第9話 これは私の物語だ。伝説の初配信 ②

 それから配信が開始されるまで、私は準備に粉骨砕身で取り組んだ。兄貴が描いてくれたジュリアン・A・ローレンスというキャラクターの設定をまとめて、自分の中で明確なキャラクターとして生み出す。


 今の私が素を出しても上手くいかない。


 いや、もしかしたら上手くいくかもしれないけど後々の話だ。ゲーム実況や雑談配信をするわけじゃない。今日やるのは自己紹介。私はこの自己紹介で、見てくれる人達に少しでも興味を持ってもらう。


 それを目標に行動すればいい。私はVTuberの配信だけは結構見ていた。だから色々なVTuberの初配信動画から、どういったものが楽しんでもらえるかは何となく分かる。自分も毎日のように楽しんでいた側の人間だったから。


 必要なのはファンネームやファンアートのハッシュタグの発表。


 それとキャラクターの明確な設定。後はコメントで流れてくる質問に答えながらキャラクターの設定を語っていけば大丈夫。間違っても個人情報を流さないように細心の注意を払う。特定につながる情報を防ぎながらギリギリまで自分を知ってもらう。


 動画上でミスが無いように何度も画面の切り替えや音楽の切り替えを練習した。


 配信まで十時間以上も時間が空いているのに私の心臓はすでにドクドクだ。寝るのにも時間がかかったし、今日という日が修学旅行の前日よりも緊張していた。当たり前だ……朝のネットニュースで初配信について拡散されていたのだから。


「大丈夫……大丈夫……大丈夫……ゲロ吐きそう」


 そんな事を考えていると自宅のインターホンが鳴り響く。兄貴がリビングにいるので私はインターホンを無視した。しかし一向にインターホンの音が鳴りやむことは無い。兄貴は何をしているんだと舌打ちが漏れる。


 ピンポーン! ピンポーン! ピンピンピンピンピンポーン!


 どうやら兄貴は居留守を使っているらしい。私はこの緊張感に水を刺された気分になり、自分の部屋の窓から外を覗いた。すると複数台の高級車が止まっており、インターホンの前で小さな子供が背伸びをしている。


 兄貴の幼馴染の立川リサさんだ。


「なんで兄貴は居留守してんのよ。マジであり得ない」


 私はため息をこぼしながら一階へと降りて行き、自宅のドアを開けた。するとリサさんは「遅い!」っと発狂しながらポフポフと私のお腹まわりを叩いてくる。全然痛くない事に唖然としながら、目の前にいる可愛らしい年上を持ち上げた。


「リサさん、マジで萌えですね」


「あれ!? アノンちゃんじゃん! 殴ってごめん……大きくて見えなかった。いや、私も大きいけどアノンちゃん身長高いからあいつと勘違いしちゃったよ。痛くなかった?」


 痛くなかったって、兄貴に比べたら肩たたきする小学生だよ。この可愛すぎる生き物はなんなのぉ? 私の緊張を吹き飛ばしてくれる天使ですか!? 抱きしめたい、今すぐこの小さな体を抱き枕にしてぐりぐり顔をうずめたい。


「マジでリスペクト。なんで兄貴の幼馴染なのか謎」


「アノンちゃんちょっと苦しい。放して……放して……っく。ここで私が死んでも第二第三の私がまた……」


「可愛い!!」


「ちょ!? ぐはぁ!!」


 しまった。抱きしめすぎてリサさんが白目を向いている。私は「ごめんなさい!」っと謝罪しながらフラフラとしているリサさんをリビングへ案内した。するとタブレットをいじっていた兄貴が、嫌そうな表情を浮かべながらリサさんに「帰れ。相手にしてる時間は無い」っとバッサリ切り捨てた。


 あり得ない。こんなに可愛い子になんて事を言ってんだ!? 今すぐその生意気な顔面を殴り飛ばしてリサさんの愛らしさについて数時間ほど説明したい。


 そんな事を考えているとリサさんは私には見せてくれない不敵な笑みを浮かべながら「面白いことするなら誘ってよ! わたしを置いて一人でそういうことするなんてずるい!」っと頬を膨らませながらプンスカしている。


 その発言に対して兄貴は珍しく真剣な表情を浮かべた。何を考えているのか分からないけど「アノンは部屋にいってろ。ちょっとだけクソ幼馴染の相手をするから邪魔だ」と、私を二階へ追い返した。しかしそんな事を言われれば気になってしまうのが女子高校生というものだ。


 私は二階に上がったふりをしてリビングのドアの前で聞き耳を立てた。


 するとリサさんの声色はそこから一転する。私と先程まで接していたのが嘘なんじゃないかというほど低い声色で話し始めた。初めてリサさんが怖いと感じる。


「優しいお兄ちゃんしてるね。ふぅ、私がここに来た理由は察しがついてると思うけどイラストについてだよ。基本的に私はパパの仕事には口を出さないんだけど、今回ばかりは私がパパの代わりに仕事を引き受けることにした。理由は簡単! 私があんたの幼馴染だから」


「あっそ、断る」


「あんたは神谷家の長男としての影響力をもう少し考えるべきだよ。有名な美術家の中でも影響力があるあんたがイラストなんて描けばいい顔をしない奴は多いでしょ。パパはこのイラストを使って技術水準が高いだけの美術家をメディアミックスに引き込めないかと考えてるの。現に美術家の中で何人かがあんたのイラストに触発されて萌えイラストを描いた。これをアニメ制作やゲーム制作に生かさない手は無い」


「大袈裟な話してんじゃねーよ。どっちにしろ、断るけどな」


「あのイラストの所有権を私に売って。これでも日本はアニメやゲームの先進国と言っていい。最近では中国やアメリカでもクリエイターの育成に余念がないの。このままだと日本はいずれ、その分野でも世界に負けるの。あなたのイラストはそういった業界に興味がない美術家を大量に手に入れるための材料になる」


「必要な技術は必要な場所へってか? てめぇーは神様にでもなった気か。日本で生み出される水彩画や絵画には価値が無いから、もっと有効活用できる場所へって、俺の逆鱗をよく分かってるじゃん……ぶっ飛ばすぞ?」


「そう思ってくれていいよ。日本人がいくら芸術的な絵を描いてもバンクシーのような価値のある物は生み出せない。それは技術が無いからじゃ無くて、そういう国じゃ無いからという話。悲しいけど日本で美術家を生かせる分野は限られてるの」


「はぁー、だから金持ちは嫌いなんだよ」


「それな。こんなお願いしてる私自身が一番そう思ってるよ」


「あのイラストの所有権は別の奴に渡しちまった。だから幼馴染の願いでもそれは聞けない。悪いな」


「はぁー誰に売ったの? 車の中に数千万は入ってるんだけど? もしかしてさ、VTuberとして活動するってマジなの? 中身の人に売ったってことになるよね」


「それは契約上教えられない。それに元々、イラストの権利なんて買う気ないだろ」


「なんでそう思ったの?」


「数千万程度で俺が自分の作品を手放すと思ってんのか?」


「はぁ、あんたのそういうところは好きだよ。真面目な話って疲れるわぁ! とりあえずイラストの所有権は手に入らなかったってことで、これからデートでもどう? ラブホも予約してるけど幼馴染の関係もそろそろ終了して新連載始めない?」


「ナチュラルにナンパすんな」


「私がそんじょそこらの男にホイホイついていく尻軽女に見えるのかい? 私がこの人生でラブホに誘うのはあんただけさ。光栄に思いたまえ!」


「悪いけど、俺ロリコンじゃ無いから」


「ロリコン言うなぁ!!」


 私はそんな兄貴とリサさんの会話を聞き終えて、瞳を見開きながら二階へ上がった。時計を確認して崩れ落ちるようにベッドで倒れた。全てなにかの冗談ですと言われた方が納得できる大きな話だ。それだけは分かった。


「意味わかんないよ……兄貴」


 私の頭の中はぐちゃぐちゃで、整理するには時間が必要だ。なんで兄貴は私なんかの為にイラストを描いたのか分からない。私は五万円でイラスト描いてくれって、泣きそうな顔で頼んだんですけど……なんか小物みたいで恥ずかしくなるんですけど!


 数千万円って絶対嘘だと信じたいんですけど!?

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