第15話 ●●病 ~その4~

 僕は少しばかり数か月前のことを思い出す。

 桜舞う季節、プラットホームで電車を待っていたんだ。てっきり入学式が初登校の日となると思っていたのだけれど、僕が通う高校はそうではないらしい。入学式の前日にオリエンテーションがあり、入学式当日についての説明をするそうだ。僕は着慣れないブレザーの制服をまとい、生暖かいような肌寒いような風を感じていたんだ。

『電車がまいります。ご注意ください』

 電光掲示板にはそう表示されていた。電車の来る方向を見ると、車両の姿はまだ見えない。視線をもとに戻そうとしたところであることに気づく。

 一人の女子が乗り場から少し離れたところに立っているのが見えたんだ。もう一度、電光掲示板を確認してみると、やはりそうだった。停車する位置からおよそ一両分ずれたところで待っていたんだ。

「すみません、そこ電車停まりませんよ」

 気がついたら声を掛けていたんだ。彼女は初め目を丸くし、驚いているように見えた。あたふたしているようにも見える。

「あっ、はい」

 彼女はそう言っただけで、それから小さく頷き、すたすたと階段をのぼって行ってしまったんだ。

 なんだ乗るつもりじゃなかったのか。

 一瞬そう思ったけれどおかしい。彼女は僕の通う高校の制服を着ていたのだから、おそらくこれから登校しようとしていたんじゃないかと思うんだ。変に警戒させてしまったのかもしれない。同じ高校とはいえ、見ず知らずの関係なんだ。急に声を掛けてくるなんて気味が悪いと思ったのかもしれない。

 勢いよく風を吹かしながら、電車がホームへと入線する。彼女には悪いことをしたなと思いながらも、僕はそのまま到着した電車に乗りこんだ。

 実はこの時、僕が声を掛けた彼女というのが、奥田菜月だったんだ。奥田自身はこの時のことを覚えているのだろうか。きっと覚えていないだろうね。奥田が書いたあの小説では僕が気づいていない体で話が進んでいるからおそらくそうだろう。

 実をいうと僕は君と再会したことにはすぐに気づいていたんだ。奥田が僕の家に来たあの日、プラットホームで見かけた人と同じ人物だと気づいていたよ。なんであえて言わなかったって? 僕はあの時、君に声を掛けたことを気にしていたからに決まっているじゃないか。君が覚えていないのなら、その方がお互い都合がいいと思ったからだよ。

 君の書いた小説、事実をもとにした再現度のかなり高いものだと思ったよ。でもあえて言わせてもらえば、君の小説にはこのプロローグがない。君と僕が初めて会ったあの駅での出来事が書かれていないじゃないか。入学式前にお互い顔を合わせていた男女が実は同じ学校の同じクラスで――なんてありきたりな設定かもしれないけれど事実そうだったのだから、ぜひともその描写を入れてもらいたいところだよ。

 そして僕が君に声を掛けた理由、君は気づいているのだろうか。こればかりは本人に直接聞かない限りは本当にわからないんだよね。

 実は僕、ただ単に君が電車の乗り場からズレていることを教えてあげようと思って声を掛けようと思ったわけじゃないんだ。

 乗り場じゃないところで目を閉じ、独りで電車を待っているというのは僕にはとても不自然な気がしたんだよ。

 そして嫌な連想が浮かんでしまったんだ。


 まさか電車が来たところでホームから飛び降りるなんてことはしないだろうね?


 もうわかるよね?

 同じ高校とはいえ、見知らぬ女子にどうして僕が急に声を掛けようと思ったのか。


 こうして春先にあった出来事を思い出しながら、僕は目的のターミナル駅に到着するのをひたすら待っていた。高校の最寄り駅からターミナル駅までは五分程度で到着するのだけれど、今日はこのわずかな時間でさえも異常に長く感じるような気がしたんだ。

 僕は再び奥田のことを思い出しながら考える。おかしなところは色々あったんだ。

 奥田が夏になっても衣替えせずに長袖の冬服を着ていたこと。

 どうして小説の主語が存在しないのか。

 小説の日付が、僕と会うよりも前になっていたこと。

 僕が考えている悪い連想が当たっているだなんて思いたくなくて、ずっと目をそらしてきた。だからこそ奥田の不在中に不登校となっている理由を調べていたんだ。本当は不登校の理由について知りたかったわけじゃなくて、奥田が闇を抱えていないか確かめるために色々調査をしていたんだ。

 結果として僕が初めに抱いていたその悪い連想というのは当たっていて、今すぐにでも奥田に会わなければ彼女のしようとしている行動を止められない。

 焦る僕なんて全く知らない電車はのんきにゆっくりとターミナル駅へと進入するんだ。左から右へと流れる景色がだんだんと緩やかになり、がたんと音を立てて電車は停まる。

 電車のドアが開いたと同時に僕はすぐに飛び出す。おそらくいるとしたらあの場所だ。すぐさま反対ホーム、足元の数字六番の方を見たんだ。

 すると乗り場からずれた場所で電車を待つ独りの女子がそこにはいた。同じ高校の制服を纏い、夏にもかかわらず長袖で、黒髪の一つ結びの、奥田菜月がそこにはいたんだ。

『まもなく電車がまいります。ご注意ください』

 駅員のアナウンスが入る。ホームには電車が入線しようとしていたんだ。

 奥田はゆっくりと目を閉じる。

 そして右足をわずかに上げ、一歩踏み出そうとしているように見えた。

 まずい。

 僕はすぐに走りながら大声で声を掛ける。

「奥田!」

 奥田は目を開け、こちらを見る。まるでなんでこんなところにと言いたげだ。

 僕は急いで彼女のもとへと駆け寄る。そして僕の右手と彼女の右手とを互いに繋ぐ。

「小池君、どうして……」

 目を丸くして驚く彼女に僕は端的に言う。

「すみません、そこ電車停まりませんよ」

 すると電車はモーターの音を響かせながら生暖かい風を連れてくる。奥田の黒髪が勢いよくなびいていた。

「知ってる」

 奥田は嬉しいような悲しいような、微笑でもって、そう答えたんだ。

「君が何か悩みを抱えているのは知っているよ」

「さすがだね。小池君。私が見込んだとおりの不登校対策委員だよ」

「もし僕でよければ相談に乗るよ」

 奥田はゆっくりと首を振ってから答える。

「もう大丈夫だから」

「本当に? 今やろうとしていたこともうやらない?」

 電車が来るホームから飛び降りるなんてことはもうしないでほしい。

「今、やろうとしていたこと?」

「うん」

 奥田は少し考えてから、口を開く。

「小池君、せっかくだから私について知っていること話してよ。どこまで私のことを理解しているのか確認したいから」

「わかった」

 ホームのそばで立ち話をするのも何なので中央に会ったベンチに腰掛け、話すことにしたんだ。

「僕が不自然だと感じたことはいくつかあるんだ。まず一つ目、いつまでも長袖の制服を着ていたこと。この暑い季節にどうして長袖の制服を着続けているのか。それは腕にある傷を隠したかったからなんだろ」

 奥田の書いた小説では僕があたかも気づいていないように描写されていたが、腕に傷があったことは奥田が僕の自宅に来た時点で気づいていた。けれどもそれがリストカットだなんて思いたくなくて、ただの怪我だと思うことで特に触れることなく、ずっと目をそらしていたんだ。

「なんだ、気づいてたんだ」

 もう隠す必要もないと思ったのか、奥田は左腕の袖を少しめくり見せてくる。白い華奢な腕に、人差し指の第一関節程度の長さの傷がひとすじあったんだ。傷は治りつつあるが、まだ痕は完全には消えてない。

「二つ目、どうしてこの小説には一人称の主語が存在しないのか。これに関しては話すにはそもそも奥田がどうしてこのような小説を書いたか、その理由についてまず話しておいた方がいいかな。

 この小説を書いた時点では主人公となる人物が決まっていなかったからなんだよね。僕は初め、現実にあったことを小説の形式でまとめたものがこの文章だと思っていた。けれども実際はそうではなかったんだ。奥田は僕に会う前から西本薪奈や後藤桃香の件を抱えていて、それを円滑に解決できないか計画を練っていたんだ。その計画書というのがこの小説だ。計画書を作った時点ではこの問題を解決する人物が決定していなかった。だから一人称をあえて書かなかったんだ。僕や私といった代名詞を使ってしまうと解決する人物の性別が確定してしまうからね。

 小説の日付がおかしかったのもこれで納得できるよ。僕と会うよりも前に書かれたんだから、当然といえば当然で日付も以前のものとなるわけだ。

 そして計画書の最後の文が、『さようなら』で終わっていること、小説原稿裏の『死にたい』という大量の文字が書かれていたこと、電車が停まらない乗り場で待っていたこと、これらをふまえると君がこの世から去ろうとしているんじゃないかって思えたんだ。

 そして不登校カルテの●●病っていうのは不幸病のことなんだろ? 自身のことを不幸だと思いたいという病。君は自分以外の人間が不幸なのが許せなかったんだ。それは自分がこの世で一番不幸な人間だと思いたかったから。そのために不登校対策委員として様々な問題を解決するように綿密な計画を立て、解決してきたんだ。

 でもね、僕は君に言わせてもらう。不幸病なんて本当はないんだ。嘘なんだそんなもの。不幸であることで満たされるなんていうのは間違っている。もう君を不幸になんかさせない。君が不幸になろうとするんだったら僕が君を勝手に幸せにするよ。

 僕は君に生きていてほしい。いつも素っ気ないふりをしていたかもしれないけれど、君のギャグ本当は好きだ。君といると楽しいよ。いなくなるなんて絶対嫌だ。だから……この世から去ろうなんて考えないでほしい」

 奥田はうつむいたまま。

 横の髪で隠れてこちらからは表情が見えないけれど小声で答えが返ってくるんだ。

「……すごく言いずらいんだけど」

「ん?」

「小池君、勘違いしてる」

「え、は? え?」

 勘違い。

 どのあたりが?

「私が乗り場から離れたあの場所にいたのは黙とうしていたから」

「黙とう?」

「昔、不登校対策委員として私が担当していた中学生が人身事故で亡くなったの。もともと私が委員として学校に通わせることに成功してそれから二か月が経った時、その事故があった。警察の捜査によると自殺ではなく、転落事故ってことだったけど、委員としては心配になるのはわかるよね。もし本当は事故じゃなくて自殺だったらって。私が学校に通わせたことで自殺を招いたんじゃないかって。当時、詳細を遺族のご家族に聞こうかと思ったけど、そんな傷口に塩を塗るようなことはできなかった。

 でもそれから何年も経った今、不登校対策委員の管理職をしていて、本当にあれは事故だったのか、真実を知る必要はあるんじゃないかって。もし自殺だとしたら委員会の活動の在り方を変えなきゃいけない。だからこの数日、京都に行ったんだ。ご遺族が今はそっちに引越ししたんだって。

 ご家族の話では当時、少し離れているところに住んでいる友達と会いに行くために鉄道を利用したんだって。その時に誤ってホームから転落した。でも絶対に自殺じゃないって言ってた。毎日学校に行くのが楽しいって言ってたらしいから。

 ご家族に聞くまで、彼に全くそんな素振りがなくてわかんなかったんだけど、夕食の時も私の話が出るくらい気に入ってくれてたんだって。知らなかったなあ。

 もしかしたら亡くなった息子についての話を聞きに来るなんて迷惑かと実は思っているんじゃないかと思っていたけど、むしろ線香をあげたり昔の彼と私のエピソードを聞けたりしたことに感謝された。ご家族に会って話を聞いて不登校対策委員やっててよかったって本当に思ったの。

 不登校対策委員がこんなことを言うのはおかしいと思うかもしれないけど、学校に行きたくないなら行かなくていいと思うだよね。

 学校に行くのが死ぬほど嫌なら、学校なんか行かなくたっていい。

 家にいるのが死ぬほど苦痛なら、家なんかにいなくたっていい。

 仕事に行くのが死ぬほど憂鬱なら、仕事なんかしなくたっていい。

 って思うんだよね。あ、なんか珍しく真面目なこと言っちゃった。

 結論。そもそも私、死のうとしてないから!」

「あ、はい。そうですか……」

 何やら嫌な予感を感じて脂汗なんか出てきたんだ。本当に嫌だよ。

「数多くの勘違いと妄想をしているみたいだから、まだまだ長い話をすることになるけどいい?

 まずこの腕の傷。これ、リストカットじゃないから。小池君、たぶん本物って見たことないでしょ。リストカットっていうのは繰り返し行われるケースが多くて複数傷があるものなんだよ。よく見て。一つしかない。これって実はただの怪我なんだよね。料理してるときに包丁で切っちゃって。位置がなんかリストカットっぽいから人目を気にして長袖で隠してたんだ」

「そうなんだ……」

 唖然としてそれ以上の言葉が出てこない。もう家に帰りたい気分だよ。

「あと私が書いたあの小説は事前に書かれたものなんかじゃないよ。さすがにあんな事前にこれから起こることがわかるわけないでしょうに。そんなことできたらそれこそ未来人か、超能力者だよ。あの文章は不登校対策委員会の活動記録みたいなものだよ。新しい委員への業務の説明に使ったり、本部への報告するために使ったりする資料だから」

 奥田の言うとおり事後に書かれていたとすると一つ解けない謎があるじゃないか。

「じゃあ小説データの日付がおかしいのはどういうことなんだよ」

「ああ、あれですか。本部への報告資料の提出期限が過ぎてて、あえてパソコンの時刻を変更してデータを保存したからなんです。色々事情があって三月に薪奈ちゃんと桃香ちゃんの件を解決したことにしてたんだー」

「事情って?」

「三月が締日なんだー。優良支部賞の算定の。あと二件の解決で年間最多の対応数になるから、でっち上げちゃった。受賞したから本部復帰への道が開けると思ったんだけど、結局今年はそんな話もなかったんだけどねー。結局後から本部から報告の提出を求められて、困ったなあって。あはは。本部には『さっきメールで送ったんですけど届いてませんかー』って言うのを繰り返して、薪奈ちゃんと桃香ちゃんの件を解決できるまで書類提出を引き伸ばしてたんだ」

「おいおい」

 色々問題があるような気もするけれどこれでいいのだろうか。一応は奥田の話からこれで合点がいく。本部への報告資料の日付がついさっき書いたようなデータとなっていては後から書いたんじゃないかと勘繰られてしまうから、パソコンの時計をいじってデータを昔書いたように見せてかけた。それを見つけた僕は勝手に奥田が書いた計画書だと思ったというわけか。言われてもみれば、あんなにも事実と一致する内容を事前に書いていたと考える方がおかしかったのかもしれない。

 すると奥田はペラペラ話し始めたんだ。

「文中に一人称の主語がないのはなんというか、三人称で書こうか一人称で書こうかただ単に迷っていたからなんだよね。どっちでもいけるようにあえて書かなかったんだ」

「なんだそれ」

「だって初めに一人称で書くか三人称で書くかを決めたら普通、どちらかで固定することになるから、私はなんか嫌だなあって、書き終わった後にどっちの方がいいか選んだほうがいいかなって思ったんだー」

「結局、どうすることにしたんだ」

「内容伝わるからこのままでいこうって、そのままいった」

「ははあ……」

 僕は小説を書いたことがないからよくわからないけれど、そんな安直でいいのだろうか。確かに読み手にストーリーが伝わっているのはその通りだけれど。

「つまりね、私は死のうと思ってなんかないんだよ」

 エッヘンとたいしてない胸を張って見せてくる。なぜか見ていると無性に腹が立つんだ。

 奥田はいかにも説明しきったかのように振舞っているものの、未だ腑に落ちない部分があったんだ。

「じゃあこれは一体何なんだよ」

 僕は現物を見せながら奥田に問う。

『不幸だと思っている人間が許せない

 たかだか数週間の欠席程度で不登校、勉強ができすぎて周囲と馴染めず不登校、友達とのけんかで不登校、そんなことで不幸だと思っている奴が許せない』

 小説原稿裏に書かれていたこれは一体どういうことなのだろう。本当に奥田が思っていることなのだろうか。

「書いてある通りです」

「書いてある通りって。不幸だと思っている奴が許せない。そんなこと思ってるの?」

「そうです。そうです。全くですよ。聞いてください。私なんか不登校の理由なんか特にないですよ。それくらいつまらなくて不幸な人間ですよ。不幸病です。不登校の理由を強いて言うならアマ●ンプライムビデオをみるために学校に休んでるくらいですかね。知ってます? 過去のM1も見れるんですけど、テ●andトモって昔出場してたんですよ。びっくりですよね。そもそもM1ってギター持ち込んでいいのかよって」

 確かにそれは驚きだけれど、君の不登校の理由が思いのほかくだらなかったことの方が僕としてはびっくりだよ。

 話がこれ以上脱線するのは避けたいのでさらに問い詰める。

「じゃあ聞くけど、『死にたい』って大量に書かれていた。あれは何だったんだよ」

「えっと……あれは」

 目をきょろきょろさせて、もじもじとしているんだ。何を恥ずかしがっているのだろう。

「これは何だと訊いている」

 再び現物を見せながら僕は問う。

「げっ、もうわかりました。わかりましたよ。説明します! この前やった二重表現のギャグのくだり、自分の書いた報告資料を読み返して大すべりしたことを思い出して、恥ずかしくて死にたくなったから……です」

「くだらん理由でいちいち死ぬな」

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