けが満載だ」


「変なもん作っただろ。それもこれも、こいつが、あれも欲しい、こうして欲しい、あれが足りないと文句ばっかり言ったせいだ」


「信じないで下さいましね。幼い頃の戯言を、鳳のホテル建設の担当者が聞かれて、ほんの少し汲み取って取り入れて下さっただけなんですのよ」


「なるほどねえ。子供だからこそ見える視点もあると言う事ですな。流石、鳳さんは柔軟でいらっしゃる。これからも勉強させて頂きますよ」


「まあ好きにしてくれ。それに勉強させてもらうのはこっちだ。ターミナルに百貨店、宝塚、温泉、動物園、郊外住宅地と、よく次々に考えつくもんだ」


「素人だからこそ見えるものがある、と言う事ですね」


「なるほど。うちの玲子と似たようなもんだな」


「はい、左様です。で、次の一手でホテルをと考えているのですが、鳳のホテルのアイデアの幾つかは、真似させて頂く事になると思います」


「真似だなんて。いつかは誰かが思いつく程度のものですわ」


 私の場合、本当に誰かのパクリだから、これ以上思わない事にしている。だから、ちょっとしたアイデアの先取り程度では、特許は取らないようにしている。それよりも私は、色々と広まって欲しい。

 そして本当の独創で私以上のことをしている小林さんは、尊敬すると同時に頭が上がらない気持ちが強い。

 多分だけど、こうしてお嬢様の仮面を被っているから話せているだけで、普段の私の態度ではまともに話すことも出来なかったかもしれない。


「かもしれませんね。それより宝塚をご覧になって頂けたとか?」


 私がお嬢様な笑顔を貼り付けていると、助け舟のように話題を変えてくれた。

 だから笑みが自分でも自然なものになるのが分かった。


「はい。とても素晴らしかったですわ。もう大ファンになりましたので、家のものに言って沢山投資させて頂きたいと思っていますの」


「嬉しい事を言って下さる。ですが、少女歌劇はうちだけではありません。それと少し説教臭くなりますが、鳳は大きくなられた。ですから、持てる者として文化事業に使われるのは良い事だと思います」


「はい。私もそう思いますの。ですから、これから阪急さんの好敵手の松竹座にも行くんですのよ」


「それは大変良い事です。色々と見てくると良いでしょう。若い頃の経験は、何よりも貴重です」


「有難うございます」


(中身の前世を足すと、過ごした年月だけならそんなに変わらないんだけどね)


 結局思った事は、凹む事ばかりだ。



 その後、車で大阪の中心部を南下。陽キャがたまに飛び込む道頓堀へと至る。

 この頃の大阪は、商都として帝都東京以上に賑わっているけど、大阪駅周辺の『キタ』は中心部じゃない。かと言って、道頓堀など『ミナミ』と呼ばれるエリアも中心とは言えない。

 『キタ』は国鉄に加えて阪急、阪神と私鉄が乗り入れたので中心部として発展しつつあるけど、『ミナミ』は和歌山へと伸びる南海電鉄があるだけ。しかも21世紀もそびえている駅舎と百貨店を合わせた阪急のような施設は、まだ工事すら始まっていない。完成は32年だ。

 そもそも企業の多い地区は『キタ』と『ミナミ』の間にある。


 歓楽街で言えば、日本三大祭りの天神祭が行われる近くの日本一長い商店街の辺りと、何年か前の『松島疑獄』の舞台となった吉原のような色街に隣接する九条と呼ばれるエリア、そして通天閣のある天王寺の近くの方が賑やかだそうだ。どこも、『キタ』と『ミナミ』は少し離れている。

 他にも大阪が私鉄王国と言われるように、近鉄、京阪がそれぞれ別の場所を起点として地方に伸びている。しかも大阪には、まだ山手線のような環状で走る国鉄線が開通していない。だから中心地がばらけている印象を受ける。


 加えて大阪の街は、『水の都』と言われるだけあって中心部が江戸時代の運河だらけで、これが物流の大きな部分を占めている。運河を行き交う船は、さしずめ大型トラックだ。

 阪急から道頓堀に行く途中に通過した中之島エリアは、東京より立派な建造物が立ち並んでいて綺麗だったけど、大阪市の中心であって大阪府の行政組織は大阪城の北西部に集中して、これもばらけている。


 多分だけど、商人の町と言われるように一つの意思で街が発展していないので、こうして色々とばらけた印象を受けるんだろう。

 一方で、21世紀と似たような景色も既に数多く広がっていた。


(道頓堀は21世紀と雰囲気同じなんだ)


 マラソン選手の看板がないだけで、全体の印象はほぼ同じだった。

 東京がまだ関東大震災からの建設途上な雰囲気が強い事と比べると、大阪の方があまり変化していないのだと感じさせられた。


「どうされましたか、お嬢様。松竹座はすぐそこですよ」


「う、うん。ここって本当に大阪らしいなって」


「賑やかなところですね。東京の浅草のようです」


「そうね。銀座って感じは大阪駅の方が相応しくなるんでしょうね」


「大阪駅の駅舎は、あまり立派でもありませんでしたしね」


「東京駅が立派過ぎるんでしょう。そんな事より、松竹座を攻めるわよ!」



 そうして松竹座でも少女歌劇を堪能して、ワンさんとここにも再び来ようと誓い合い大阪を後にした。

 そう言えば、大阪といえば通天閣と大阪城だけど、この時代は通天閣は初代の方があるが、その界隈は色街がすぐ側という事で行くのを禁じられた。

 大阪城の方は、お城の北一帯が造兵工廠になっているなど陸軍の一大拠点で、しかも私が知っている大阪城の再建は最近決まったばかりで、まだ建っていなかった。


(他の未完成なもの、これから出来るものが一杯あるし、もう何年かしたらもう一度来よう。あ、その前に、来年の夏に宝塚行かないと。スケジュール空けられるかなぁ)

 

 大阪駅から夜行列車で大阪の街を後にするとき思ったのは、ちょっと前向きな事だった。



_______________


小林一三 (こばやし いちぞう):

私鉄キングの一人。この人がいなければ、日本での私鉄の経営モデルは違ったものになっていただろう。

なお阪急の社長就任は1927年。



阪急ターミナルデパート:

駅自体は早々に北側に移転したが、阪急百貨店としての建物は長らく存続。21世紀に入っても、最後までこの時代に作られた建物だと言う内装や雰囲気を残していた。

特に以前のホームを利用した二階吹き抜けた広く大きな道が特徴的だった。



マラソン選手の看板:

1935年に初代が設置される。

現在と似た形は、1972年の4代目から。

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