010 「虎ノ門事件」

「あのね、おにいさま。わたしすごくこわいゆめをみたの」


「怖い夢? 話してごらん。それで気持ちが楽になるかもしれない」


 うん。このイケメンに言って正解だ。

 それに陸軍将校なんてしているのだから、頼っても大丈夫だろうという読みもある。


「えっとね……あしたのあさ、せっしょうのみやさまが、きゅうじょうのちかくでおそわれるゆめだったの」


「明日の朝? 摂政宮様? 宮城の近くで襲われる? それは確かに怖い夢だったね。でもどうして明日って?」


(し、しまった、具体的過ぎた。いや、もう押し通すしかない!)


「あ、あのね、ゆめでおとうさまがおはなししてたの。たいへんなことになったって。そのおへやにこよみがあって、それをおぼえていたの」


「そうか。それは偉いね。それで夢のお爺様、じゃなくてお父様は他に何か話していたかな?」


「せっしょうのみやさまはごぶじだけど、はんにんはしこみじゅう? をつかったって。それと、とら、あめりか、かぐ、っていってたの」


「仕込み銃? 宮城で虎と言えば……近くに虎ノ門があるな。となると、アメリカ大使館か? あとは、かぐ? 嗅ぐ、家具、なんだろう?……あっ、よく覚えていたね。偉いよ玲子」


 私の幼女言葉を完全に理解しているだけでも凄い龍也お兄様は、先ほどまでとは違う真剣な表情のあと、すぐに柔らかい表情に戻る。

 一方で、私自身にも驚く。朧げにしか覚えてなかった筈が、見たときの資料が頭の中に浮かんでくるような感覚があった。

 このチート頭脳は、まじチートだ。

 思わず現実逃避しそうになる。だから一瞬、お兄様に応えるのが遅れた。


「……う、うん。こわいからあたまからきえないの」


「それは怖かったね。でも大丈夫、おじ、いやお兄さんに任せなさい!」


「はいっ! おにいさま!」


 私の全身の笑顔と声に、キラリと歯が光りそうな笑みを浮かべ、そして「じゃあ」と颯爽とマントを靡(なび)かせ去って行った。

 これはどう見ても行動開始の動きだ。

 キビキビとした軍人らしい、さっきまでとは全然違う動きだった。


(アレ? これだけで信じてくれたの? 確かに夢としては具体的すぎる説明だったとは思うけど、それでももう少し聞いてくるか、逆に疑うもんじゃない? それとも、これが本物のイケメンってやつ? 幼女の願いは全て叶えてあげようとか、イケメン過ぎない? そりゃあ、22で既婚で子供もいるわよね。女が逃すはずないわー)


 そう思いつつ、あまりにも気になったので部屋を出て行ったイケメンを追おうと動く。

 そうすると部屋を出た廊下の少し先で、イケメンすぎる龍也お兄様と祖父の麒一郎が何かを話していた。

 小声で距離もあるので一部しか聞き取れなかったが、どうやら本気で調べに行くらしい。


 一方で、それを聞くお爺様じゃなくてお父様の表情が、いつもの昼行灯モードからエリート軍人っぽい真剣で怖い表情になっている。

 そして話を聞き終えると、その真剣な視線が私を捉える。

 ほんの一瞬だったが怖いくらいの視線だ。しかしそれも本当に一瞬で、すぐに私に向ける優しげな視線と表情に戻る。

 私もそれにぎこちなく笑みを返して、すぐさま元いた部屋へと戻る。


(あのジジイ、絶対に人畜無害を装ったタヌキだ。コエー。ボロを出さないように気をつけないと)


 そう覚悟したが、お爺様から何かを聞かれる事はなかった。

 



 私が歴史が書き換わったのを知ったのは、次の日、12月27日の昼過ぎ。ちょうど曾爺様たちと昼食をとっていると、急の連絡が入った。

 使いの者は曾爺様に耳打ちしただけだが、かすかに聞き取れた言葉の中に、摂政宮、未遂などという単語があった。

 それで屋敷の中も慌ただしくなったが、私が何かを問われる事はなかった。


 事件の概要については、翌日の新聞で知る事ができた。

 皇太子・摂政宮裕仁親王が虎ノ門外を車で移動中、仕込み銃を所持していた挙動不審者をお兄様、鳳龍也中尉が取り押さえ事なきを得たと書かれていた。

 そしてその未遂犯は、言わなくても良いのに摂政宮様を暗殺するつもりだったと自供。一気に大事件となった。


 なお、お兄様が偶然居合わせたのは、年末休暇で宮城を参拝しようとしていたと書かれており、さらにポイントを稼ぐ事、不審に思われない事も忘れていない。流石お兄様だ。

 そしてその紙面の一角には、お兄様のキラッキラな略歴も書かれていた。

 陸軍士官学校33期。地方幼年学校・中央幼年学校・士官学校の全て首席の超成績優秀者。来年行く予定の陸軍大学の首席も確定だろうと言われている。しかも剣道、柔道の有段者で騎兵将校なので馬術も巧み。

 しかも財閥出身なので軍務だけでなく経済にも明るく、将来を非常に嘱望されている人物なのだそうだ。

 その上で、今回の大手柄だ。

 イケメンすぎるせいか、顔写真まで新聞に掲載されている。


(そういやこの新聞、鳳財閥の会社が出してる新聞だから一族の顔写真くらい載せるか。割いてる紙面も凄いし。……そんな事より、私、日本の歴史より、お兄様の将来を大きく変えちゃったんじゃあ?)


 もはやそうとしか思えないほどだ。

 しかも事が事だけに、その後お兄様は偉い人達に呼ばれ倒した。


 総辞職を危うく回避した山本内閣からは、総理大臣の山本権兵衛海軍大将から感状を授与された。

 皇太子(摂政宮)が無事でもテロが実行されていたら、確実に内閣は引責で総辞職せざるを得なかったので、非公式の場では色んな人にめっちゃ褒められたらしい。

 それくらい皇族が関わる事件は影響が大きかった。

 未然に防いだので内閣はそのまま続いたが、警備責任で内務省、警察などいろんな部署の人が引責で処罰され、辞職も少なくなかったのだそうだ。中には責任を取らなくてもいいのに、自分が許せないとかで辞職した人もいたという。

 犯人とその一族も、事件が未遂なのに当人は死刑、議員だった父親が自ら断食して自死するとか凄い事になっている。


 一方お兄様は、陸軍では陸軍大臣の田中義一をはじめ当時の偉い人達と次々に面会。さらには皇族のしかも皇太子の危機を救ったという事で、元老とも会ったそうだ。さらに一部の皇族方にもお褒めの言葉を頂いた。

 もう、この時代の日本の有力者全員に会う勢いだ。

 しかも、あとは鳳一族、鳳財閥内で表彰しておけば良いと思われたところに、さらに別口からのお呼びがかかった。


「今度は毛利公爵のお屋敷か。流石に参ったな」


 とは、本邸屋敷で休憩中のお兄様の口から思わず出た愚痴だ。

 鳳家が長州藩士という設定、いや建前、いや事実を思い出した連中が、事が事なので自分達も褒めておかないといけないと、呼び付けたのだ。

 そして毛利公爵閣下からも、お褒めの言葉を賜ったらしい。



(公爵かあ。異世界ファンタジーと違って、この時代の日本には公爵家は結構あるから、あんまり有り難みはないわよね。それ以前に、欧州での公爵と言える宮家がいっぱいあるし)


 お兄様の後日談自体は、そんな他人行儀に思っていられた。

 しかしこれで、私が歴史を動かした事になるのだろう。

 そう思うと不安が頭をもたげてくる。どうでも良い事を考えるのは、ある種の現実逃避だという自覚すらあった。



_______________


虎ノ門事件(とらのもんじけん)

1923年12月27日、日本の東京市麹町区虎ノ門外において、皇太子・摂政宮裕仁親王(のちの昭和天皇)が無政府主義者の難波大助から狙撃を受けた暗殺未遂事件。

関東大震災後に頻発したテロ事件の一つで、震災復興を進めていた第2次山本内閣は、引責による総辞職を余儀なくされた。

このせいで、震災復興が混乱する事になる。


アメリカは、犯行現場の芝区琴平町一番地西洋家具商あめりか屋前の群衆の中に犯人がいた事から。


また犯人の父親が議員で、彼が責任を取って自死でいなくなったことで、この空いた選挙区から松岡洋介が登場して来る。

なんとも、歴史の因果を感じてしまう。

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