005 「鳳一族」


「玲子お嬢様、お目覚め下さいませ。朝で御座いますよ」


 その声で目が覚めた。

 昨日、関東大震災のあったその日は、私の新しい部屋を出る事はなかった。少し遅い夕食も、今声をかけてくれた女中(いや私は断固メイドと呼ぼう)が運んでくれた。

 そしてその日は、可能な限り部屋にある本を社会科の授業に関わるジャンルを中心に読み漁った。

 だが、悲しきかな今は3歳児。

 思考と知識がアラサー女子の転生前と同じでも、肉体スペックが全然追いついていない。予想よりずっと早く眠気が襲ってきて、本をしまう間も無く眠りに落ちていた。

 そして今、メイドにモーニングコールを受けている。



「おはよー、麻里」


(女児ひとりに複数のお付きがいるとか、この家は金持ちで間違いないわよね。セレブめ! いや、時代を考えたら『このブルジョアめ!』か)


「おはようございます、玲子お嬢様」


 私が口にした事より遥かに多くの事を心で思っても、私付きで一番偉い(と思う)メイドの麻里は柔かに笑みを浮かべる。他2名も同様だ。

 だが、その笑みの真意を私は知っている。私が昨日父親の麒一を失ったから、私の気持ちなどを考えてくれているのだ。

 しかも私の母の希子(きこ)も、私が1歳を迎える少し前に他界していたので、その辺も考えてくれているのだろう。


 なお、母の死因は何かしらの胃腸炎らしいが、この時代は21世紀なら簡単に治る胃腸炎でもかなり簡単に命を落とす。それがこんなセレブでも、あまり関係はない。治療法自体がまだ未熟だからだ。

 その事を、歴女たる私は主に医学を題材とした聖典(漫画)から学んだ。いや、疑問に思ったから多少は本物の知識や資料にも触れたけど。

 それはともかく、私は昨日母親だけでなく父親まで失った。

 大人が優しくして当たり前だろう。私自身も、この体というか魂というか、そういったものが悲しさに囚われているのを感じる事ができる。


 なお、麻里はこの家に仕えるメイドの一人で、ゲームにも登場する。執事の時田の奥さんで、いわゆる職場結婚した間柄だ。

 年に似合わずスラリとした見た目はゲームと変わらない印象なのだが、それは年齢の影響だ。この時代、60歳を超えたら十分老人だ。麻里はこの時点では50代前半くらいの筈だが、あまり印象が変わらないのも医療や生活習慣、食べ物の違いの影響だろう。

 しかしこの時代くらいに生まれた人は、その後長生きして長寿大国日本へと繋がっている。適切な医療と、そして豊富な量の食べ物のおかげだ。

 そして私の胃袋は、その片方を要求するべく幼女らしからぬ非難の声をあげた。


「アラアラ、お食事に致しましょうか。お部屋で食べますか? それとも食堂に参られますか?」


 麻里は私を幼女ではなくちゃんと淑女として扱う。3歳児でも相応の教育が施されている事を知っているからだ。財閥を率いる一族ともなれば、それが当然らしい。少なくとも鳳一族では。

 そして私の答えは決まっていた。そろそろ次の情報確認をしたいと思っていたところだ。


「みんなとたべう(うっ、まだ上手く喋れない)」


「はい。では、お着替えを致しましょうか」


 そうセレブな私は、一人で着替えるのも許してもらえない。

 まあ、まだ3歳児の体に慣れていないので、随分助かるんだけど。



「おはようございます」


 舌足らずな言葉でお辞儀付きのご挨拶をした食堂では、すでにこの屋敷に住んでいるか、拠点としている一族の人々が縦長の大きなテーブルを囲んでいた。

 鳳一族は、基本的にヨーロッパ様式の生活スタイルだ。

 だから椅子とテーブルで食事なのだが、3歳児には少し物理的なハードルが高い。そこで麻里達の手助けを借りて、子供用の椅子へと腰掛ける。

 そして目の前には、和洋折衷な朝食が既に置かれていた。


 食べる時間がマチマチなので、わざわざ全員を待ったりせず、それぞれが食事をしている。

 既に食べ終えてコーヒーを飲んでいたり、まだ食べ始めたばかりだったりする。だが席に着いた者が立つ事はない。

 もしかしたら私を待っていたのかもしれない。


 とりあえず食堂にいる人たちとの朝の挨拶をそれぞれ交わすと、食事に集中する。3歳児では食べるのも全力が必要だ。

 だが、どこからかの視線を感じた。逆に私も食べながら周囲を密かに観察する。


 この屋敷に住んでいるのは、基本的に本家筋の者だけ。

 もっとも、私は本家の長子に当たるが、父の仕事の都合で横浜にいて地震に遭った。

 そしてこの先待っているのは、いわゆる跡目争いだ。これはゲームの資料にもあったのと同じだろう。

 今は曽祖父の蒼一郎(そういちろう)が隠居したので、軍服姿の祖父の麒一郎(きいちろう)が一族当主だ。この人は日本陸軍の高級将校で、この時点での階級は大佐。「昼行灯」と言われるほどなので、出世は遅れ気味だ。

 そして昨日も少し話に出ていた、私にとっての大叔父に当たる曽祖父の次男が財閥総帥の龍次郎(りゅうじろう)。


 一族当主が軍人なのは、一族として華族が国家に尽くすのが当然という建前だが、当人が自分には商才はないと考えての行動だ。

 実際、龍次郎(りゅうじろう)は、第一次世界大戦での戦争特需で財閥を大きな拡大に成功している。ゲームではそれが鳳財閥の破滅の第一歩でもあるのだが、この時点ではまだ十分な成功者だ。

 しかし彼は、昨日の地震で瓦礫の下敷きとなって入院したようだ。

 少なくとも私の父よりも運は少し良かったらしい。


 なお、鳳財閥はかなりの規模なので、私の父のように多くの一族が経営に参加している。

 義理の大叔父の善吉(ぜんきち)もその一人で、大叔母の佳子(けいこ)の婿養子として鳳一族に加わったが、認められただけあって優れた経営手腕を有している。

 ちなみに、こうして他から一族に招き入れた者に経営を委ねるのは、江戸時代からの豪商、三井や住友がよく使う方法らしい。だからそうした豪商は、順調な経営を数百年も続ける事が出来たのだそうだ。

 それを我が一族も少し真似た形になる。


 大叔父はもう一人いるが、この人は経営者というより技術者だ。

 曽祖父の三男にあたり、名は虎三郎(とらさぶろう)。なんでも、20世紀初頭にアメリカに留学して、そのまま現地の自動車企業で腕を磨いて認められたという変わり種の経歴を有している。

 財閥関係者というより完全な職人肌の技術者で、今もこの場には居らず、工場近くに居を構えている。

 ゲームでは、メカ博士な担当となる。


 なお、鳳の男子の名前が麒麟由来だったり龍や虎が付いていたりするのは、この一族の特徴だ。

 鳳を朱雀と見立てて、男子には大陸の聖獣(麒麟・白虎・青龍・玄武・朱雀)から一字を取っているからで、また初代が玄一郎と玄武由来なのも影響しているらしい。


 そして以上が、一族と財閥の中心。

 だが、もう一つの一族の柱として、曽祖父の弟の家系がある。

 その家系は紅次郎(こうじろう)と言う分家当主の名から「紅家」と呼ばれることもある。ただし「後ろの家」とかけていると揶揄されている。

 それに対して本家は宗家とかけて「蒼家」だ。

 そして「紅家」は、鳳財閥の有する製薬事業と病院事業、学校事業を管轄している。一族にも医療関係者、学校関係者が多く、大叔父も鳳病院に担ぎ込まれた筈だ。

 それではなぜ鳳財閥が製薬事業に手を出しているのか。

 それが創業者というか、実質的な初代が原因している。



 もっとも、初代の素性はよく分かっていない。

 メタな解釈だと、私の前世の記憶では何でもないことで死んでしまい、歴史に登場し損ねた人の一人、という事になる。

 一族の歴史のターニングポイントに立つ人物だ。

 そして彼の生涯だけで十分物語が一本書けてしまう程、波乱万丈の生涯を送っている。


 名前は大鳥(おおとり)玄一郎(げんいちろう)。私から見れば殆どご先祖様だが、血筋で言えば高祖父に当たる。

 1835年(天保6年)生まれの家は長州藩の武士という事だが、一族は初代が登場した頃には事実上断絶している。しかも大鳥という姓から考えて、本当に長州藩の武士なのかは怪しい。

 とにかくその一族からは、初代は死んだものと考えられていたらしい。

 一応は一族を「鳳」と改名の上に再興した流れになるが、恐らくは経歴詐称だろう。そして初代が長州藩出身なのも、歴史上の表舞台に登場するのも、全て日本の歴史が深く関わっている。


 大鳥の家は下級武士だが、小さな廻船問屋の商売をしていた。

 玄一郎も、10歳そこそこで実質的な丁稚奉公で働くようになる。そしてある時、商取引のために船に乗り込み五島列島へ。そこで嵐に巻き込まれて船は難破。私の前世の歴史上では、この時点で死亡している事になる。

 だが乙女ゲーム『黄昏の一族』の世界では運よく助かる。


 しかし彼を助けたのは、大陸の密輸船。取り敢えず助けられたが、そのまま彼は実質的な奴隷として大陸のとある港町で売り払われてしまう。

 なんかこう、もう少しマシな設定を与えられなかったんだろうか。ご先祖様、マジ大変すぎ。


 だが玄一郎は、不屈の闘志と行動力を見せる。

 奴隷の生活から逃げ出して、子供ばかりの結社(マフィア)、要するに暴力を生業とする人達の集団に加わる。その頃には、もう現地の言葉を覚えていたらしい。

 そしてそこで、持ち前の才能を発揮して成り上がっていく。

 主な活動拠点は、当初は南京だったらしいが、『太平天国の乱』の間に当時拡大の一途にあった上海に拠点を移し、波にも乗って勢力を拡大。

 様々な「事業」にも手を出し、当然、阿片、武器の売買にも手を染めている。鳳に製薬会社があるのも、阿片を扱っていた影響なのは間違いない。


 それまでの間に高祖母の麟(りん)と結婚し、曽祖父達が生まれている。

 麟は、玄一郎の活動拠点を考えれば大陸出身と思いがちだが、巫女だという。当然神道の巫女だから日本人だ。

 曽祖父の話では、高祖父が日本と大陸で密貿易をしていた時に、取引場所にしていた日本のとある島で見初めたのだそうだ。

 だから大陸で生まれ育った曽祖父の蒼一郎と次男の紅次郎は、日本語と言っても訛りの強い日本語で育てられている。

 しかも上海での生活なので、日本に来てからしばらくはかなり苦労したそうだ。


 そして幕末、長州藩が極秘に上海に武器の買い付けに来た時、運命的な出会いを果たす。

 上海でかなりの規模の結社の幹部となっていた頃、日本語、上海語、片言の英語、さらに読み書きと計算が出来るので、長州藩士との接触と交渉に成功したのだ。

 そしてその後、晴れて日本に凱旋を果たし、維新志士の一人として名を連ねる事になる。


 もっとも、ゲーム世界での裏話として、玄一郎の活躍で長州藩がある程度の武器弾薬を手に入れた為、薩長同盟が危うくご破算になるところだったとされている。

 また、玄一郎は坂本龍馬を疎ましく思っていたので、暗殺の黒幕の一人とされていたりもする。

 そうした歴史の流れのせいか、三菱とは意外に仲が良い。



 そして明治に入り、鳳一族は大きく飛躍を遂げていく事になる。

 まさに鳳凰のように。


 とはゲームでの解説だ。


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太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)

太平天国の乱は、1851年に清で起こった大規模な反乱。洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起きた。長髪賊の乱ともいわれる。

14年も内乱は続き、清は大きく荒廃し、国力も消耗した。

中華世界での王朝末期に起きる『恒例行事』と言えるが、アヘン戦争より国を損なった。

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