083 「春の弾丸ツアー?(5)」

 とんぼ返りと言いつつ、旅行開始4日目で関西に戻ってきた。

 先方のスケジュールの都合で、この日の午前中に『川西機械製作所』改め、『川西飛行機』を訪れる。

 それが終われば旅の中休み。あとは宝塚歌劇と有馬温泉が待っている。それに翌日は、大阪見物だ。



 後のことはともかく次の訪問先は川西飛行機で、この川西は川西財閥の一会社だ。

 川西財閥は日本随一の毛織物会社を基幹として、姫路=神戸間の私鉄を有している。そして広畑に製鉄所を作ったら支線を引いてくれるのが、この電鉄会社だ。そして今はなんだか名前が複数に分かれているけど、のちの山陽電鉄になる。

 今日会うのも、財閥の初代総帥の川西精兵衛さんと次男で2代目の川西龍三さんだ。


「お話、よう分かりました。条件もごっつええし、こっちとしては願ったり叶ったりや。ご期待には必ず応えてみせまひょ」


「おう。良いもん見せてくれよ」


 そう言い合って、初老の男二人が固く握手する。

 相手が一企業じゃなくて財閥相手なので、私は大叔父に付き添って社会見学というスタンスに終始している。だから最初のお嬢様な挨拶以外は、横で小さくなっている。

 またシズと護衛のマッチョマン二人も別室待機だ。最初は私も別室待機かと思ったのだが、虎三郎が強引に同席させてしまった。こうなると、小さくしているしかない。


 それに私としては、小規模な財閥が『鳳の巫女』の噂などをどの程度知っているか、信じているかなどを直に感じるチャンスと言う思惑もある。

 こう言う肌感覚を知っておくことは大切だと、今までの事でかなり痛感させられていたからだ。

 ただ、二人の私を見る目は少し厳しい。

 私をただの子供と見ていると考えるべきだろう。虎三郎も、私をざっくばらんにしか紹介していないので、慎重を要すると言ったところなのだと感じる。


 そうして挨拶と話も済んだので、新工場見学となった。

 工場は鳴尾浜という沿岸部にあり、飛行艇を作る工場としては相応しい立地だ。それに大型機を作る目的で、当初からかなりの敷地面積を有している。



「ここで大きな飛行艇を作っているんですね」


「まだ大きくありませんけどね」


 私に答えるのは、さっき同席していた2代目の川西龍三さんだ。技術者出身で、ほぼ最初から川西の飛行機部門を率いている。

 飛行機への情熱が強く研究熱心で、日本の民間企業で唯一の直立式試験風洞を自社の風洞実験所に作ってしまったほどだ。

 技術者なので、虎三郎と親しいのも2代目の方だった。


「小さいのは作らないのですか?」


「研究はしていますが、海軍以外に受注がありませんからね」


「去年中止になった太平洋横断用の飛行機は、川西様がお造りになられたとお聞きましたが?」


「よくご存知ですね。確かにあれが、私どもの最初の小型機になりますね」


「金と多少の人と技術なら鳳が出すから、このお嬢様がご所望だとよ」


「虎三郎大叔父様!」


「ホラ、図星だろ」


「そうですけど。大きい飛行機もお願いします。玲子は、飛行機に乗ってみとう御座います。それに小さな飛行機も、可愛くて好きです」


「と、両方作れとの仰せだ。当分、うちから幾らでも金は出せる。うちは飛行機の技術がないから、代わりに作ってくれ」


「虎さんにそう言われたら、断れないでしょう。それに、いろんな飛行機を作れというなら、私にとっては本望であり本懐ですよ。ご用命があるなら、何だって作って見せましょう」


「ではでは、ツバメのように俊敏に空を飛ぶ飛行機が見てみたいです!」


(紫電改を作る会社だしね!)


 しかし時代はまだ1920年代、15年も先の話をしたに等しいせいか、流石に困った顔をされてしまった。

 だがそこは、お嬢様のわがままで許して欲しい。


「ツバメのようにとなると競技用か戦闘機ですね。いつかは私も作ってみたいですが、今はできる事からですね」


「はい、我儘申しました。けど、頑張ってくださいまし。鳳が全面的に出資と支援をするように、虎三郎大叔父様が取り計らってくれますから」


「俺がするのかよ」


 虎三郎がおどけて言ったので、思わず川西の二代目も顔が綻ぶ。

 まあ、今は金ときっかけ作りが限界だろう。

 なお、鳳と川西は27年に出資と提携を契約。基本、鳳はこんな機体が欲しいという大きな目標提示だけで口を挟まず。

 虎三郎の言葉によれば、飛行機バカに好きにさせるのが一番なので、一族は誰も文句は言わなかった。当の虎三郎がそうだからだ。


 そして川西では、私の前世より多分数年早い去年暮れに、最初の飛行艇『八八式飛行艇試作機』を誕生させている。

 また後の事になるけど、鳳の出資で開発させたので私の前世の歴史には存在しない筈の軽郵便用の飛行艇を31年に完成させ、鳳が寄付する形で日本航空輸送が4機運用している。

 とはいえ、優れたアメリカ製の旅客機や輸送機には敵わず、大型機も『九五式飛行艇』の登場まで待たなければならなかった。


 一方で小型機の方は、私の言葉に触発されたのか、鳳が潤沢な資金を投じたおかげか、技術実証機という形ながらエアレーサー用などでの開発を熱心に行って、陸海軍への売り込みも行った。鳳も売り込みには力を貸して、個人用の飛行機も購入したりした。

 そして1931年には、最後になったシュナイダー・トロフィー・レースにも東洋唯一との宣伝文句と共に参加。結果は散々だったけど、参加した唯一の東洋のメーカー、日本のメーカーとして川西の名が刻まれる事になった。

 レース優先で開発するとか、確かにこの人達は飛行機バカだ。


 けどレース出場の事は日本でも大きく報道され、川西飛行機の宣伝としてこれ以上ない効果を上げた。子供達は熱狂し、川西に入社する航空技術者も大きく増えたと聞く。

 ただ残念な事に、日本で企画したエアレースの開催にまでは、とうとう漕ぎ着けることは出来なかった。

 だが、その後の川西飛行機は、川西龍三自身が採算度外視で飛行機の開発に情熱を向ける事、鳳からの潤沢な資金援助、技術援助がある事などで成果を挙げていく事になる。

 私が前世の記憶で知っている機体も、少し早く、もしくは少し違った形で登場してくる。それ以外にも、私が見知らぬ機体を幾つも生み出していく。


 そして川西飛行機には、お金だけでは何も出来ないという事を改めて教えられた。



_______________


川西飛行機:

飛行機好きな財閥の親子二代が作り上げた飛行機メーカーと言える。

だから、日本の機体としては革新的だったり少し変わった機体を作ったのかもしれない。

主人公が肩入れしているので、数年前倒し&規模拡大している。



太平洋横断用の飛行機:

1928年に、リンドバーグの大西洋無着陸横断に触発されて、日本で計画され。実際川西では専用の飛行機も開発された。

しかし、機体性能の不足、資金不足などで中止。

太平洋無着陸横断の栄光は、31年アメリカに取られてしまう。

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