第10話 これは私の物語だ。伝説の初配信 ③
それから初配信の二時間ぐらい手前で私は結論を出した。結果だけを述べれば、私がいくら考えても分からないので聞かなかったことにする。面倒な空の上の話し合いは、私には関係がない。兄貴の会話に興味を持った時点で悪手だ。
神谷家について私が知ってることなんて無いんだから。
「でもリサさんって絶対に兄貴のこと好きだよねぇ。普通に考えたらラブホテルの予約とかしない。あれって冗談だよね? いや、リサさんって意外と行動に移すタイプだからなぁ。可能性は0じゃないんじゃ……いや犯罪だよ」
一応、女子高校生なので恋愛については別口ということで。
それから一通りの準備が終わった。後は初配信まで自由時間だ。まぁ、めちゃくちゃ緊張してるから自由時間とはとても呼べない。とりあえず、配信中に水分補給とかしたくなるかもしれないので飲み物を用意する。
机にスポーツドリンクをセット! ――そしてやる事が無くなった。
「あれ……マジでやること無いんですけど」
準備に気合を入れたのはいいけど、手持ち無沙汰になると途端に何かしたくなる。不思議だと感じつつも部屋の掃除を始めた。気になる細かな部分を綺麗にする。
そこそこ綺麗になったんじゃない!? ――そしてやる事が無くなった。
「あれ? 私って普段なにしてたっけ?」
暇すぎて部屋に置いてある全身鏡の前で敬礼のポーズを取った。気持ちはロシアの軍人だ。私はこれから戦争に行くんだという気持ちで鏡の前に立つ。適度な緊張感がリアルな雰囲気を生み出す。なんとなく今ならジュリアンになりきれる気がした。
金髪をまとめ上げてジュリアンと同じような髪形にする。そしてパッチリとした目を細めて鋭い目つきに変えた。すると不思議だ。私はジュリアンに似ている。兄貴にイラストを描いてもらった時は雰囲気が全然似てなくて気付かなかったけど、本当にコスプレイヤーとして上手くいきそうなほど似ていた。
「兄貴が理想として語っていたコスプレの話、意外とありかも。『体型は私に合わせてる』って言ってた。これならレベルの高いメイクとか無くても似せられる。そしたら公式コスプレイヤーがVTuberの中身って展開も実現するかも」
私はそんな独り言をつぶやきながら鏡の前で喋り続ける。周りから見れば怖い人かもしれない。しかしそれが気にならなくなるほど、私はジュリアンになり切れていた。それは一種の自己暗示のようなものだ。ドンドンその世界に潜り込んでいく。
口調も静かなものへと変える。 暗すぎず、明るすぎない。
ジュリアンの性格は全て頭に叩き込んだ。自分自身で生み出した設定だから忘れるはずがない。それを元に適当に喋っていく。言葉とは不思議だ。喋れば喋るほどその言葉の意味を明確に出来る。適当な言葉でも意味のあるものへと変化していく。
「ふぅ……これより速やかに任務を遂行する」
初配信の時間だ。緊張していないといえば噓になる。でも配信するのは私であって私じゃない。私はただの操り人形で、表舞台に立つのはジュリアン・A・ローレンスなのだから。冷静沈着で、少し抜けているところが可愛い美少女軍人だ。
私はパソコンの前に座る。
【コメント】
:これってマジで始まるの?
:すでに視聴待ちしてる奴が25万人いるんですけどwww
:いや、他のVTuberも配信しながらこの初配信を見てる。実際の数はもっと多い
:俺、複数の配信動画を同時視聴してブレーカー落ちた
:草 なんでコメントできるし
:おっぱい
:とりあえず大草原
:あれ? ここって動物公園だっけ? とりあえず猿になる。ウッキー
:雑w
:雑ww
:草
:草
:FXネタは懐かしすぎる!
:また逆立ちスプリンクラーが見たい
:枯れていた花々が咲き乱れてやがる
:草
:古い
動画上ではアノンが簡易的に作ったLOADINGの文字が流れ続けている。LOADINGの後ろ側ではジュリアン・A・ローレンスが左右に揺れながらFXで有り金を全部溶かしたような表情を浮かべている。
そして画面が切り替わり、背景の半分を埋めるようにジュリアンが映し出された。コメントが目で追えない速度で流れている。しばらくジュリアンは黙って、色々な方向に視線を向けながら「あ」っと言葉を発した。
【コメント】
:あ
:あ
:あ、頂きました!
:あ
:新しい元号は「あ」でございます!
:あ
:あ
:これだけ世間を賑わせた女の第一声が「あ」は草
:あ
:あ
:あ
この時点でアノンの頭の中は真っ白だ。恥ずかしくなって数秒ほど沈黙。そして緊張をほぐすためにスポーツドリンクに手を伸ばしてそれを飲む。しかし「ゴクゴク……っう!? ゲホゲホ……ゲホゲホ」盛大にむせた。スポーツドリンクを慌てて机に置いてティッシュで鼻を咬みながら瞳をぐらぐらさせる。
なんか全然上手くいかないんですけど!?
あれだけ上手くいきそうな流れ作っといてこれ!?
マジでヤバイ、マジでヤバいって!?
配信が始まって数秒でキャパシティーを越えた。アノンは考えていた台詞を言おうと頬を叩いて気合を入れ直す。しかしその衝撃で机の上に置いてあったスポーツドリンクが落ちてアノンの衣服にかかる。反射的に「きゃ!? 胸がびしょびしょ!」と言ってしまった。
すでにやらかしすぎて死にたい。
そして逆に緊張感が解けた。もうどうにでもなれぇ!!
「失礼……ゲホゲホ! 失礼した。初めての配信で緊張して見苦しいところを見せた。これから配信を始めたいと思う。悪いが最初の部分は無しだ!」
【コメント】
:いや配信始まって数秒で神回
:胸はエロ過ぎる
:視聴確定なんですが
:いや、むせてからペットボトルを落す流れが完璧すぎる。この音声は切り抜き確定
:いきなりエロボイス頂きました
:ジュリアン推しに転移しましたが何か?
:いやドジっ子にも程があるだろ、じょうこぉ!
:これガチでやらかしてそう
:これはガチだろ
:初配信でドジの連続コンボが炸裂ドン!
「――私の名前はジュリアン。ロシア系美少女軍人VTuberのジュリアン・A・ローレンス少佐だ。これからこの世界の秩序に従い、速やかに自己紹介を遂行する。煩わしいコメントは謹んで私だけを見ていろ!」
【コメント】
:すでにキャラ崩壊してて草
:それは無理がある
:クールキャラのつもりのドジっ子
:自分をクールキャラだと勘違いし続けた女の末路
:草
:もう無理がある
:自分で美少女って言ってる時点で察し
:少佐! ペットボトルで胸がびしょびしょであります
アノンはコメントなんて見ていない。強く言いすぎたかもしれないと焦っていた。これだと視聴者を軽視している発言にとられるかも……そう思って、アノンは慌てて言葉を続ける。
「か、勘違いするなよ! 別にコメントを軽視している訳では無い。ただ、コメントばかりに気を取られて私を見てくれないと……悲しいと言うだけだ!!」
【コメント】
:ツンデレ属性が追加されました
:自分のことをクールキャラだと思い込むドジっ子ツンデレ女の末路
:いや、属性が特盛なんだが!?
:すでに切り抜きし放題
:可愛いと感じた俺は可笑しいのか?
:いや、同士よ
:同士
:俺も同士
;同士
:ツンデレに栄光あれ
アノンはパソコンを動かして兄貴が作ってくれたアニメーションを流す。動画上のジュリアンは顔を赤くしながら頬を膨らませる。そしてバックステップしながらパンチラ! 兄貴が生み出したロンギヌスを越える兵器が視聴者の胸に突き刺さった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます