079 「春の弾丸ツアー?(1)」
春の弾丸ツアーが始まった。
目的地は、関西の大阪、神戸、できれば一連の観光地。さらに最低でも廣島、石川県の小松。帰り際に愛知にも行く。
「小松製作所って、本当に小松にあるのね」
「長期計画では、事業拡大に伴い鳳ビルに本社機能を持ってくる予定ですが、当面は小松に全て置くとの事です」
「それは知ってる。けど北陸は遠すぎ」
そう言って少し視線を逸らした窓の向こうでは、景色が流れていっている。かなりの速度で移動しているし振動もしている。
今は東海道本線を走る汽車の中。特急だけどまだ愛称はなく、愛称がつけられるのはこの年の9月で「富士」と命名される。
今は単に「特別急行1・2列車」とだけ名付けられているけど、一等車、二等車、洋食堂車、展望車が連結された豪華な列車で、日本が世界に向けてアピールする為のものだ。
そして今私が乗っているのは、自分達の寝台車ではなく食堂車。
寝台車や展望車に居てもいいけど、時間がほぼ食事時だからだ。しかも完全予約制とあっては、食いっぱぐれないためにも来るしかない。一等車の客が駅弁とか、まずありえない。
周りでは、シズ以外の数名の随員も同じように食事している。
それよりも私にとっての問題は、日本最速の汽車でもとんでもなく時間がかかるという事だ。
東京=神戸間が約半日の約11時間50分で、日本最速の高速運転なのだそうだ。新幹線がどれだけ偉大なのかを、こんなところで実感させられるとは思わなかった。
そして日本一でこれである。廣島はともかく、北陸行きはちょっと憂鬱になる。
「ではお止めになっては如何ですか?」
「行くって伝えてドタキャンとか有りえないでしょ。それにあそこは、直に行かないと絶対に駄目よ」
「そうなのですか?」
うん、ドタキャンが通じるのは有難い。けど、他で気をつけないといけないから、使わないほうが良いのだけど、たまに魂が引っ張られる。
そしてこの先も、魂の赴くまま言わねばならない。歴女知識の見せ所だ。
「そうよ。創業者の弟さんは現外務次官の吉田茂様。で、吉田様の奥さんが牧野伸顕様のご長女よ。分かる? 大久保利通に通じてるの」
「明治三傑の?」
シズが少しだけ首を傾ける。
「そう。学校でも習うその人」
「そんな血筋の方が、なぜ小松に?」
「確か、小松の鉱山を買って、そのままそこで別会社の小松製作所を作ったのよ。ねえ、虎三郎?」
今まで私達のやりとりを聞くでもなく聞いていた初老のごついおっさんが、私の言葉でようやくこっちを向く。
「おう。玲子はよく勉強しているな。俺なんざ、いらないんじゃないか?」
ちゃんと全部聞いていたらしい。
しかもこの人、この旅から自分の事を私的な場では呼び捨てで良いと一方的に宣言していた。
一応理由を聞くと、自分よりも私が鳳の真ん中で面倒臭いことをしているからなのだそうだ。
「虎三郎のコネがあるから、こんな気軽に行けるのよ」
「まあ、竹内とは顔見知りだが、吉田なら親父も知り合いだぞ」
「いや、別に吉田茂に会うんじゃないから。行くのは小松でしょ」
「そういやそうだったな。で、最初は?」
「まずは神戸の鈴木本店ね」
「大阪は素通りか?」
「後回し。まずは西を攻めるわ」
「攻めるねえ。この歳でとんだ旅行に巻き込まれたもんだ」
面白そうに言いつつも嘆息された。
「わ、悪いと思っているわよ。けど」
「分かってるって。俺以上に、鳳で訪問先に顔が効く奴はいないからな。ま、色々行って色んなもんが見れるんだから、十分お釣りが来るってもんよ」
「ありがと。けどまあ、強行軍よねえ。飛行機が欲しいわ」
「同感だ。川西にでも作らせるんだな」
「その為にも行くんだけどねー」
そんな事を思いつつ、ツアープランを思い出す。
「玲子、聞いたぞ。春休み全部かけて旅行に行くんだってな? 海外か?」
いつもの学習会の前、龍一くんが私に問いかけてきた。
「ううん。国内」
「国内かあ。じゃあ俺はいいかな」
「私いきたーい!」
「私も連れてってあげたーい」
そのまま抱きついてきた瑤子ちゃんをヒシと抱き返す。まさに至福の一瞬。
だがしかし、旅に連れて行くわけにはいかない。いや、どうしてもと言うのなら止めはしないんだけど。
「お前が瑤子にこだわらないとか、明日は雨か?」
「アハハハハっ。ボクは雨より雪だと思うなー」
「僕は吹雪だと思う」
「私は雪がいいなあ」
鳳の子供達が好き勝手に私を論評する。確かにそうかもしれないけど、私にだって理由の一つや二つある。
だから「ちょっと待って」と言って、メモを取り出す。
「はい。これが旅行の日程と簡単な目的ね」
「いっちばーんって、ゲッ!」
「どうした・・・なあ、弾丸ツアーってなんだ?」
「うわーっ、すごく一杯行くんだね」
「えーっと玲子ちゃん、これ2週間で行けるの?」
「見ての通り9日の予定。私の誕生日までには戻ってくるわよ」
その言葉と共に、全員にドン引きされた。
うん。その気持ちは少し分かる。何しろメモにはこう書いてある。
『(1日目夜・移動)東京→神戸 (2日目)神戸(鈴木、神戸製鋼)→姫路(広畑、相生) (2日目夜・移動)姫路→廣島 (3日目)廣島(松田)→厳島(参拝) (3日目夜・移動)廣島→大阪(西宮) (4日目)→西宮(川西)→宝塚(歌劇)→有馬温泉(一泊) (5日目)大阪(梅田、道頓堀、他下見) (5日目夜・移動)大阪→金沢(小松) (6日目)小松(製作所)→加賀温泉(一泊) (7日目・移動)加賀温泉→愛知 (8日目)愛知(豊田) (8日目夜)愛知→東京 (9日目朝)東京 迎えの車で帰宅』
(確かに、ちょっと無謀だったかも)
そうは思うが、もう先方には伝えてあるので、計画を変えることはできない。だが、余裕があれば熱海に一泊も予定している。
「アハハハ、まさに弾丸。24時間戦ってるなあ」
「玲子ちゃん、体に気をつけてね」
「ほとんど夜行列車泊だな。死ぬなよ」
「私より、これで良いって言った虎三郎大叔父様が心配ね」
「あの人、タフだから平気だろ。子供の玲子の方が絶対先にバテるぞ」
「だから間に温泉入れたのよ」
今度は色々な論評だ。しかも、総じて無茶だと言っている。
しかしこの時代の長距離移動は、時間を無駄にしないため夜行列車を使うのは普通のことだ。だからみんな半ば冗談で言っているだけだ。
そこで一応カードを切ってみる。
「それで最後の日なんだけど、みんな熱海か湘南に来ない?」
「ああ、そこで合流して一泊したいと?」
玄太郎くんがすぐに言い当てた。
他の3人も、ほぼ同時に笑顔やいい表情になる。
「ボクモ賛成ー!」
「じゃあ、私が玲子ちゃんを迎えに行くね!」
「あ、なるほど。じゃあ俺たちは、その前日からそこに泊まってるよ。どこが良い?」
「玲子ちゃんも、虎三郎大叔父様も疲れてるだろうから」
「熱海だな。よし決まりだ」
龍一くんが瑤子ちゃんの言葉の最後を取ったが、瑤子ちゃんは天使なのでウンウンと嬉しそうに頷いている。
「うん。ボクも賛成。じゃあ、玲子ちゃん行ってらっしゃーい」
「いや、行くのは春休みになってからだから」
_______________
1929年の9月に「富士」と命名される。
1930年秋の車両変更で、東京=神戸間は約半日から一気に9時間に縮まる。
小松製作所
竹内明太郎(たけうちめいたろう)
吉田茂のお兄さん。もうそれだけで、どれだけ凄いポジションか分かろうというもの。
吉田茂
この人も説明不要だろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます