第10話 仕事熱中症 ~その3~
次の日の放課後。桃香のいる畑へと向かった。
「今日はいい天気だねー」
桃香に軽々しく声を掛けてみた。すると桃香はこの前会った時よりもさらに鋭い目を向けてくる。
「貴様、何の用だ?」
「見ればわかるだろ。手伝いに来たんだ」
今日は制服ではなくジャージで訪れたのだ。そして桃香のおばあさんから借りたくわを持って畑を耕してみた。
「何もお前は手伝う必要がなかろう」
「いやお構いなく。手伝いたくて手伝っているんだから」
桃香は何か言いたそうにしているようにも見えたが、特に言わずに畑仕事を再開した。それからしばらくの間、自分と桃香は仕事に勤しんだ。
ようやく一列の畝ができたところで桃香に問いかけてみる。
「部活、なんだよな?」
遠くの方でカラスが鳴いている声が聞こえる。緩やかな風が流れ、草木がさわさわと揺れ動く。しばらくして風がおさまった頃に桃香は口を開いた。
「部活がどうしたというのだ」
シャープな眼差しを向ける。
「君は陸上部に所属しているそうだね」
「ああ、そうだが」
「不登校になった原因というのは陸上部にあるんじゃないのかな?」
桃香にしては珍しく目をそらした。
「前にも言ったろう。仕事が忙しいから学校に行けないと」
「『行きたくない』の間違いじゃないのか」
いつもの刺すような視線を向けてくるかと思ったけれども、そんなことはなく目を合わせることなく、くわを持って畑を耕し始めた。
桃香が沈黙を貫くように見えたのでさらに言葉を投げかけてみる。
「チームメイトとけんかしたからなんだろ。昨日、陸上部員に聞いたよ」
桃香のくわを持つ手が止まった。
「何?」
実は昨日、野球部の練習を見て気づいたことというのはスパイクの違いだった。どちらのスポーツも走る際に滑らないように底面には凹凸がつけられている。野球のスパイクの場合には金具が底面についている。一方でサッカーのスパイクは、底面には非金属製のものが使用されている場合が多い。サッカーのような人との接触が多いスポーツでは足を踏まれた時にケガの原因となるため、野球のスパイクに比べて鈍い突起になっている。
では、さらに人との接触が少ない競技ではどうだろう。例えば陸上競技は?
そう、桃香の家に訪れた際に見つけた針がついた靴は山登りに使用するアイゼンではなく、陸上競技で使うスパイクだったのだ。陸上競技のスパイクは底の部分に針のような突起がついているそうだ。後から調べてわかったことだけれども、アイゼンと陸上競技のスパイクは全然違うらしい。アイゼンの底面は針のような突起がついているわけではなく、金属の刃のようなものがついているそうだ。また、靴自体のフォルムもスポーツシューズのようなシャープな形状ではなく、どちらかといえばウォーキングシューズに近い形をしている。
桃香は一人っ子のため、陸上競技用のスパイクが置いてあった部屋は彼女の部屋で間違いないだろう。こうしたことから桃香が陸上部に所属していたのではないかという予想ができた。不登校である理由が部活動にある可能性はないか。あるいはクラスでの問題、学校や先生との問題、友達との関係などに問題はなかったか。つまり経済的な理由以外で不登校になった可能性はないかと考え、桃香にまつわる人物に聞き取り調査をしてみようと考えたのだった。
***
ここからはほんの少しばかり回想をすることにしよう。昨日の放課後のことだ。桃香の家には向かわずに彼女の通っていた中学校に行ってみようと考えた。桃香と関わる周辺人物に話を聞くことで、もしかしたら不登校につながる情報が得られるかもしれないと思ったからだ。
しかし、桃香の中学校へ向けて歩いている最中にとある問題に気づく。自分が通っていた中学校ならまだしも、特に今まで何の関わりもなかった中学校だ。当然、桃香の中学校の生徒ともコネがあるわけではない。そのためどうやって部員と話す機会を得たらいいのだろう、そう考えたところでちょうど良く電話が鳴った。
『もしもーし』
アホっぽい声がスピーカーから聞こえた。訂正、アホの声が聞こえた。
「どうしたの?」
『このまま私、登場しなかったらどうしようって思って電話しちゃった』
「……」
全く何を言い出すかと思えば……。
『一応、私はヒロインですし。毎話何らかの形で主人公を支える役割として登場しなきゃって思うんですねよね』
「ヒロインにしてはだいぶ厚かましいな!」
出番が少ないからと言って強引に電話を掛けてくるヒロインがどこにいるだろう。おしとやかに、そしてウザくならないように心がけていれば、もう少しヒロインらしくなれたのではないかと思う。
『はいっ、なんだしなんだしA●C、なんだしなんだしA●C、なんだしなんだし。これなんだし? これA●Cのガラスだし。割れにくいんだし』
「ていうか、そもそもお前急になんだし!」
しまった。ツッコんでしまった。奥田の術中にはまってしまったに違いない。この後、さらにボケを畳みかけてくる恐れもあるのだ。スルーするのが正解。電話越しだけれども奥田の息が少しあがっているような気もする。
『いや、いいね! ツッコんでくれなかったら道端で変なことをしてる人になっちゃうところでした』
「いや、道端でそのダンスしている時点で充分変な奴だから」
知り合いとしても恥ずかしいので道端でそんなことをするのはやめてもらいたい。
『あ! スーモ! スモスモスモスモスモスモス~モ。スモスモスモスモスモスモス~モ。スモスモスモスモスモスモス~モ。住まい探しはリク●ートのスーモ』
予想通りに次のボケをかましてくる奥田。対して冷静沈着に言う。
「なんでさっきから急に広告入れ始めたんだよ」
『いやいやよくあるじゃないですか。動画サイトでちょうど続きを見たいところで広告が入るやつ。あんな感じです』
「あ、はい……」
本当に呆れてしまう。ちょうど物語が動き始めた気になるところで広告を入れてみましたということだろうか。だとしたら非常に鬱陶しい。
奥田としては特にたいした要件もなさそうなので、こちらから話題を振ってみる。
「後藤桃香の件なんだけど、その中学校で知り合いとかいない? クラスや部活で何か問題があったとか、そういう聞き取り調査をしたいのだけれどつてがなくて」
『それなら良い方法がありますよ。桃香さんが通う中学校に不登校対策委員を昔やっていた人がいます。その人経由で連絡を取ってみましょうか?』
「ああ、頼むよ」
不登校対策委員のカリスマ中のカリスマ奥田。人脈はさすがといったところだ。西本薪奈の一件といい、学校に行っていないのにこれほどにパイプを持っているというのは、なかなかいないだろう。
奥田との電話を切り、さてこの待ち時間どうしたものかと考える。これから何をするにしても、とりあえず駅へと向かって歩いていく分には無駄にならないだろう。てくてくと大通りを通りながら歩いていく。十分ほど行ったところで電話が鳴った。よく見れば奥田個人からの着信ではなく、『不登校対策委員会』のグループトークからの着信だった。以前に奥田に促されて入った覚えがある。何の説明もなく、いきなりグループトークとは一体何事かと思いながら電話に出る。
「もしもし小池です」
『はいっ、なんだしなんだしA●C、なんだしなんだしA●C、なんだしなんだし。これなんだし? これA●Cのフッ素フィルムだし』
「ていうか、そもそも君は誰なんだし!」
電話に出ていきなり広告を入れてくるとは思いもしなかった。おそらくボケ自体は奥田ものだろうけれども、声が別の人物であることはすぐに気づいた。それでも流れで誰かもわからぬ相手にツッコんでしまった。年上の人だったらと思うと、失礼なことを言ってしまったかと心配していると意外にもノリの良い返しが来た。
『私、桃香と同じ陸上部のチームメイト!』
どうやらこのグループトークには奥田も参加しているようで、くすくすと笑い声が聞こえる。奥田からネタを仕込まれたのだろう。お気の毒に。
後藤桃香の調査をするうえで陸上部のチームメイトというのはなかなか良い提供元だ。さすが奥田の人脈、交渉力といったものだ。
「今日はわざわざ連絡もらってありがとう。君にいくつか聞きたいことがあって」
『わー! 奥田さん、この人! 私の渾身の返答をスルーしましたよ! ひどい。せっかく恥さらしを覚悟にやったというのにー』
「そんなに嫌なら奥田の言うことなんて別に聞くことなんかなかったのに」
『奥田さんから、やってくれたらLI●E Pay千円分もらえるって言われたから』
中学生で千円もらえると言われたら頑張っちゃいますよね。
閑話休題。陸上部のチームメイトだと話す彼女に問う。
「ところで桃香さんとはどういう関係なのか詳しく聞きたいんだけど、部活の先輩? 後輩?」
『桃香とは学年も同じで、そしてクラスも同じ。もちろん部活も同じです』
これは情報源としてはかなり期待できそうだ。部活のことだけではなく、クラスでの桃香の振る舞いも聞けるのだから。
「桃香さんが今、不登校になっていることはもちろん知っているよね? どうしてそうなったか、君は何か知らないかな?」
少しの沈黙の後に彼女は訥々と語る。
『おそらく部活での出来事が原因だと思います。桃香はチームメイトに厳しい態度を取ることが多くて、特に後輩には目を光らせて指導していました。部活外でも制服が乱れていると叱ったり、言葉遣いなどの礼儀といいますか、そういうのを特に気にしていて。後輩にしてみればあまりよく思わなかったみたいで結構陰口なんかを言っていました。
陸上部は私と桃香の二年生二人と、他は一年生の二人で合計四人しかいないんです。だから後輩に部活をやめられるとリレーの大会に出られなくなって困るから、私はもう少し優しく指導してあげたらって桃香に言ったんです。そうしたら桃香は「この程度でやめてしまうのであれば、それまでの奴らだったということだ。そんなのと一緒に無理してリレーに出る必要はない」って言うんです。そこから桃香と口論になってしまって……』
「ということは君とのけんか? それが原因で不登校になったってこと?」
『はい、おそらくそうだと思います。次の日から学校に来なくなったので』
即答だった。当初は家庭の経済的な事情で学校に通いたくても通えないという、社会の抱える難解な問題について解決しなければいけないと思っていたけれども、ふたを開けてみれば友達とのけんかが不登校の原因とは随分と陳腐なものだ。一瞬そう思ったけれども、不登校の理由というのは意外とそんなものかもしれない。かつての自分も長期の欠席がきっかけで学校に行きにくくなったのだから。
西本薪奈と別れる前に何か言いかけた言葉の内容も何となくわかった気がする。薪奈は現代において経済的な事情で学校に通えないというのは珍しいケースだと言っていた。学費が掛かる高校や大学ならまだしも公立の中学校だ。よほどのことがないと経済的な理由で不登校にはならないのではなかろうか。そのことに薪奈は気づいて別の可能性はないかと思ったのだろう。あの時、彼女がため息をついていたのは、それが難解な問題だったからではなく、問題を難しく考えすぎていたことに呆れていたからだ。
ただそうはいっても念のため、他の原因がある可能性も考えてもう一点確認してみる。
「クラスで何か不登校になるようなことが別にあったとか、そういうことは特にないわけだね?」
『はい、他のクラスメイトとは特に問題はなかったと思います』
陸上部のチームメイトとのけんかが不登校の原因ということで大体間違いなさそうだ。そうなるとチームメイトの彼女と桃香をどうやって仲直りさせるかが重要となってくる。
「ところで君は桃香さんに部活に戻ってきてほしいと思っているってことでいいのかな?」
『もちろんです。桃香が来なくなってから後輩二人は部活もまじめにやらなくなってしまいましたし……。特に最近はタバコ騒動なんかもあって』
「タバコ騒動?」
『はい、陸上部の部室の方からタバコと思われるにおいがするっていう通報があったんです。偶然学校の周辺を歩いていた近所の人が見つけたそうです。私はその時、グラウンドで練習していたんですが、後輩二人は部室で練習をサボっていました。それで彼女たちがタバコを吸っていたんじゃないかと疑われたんです』
中学生がタバコを吸っていた。それが本当だとするなら大問題だ。ただにおいがするということだけで彼女たちを疑うのはどうだろう。そう思って訊ねてみる。
「あくまでその通行人はにおいがしたって言ってるんだよね? 実際にタバコを吸っている姿を見たとか、煙が漂ってくるのを見たわけではないんだよね」
『えっと……まあ、そうなんですけど』
どこか歯切れが悪い。さらに聞いてみる。
「このことに対して本人たちは何て言っているの?」
『タバコを吸っていませんってきっぱり否定しています』
「そういうことなら証拠もないわけだし、疑うのもどうかと思うよね」
『証拠と言っていいかはわからないんですけど、部室裏にあるコンクリートの壁にタバコの先を押し付けたような跡がありました。そういうこともあって疑われているんです。最近の学校での態度も良くなかったので、余計に先生からの目も厳しいものなってしまっているというのもあります』
なるほどそういう事情があったとは思わなかった。桃香がいなくなったことで一層気のゆるみが生じたのかもしれない。タバコを実際に吸っていたかは別として世間の目が厳しくなるという話も何となく腑に落ちる。
さらに陸上部のチームメイトは話す。
『桃香が学校に来なくなって、改めて存在の大きさに気づきました。後輩たちに部活外でも厳しく指導していたのは、彼女たちのためだったんだって』
「君は彼女たちがタバコを吸っていたと思ってる?」
『いいえ、吸っていないと思います。れっきとした根拠があるわけではないんですけれどね。彼女たちの普段の態度は決して良いとは言えませんでしたが、隠れてタバコを吸うような子たちとは思えません。彼女たちが吸っていないって言うからには、先輩として力になりたいと思っています。……ですが、なかなかうまくいきませんね。顧問の先生にかけあって、警察を呼んででも徹底的に調べてもらったらどうですかって提案したんですが、あまり事を大きくしたくないようで全然取り合ってくれませんでした。こんな時、桃香だったらどうするんだろう。だからこそ桃香には学校に来てほしい。部活にまた戻ってきてほしい。この問題を解決して一緒にまた走りたい。私はそう思っています』
***
「――って君のチームメイトは言っていたよ」
事のあらましを桃香に伝えた。
チームメイトとの意見の相違について。
桃香が不登校になってから発生した陸上部の抱える問題について。
そしてチームメイトが桃香に戻ってきてほしいと思っていることについて。
陸上部のチームメイトが話していたことをできる限り詳細に、言葉のニュアンスにも気をつけながら正確に話した。
桃香は手に持ったくわを地面に置く。こちらから見ると畝の起伏が、くわの刃の部分をちょうど隠すので、葉も枝も生えていないへんてこな木が畑から斜めに生えているように見えた。
「私が学校に行っていない間にそんなことがあったのか……」
強い風が吹く。コトンという音が聞こえた。置いていたくわが倒れたようだ。
「もし本当に畑が忙しいってことなら毎日というわけにはいかないけれど可能な限り手伝うよ」
桃香の祖母が足を悪くして畑仕事が忙しいというのはおそらく本当のことだろう。だからこそ少しでも力になれないかと思った。しかし桃香は首を横に振る。
「その必要はない。もうこの際、認めるほかはないな。部活仲間とうまくいかないことがあって学校に行きたくなかった。不登校の理由というのは、そんなくだらない理由だ。祖父母には心配を掛けたくなかったし、そんな理由で学校を休むというのは私としてもしたくなかった。それゆえに家の仕事が忙しいからという理由を作って言い訳をしたのだ」
桃香はゆっくりと息を吐いてから再度話す。
「いつまでもこうして不登校というわけにもいかないとは思っていたところだ。貴様も気づいていたかもしれないが、私の家は農業をやらなければ生計を立てられないという家庭ではない。祖母が足を悪くして畑仕事が忙しいというのは確かに本当だけれども、祖父母は年金をもらっているのだから生活できなくなるというわけではない。それにちょうどこの前、祖父が畑はもう終わりにしようかと言っていたほどだ。そうなると私も学校に行かない理由がなくなってしまう。我ながら馬鹿馬鹿しいがそんなことを思っていたところだ。まさか陸上部がそんな大変なことになっているとはな。情報提供感謝する。礼を言おう」
桃香は深々と頭を下げる。意思確認のため彼女の顔色を窺うように恐る恐る一つ訊ねてみる。
「それじゃあ、明日からは学校に行けそうかな? まあ、明日じゃなくても近いうちにでも良いとは思うけれども……」
「いや、明日ではなく。今日だ。今から学校に行く」
「えっ今から」
当たり前のことだけれども今は放課後。そして夕方になりつつある。授業はともかくとして部活も中学校に到着する頃にはちょうど終わっていることだろう。
「当たり前だ。陸上部員がタバコを吸った? 確かに気の抜けた奴らだったが、そんなことをするとは思えない。学校に抗議しにいくしかなかろう!」
「あっ、はい。そうですね……」
ここまで冷静沈着に話していたから気付かなかったけれども、タバコを吸っていた嫌疑が後輩にかけられていることに対してかなりご立腹のようだった。
桃香は倒れていたくわを拾い、再度地面に立てて置く。
「我ら陸上部は『七転八起』をモットーに練習や試合に打ち込んでいる。ありもしない疑いをかけられてそのままでいられるものか」
そう言うと桃香はすぐさま走って行ってしまう。農作業の服を着たまま中学校へそのまま向かうらしい。走ってついていこうと思ったけれども、さすが陸上部といったところだ。走る速度が尋常ではない。すぐに距離を引き離されてしまい、やがて姿も見えなくなった。
ここでふと思う。一緒について行って見届ける必要なんかないと。
彼女、後藤桃香はもう不登校なんかではないのだから。
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