043 「総選挙」
「松島疑獄を使って、政友会に内閣を変えられない? 多分それで最悪の事態は回避できるんだけど」
私の勝負をかけた第一声に対して、曾お爺様が少し顔をしかめた。
「今の内閣は、そこまで悪い内閣とは思わんが」
「蔵相は高橋是清様が一番よ」
「確かに今の日本の財政であの御仁に勝る人はいないが、大蔵官僚上がりが好きな緊縮財政は悪手と言う事か? だが、疑獄を悪い噂で広めるには、うちの新聞だけでは難しいな」
「じゃあ、震災手形が特定財閥の支援も兼ねているって噂を広げるのは?」
「それをやるとしたら、選挙戦の時に広める方が時期的には良いだろうな。憲政会はそれほど脆くはない。それに政友会の誰かを動かす方が良いだろう」
曾お爺様、自分の言葉に少し顔を歪める。何しろ鳳財閥は憲政会寄りだからだ。
そして政党に対する財閥の勢力図で言うと、憲政会の資金源が三菱とその仲間たち、政友会が三井とその仲間たちと言った感じになる。
現職総理の加藤高明も三菱から政界に転じている上に、財閥創業者の娘婿だ。
そして鳳は、三菱と比較的関係が良い事もあって憲政会寄りだ。加藤首相が肺炎から回復した時には、丁寧なお礼を紅龍先生がされたらしい。
また、鈴木商店は一番の成り上がり財閥なので、どことも関係はイマイチなのだが、特に三井財閥との仲が悪い。
「それじゃあ、政友会の中枢に鳳が掴んでいる鈴木商店の内部事情を水面下で教えて、政友会に鈴木と裏交渉させたらどうだ?」
私がどう切り出すべきか悩んでいると、お父様な祖父が気軽な調子でかなりエゲツない事を言う。
それに曾お爺様が小さく溜息をつく。
「簡単に言ってくれるな。それに、鳳が憲政会と袂(たもと)を別つに等しいぞ。どう話をつける。突然鞍替えは、政友会は万歳でもしてくれるかもしらんが、ただでさえ多い敵をさらに増やすぞ」
「三菱さんと話して、緊縮財政は厳しいので今回は反対という方向では?」
「それだけでは弱い。だいいち、憲政会というか濱口さん達は、何とか金解禁をしようと必死に動いてくれている。財閥の大半も不安定な変動為替より、金本位制にしてくれと言う流れだ」
「でも金解禁は、政友会もやる時はやるでしょう。嫌ならうちがやらせれば良い。今ならそれが出来る」
お父様な祖父が、なんだか全開で話を進める。
多分だけど、色々考えた事をこの機会に話しているんだ。軍人だけど、やっぱり財閥を率いる一族の当主だ。
そして曾お爺様がお父様な祖父にしばらく顔を向けると、しばし睨めっこ。
もはや私は蚊帳の外だ。
意図してやっているのは分かるが言い出したのは私なのだから、「夢見の巫女」の言葉ではなく鳳玲子として扱ってほしい。とはいえ6歳児に、政治の暗部を一部なりとも見せているだけでも二人からすれば大盤振る舞いで、内心は居た堪れない事なのではないだろうか。
そんな事を頭の隅で思っていると、曾お爺様がまた小さく溜息をつく。
「分かった。なるべくうちが表に出ない形で、疑獄の話を世間にばらまく。その前に、金解禁より緊縮財政に反対という話を三菱と憲政会に伝える。今のうちのアメリカ株の力を背景にすれば、捩じ伏せることはできるだろう。それにうちは大量のドルを持っているから、変動の方が有利と向こうも考えるから理屈では納得するだろう。三菱には借りを作ることになるがな」
「その後で、鈴木が思った以上に危ないという話を政友会に、ですか?」
「そうだ。鈴木は隠しているが、どこもある程度は知っているだろうがな」
久しぶりの私の言葉に、曾お爺様が苦笑まじりに返す。
そしてさらに続けた。
「疑獄の方は、平沼さんにもう少し話を持ちかければ、喜んで動くだろう。あれは、憲政会というか幣原外交を嫌っているからな」
(あ、欧州は複雑怪奇な人だ。そういえばこの時期は法の番人だったっけ?)
一瞬、呑気にネームドの一人を思い出していたら、そこに声が掛かる。
「それで、選挙はいつくらいが良い?」
曾お爺様が私を曽孫ではなく「夢見の巫女」として見る目だ。
自然、私も姿勢を正して少し歴史を思い出す。
「11月に疑獄が深まるから、そのタイミングで憲政会の重鎮が平沼騏一郎に呼び出されでもしたら、かなり面白い事になるかも」
「確かに面白そうだな」
曾お爺様が、腹を括った笑みを見せた。
私は「夢見の巫女」としての提案しか出来ないのが心苦しいが、どのみち子供では社会人として責任も取れないので飲み込むしかないのだろう。
かくして、鳳が水面下で画策して行われたに等しい総選挙は、12月初旬に実施された。
この選挙は日本初の普通選挙で、庶民と財閥の選挙とも言われる事もある選挙だ。しかし、水面下とはいえ私達のせいで、普通選挙も台無しな気がしてならない。
その選挙の少し前、アメリカ株の含み益をアホほど抱える鳳家が、憲政会に文句を言って聞き入れられず政友会に鞍替えしたという話が出てくる。しかも鳳と関係の良い三菱財閥も、それを厳しく問わなかった。
当の憲政会も鳳の訴えを退けたので、一部の低俗な議員が吠えた程度で済んだ。
これで世の中は、産業界、財閥のかなりが金解禁の是非よりも緊縮財政を否定していると取る。
そこに疑獄の手が与党憲政会へと伸び、内相の若槻礼次郎が平沼騏一郎に呼び出された事で、すでに不安定になっていた加藤高明内閣にトドメが刺された。
しかし憲政会は平民人気が高いので、選挙にはむしろ乗り気だった。
ただし、加藤高明政権で連立していた犬養毅が率いる革新倶楽部が、憲政会との連立解消を宣言。憲政会と政友会を天秤にかけ始める。
これは私にとっては予想外だったけど、どこかで誰かが動いたらしい。
曾お爺様からの話では、政友会内で有力者の床次竹二郎と彼の派閥の勢力が強く、政友会内閣が成立したら彼が首相になると言われていたのを嫌った勢力が、選挙後の連立を持ちかけたのだろうという事だった。
大臣の椅子2つ、3つで数十議席が得られるのだから、政友会の非主流派としては安いもの、らしい。
そして政友会は、実質的には革新倶楽部との連携姿勢を取り、数の優位を確保。しかもそこに、震災手形が特定財閥の支援も兼ねていると噂が世間に広がる。
一方の憲政会は、革新倶楽部の事実上の離脱は痛手だが、平民人気の高さで何とかなるという強気の姿勢を維持。選挙中に何とか疑獄による平沼騏一郎の呼び出しから解放された若槻礼次郎が戻ってきて、選挙運動の巻き返しを図る。
かくして「第16回衆議院議員選挙」を迎えた。
私の前世とは違う時期に日本初の(男子)普通選挙実施だ。
選挙結果は、鳳が豊富な資金援助をした事も効いて政友会の勝利。第1党となる。これで鳳は政友会に大きな貸しを作った。逆に憲政会からは、大きく恨まれる事になる。形としては鳳の訴えを向こうが退けたのに、政治家というのは勝手だ。
そして政友会は、選挙前の約束通りに犬養毅率いる革新倶楽部との連立を発表。圧倒的過半数による組閣を図る。
この内閣成立では、隠居というより政友会の元老状態となっていた原敬が、裏で色々動いたのだそうだ。
当時の政友会で一番の勢力を持つ床次は原の腹心だったが、床次は勢力を大きくしすぎたので革新倶楽部を入れる事で原が党内を調整したと言う。
さらに震災手形の話で、かなりの数の無党派議員が政友会側に付いた。無党派議員は、財閥に否定的な社会主義系、無産系の政党に属する議員が多いからだ。
そしてこれで3分の2以上の議席数を確保して、軍を退役した田中義一を内閣総理大臣とした新たな内閣が発足する。
私は、原敬の第二次内閣か床次内閣だろうと見ていたのに、歴史の因果を見せられた心境だった。
そしてこれで、私は先代の「夢見の巫女」並かそれ以上に、少なからず歴史を変えてしまったという事になるだろう。そう、動かしたんじゃない。変えてしまったんだ。
それが何をもたらすのかは、意図していた事、予想していた事以外は全く見当もつかなかった。
その選挙の一週間後、大正天皇が崩御したことを受けて裕仁親王が践祚。昭和と改元。
日本は、否応無しに混乱の時代へと突入していく。
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平沼さん
平沼 騏一郎 (ひらぬま きいちろう)
謎の戦艦ではない。日本の司法官僚、政治家。
司法大臣、貴族院議員、枢密院副議長、枢密院議長、内閣総理大臣、国務大臣、内務大臣などを歴任した。
内閣総理大臣になる時期がもう少し前だったら、戦艦になる事も戦犯になる事もなかっただろう。
普通選挙
時期だけでなく、史実と様相も少し違う。
原敬が暗殺されていないので、政友会が少し強い。
さらに鳳財閥が資金面で加わるので、さらに政友会が強い。
社会主義系、無産系の政党
戦後に社会党とか作った人達の源流。
社会主義的だけど共産主義とは違う。と言う事になっている。
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