第3話 本当の気持ち

 ―――本当は歌うの、大好きなんじゃない?

 そう言われて、美織みおりは、自分の中の感情のストッパーが吹っ飛ぶのを感じた。

 泣きたいわけでもないのに、涙がポロポロ頬を伝うのがわかった。


 「えっ、美織ちゃんっ?!大丈夫?」


 美織はしゃくりあげながらも答える。


 「は……い、だいじょ、ぶ……です」


 綾葉あやはは、美織のそばに行き、背中を優しくなでる。


 「大丈夫、落ち着いて。美織ちゃんは悪くない。悪くないからね」


 そう言って認めてもらえたのが嬉しくて。美織は初めて自分の心を人に許した気がした。


 「谷崎たにざき。泣いちゃいけないわけじゃない。悲しい時は思いっきり泣けよ。泣いたら悲しい気持ちなんてすぐに消える」


 美織は「氷の王子」と呼ばれているかなでに優しい言葉を掛けられて、少し意外に思いながらも、コクコクと頷いた。




 

 美織が落ち着いた後、改めて綾葉は話を聞くことにした。


 「一つ確認。美織ちゃん、やっぱり歌うのは大好きなんだよね?」

 「はい」


 目を伏せたまま美織が答える。


 「でも、歌のテストで笑われるのが嫌で、歌いたくないと思ってる、のか……」


 そうです、と美織は小さく呟いた。


 ―――本当は歌いたい。

 今まで歌えていなかったため、その思いが日に日に強くなってきている。家で歌おうにも、美織の家はマンションで、隣人に迷惑をかけてしまうかもしれない、と思い、歌えずにいた。


 「美織ちゃん、好きな曲ってある?」

 「―――っ、ありますっ!」


 美織は顔を勢いよく上げて言った。


 「あの……知ってるかどうかわかりませんが……」


 そう前置きして美織が口に出した曲名は、綾葉も奏も聞いたことがあった。最近流行り始めたJ-POPだ。


 「あの、歌ってみても……いいですか……?」


 もちろん、綾葉もそれを狙って口に出した質問だった。

 美織は席を立ち、綾葉と奏の前に出ると、目を閉じて呼吸を整える。

 数秒後、目を開けた美織は、先ほどとは似ても似つかないほど自信に満ちた表情をしていた。

 息を吸い、歌い始める―――……。

 伸びやかで、それでいてハリのある声が店内に響き渡る。

 美織は、歌そのものを楽しむように、目を閉じ、胸に手を当てて歌っている。





 (なんだろう……、この歌、歌詞がすごく心にしみてくる……)


 奏は、その曲を聞いたことがあったが、その時は大して気にも留めない、ただの数ある曲の中の一つ、という認識だった。しかし、美織がその曲を歌うことで、歌詞が心に響き、気持ちが痛いほど伝わってくるのだ。




 

 (あまりちゃんと聞いたことなかったけど、綺麗な歌詞……)


 綾葉は、ニュースなどでチラッと耳にしただけで、歌詞についてはほとんど知らなかった。


 (ニュースで聞いた時は、こんなにきれいな曲だと思わなかった……)





 別の人ががその曲を歌う。ただそれだけの事実で、歌の雰囲気はガラッと変わる。良い方に変わることもあれば、悪い方に変わることもある。

 美織の歌は、聞いている人の心に、じかに語り掛けてくるような歌だった。





 最後に心地よい余韻を残し、美織の歌は終わった。


 奏と綾葉、二人の感嘆のため息が広がる。


 「すご……」

 「美織ちゃぁぁぁぁん!良かったよぉぉぉ」


 綾葉に至っては号泣している。


 「綾葉さん、泣きすぎだろ……」


 そう呟く奏の目も、少しだけ濡れている。


 「二人とも、ありがと……」


 美織は頬を赤く染め、俯いた。





 「美織ちゃん。もう、歌えそう?」


 優しく綾葉が聞く。


 「はい。もう、あの人たちに笑われても、自信をもって歌えます」


 美織の顔いっぱいに、花のような笑みが広がった。


 「ちょっと美織ちゃんの歌を聞いて思ったんだけど。美織ちゃん、ここで働いてみない?」

 「いいんですか!?」

 「うん。このカフェ、カウンセリングもやってて、来たくれたお客さんに美織ちゃんの歌、聞いてほしいなって思って」


 この素敵なカフェで働けるなんて、夢みたい。

 美織は本気でそう思った。


 「それじゃあ、働くにあたって一つ、言わなきゃいけないことがあるんだけど……」

 「なんですか?」

 「えっ、綾葉さん、言っていいの?」


 奏は少し慌てた様子だ。

 仕方ないでしょ、と奏を黙らせ、綾葉は言った。


 「美織ちゃん、魔法使いが存在したらいいな、って言ってたでしょ。私、実は魔法使いなのよ」

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