042 「不良債権」

 私が夏休みを利用して満州旅行へ向かう少し前、大陸では歴史が動こうとしていた。

 1926年7月9日に蒋介石が『北伐』を開始したからだ。


 蒋介石など国民党と軍事組織の国民革命軍は、華南の広東あたりを拠点にしていたので、まずは南京を目指す動きだ。

 鳳が開発する遼河の油田開発地がピリピリしていた理由も、この動きが影響していたらしい。


 その蒋介石は、共産党と連携して国民党の軍隊である国民革命軍に共産党式の様式や訓練を採用し、他の軍閥の軍隊と比べると規律や士気が全然違っていた。

 そして、ようやくまともな『軍隊もどき』になった蒋介石軍相手に、野盗や世間の爪弾き者を集めただけの軍閥の兵士とは言えない人の群れなど、敵じゃないのはある意味当たり前だ。


 何しろ軍閥は、軍と名がついても武器以外は近世か中世世界の住人達に等しいのだそうだ。しかもリーダーや組織への忠誠心は殆どなく、金か戦場での褒賞(略奪、強姦など)でしか動かない。あまつさえ、家族や一族にだけ忠義を立てるから、さらに面倒臭い。

 その上、家族と一緒に行動を共にするので、軍勢の総数の半分かそれ以上は兵士の家族になるのだという。


 私から見れば、三国志のその他の武将の兵士に近代的武装を与えたのが、大陸での普通の軍閥の軍隊だ。

 大陸では2000年か3000年かは知らないけれど、基本的に何も変わってない。

 それを多少でも変化して近代化したのだから、その点だけは共産主義的教育とやらは評価しても良いと思う。

 出来れば今すぐにでも滅びて欲しいけど。



 一方日本では、『松島遊廓疑獄』という汚職事件が発生していた。

 問題が深刻化するのは秋のことだけど、7月に入ると与野党の要人に収賄疑惑が持ち上がって予備尋問が行われるようになった。

 私の前世の歴史では、最終的に若槻内閣の辞職につながり、少し前から分裂状態の政友会は犬養毅率いる革新倶楽部との連立で政権を奪回する。


 それは、まあいい。私にとって重要な問題は、憲政会の若槻内閣の倒壊時期だ。

 この内閣は、私の前世の歴史だと27年4月に倒れる。そして倒れるまでに、第一次世界大戦で肥大化した鈴木商店という名の大財閥が破綻してしまう。

 そしてその発端となった台湾銀行の休業が昭和金融恐慌を引き起こすが、この内閣の蔵相の不用意な発言が発端となっている。


 しかしそれ以前に、問題も沢山ある。

 この世界では政友会は分裂していないから、憲政会と革新倶楽部の内閣で勢力が弱い。逆に野党の政友会が強いから、終始不安定だった。それでも政友会が腐敗しすぎていたので、加藤高明内閣が続いた。今回の疑獄でも、床次竹二郎など先に政友会の有力者が予備尋問を受けている。


 ただ、問題はそこではなかった。



「で、その中でも一番の問題は、鈴木商店にあると?」


 曾お爺様とお父様な祖父を前に、私は本来鳳を救う予定だった計画を変更した形で話していた。

 最初は漠然とだが、アメリカ株で儲けた金で鳳財閥を救うつもりだった。それで私の破滅、鳳一族の破滅、鳳財閥の破滅を何とか出来ないかと思っていた。

 けど、ご先祖様と一族が作った隠し財産でとんでもない金額を大儲けしたら、違う景色が眼前に広がっていた。


 しかも私には、前世の記憶というものがあり、「歴女」で戦前昭和の事象にもそれなりに強いので、色々と知っている事がある。これらは念のため調べてみたけど、この世界でも鳳が関わった事以外で違いは殆どない。

 そうなると欲も出てくると言うものだ。


「はい。鈴木商店は、分不相応な規模拡大と業績不振に加えて、戦後不況、震災不況で莫大な不良債権を抱えているの。鳳の新聞や商社が集めた情報からも確かよ。総研からもちゃんと報告されているわ。

 しかも、政府が半ば国策銀行な台湾銀行を倒産させるわけないってタカをくくって、大量に不良債権化させている筈。で、今回も大金の震災手形を台湾銀行で処理する気よ」


「未決済の不良手形の額は?」


 お父様な祖父の言葉に、曾お爺様が片眉を上げて口を開く。

 鳳財閥の情報は、全て曾お爺様の元に集まっているので話が早い。

 しかも鳳財閥は、半ば情報を集めるために自前で新聞を発行し、総合研究所まで抱えている。鳳の本丸の一つと言える商社が集めた情報、ご先祖様の始まりでもある上海の支店から集められる大陸情勢なども、当然ながら集約されてきている。

 そこに政治の水面下にもかなり深くに手が伸びる曾お爺様、陸軍高級将校のお父様な祖父が集めた情報も追加で注がれる。


 そしてそうして集めて分析された情報は、この時代としては相当高い精度、確度を持っている、らしい。

 しかも、私が知っている前世の記憶の知識とも合致しまくりなので、私としては疑う余地もない。


「震災手形の残りは約2億。うち1億が台湾銀行。しかも台湾銀行が抱えるうちの7割が恐らく鈴木分だ。

 それに台湾銀行が抱えている鈴木への融資は、全体でその五倍の3億5000万ある。それが全部焦げ付いてみろ」


「おー、クワバラクワバラ」


 最後の言葉を聞いてお父様な祖父が、おどけて軽く首をすくめる。

 そしてこの世界でも、不良債権の数字は同じらしい。

 億を兆に置き換えれば、感覚的には20世紀の世紀末辺りから21世紀初頭の日本での大混乱の数字に近いのだろうか。経済規模が違いすぎるから、もう十倍くらいの感覚で思った方が良いかもしれない。

 ただ、今上げた数字に鳳の分が入っていないのは、意図して抜いているのだろうか。一応確認するべきだろうと感じた。


「あの、曾お爺様、鳳の不良債権は?」


 そう。今の鳳じゃないが、ゲーム上での鳳凰院財閥は鈴木商店に匹敵する不良債権を抱えていて、昭和金融恐慌でそれが炸裂。鈴木共々壮絶に爆死する。

 ゲームのネタバラシの段階で聞いて、『なんて事しやがる。主人公すら破滅させる気満々だろ』と思ったものだが、当事者となるとその程度の感情すら生ぬるいと感じてしまう。何しろ悪役令嬢である私は、これを発端として二重に破滅していくのだ。


 しかし曾お爺様は、ニヤリと面白がるような笑みを見せる。


「玲子がボロ儲けしてくれたドルで、既に処理済みだ。うちは鈴木ほど大きな図体はしてないからな。他の財閥が羨ましそうに見ていたと、善吉が言っていたよ」


「その点はお婆ちゃんのお陰でもあるな。それにしても鈴木は7000万か」


「鳳も、玲子が笑いが止まらんくらいに現金を増やしてくれなかったら、こんなに悠長にはしてられんかったな。で、まだ十分余力があるが、鈴木にも使うのか? あそこはもう金は底を尽いているし、貸してくれるアテもないぞ」


「やっぱり機関銀行を持つべきだったんだ」


 二人の言葉は先代の「夢見の巫女」が、鳳の苦境を救う切り札として一応は商取引でロマノフの黄金を一部ちょろまかしてきた事と、それを元手に私の未来チート知識でアメリカ株に投資した事を言っている。

 そしてさらに、その金で鈴木を買うのかと言っている。


「出来れば鈴木を、ううん、台湾銀行を倒さないで済む方が良いと思うのだけれど」


「盛大に倒れる鈴木をあぶく銭で買い叩く方が、鳳としては利点が大きいように思うが? 今なら三井との買取競争にも勝てるだけの体力があるぞ」


「鳳だけならそうだろうけど、鳳はもうそこまでアコギな事をする必要ある?」


「アコギだとよ、父さん」


「事実だからな。それで?」


 二人が苦笑するが、私に向ける目は真剣だ。

 だから私も真剣に見返す。ここが勝負どころだからだ。



___________________


北伐 (ほくばつ)

中国では一般的に南方から北方へ軍隊を動かして、北方勢力と戦うことを北伐という。

近代以後だと、1920年代の国民革命期の事を指す。

何度か行われており、最終的に北京を占領していた張作霖を破って中華民国を一応統一する。



松島遊廓疑獄 (まつしまゆうかくぎごく)

1926年(大正15年)に明るみに出た日本の汚職事件。

当時の首相までが予備尋問を受け、若槻内閣総辞職につながる。

松島は当時の大阪の一大遊郭。船乗りの盛り場として大いに栄えた。

現存する飛田遊郭と同時期に作られ、飛田ほどじゃないが現存している。



昭和金融恐慌 (しょうわきんゆうきょうこう)

日本で1927年(昭和2年)3月から発生した経済恐慌である。

単に金融恐慌(きんゆうきょうこう)ともいう。

1930年(昭和5年)からの世界恐慌を発端とした昭和恐慌(しょうわきょうこう)とは異なる。



震災手形 (しんさいてがた)

震災手形は、関東大震災のため支払いができなくなった手形のこと。往時の報道では震手と略称された。特別に震災手形と呼ばれるものが出回ったのではなく、一般に流通する手形のうち被災地に関わるもののみが緊急勅令によるモラトリアムや法令により日本銀行が再割引することで補償の対象となり、こう呼ばれる。

要するに不良債権処理の一手。

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