004 「鳳のお屋敷」
関東大震災のあったその日のうちに、鳳本家の屋敷に到着した。
私が地震に遭遇した洋館は横浜にあった。
あとで聞いたが、屋敷は沿岸部の旧外国人居留地の近くにあったので、山下公園を作る際の埋め立てに使う瓦礫の一部となるだろう。
車で到着したこの屋敷こそが、私のこれからの家だ。
そしてその屋敷を見て私は絶句した。
ゲームで見た背景絵とそっくりの豪華な洋館だったからだ。
(本当にここはゲームの中じゃないの?)
目の前の洋館は、帝都東京の宮城南西、六本木のあたりに、周囲を睥睨するように建っている。
宮城近くの官庁街と言える場所に大きな屋敷を構えている事で、鳳という一族が日本政府にどれだけ近いかを物語っている。華族にして財閥は伊達ではないという事なのだろう。
あの三菱財閥の一族本邸ですら上野の不忍池の辺りだ。
周囲に陸軍関係の施設も多く、すぐ近くは中央官庁街。
この時代の軍人かその後も含めて中央官僚をしていたら、勤めるのにはすごく便利な超一等地に我が家があった。
そして屋敷は、場所に相応しい威容と豪華さを有していた。
重厚な門扉と丈夫な塀、そしてその中に広がる立派な庭。門扉から伸びる道の向こうに鎮座する、二階建ての豪華な外装を有した大きな洋館。
まるで明治大正時代の歴史上の建造物のようだが、それもその筈でゲームでのこの洋館は歴史上の建造物をモチーフとしていると設定資料に書かれていた。
そして屋敷全体がこれだけ雄大なのは、明治初期にどこかの大名屋敷の一部を払い下げられたという設定が付随する。
その洋館の正面玄関の辺りが張り出し、二階はベランダになっている。
正面玄関に車や馬車を止めた際、乗り手が雨に濡れない為だ。
また屋敷の装飾ではあるが、洋館の四隅には小さな塔があって、屋根自体にも窓が見えるので屋根裏もありそうだ。暖炉用の煙突も各所に見える。
また洋館以外にも、幾つかの建物が敷地内には建てられている。別の一角には、「ご隠居様」が普段使っていた和風の離れもある。
庭には、ガラス張りの温室や東屋もあった筈だ。ゲームではそこで攻略対象と逢瀬を楽しむのだ。
私ではなくゲームの主人公が。
敷地面積は優に1000坪くらいあるだろう。私の感覚が追いつかないだけで、もっと広いかもしれない。
そして重要な事だが、関東大震災で小揺るぎもしていない。
この辺りの地盤のお陰もあるだろうが、よほど丈夫に建てられているのだろう。外壁も地震に弱い煉瓦ではない。
まるで地震に備えたような印象すら受けてしまう。
そしてその重厚な洋館の広いポーチで、何人かの貴人が待っていた。
中央にいるのは、一人は軍服でもう一人は袴姿。いかにも大正時代を感じさせる。
私を乗せた車の方は、館の使用人が門扉を開くとそのままポーチの前まで移動する。
「只今戻りました、旦那様、ご隠居様」
「ご苦労だった、時田。それで?」
旦那様、ご隠居様と呼ばれた二人が一瞬目線を合わせ、そして旦那様の方が執事の時田に話しかけた。
軍服姿の旦那様が私の祖父に当たる鳳 麒一郎(きいちろう)、袴姿のご隠居様が先代当主で今は隠居している鳳 蒼一郎(そういちろう)だ。
他にも数名いるが、今は良いだろう。
「はい。麒一(きいち)様は、横浜のお屋敷で瓦礫の下敷きとなり亡くなられました。即死だったと思われます」
「それは使いの者に聞いた。龍次郎(りゅうじろう)が鳳の病院に担ぎ込まれた事もな。で、その子が?」
「はい、麒一(きいち)様のご長女玲子様にございます」
時田がそう言いつつ、私を腕ごと恭しく示す。
麒一というのは私の父の名だ。父と言われても、私ではない私の記憶にしかないので今ひとつ現実感や親近感がない。
崩れた横浜の屋敷で「おとうさまは?」と問いかけ、それに時田が「お亡くなりになられました」と事実を告げたのだが、全く現実感がなかった。
私にとっては知識としての父であって、感情的にはほぼ他人だ。
だから能面で通すしかなかった。
しかし周りはそうは取らなかったようだ。
軍服を着た壮年の男性が膝を折って、私に出来る限り視線を合わせる。軍人なので体つきがしっかりしている上に姿勢が良い。
この体の知識として知っているのは、生まれた頃に何度か会っているらしいと言う朧げな記憶。だから私がこの人を祖父と認識するのは、比較的最近に写真を見せられてそれを覚えているからだ。
その人物は普段は呑気な表情らしいが、今はすごく優しげだ。
「強い子だ。良いかい、これからはここがお前の家になる。私の事も祖父ではなく父と思いなさい」
どう反応して良いのか分からないので、目を何度か瞬かせる。
そうすると何も言うなとばかりに優しげに頷く。
そしてその顔は、記憶の中の父親、麒一に似ていた。
「泣くときは、声を出すと良いよ。強い子よ」
次にそう言った祖父が、自らのハンカチで私の頰を拭う。
全く気づかなかったが、私はとうとうと涙を流し続けていた。
私には単なる記憶でしかないが、この体の主にとって父親がどう言う存在なのかを深く理解できる涙だ。
だからそのまま、本能とでも呼ぶべきものに体を委ねる事にした。
気がつくと豪華な洋室の中で眠っていた。
泣き疲れて眠ったらしい。
(天蓋付きのベッドなんて、いつかの旅行で泊まった豪華なホテル以来ね)
そうして見渡した部屋は、豪華ながら落ち着いた品の良い調度品がセンス良く配置されていた。
今は客間のようだが、恐らくここがこれからの私の部屋になるのだろう。それを示すかのように、3歳の女の子が好みそうなぬいぐるみやお人形が置かれている。
「お人形さんとぬいぐるみさん、これからよろしくね。玲子って言います。あなた達のお名前は?」
私がこの世界を意識してから初めて「自分の名前」を名乗った相手は、西洋人形と猫のぬいぐるみだった。
そして部屋の先客に挨拶も済んだし体調も特に問題なさそうなので、起き上がってまずは部屋の物色もとい確認だ。
部屋の中には机と大きな本棚があり、本棚には豪華な装丁の本がかなりの数の綺麗に並んでいた。これだけで、この家がお金持ちだと推測できてしまうほどだ。
だが残念な事に、その半分以上に手が届かない。
「こ、この可愛い体が恨めしいと思うとは……」
仕方ないので椅子を持ってきて、その上に乗りお目当の本を取る。
この時代に書かれた近代、いやこの時代の現代を記した歴史の本だ。目次を見れば、「世界大戦」つまり私の知る第一次世界大戦の事までが書かれている。
そしてしばらく、ざっとだが本を読み進める。この世界の知識を手に入れ、転生前の記憶と同じかどうかを確認しておかないと、誰かと話す時に迂闊に話題にもできない。
(うっ、読み辛い・・・)
読み始めて初っ端から躓きそうだ。
何しろ第二次世界大戦前の書式なので、漢字が古く複雑なものが多い。さらにカナ文字はカタカナ表記だ。しかも横書きが、右から左への逆向き表記。印刷も21世紀と比べるとかなり雑だ。
(そりゃそうか、100年近く昔だものね)
だが、読んだ甲斐はあった。この世界の歴史は、ごく一部を除いて転生前と同じ。地理についても同様。
ついでに言えば、我が鳳一族以外、少なくとも歴史上の人物で史実と異なる名前は、取り敢えずだが見当たらない。
鳳一族の影響で違う歴史を歩んでいる歴史上の人物も、少なくとも歴史上の大きな視点ではいないようだ。
だが我が鳳一族の影響によって、この世界の歴史は私の知る歴史とごく一部が違っていた。
原因は鳳一族が存在して財閥経営をしている事ではなく、この屋敷に来たときに優しく出迎えてくれた祖父の麒一郎が「日露戦争」でハッチャケた影響だ。
鳳麒一郎は日露戦争で騎兵として従軍した。しかもどちらかと言うと、現地民族の慰撫、懐柔が主な役目で、それを鳳財閥の私財を使って派手に行い、ロシア軍の補給線と後方を引っ掻き回したのだ。
この影響で、日本は戦争に私の知る歴史よりも、もう少し有利に勝利する事ができた。
日本が満州(中国東北地方)での権益を多く得る事を拒んだ代替の賠償として、私の前世の歴史では南半分だった樺太島が全て日本に割譲されていた。
おかげで日本は余計な陸の国境を抱えずに済んだし、何より樺太島の北部にあった炭鉱と、戦争が終わった時点では殆ど意味のない油田を手にいれる事ができた。
そして日本の樺太全島獲得は、ゲーム「黄昏の一族」の設定でもある。
日本が樺太北部を得る事により増えた富を鳳財閥の富とする事で、可能な限り史実に存在した財閥の資産に手を付けないように調整したのだ。
何しろ設定上での「鳳凰院財閥」は、三菱、三井、住友に匹敵する大財閥だ。
それがゲーム上では、史実での鈴木商店のように1920年代後半に傾いて実質的に破綻し、ゲーム開始時の1936年には完全に黄昏ていた。
そしてその起死回生として、公爵家の家柄を武器として大財閥との姻戚関係を結び、なんとか財閥と何より一族の存続を図ろうとした。
その婚姻を画策するご令嬢が、今の私のモデルかもしれない鳳凰院玲華だが、玲華は日本を滅ぼすとして一族から日本を追放され、一族は詰め腹を切るように実質的に滅亡へと向かう。
それがゲームのエンディングのお決まりパターンだ。
そしてこの世界でも、樺太は全部日本領で、鳳財閥は樺太島北端の油田に大きな利権を有している。
これを偶然と言い切る事は難しいかもしれない。
ある程度、もしかしたら全面的にゲームの中の世界と考えて行動するべきかもしれない。
しかし、まだ情報が足りない。今の私に必要なのは情報だ。
情報がなければ、味方を得るために迂闊に他人と話す事もできない。
(とは言え3歳児じゃあ、しばらくは良い子にして穏やかな人間関係を作るくらいしか手はないわよね)
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