第14話 ●●病 ~その3~

「はーい、どなたでしょうか?」

「西本薪奈と申します。申請書の回覧の件で参りました」

「え、薪奈ちゃん?」

 西本薪奈がどうしてここへと思ったけれど、僕の知っている西本薪奈とは限らない。ひとまずドアを開けて確認してみると案の定。

「お久しぶりです。小池さん、レポートの調子はどうですか?」

 なんて開口一番に進捗を聞いてくるあたり、僕の知っている西本薪奈で間違いなかったというわけだよ。

「レポートはもうすぐ……できあがる……と思うよ。それよりどうして薪奈ちゃんがここへ?」

「先ほど申し上げた通り申請書の回覧で――」

「ごめん、そういう意味じゃなくて、ここ不登校対策委員会の事務所なんだけど、どうして委員じゃない薪奈ちゃんがここに来たのかな?」

「私、委員になったんです」

「そうか。それならそうか。委員だったらここに来てもおかしくないか」

「はいそうです。早速で申し訳ないのですが、この書類に目を通していただいて確認欄にハンコをお願いします」

「うん。どれどれ……じゃなくて、えっ! 薪奈ちゃん、不登校対策委員になったの?」

 驚きのあまり素通りしそうになった。まさか西本薪奈が委員とは。

「はいそうです。奥田さんにどうしてもとお願いされ、断り切れずに引き受けたというわけです」

「なるほどそうだったんだ」

 手元にあった委員名簿を見ると確かに西本薪奈の文字があるじゃないか。もっと早く気づくべきだったね。

 申請書には、とりあえずハンコを押しておいてくれと奥田から頼まれている。言われたとおりに決裁印を押しておいた。後から何か問題が発生して上の人から文句を言われたとしても全て奥田の責任にしようと思うんだ。だってそうしろと言われたのだから仕方がない。僕に責任が及ぶのはおかしなことじゃないか。

「これ、なんですか?」

「小説だと思う。たぶん奥田が書いた」

「小説ですか。すごいですね」

「今まで僕が体験したことがほぼそのまま小説になっているんだ。しかも第二話は薪奈ちゃんの話」

「読んでもいいですか?」

「うん、いいよ」

 薪奈は『第二話 人間アレルギー』を読み始めた。部屋が薄暗いから目が悪くなってはいけない。ここでようやく電気をつけたんだ。

 薪奈の読書スピードは驚くべきもので、いわゆる速読というやつだろう。たった数分、いやたった数秒で読み終えたんだ。

「なかなかの再現度ですね」

「そうだよね。細かい会話とかはちょっと違うかもしれないけどおおむね合ってるんだからすごいよ」

「ただ少し気になったことがあります」

「というと?」

 例のギャグパートのことだろうか。そのことについては本人の名誉のため言及しないでおいて欲しいところだけれど、どうやら違うらしかった。

「奥田さんが知りえない情報はどうやって書いたんでしょう?」

「知りえない情報?」

「そうです。第二話を読んだ限りでは小池さん視点で物語が進みます。例えば小池さんが私の家を訪ねる場面で、奥田さんは少なくとも私の家に入っていないわけですから、知りえない情報となります。それはどうやって書いたんでしょう?」

「それはたぶん、僕が奥田にこの件のことを報告も含めてある程度話したからね」

「奥田さんは私の家に一度も来たことはありません。部屋の中の描写も事細かにされていますが、それらも含めて奥田さんに話したりしたんですか?」

「部屋の中の描写?」

 どこのことだろうと疑問に思っていると、薪奈は該当箇所を探し出して見せてきた。

「ここです。読んでください」


『本棚は書籍が出版社別に分類されており、多くの書籍が入っている。カラーボックスには鉛筆がケースに入れられることなくそのまま置かれていた。ただその置き方が普通ではなかった。高級な万年筆を展示するかのごとく、一本一本が等間隔に美しく並べられているのだった。そしてそのカラーボックスの下段をみるとドライヤーが一つ入っており、コードは何かを使って束ねられているわけではなく、円を描くように渦を巻いてきれいに置かれていた』


 実際にここに書かれていることは事実と一致するから嘘ではない。奥田はどこからこの情報を仕入れたのだろう。

「言われてみれば奥田に事細かに部屋の中について話した覚えはないよ。まさかよじ登って、いや、さすがにないか」

 奥田は変人だがある程度の常識を持ち合わせている、はずだ。そう思いたい。

 すると薪奈は思いついたように言う。

「よくよく考えてみれば、過去の不登校対策委員が何度か私の家に訪ねてきたことがありました。その時の委員が奥田さんに話したのかもしれません」

 さすが天才小学生。自分で生んだ疑問をすんなり自分で解決してしまうとは。

 第三話で桃香の家を訪ねた時やその他諸々の奥田の知りえない情報は僕が話したことや他の委員からの話をもとにして書いたのだろう。

 奥田の不登校について調べていて行き詰っていたところだ。せっかくだからこの天才ちゃんに相談してみるのもいい機会かもしれない。

「実は今、奥田がどうして不登校なのか調べていてね。この小説が何かその手掛かりになるかもしれないって思って読んでたんだけど、さっぱりよくわからなくて」

「不登校の理由ですか? 直接本人に聞けばいいのではありませんか?」

 薪奈にここまで調査したことを話したんだ。事務所内を調査したけれど特に何も手掛かりがなかったこと、この小説のあらすじについて、奥田の不登校カルテについて、奥田の中学時代の話について。

 小説の用紙裏側に直筆で書かれていた文言についてはあえて言うのはひかえておいたんだ。薪奈に関することも書かれていたから、実際に読んで気を悪くするとよくないし、奥田だって本人が読むと思って書いていないはずだよ。

「小池さんは事務所の中を全て調べたと言っていましたが、それは本当でしょうか?」

「本当だとも。この部屋の中は結構探したよ。けど不登校カルテ以外何もなかったって」

 奥田の書いた小説の束を持って薪奈は言う。

「ワープロ原稿ということはデータがどこかにあるはずです。そこのパソコンももちろん、調べたということですね?」

「あ、調べてない」

 どうしてここまで気がつかなかったのだろう。パソコンという重要なアイテムを調べることしていなかったなんて。

 僕はすぐさまパソコンを立ち上げたんだ。デスクトップには特にアプリケーションのアイコンがあるだけで文書のデータはなさそうだ。ふと隣を見てみれば薪奈も興味津々にパソコン画面を見ているじゃないか。

 マイドキュメントのフォルダーを開いて探すと、『不登校カルテ』というタイトルのデータがあるじゃないか。ダブルクリックして開く。どうやら正解だったようで、手元にある小説のデータのようだ。

 さらっと目を通した感じでは紙に書かれていると内容は全く同じ。続きの内容が書かれているかというとそんなこともなかったんだ。がっかりだよ。

 収穫なしかとうなだれていると薪奈はパソコンのマウスを手に取って自身で何やらポチポチと色々いじっている。

「おかしいです」

 薪奈は実に端的に言うんだ。僕はこう答えるしかない。

「何が?」

「見てください。小説の書かれた日付がおかしいです」

「日付?」

 見てみれば今年の四月上旬の日付になっている。

「ね?」

 薪奈はそう言うけれど一体どういうことなのかわからないよ。追加の説明を求めようと一瞬思ったのだけれど、僕も遅れて異変に気付いたんだ。

「奥田と会うより前の日付だ! どういうこと?」

 奥田は未来を予知して書いたとでもいうのだろうか。まさかね。

「パソコンの時計をいじれば、過去の日付にすることは可能ですが、そんなことをする理由が私にはよくわかりません」

「だけど僕と会う前から書かれていたとすると、ますますよくわからない」

「どういうことなんでしょうか?」

「いや、僕に聞かれても」

 薪奈がわからないものが僕にわかる気がしない。不思議な出来事に直面して呆然としていると、室内に着信音が響き渡る。

「すみません。母から電話が」

「うん、どうぞ。出て出て」

 そして薪奈は電話を終えると、申し訳なさそうに言う。

「母が近くまで迎えに来たそうなので、すみませんそろそろ帰ります」

「うん、そう。じゃあまた」

「あまり力になれなくてすみません」

「いや、そんなことないよ。パソコンを調べるなんて僕はすっかり忘れていたわけだし。このデータの異変だって薪奈ちゃんだから気づけたことだろうし。僕はもう少しパソコンを調べてみるよ。今日はありがとう」

「はい、こちらこそ」

 そう言って薪奈は事務所を後にしたんだ。

 それから僕はしばらくの間、パソコンを調べたんだ。結論から言えば奥田の不登校理由の手掛かりとなりそうな情報はなかったよ。途中、隠しフォルダーを見つけて、『奥田菜月』というタイトルのデータを発見。何か重要な情報があるんじゃないかって期待したけれど、パソコンにあるあらゆるデータの中でそれが最もくだらないものだったんだ。それはおそらく奥田のギャグのネタ帳だと思われる。『タクシー呼んだの誰? ワタクシー』みたいなダジャレから、『東吾先生(中学校教師)がお持ち帰り先生と生徒から影で呼ばれているという内容のエピソードトーク』まで実にどうでもいいデータだった。

 さて、帰るか。調べたことを提示して奥田に根掘り葉掘り訊ねる方向で言ってもいいだろう。どちらにせよ明日、奥田は旅行から帰ってくるのだから。


 そして翌日。今日は古典の授業で小テストがある。そのことをついさっき思い出し、登校中の電車の中でノートを取り出し、急いで勉強を始めたんだ。

 やれやれ、現代人がどうして昔の文章を読む訓練をしなければいけないのだろう。少しばかり不満を覚えつつ、竹取物語の復習を始める。


 この児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。三月ばかりになるほどに、よき程なる人になりぬれば、髪上げなどさうして、髪上げさせ、裳着す。


 『髪上げなどさうして』の主語は誰か。

 古文ではたびたび主語の省略がされるから読んでいてわかりにくい。英語のように主語が明確な方がテストで『この文の主語は?』なんて設問が作られる機会も少ないだろうに。

 髪上げというのは、女性の成人の儀式のことらしい。つまり、『翁は』かぐや姫のために儀式を行ったわけだから、主語は翁というわけか。なるほど。ストーリーがある程度、頭の中に入っているからわかるけれど、全く知らない物語を初見で読んで『この文の主語は?』と聞かれたら、なかなか難しい気もする。

 主語の省略か。ふとここで思う。

 そういえば奥田の書いたあの小説。

 すぐさまバッグから奥田の小説を取り出す。もう一度読み返してみようと思って、昨日持ち帰ったのだった。結局、途中で眠くなって読むのをやめてしまったのは内緒だ。

 活字をさらっと見渡してやはりそうだと気づく。会話文はさておき、地の文にはどこにも一人称の主語が存在しないじゃないか。通常、一人称の小説は僕あるいは私といった代名詞が使用されることが多い。けれどもこの小説には一度たりとも出てこないじゃないか。

 これがわざとやっていることなのか、偶然そうなったのかわからない。何かヒントはないかと考え、小説原稿裏の手書きで書かれている部分をもう一度見てみる。

 車窓から太陽の光が差し込んでくる。あまりの光量にシャープペンで書かれた字は反射して部分的に白く見えるほど明るい。

 今まで気づかなかったけれど、どうやら消しゴムで何かを消したような後があるじゃないか。そうか、昨日は薄暗いところで見ていたから気づかなかったんだ。

 そのままでは何と書かれているかは見にくい。幸いシャープペンで筆圧強く書かれているから、もしかするとこうすれば読めるんじゃなかろうか。

 そう考えた僕は、消されている部分をなでるように鉛筆でさらさらと塗っていく。すると思惑通り字の書かれた部分が浮き出てくるじゃないか。


 私は、不幸だと思っている人間が許せない


 『私は』という主語が消されていたんだ。さらに左側の余白だと思っていたところにもまだ、何かが書かれていた形跡があるじゃないか。続けて鉛筆でなぞっていく。

 そして浮き上がってきた文字に僕は絶句した。

 元々書かれていた部分、そして浮き上がってきた部分、それを合わせた全文はこうだ。

 私は、不幸だと思っている人間が許せない

 たかだか数週間の欠席程度で不登校、勉強ができすぎて周囲と馴染めず不登校、友達とのけんかで不登校、そんなことで不幸だと思っている奴が許せない

 だってこの世で一番不幸なのは私だから

 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいにたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいにたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいにたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい


 全て読み終えた時には、電車は高校の最寄り駅に到着していた。すぐさま降車する。そして反対ホームにちょうど到着した電車に飛び乗り、再びターミナル駅へと戻ることにしたのだった。

 理由はただ一つ、奥田に会うため。もしかしたら取り返しのつかないことになるかもしれないと思ったからだ。

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