第6話 私……歌を聞いて泣いたの、初めてです

 青空カフェには、いったい何に使うかわからないステージがあった。

 しかし、美織みおりが歌うことになったおかげで、そのステージが使われるようになる。




 

 美織がステージを見つめる。

 —――私がここで働くことにならなければ、このステージは使われないままだったんだよね……。

 ステージには、スタンドに固定されたマイクがある。

 その前に立つと、美織は小さく咳払いをした。


 「美空みそらさん。何か、リクエストはありますか?」

 「あ、じゃあ、この曲をお願いします……」


 そう言って美空が口にしたのは、卒業ソングで知られる合唱曲だった。

 とても有名なため、美織も知っている。


 「わかりました」

 




 美織は、目を閉じて呼吸を整えた。


 「えと、じゃあ、いきますね」

 

 —――歌声がはじけた。

 

 あれ、「歌」って、こんなものだったっけ……。

 美空は、「歌」の概念を疑ってしまうほど、歌を聞いて美しいと思ったことはなかった。

 不意に脳裏のうりよみがえったのは、中学校の卒業式の情景。

 

 —――ずっと友達だよね!


 中学校生活で、一番仲の良かったあの子。

 卒業式の日、彼女は涙を浮かべながら、それでも笑顔で、ずっと友達、と言ってくれた。

 —――今、どうしているんだろう。

 スマホを持っていない美空には、あの子との連絡手段がない。

 電話番号だけでも、聞いておけばよかったな……。

 高校で友達ができないなら、中学の時の友達を大切にすればいい。

 —――なんて単純なんだろう。

 今度、家を訪ねてみようかな……。





 歌が終わる。


 「やっぱり、美織ちゃんの歌は感動するわねー」


 美織の歌を聞いたのは二度目なのだが、綾葉あやはは涙ぐんでいる。


 「美空さん……、ティッシュ要ります……?」

 「えっ」


 美織に遠慮がちに聞かれ、美空は自分が涙をこぼしていることに気づいた。


 「ティッシュ、貰ってもいいですか?」


 もちろんです、と美織が微笑んだ。

 涙をふくと、美空は言った。


 「私……歌を聞いて泣いたの、初めてです」


 綾葉がそれに同調する。


 「私もなのよ。この間初めて聞いたんだけどね」


 そうなんですか、と相槌を打ち、美空は目を伏せる。


 「この曲、私が中学の卒業式で歌った歌なんです」

 「へぇ」


 少し寂しそうな表情の美空。


 「中学の時、すごく仲が良かった友達がいたんですけど、その子のこと、思い出しちゃった」


 そう言って恥ずかしそうに笑う。


 「それで、今度会いに行こうと思うんです」

 「いいですね!」

 思わず美織は身を乗り出した。

 —――ああ、良かった。この人も、私みたいに自分なりの答えを見つけたみたいだ。

 美空がコーヒーの代金をテーブルにおいて、席を立った。


 「コーヒー、ご馳走様でした。おいしかったですよ」


 最後の言葉をかなでに向けて言い、美空はカフェから出て行った。




 

 「綾葉さん、私、今日分かったことがあるよ」


 美織は綾葉に向けて言った。


 「奏って、一人が好きっていうより、女子が苦手なんでしょ」


 奏がみるみる赤くなる。


 「み、美織っ、変なところ勘づきやがってッ」


 奏が美織に噛みつく。


 「美織ちゃん、よく気付いたわね。ひーくん、私のところに下宿し始める時も、最初、すごく渋ってたのよ」

 「え—――っ、ほんとに!?」

 「もうその話はやめろッ」

 「あら、楽しそうじゃない」


 唐突に、綾葉でも美織でもない、女性の声が話に口を出した。


 「誰……?」


 三人が振り向くと、ある女性が客席に座っている。

 金髪に碧眼の美女。胸元が大きく開いた、ひざ上のミニワンピを着ている。

 肘あたりまでの長い手袋とロングブーツは、どちらも革製だ。

 それら、身に着けているものすべてに共通するのが—――黒。

 全身黒ずくめの女性だ。

 —――あれ、玄関のベルはならなかったはずなのに……。この人、誰?

 美織が怪しんでいると、その女性は優雅に微笑んで言った。


 「別に、怪しい者ではないわよ。—――お久しぶりね、


 綾葉の表情が硬くなる。


 「何しに来たの、ルシア」





 綾葉は硬い表情のまま、謎の女性、ルシアを見つめている。

 美織と奏は、小声で話しながら、お互いをつっつき合う。


 「ほら、奏。どんな関係なのか聞きなさいよ」

 「なんで俺が聞かなきゃいけないんだ、気になるならお前が聞けよ」


 その小競り合いのかたわら、綾葉とルシアの間には、不穏な空気が漂っている。

 じゃあ、じゃんけんで負けた方ね、と美織が一方的に決める。

 望むところだ、と奏もそれに乗る。


 「「じゃ~んけ~んぽいっ」」


 美織がチョキ、奏がパー。


 「くッ……」

 「ほら、早く聞いてみてよ。興味ない振りして、結構気になってるんでしょ」


 仕方なく、奏が口を開く。


 「あの、綾葉さん?」

 「あら、リフィア姉さん。あなた、こっちでは『綾葉』なんて呼ばせてるのね」


 ……?どういうことだ……?

 疑問点はたくさんあるのだが、今はとりあえず関係についてだ。


 「綾葉さん。こちらの方は、どなたですか」

 「この子に『こちらの方』なんて言う必要はないわよ」


 いつになく冷たい口調で綾葉が吐き捨てる。


 「この子—――ルシアは、私の妹よ」

 「どうもー、ご紹介にあずかりました、ルシア・ロレンスでーす」


 おどけた調子で言うルシア。


 「紹介なんかしてないッ!」


 綾葉が声を荒らげる。


 「本当に何しに来たの」


 相変わらず、その瞳はルシアを睨んでいる。


 「久しぶりの姉妹の対面なのに、冷たいわねー」

 「あなたがそれを言う?」


 その言葉に、ルシアの顔から笑みが消えた。


 「やっぱり、姉さんは魔法界に帰る気はないのね」

 「帰るわけないわ、あんな酷いところ」

 「父上も母上も、姉さんが戻ってくることを期待しているのよ?」


 綾葉はそっぽを向く。


 「どっちにしろ、私には人間界での仕事があるわ。戻る気はないの」


 それを鼻で笑うルシア。


 「そう言っている割には、コソコソ医者の仕事を続けているらしいじゃない?」

 「私は魔法界の貴族が嫌いなだけ。誰も彼も嫌ってるわけじゃない」


 ルシアはため息をく。


 「やっぱり跡を継ぐ意思はないのね……。本当は私が継ぎたいんだけどなぁ」

 「なら、あなたが継げばいいのよっ!!」


 綾葉の我慢が、ついに限界に達した。

 カツカツとバックヤードに引っ込んでしまう。

 後に取り残された美織と奏は、顔を見合わせた。

 —――何だったんだ、今のは。


 「ごめんなさいねぇ、うちの姉が」


 全然申し訳ないと思っていないような顔で、ルシアが手をひらひらと振る。


 「ちょっと教えていただきたいんですが」 


 奏が勇敢にもルシアに話しかけた。


 「俺たち、お二人の会話についていけなかったんです。詳しく教えていただけませんか」


 少し面食らったような表情のルシア。


 「いいけど……。あなたたち、ルシアから何も聞いていないの?」


 おずおずと美織が口を開く。


 「綾葉さんが魔法使いっていうのと、魔法界での仕事は医者だって事しか知りません」


 ルシアが口の端で笑う。


 「人間界でも秘密主義は健在なのね。いいわ、話してあげる」


 そう言って、ルシアは語り出した。

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