第13話 ●●病 ~その2~

 こうして僕はようやく小説を読み終えたんだ。日常的に読書をするわけではないから、それなりの時間がかかっても仕方がないじゃないか。

 それにしてもこれを二回読んだところで、どうして奥田がこんなものをわざわざ書いたのか、さっぱりよくわからないよ。奥田が何を考えているかなんて僕が推測すること自体、そもそも無謀なことなのかもしれないね。

 ここまであったことをとりあえず整理してみることにしようか。僕は奥田から不登校対策委員会の運営の仕事を任されたんだ。そう、この小説に書かれている通りにね。

 奥田が不在となった一日目、委員の名簿を探すために引き出しを開けたら、紙の束がこぼれ落ちてきたんだ。一瞬、書類をぶちまけてしまったかと思ったのだけれど、幸いそれはダブルクリップで束ねられていたんだよね。ふう、ひと安心。

 拾ってみれば何やらずらっと文章が書かれているじゃないか。手書きというわけじゃなくてよくあるA4の白い紙にプリンターで印刷したものだったんだ。

 なんだこれと思って、試しにパラパラとめくってみるとなかなかの分量があるじゃないか。しかも一切グラフや図がなくて、かぎ括弧なんて使われているから、どうやらこれは小説なんじゃないかな。そう思って一枚目に目を通してみると『第一話 入学早々欠席』なんてタイトルがついているじゃないか。入学して早々に欠席してしまうなんてさ、まるで以前の僕みたいだね。冒頭の文はこう。

 気がつけばゴールデンウィークが過ぎていた。

 ふうん、そういえば僕も春に同じことを思っていたなあ、なんて思ってしばらく読み進めるとどうやらこれは本当に僕を題材にしたものらしい。なぜかって? それは小池弘樹って氏名が出てきたからに決まっているじゃないか。

 それから不登校対策委員会の業務の合間をぬってこの小説を読み進めていくと、ほぼ現実で起きたことと一致していたんだ。厳密には実際の会話の流れといった細かいところについては一字一句同じだったわけではないけれど、起こった出来事について大筋は一致しているじゃないか。なかなかの再現度に感心したよ。それでも少し思うところはあって、ところどころ存在するギャグパート、実際はもっと悲惨に奥田が滑っていたんだけどね。そのことについては本人の名誉のためにもあまり触れないことにするよ。

 実際にあったことを小説形式にするなんてなかなか面白い試みじゃないか。そう思ってさらに読み進めていくと、『第二話 人間アレルギー』、『第三話 仕事熱中症』なんてタイトルの小説があるじゃないか。もしやと思ったけれどやっぱりそう。いずれも僕を主人公とした小説で、第二話は西本薪奈について、第三話は後藤桃香ついてのストーリーだったんだ。ではでは第四話はというと、これが問題で『第四話 ●●病』なんてタイトルがついているじゃないか。ここまで奥田からもらった不登校カルテの病名がそのまま小説のタイトルになっていたのだけれど、●●病なんて病名がついたカルテは目にしたことはないよ。●というのが何か文字を隠すための黒塗りの意味で使われているとしても、結局なんとか病という不登校カルテはまだ見たことはなかったんだ。

 気になって読み進めていくと、奥田が僕に委員会の運営を依頼したところで終わっている。続きはどうなるの、と思ったけれど未来のことは誰もわかるまい。これから何か案件を解決したら、続きがきっと書かれるのだろう。と、その日は残りの不登校対策委員会の業務をして何気なく帰宅したんだ。

 そして二日目、パソコンのメールチェックを終えて、特にやることもなくなったから帰ろうかと椅子から立ち上がったところで、机の下に一枚の紙切れが落ちていることに気がついたんだ。拾い上げてみれば、なんとまあびっくり。とりあえずこれを見て欲しい。


 不登校児童および生徒診断カルテ


 奥田菜月(一五)

 学年:高校一年生

 病名:●●病

 診断データ:ツッコミ●点(ノリツッコミ●回)、ボケ●点(天丼●回)、フリートーク●点

 総合評価:●点


 奥田菜月の不登校カルテだったんだ。サインペンでところどころ黒塗りされているじゃないか。診断データの黒塗り箇所には手書きで横にツッコミ百点、ボケ百点、フリートーク百点、そしてしまいには総合評価百点と書き直している。筆跡からするとおそらく奥田だろう。さすがに自己評価が甘々すぎるよね。そもそも五点満点じゃなくて百点満点だったことに驚きだよ。ついつい診断データのところに目がいってしまったのだけれど、ここにきて重要なことに気づいたんだよ。

 病名が●●病となっているじゃないか。おやおやこれは昨日見たぞとなる。そうそう例の小説だよ。あそこでも黒塗りだったじゃないか。となれば第四話は奥田の不登校問題を解決となるのか。続きが気になる。

 なんてのんきなことを一瞬考えたのだけれど、この小説の主人公は自分じゃないか。つまりはこの問題、僕が解決することになるのだろうか。

 そうはいってもこれは一筋縄ではいかないだろうね。これまで奥田には何度か、どうして不登校なのか訊ねたことはあったのだけれど、いつもはぐらかして全く答えてくれなかったんだ。それに本人も不登校対策委員会の業務に打ち込んで生き生きとしているようにも見えるし、勉強もできるらしいから、すぐさま解決しなければとは考えもしなかったんだ。でもこうしてよくよく考えてもみれば不登校の人を支援する団体に所属する人間が、不登校で居続ける現状をこのままにしていいものだろうかね。せめてもの不登校の理由については、不登校対策委員がどうとか関係なしに僕は知っておくべきじゃないだろうか。そのように考えて奥田について詳しく調べてみることにしたんだ。

 それで現在に至るわけなのだけれど、実際問題として僕みたいな一般の一高校生が調査できるものにも限りがあるよね。僕ができることはこの事務所で手掛かりとなるようなものがないか探してみたり、奥田が書いたと思われる小説を読み返すとか、それくらいのことしかできないよ。仕方がないさ、警察や探偵ではないんだから。

 結局のところ事務所内を色々探してみたけれども、小説とカルテ以外はヒントになりそうなものはこれといってなかった。そもそも不登校対策委員会の資料ばかりで奥田の私物がほとんどなかったんだ。あと他にできることと言えば奥田の周囲の人に聞き取りするくらいなのだけれど……。

 そうこうしているうちに、どうやらタイミングよく彼女は来たようだ。

「開けろ!」

 ノックもすることなくいきなり入ろうとしてきたのは後藤桃香だった。けれどもこの事務所の扉はオートロックのため外から鍵なしでは空くはずもないよ。なんだかドアノブをガチャガチャやっている音が聞こえるじゃないか。どれだけせっかちなのだろう。彼女は。壊されても嫌だから、小走りで扉のもとへ行くんだけど。

「はいはい、今開けるよ」

 こちらが少し開けたところで桃香がすぐさま入ってこようとしたんだ。開き戸のため僕は勢いよく開いたドアに激突して倒れ込んでしまったよ。

「小池、小池はどこだ!」

「ここにいるよ! 馬鹿! 痛いな」

 頭をさすりながら答えたんだ。すると桃香は。

「まさにこれが【頭】痛で【頭】が悪いというやつか。ははは。面白い」

「そんな風に罵倒されなきゃいけないんだ」

 面白くもなんともない。もはや二重表現でもないし。

「それはさておき、言われた通りある程度は奥田菜月について調べてきたつもりだ。まずこれを見て欲しい」

 そう、桃香を呼んだ理由は奥田について聞き取り調査をしてもらったから。幸いにも奥田の出身中学は桃香と同じだったんだよ。それなら中学時代の先生にそれとなく奥田について聞き取りしてもらえないか昨日お願いしたわけなんだ。

 桃香はスマートフォンを取り出し、僕に見せてくるんだ。このままの体勢ではよく見えないから、立ち上がって画面を見てみると、例のアプリのタイムラインが表示されているじゃないか。もちろん奥田のだよ。

 宇治金時を頬ばり、頭を押さえている奥田の写真が投稿されていたんだ。そういえば最重要業務なんてアホなことを言っていたね。僕はここ数日、一度たりともタイムラインを見ていない。深い意味はないよ。忘れていただけさ。『暑い夏にはかき氷! 頭痛で頭が痛い!』とコメントされているね。おしゃれな京都の街でひげメガネなんかしている時点で別の意味で君は頭が痛いんじゃないかな。もしこのタイムラインが某動画配信サイトのようなシステムだったら、僕はすかさずグッドボタンを十回押してから、最後にバッドボタンを一回押すね。それくらいウザい投稿だよ。

「そんなことより先生に聞き取りしてきたんだよね。そのことを教えてくれよ」

 奥田のタイムラインなんて今はどうでもいい。本当に。

「それもそうだな」

 立ち話も何なので事務所の中央にあるソファーに座るよう促し、互いに腰掛けたところで桃香は口を開いた。

「奥田菜月は奥田商事の社長の娘だそうだ」

「うん、それは本人が前に言っていたから知ってる。この部屋ももともとは奥田商事の所有物らしいし」

「そうか、知っていたか。ならこれはどうだ。かなり成績優秀らしい。中学時代の模試で県内一位になったこともあるという話だ」

「へえ、すごいな」

 賢いということは知っていたけれどまさか県内一位とは。これは知らなかったよ。

「ではこれは知っているか? 血液型はRhマイナス、右手の握力は十八キロ、好きでも嫌いでもない食べ物は白米だそうだ」

「確かに知らなかったことだけど、思いのほかどうでもいい情報だな!」

 全くツッコミを入れたいところばかりで困るよ。なんでABO式血液型じゃないんだ。それで左手の握力はどうなんだよ。好きでも嫌いでもない食べ物って。プロフィールにそんな項目みたことないよ。

「ではこれはどうだ? カップ数」

 ごくりと生唾を飲みこんでから僕は言う。

「カッ、カップ数。ていうか、そんなことも調査してきたのか」

 桃香の奴、そんなどうでもいいことまで調査して本当に感心しないよ。本当に。

「奥田菜月のカップ数は大体AカップからFカップのいずれかだそうだ」

「すんごいテキトーだな!」

 なんなら奥田がEカップとFカップだけは絶対にありえないのは男子の僕でもわかる。

「そろそろいい加減に本題に入ってもいいか? 私はこの後、部活の試合があるんだ。あまり時間がない」

「うん、頼む」

 さんざんボケてきた君が言うかね。全く。

「幸い学校に、奥田菜月が生徒だったころの担任の教師がまだいてな。そいつに話を聞くことができた」

「それはラッキーだね」

 公立の中学校ともなると教員の異動もあるから、奥田のことを知っている人もいない可能性だって十分あったんだ。そして担任がまだ異動してなかったとしても、個人情報の取り扱いには厳しくなりつつあるわけだし、全て彼女のことを話してくれるとも限らないわけなんだよね。

「そうだな。最初はかなり渋っていた。けれども不思議なことに、どんなに教師から勘弁してくれと断られても私が十分近く黙って見つめていると、心を開いてくれたようでようやく話してくれたのだ」

「おいおい……」

 ここで一つ訂正しておこう。心を開いてではなく、正しくは心が折れて、だ。十分近くも睨みつけられたら心も折れるよね。

「奥田菜月は学校を早退することが多かったそうだ」

「早退が多い? 一応、学校には行ってはいたんだ」

「そうだ。一日丸々休むことはあまりなくて、昼前になると早退することが多いという話だ。教師の話によると奥田は病弱らしい」

「何か持病あったとか?」

「いや、特にそういうわけではないらしいがな」

「そうなんだ」

 でも身体が弱くて休みがちっていう人は確かにクラスに一人や二人いるわけだし、何も不思議なことでもないようには思う。

「早退の理由は毎回様々で、風邪、体調不良、気分が悪い、咳が出て発熱したなどだそうだ」

「そういうのを全てひっくるめて体調不良という便利なワードがあるはずなんだけどね」

「ただその体調不良と言いながらも、実際はそうではなかったそうだ」

「仮病ってこと?」

「その通り。学校に来ては途中で早退する。そんなことが数多くあったという話だ。体調不良だと言って周囲の人間に心配してもらうためにわざと、やっているんじゃないかと噂が広がるほどだったという。実際、前日まで体調不良だと言って途中で早退しておきながら、定期試験の日は全く早退することはなかったのだから、そういう疑いが生まれるのも無理もなかったらしい。奥田が故意にやっていることだとしても、教師としては仮病しているなんて軽々しく認めるわけにもいかない。クラスメイト達には、これからも体調不良の生徒を見かけたら優しく思いやりを持って接するようにと言い聞かせたそうだ。まあ、教師本人はそう言っているが、実際にそれでクラスの連中がどう思っていたのかは今となっては知る由もないと思うがな」

 奥田が仮病していたかどうかは本人に聞いてみない限りその真相については分からないだろう。仮病だとしてそうする理由についてよくわからないよ。学校を休んで他にやりたいことがあったのだろうか? それとも単に学校で授業を受けるのが退屈だったからだろうか? あるいはクラスメイトと馴染めず学校にいるのが苦痛だったのだろうか?

 色々考えることはできるけれど、もしこうした理由なら、早退ではなくて初めから登校せずに欠席してしまえば良いとは思う。

 桃香に確認の意味で訊ねる。

「つまり中学校の段階では不登校ではなかったってことになるのかな?」

「そうだ。欠席が続いていたわけではないからな」

「高校に入学してから不登校ねえ。ますますよくわかない」

 中学校の時点で不登校なら当時のクラスメイトに聞き取りなどをしてわかることもあっただろうに。しかし高校入学してからということになるとクラスメイトに聞き取りしても得られるものはないだろう。なぜなら奥田は高校入学以来、一度も登校していないのだから。クラスメイトに聞いたところで得られる情報はほとんどないよ。クラスメイトに僕と同じく不登校で奥田菜月によって登校することになった生徒が一人いるのだけれど、彼に聞いても奥田が不登校の理由については結局わからなかったんだ。

「私が調べてきた情報はこれくらいだ。なぜ奥田菜月が不登校なのかは結局のところわからない。すまんな」

「それでも今回の聞き取り調査で中学時代不登校じゃなかったって情報が手に入ったわけだから、これも一つの収穫だよ。ありがとう」

「偉そうなことを言う気はないが、一つだけ私から言わせてもらおう」

 その言い方が既に偉そうなのだけれどもその点については特に言及しないでおこう。

 桃香は続けて話す。

「凝り固まった視点では見えてこないものもある。一つの視点だけではなく視点を変えてみる必要もあるわけだ。以前だってそうだっただろう。私が不登校だった時だってそうだったではないか」

 桃香の言わんとすることは大体わかったよ。言われてみれば確かにそうだったね。桃香が不登校の理由について、最初のうちは仕事が忙しいという理由だと思っていたけれど、実際はチームメイトとのけんかが原因だったんだ。それだけじゃなくて西本薪奈の場合だってそうだった。勉強は自分でできるから学校に行かないというのが当初の見解だったけれど、実際は周囲の人とどう接して良いかわからなかったからというのが真因だった。

「不登校の理由がこれだと決めつけてかかるといけないわけだね?」

「その通りだ。奥田菜月の場合、まだこれだという不登校の理由となる確固たるものはないようだが、もし不登校の理由と予想されるものが出てきたとしてもそれを鵜呑みにして間違った方向へ進むべきではない。私が言いたいのはそういうことだ」

 桃香はそんな忠告をしてから事務所を去った。中学生から凝り固まった視点がどうとか、そんなことを言われたら、なんだ上から目線だなと通常は感じるところなんだけれど、不思議なことに彼女に言われてもなんとも思わない。

 僕は再度、奥田の書いた小説を手に取ったんだ。この小説は何のために書かれたのだろう。そもそもこれは小説なのだろうか。日報や日記を小説の形式で書いたものなのかもしれないね。いずれにしてもこれだけの文章を書くには相当の手間を要したに違いない。よくこれだけのものを作ろうと思ったものだ。感心するよ。これが小説だったとして何か足りない気がするのは気のせいだろうか。通常の小説なら存在するあるものに欠けるというか、何というか……。普段、本を読まない僕には何が足りないのか具体的にわからない。そんなことを考えながら呆然とパラパラと原稿をめくっているととあるページに異変を見つけたんだ。

 この原稿は全ページ片面刷りになっていて、裏面は特に書かれていないんだ。けれども『第三話 仕事熱中症』の完結したページの裏側には何やら書かれている。それはパソコンによる活字じゃなくて手書きでされているじゃないか。


 不幸だと思っている人間が許せない

 たかだか数週間の欠席程度で不登校、勉強ができすぎて周囲と馴染めず不登校、友達とのけんかで不登校、そんなことで不幸だと思っている奴が許せない


 この丸みを帯びたひらがなの書き方からするとこれはおそらく奥田のものだ。字の細さから鉛筆ではなくおそらくシャープペンで書かれたものだとわかる。

 不幸だと思っている人間が許せない。

 奥田がまさかこんなことを思っていたとは全く知らなかった。奥田はどんな気持ちで普段、不登校対策委員会をやっていたのだろう。不登校で不幸だと感じている生徒に対して嫌悪の感情を抱いていたのではないかとさえ思ってしまう。奥田のこの文にある、『許せない』というワードが心なしか強く僕の心に響いた気がしたんだ。奥田自身が不登校であることを棚に上げて、他人が不登校なのは許せないのはどういう論理なのか、いまいち理解できないものがあるよね。

 気がつけば室内は薄暗くなりつつあった。外を見れば曇り空、もうじき雨が降りそうだ。来た時は晴れていて明るかったから気づかなかったけれど、電気もつけずにここまで色々作業をしていたようだ。そもそもこんなにも長居するつもりじゃなかったのだけれども。集中して何かしていると時間は意外にもすぐに過ぎてしまうものだ。そろそろ帰宅しようと思い、小説を閉じ、机に置く。そして椅子から立ち上がった時だったんだ。ドアをノックする音が聞こえたんだよ。桃香の他に誰か呼んだ覚えもないし、他に誰かが来るという連絡も受けた覚えもないのに。

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