第8話 美織という少女

 「綾葉あやはさん」


 ルシアが去った後の店内。


 「すごくかっこよかった」


 美織みおりが熱を込めて言った。


 「あら、ありがとう」


 少し照れている綾葉。


 「でも、どうしてあんなに綾葉さんに戻ってきてほしいんだ……?いくら爵位継承のためでも熱心すぎる気がするのは俺だけか?」


 かなでが頭の上に疑問符を浮かべる。


 「あぁ、そのこと。それは、私の魔力が希少だからよ」

 「『治癒魔法』が?」

 「そう。希少なうえ必要不可欠じゃない?だからその魔力を利用したいっていうのもあると思うわ」


 へえ、面白い、と美織が呟いた。


 「ねえ、綾葉さん。綾葉さんのこと、リフィアさんって呼んだ方がいい?そっちが本当の名前だって聞いたから」


 奏が聞く。


 「絶対嫌。人間界に来た時、もうその名前は捨てた気でいたの」


 悲しさを宿した瞳で綾葉が言う。


 「だから、今まで通り綾葉って呼んでくれた方が嬉しい」

 「わかった」


 今日は、いろいろあったし、もう店を閉めましょうか、と綾葉。

 入口にの取っ手に掛けていた看板を、「CLOSED」に変えた。





 数日後、放課後の青空カフェ。


 「美織ちゃん。ちょっとやってみてほしいことがあるんだけど」

 「えっ」


 綾葉が美織を手招きした。


 「私の杖を持って、歌ってみてくれない?」

 「なんで?」


 その疑問に、綾葉は笑って答えない。

 とりあえずやってみよう、と美織は、綾葉から杖を受け取った。


 「何を歌えばいいの?」


 本当は何でもいいんだけど……と言い、綾葉が口に出したのは、一昔前に流行ったバラードだった。


 「この曲、私が人間界に来て初めて聞いた曲でね。魔法界での生活がつらかったから、この曲を聞いてすごく感動したの」


 そんな曲を美織ちゃんに綺麗に歌ってもらえたら嬉しい、と微笑む綾葉。

 美織は店の奥のステージに立った。

 杖を握ったまま、目を閉じて呼吸を整える。

 目を開けたとき—――……、美織の瞳はエメラルドに染まっていた。

 ガラスのコップを磨いていた奏は、目を見開き、持っていたコップを落とす。


 「マジかよ……」


 意外にも綾葉は冷静で、切れ長の蒼い瞳で美織を見つめている。

 ああ、やっぱりだ。美織ちゃんは……。




 

 歌い終わった美織の瞳は、いつの間にかいつもの暗褐色に戻っていた。


 「綾葉さん、歌ってみたけど。何かあったの?」


 本人は、瞳の色が変わっていたことに気づいていないようだ。


 「ええ、少し確かめたいことがあったのよ。ちゃんと証明されたわ」


 奏は薄々気が付いている。

 多分、美織は—――……。


 「美織ちゃん。あなたは、魔法使いよ」


 美織は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、


 「やっだなぁ、綾葉さん。急にそういう冗談いらないよぉ」


 美織は、ペシペシと綾葉の肩をたたく。

 綾葉は真剣な表情を崩さない。


 「本当、なの」


 信じられないことを信じられる人の口から聞くと、頭がショートするらしい。

 美織はこの時その症状に見舞われた。


 (えーと、綾葉さんが魔法使いって言って私は魔法使いで歌って杖持って……?)


 情報が混乱しているせいで、まともなことが考えられなくなっている。


 「美織ちゃん、何歳?」

 「えっと、誕生日は九月だからまだ十二歳」

 「あら、ちょうどいいわね」


 適性魔術判別試験。

 魔法使いが自らの適性魔術を見極めるために受ける試験だ。


 「六月にある、適性魔術判別試験を受けてもらいたいの」

 「それだと私が魔法使いってことになっちゃうんですが……」

 「だーかーら、美織ちゃんは魔法使いなんだってば」


 え—――、そんなの信じられるわけない。


 「だから、美織ちゃんに自覚してもらう意味も込めての提案なんだけど?」


 んー、それなら……、と美織は恐る恐るOKを出す。


 「美織。杖もって歌ってるとき、目の色変わってたぞ?」

 「えっ」


 ねえねえ、何色だった?……と、少しズレたところに興味を持つ美織。

 「エメラルド」

 「え~~~~、かっこいいじゃーん、私」


 頬に手を当ててクネクネしている。


 「というわけで、今日もよろしくね、二人共」


 はぁい、と返事が二つ重なった。





 ……と、張り切ったはいいものの。


 「お客さんが来なぁいぃぃぃ」


 三人はやる気満々でカウンターに立っていたのだが、一向に客が来ない。

 美織に至っては、客席に座り、カウンターに突っ伏している。


 「やる気失せた……」

 「えぇ、もうちょっと頑張って」


 と、不意に入口のベルが鳴った。

 おっ。来た来た。どんな人かな~。

 姿を見せたのは、三十代前半くらいの男性だった。

 スーツを着ていて、いかにも会社の休憩時間に立ち寄りました、という風情だ。


 「いらっしゃいませ。私、オーナーの綾葉と言います」


 お客さんが来た途端、営業スマイルに変身した綾葉が名前を言う。

 相変わらず乗り気ではないが、美織と奏もそれに続いてぼそぼそと名乗る。

 客席に座った男性は、大きくため息を吐くと、メニューを開いた。

 いつものように綾葉が、青空カフェ自慢のコーヒーを勧める。

 そこで二言三言話し、綾葉はカウンターに戻ってきた。


 「アイスティー、ガムシロップ付きで、だって」


 ガムシロップをつけるなんて、男性にしては珍しいな、と美織は心の中で呟く。

 アイスティーなら、冷蔵庫に入っているピッチャーから注ぐだけなので、綾葉が担当だ。

 男性は、待っている間、宙を見つめていて、心ここにあらず、という様子だ。

 大丈夫なのかな……。

 綾葉が、グラスに注いだアイスティーにガムシロップを添えて、男性の目の前に置いた。


 「どうぞ」


 男性がどうも、とモゴモゴ口の中で呟き、ガムシロップを開けた。

 そして—――中身を全て注ぎ込んだ。

 えっ、入れすぎじゃない? と、美織が心配するほどの量だ。

 しかし、男性はそんな美織に気づきもせず、アイスティーをごくごくと飲む。

 グラスをコースターの上に置き、男性はまた、大きくため息を吐いた。

 またため息……。

 違和感を感じた綾葉は、男性に聞いた。


 「何か、お悩みでも?」


 刹那、すがるような目を見せた男性だったが、すぐに顔を俯かせてしまった。


 「誰も、俺の気持ちなんかわからない」


 そんな男性の態度に、綾葉は表情を崩すことなく言った。


 「そんなこと、わかりませんよ?実は私、カウンセラーの資格を持っているんです」


 綾葉が表情を和らげる。


 「もしよければ、あなたのお悩み、私にお話しくださいませんか」

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