040 「巨漢と姫」

「おかしい? なぜ誰もいない? 騎馬もどうした?」


 偶然迎撃をすり抜けた襲撃者の一人は、鳳の石油開発者達が作った宿舎など人が大勢滞在する拠点の柵のところまで接近していた。柵は牧場にあるようなものなので、人が越えるのは容易い。

 しかし彼の装備は、旧式の小銃と昔ながらの小ぶりの曲刀だけ。爆薬や手榴弾はない。彼の目的は支援と混乱の拡大だが、爆薬を扱う者と落ち合えなければ意味がない。

 だが、『ある組織』に属している彼は、任務を放棄するつもりは無かった。だから一人でも殺すか傷つける事で、自らの役割を果たそうと決意。簡単に乗り越えられる柵の中へと侵入する。


 しかし、中の建物の一つへと差し掛かったところで、彼は自らの役割を果たす事ができなくなった。

 胸に酷く熱いものを感じたと思って見下ろすと、自分の胸から何か金属の板のような物が突き出ていたからだ。しかもその先は鋭く、突き出した全てが暗くてよく分からないが何かで濡れていた。

 そして次の瞬間に思考が追いついてきたのだが、それを口にするか何かの行動に移す前に中断を余儀なくされる。

 後ろから細い手で口元を強く押さえられ、その金属の板切れをグッと回されたからだ。

 

 事切れた侵入者を倒したのは、白と黒のツートンカラーの洋服を纏った細身の女性だった。

 その手には、抜き身の日本刀が握られている。他に武器は見当たらないが、無駄のない動きから他は無用だと全身で表現していた。

 しかも、彼女はそのあとも動き続けた。他にも侵入者もしくは侵入しようとした者がいると感じとったからだ。


 しかし彼女は次に動き出す寸前に自身の姿を省みて、手早くフリル付きの純白のエプロンとメイドキャップを脱いで、漆黒の地味なロングスカートのワンピースだけになる。白く見えるのは、顔と手、そして足首辺りの白い布の色だけだ。

 そして黒い影となって疾走した。

 彼女の主人はエプロンを外したのを見れば文句を言っただろうが、ほとんどが黒一色なら夜の闇には最適だ。


 そして一直線に駆け抜けると、今まさに柵を越えて施設内に入った侵入者を、すれ違いざまに一刀に切り捨てる。

 刀が業物なので、骨ごと胴の深くを切り裂き、悲鳴もあげる事なく「ドサッ」と崩れ落ちる。

 切った当人は全く動じる事なく、対象が事切れたのを確認だけすると、周囲を見渡してその場から姿を消す。

 さらに次の瞬間には、今まさに建物内に入ろうとしていた侵入者を、最初と同じように背中から心臓をひと突き。一撃で絶命させる。

 そこで別の気配を察したので素早く対応しようとするも、寸前で止まった。


「やるな、メイドの嬢ちゃん」


 自身の血の池に沈む侵入者の側に立つ格好になった彼女の元に、音もなく大男が近づいてきていた。


「いえ、八神様こそお役目ご苦労様です」


 シズは大男に恭しく頭を下げる。彼が警戒を解いていると分かったからだ。この男が警戒を解いているのは、もう侵入者がいない何よりの証だ。


「だが、少し遊びすぎた。護衛失格だ」


「この程度、瑣末(さまつ)な事です。お気になさらずとも宜しいかと」


「そりゃ助かる。ちなみに、その剣はどこで?」


「剣の扱い程度、鳳に仕える者の嗜(たしな)みに過ぎません」


 日本刀についた血糊を手ぬぐいで拭うシズに、八神が片眉を上げた後、ニヤリと笑みを浮かべる。


「そうかい。麒一郎閣下は、相変わらずのご様子だな。で、時田さん、何か判かったか?」


 二人が小さな声で会話しているところに、こちらも静かに時田が近づいていた。

 シズが音もさせずに静かに一礼する。


「事前の情報通り、コミンテルンの活動員ですな。金で雇われただけの者も多数含まれていたようですが」


「アカねえ。馬賊の方もか?」


「あちらは、ロシア人から金で雇われたと証言しております。裏付けはこれからとなりますが」


「現地馬賊に露助ね。日本が新たな油田を手に入れるのを嫌がったのは、さてどっちだ?」


 その言葉に時田が一瞬思考する。どっちとは何を意味するのかは、二人の間で共通しているようだ。

 そして時田は、すぐに口を開く。


「ロシア人で間違い無いでしょう。赤いロシアでは今、新たに富農となった統制の取れない農民への対応で手一杯です。また、国家規模での計画的な経済建設を計画しておりますが、それが成功するまで日本に力をつけて欲しくはない、といったところでしょうかな」


「ま、他人の足を引っ張るのは基本だな。しかし、こちらから聞いてなんだが、俺などに話して良いのか?」


「むしろ知って頂いている方が宜しいでしょう。ついでに申しますが、ロシア人に日本が満州で油田を掘ろうとしていると言う話をしたのは、アメリカのどこか、と言う事になります」


「知っておいた方が良いが、それ以上は聞かぬが花というやつだな」


 そう言って八神は肩を竦めた。


 ・

 ・

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「んーっ! いい朝ね」


「おはようございます、お嬢様」


「おはよう、シズ。あなたもよく眠れた?」


「はい。お陰様をもちまして」


 昨日は疲れていたせいで寝すぎたくらいだ。けど、そのおかげで頭もスッキリしている。

 だから素早く起き上がり、着替えなど諸々済ませ食堂へと向かう。

 そしてその道すがらだった。


「おはようございます、姫。お目覚めは如何ですかな?」


「おはよう。目覚めは良好よ、八神のおっちゃん。えーっと、そっちは?」


 八神のおっちゃんの半歩後ろに、さらに一回り大きな巨漢が立っていた。モンゴル相撲とか格闘技をしてそうだ。


「お初にお目にかかります。わたくし、王(ワン)破軍(パイジン)と申します。以後お見知り置きを」


「え、ええ、こちらこそ。警備の人でいいの?」


(出たよ、ゲームキャラ。鳳の裏で暗躍する七星。追放された悪役令嬢の幽閉を監視する一人だ。八神さんは関係なかったのに、なんで一緒に?)


 私以外にとってはどうでも良い事を頭の片隅で思っている間にも、会話は続く。


「これは失礼。昨夜遅くに増援として到着した者です、姫」


「本日からは、わたくしも姫の護衛のお許しを頂きたく参上した次第」


 大柄な八神と、さらに一回り以上大きな筋肉の塊が恭しく礼をする。姫と従者のごっこ遊びも、相手が大男二人になると圧倒されてしまいそうだ。


(八神さんに合わせたのかな。王(ワン)ってことは大陸の人か、それとも台湾かな? 設定はあんまりないんだよね。この人。確か、実在の日本人がモデルだったっけ?)


「わざわざ大義です。護衛はお任せ致しますわ」


「謹んで承りました」


 今度は筋肉の塊が、片膝までついてしまう。やりすぎだろと思うけど、まあノリの良い人なんだろうくらいに思うことにする。

 それより少し気になる事があった。


「それより、血、の匂いかしら? どこかお怪我はありませんか?」


 そうすると、膝をついたまま顔を上げた筋肉の塊が、一瞬驚いた表情を浮かべた後、破顔する。

 意外に人好きする笑みだけど、強面な上に大柄すぎて怖いくらいだ。


「ああ、今朝方、朝食にした鳥を捌きましてな。入念に洗い落としたつもりでしたが、これは失礼致しました」


「いえ、それなら良いんです。けど、護衛ではくれぐれも無茶はなさらないで下さいね」


「これは望外なお言葉。私などのような者をお気にかけて頂き、感謝の念に堪えません。我が身、如何様にもお使い下さいませ」


(この人、いつまで従者ゴッコするんだろ? て言うか、これが「地」?)


 一瞬そう思ったけど、苦笑が聞こえた。八神のおっちゃんだ。


「王(ワン)、それくらいにしておけ。流石の姫もお戸惑いだ」


「これは失礼を。だが俺は本気だ。俺はあんたが気に入った。なんでも言ってくれ、姫。じゃなくて、鳳玲子様」


 そう言って、王という名の巨漢がビシッと陸軍式の敬礼を決めた。

 どうやらこの人も元は軍関係の人らしい。

 けど、護衛が増えたって事は、危険も増したという証拠だ。

 私は、少しでも護衛の人の邪魔にならないようにしないといけないだろう。


「ええ、こちらこそ宜しく、王さん」


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コミンテルン

国際共産主義運動の指導組織。戦前に存在。

ソ連(ロシア)以外での、ソ連共産党の隠れ蓑というか別名程度のもの。

ぶっちゃけ、スパイとテロリストとアジテーターの集団。



アカ

共産主義のイメージカラーが赤色なので、日本では共産主義者やそれに関わる全てを俗称で「アカ」と呼ぶ。



露助

ロシア人のこと。

日本語におけるロシア人またはロシアの蔑称。

使わないように。



計画経済(けいかくけいざい)

市場経済と対極に位置する。全体主義国家や独裁国家でしか基本的には不可能。

強引に生産・分配・流通・金融を国家が統制し、経済を運営する。

主に共産主義国、社会主義国が行うが、全体主義国も大好き。

総力戦の10年ほど前から始めると効果絶大、の場合もある。


架空戦記作品では、日本もたまにさせられている。だが、現状ママの戦前日本で行うのは、普通に考えたら無理ゲー。

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