第9話 仕事熱中症 ~その2~
翌日の放課後、高校の最寄りの駅へと向かっていた。もちろんそのまま家へと帰れるわけではなく、桃香の不登校の問題を解決するために彼女の家へと向かっているのだった。その途中で見覚えのある小学生女子の姿が見えた。すぐ近くの横断歩道を渡っている。ランドセルを背負っていないことから、下校中というわけでもなさそうだ。そんなことを考えていると、相手もこちらに気づく。
「お久しぶりです」
「おお、久しぶり」
と、まさか西本薪奈の方から声を掛けてくるとは思ってもいなかったので、思わずそっけない挨拶になってしまった。
「この前私が出したレポートは書けましたか?」
「えっと……」
薪奈のいうレポートとは、学校に行く意義について述べるよというもの。この宿題が出てから数か月が経とうとしているが、一向に完成する気配がなかった。薪奈はじっとこちらを見つめている。彼女が何を考えているのか正確にはわからないが、そんなにまじまじと見られると威圧しているようにも思えてきた。
「申し訳ありません。もう少し待ってください」
道端で小学生に頭を下げ、謝罪する高校生というのは、そうそう見かけるわけでもない。周囲を偶然歩いていた人々は何があったのかと、ちらちらとこっちを見ていた。
「わかりました。あと一週間あげます。それまでに必ず完成させてください」
「一週間? もう少し期間がほしいんだけどなー。今日だって不登校対策委員会の仕事があってその人の家に行ったりするわけだし」
薪奈は手を顎に当てて少し考えてから言う。
「わかりました。そのような事情がおありなら仕方がないです。二週間後でいいですよ」
「助かったー」
レポートが二週間で書ける保証があったわけではなかったが、なぜだか自然と安心した。
「ちなみに今日はどんな方にお会いする予定なんですか?」
薪奈がこんな質問をしてくるとは思わなかった。以前なら他人に対しての関心がなかったようだったので、これから何をするのか、どこへ行くのかといったことは聞いてくることはなかっただろう。以前に「他人を受け入れるように」と自分が発した言葉が届いたのかもしれない。と、考えてしまうのは少し思い上がりすぎだろうか。
「これから会うのは中学生の子でさ、家の仕事が忙しいから、そのせいで学校に行けないっていう人。その子もまた特徴的で、誰からの異論も認めないっていう……なんというか軍曹って感じの人でさ」
「随分と変わっていますね」
お前が言うか。君もかなり変わり者だよと言おうと思ったが、薪奈はボケで言っているわけではなく、素でそう思っているだから、つっこんでも仕方がないだろう。
「彼女に対して説得を試みたんだけど、『家が忙しい時に学校など行ってられるものか。学校など暇人が行くところだ!』って言われちゃってさ。どうしたもんかなって」
天才小学生の薪奈から何か解決策やヒントとなるものが得られないかと思い、桃香についてのことを話してみたのだった。それにしても小学生に相談する高校生とはなんだか不思議な構図だ。
すると薪奈は何の脈絡のない話をし始める。
「学校のゴゲンって知ってます?」
「五限? 国語かな? ていうか君の小学校の五限目が何かなんて知らないよ」
「何を忍たま乱太郎のボケみたいなことを言っているんですか」
怒られた? いや、ツッコミか。口ぶりが平坦なためどちらなのかわからない。そもそも彼女が忍たまを知っていることに驚きだ。アニメを見たりするのだろうか。
「私が言っているのは学校という言葉の由来です。もっと言うとスクールという言葉の語源について知っていますか?」
「スクールの語源? 英語は得意じゃないんだよ」
「語源の話をしているんですから、英語ができるかどうかは関係ないと思います」
「まあ、そうだけど」
「スクールはもともと暇という言葉からきているんです」
ここでようやく薪奈が脈絡のない話を突然し始めた理由がわかった気がした。薪奈は話を続ける。
「昔、学問を学べたのは生活に余裕のある貴族の身分の人しかできませんでした。その貴族たちが生活の余暇を利用して教養を身につけたことから、暇なときにする、学問を学ぶ場所をスクールというようになったそうです」
昔は子どもであっても家の仕事をしていて学校に行っていなかったという話は聞いたことがあった。暇という言葉から由来しているという話は頷ける。
「なるほど桃香が言っていたことは、あながちめちゃくちゃなことを言っているわけじゃなくて、学校の語源から考えると筋が通っているってわけか」
「筋が通っているかどうかはともかくとして、それでも家の仕事が忙しくて中学校に行けないというのは現代ではやはり珍しい例だと思います。もしそれが本当なら家庭の経済状況という根本的な問題から解決しなければいけないですので、簡単なことではないでしょうね」
「そっか、なかなか根深い問題なわけだ……」
このように自分が話すと薪奈はため息をついた。彼女がため息とは意外だ。彼女もこの問題が難しいと思っているのだろうか。天才小学生がため息をつくほどの問題。より一層、凡人高校生に解決できるような問題ではない気がしてきた。桃香を登校させる自信がなくなってきてしまう。
「つまりですね――」
と、薪奈が言いかけたところで「薪奈ちゃーん」と呼ぶ声が遠くから聞こえた。見てみれば近くにある公園から小走りしながら手を振っている女の子の姿が見える。
「すみません、友達が待っているのでまた今度」
そう言って薪奈はすぐさま友達の方へと走って向かって行ってしまった。もともと友達と遊ぶ約束でもしていたのだろう。引き留めはしなかった。
薪奈と別れた後、彼女が何を言おうとしていたのか気になってきた。それが解決策かヒントなのかはわからないが、何か重要なことを言おうとしていたのではないかと。そんなもやもやした気持ちを抱えながら駅へと歩みを進めていくと中学校の校庭が見えた。ここはかつて自分が通っていた学校だ。サッカー部が練習をしている姿が見える。当時、サッカー部に所属していたことを思い出し、懐かしさを感じていた。サッカーゴールのネットの破れた部分を修繕しながら使っているのは、今でも変わらないようだ。予算が下りず、ゴールもネットも購入してもらえなかったのだ。中学を卒業して数か月しか経っていないが、はるか昔のことのようにも思えてくる。そんな風に校庭を眺めながら歩いていくと、近くで練習していた野球部の姿が目に入ってきた。
バットに球が当たって金属音が鳴り響く。球は一回大きくバウンドして三塁方向へと飛ぶ。一塁ランナーは二塁へと全速力で走っていく。そして足からスライディングして二塁ベースに滑り込む。野球素人からすると守備陣の送球とランナーの二塁への到着はほぼ同時に見えた。野球とサッカーとではスライディングの方法が違っていることに気がついた。サッカーのスライディングの場合、左足を外側に折りたたんだ状態で滑りながら右足でボールに接触する。野球の場合はその逆で左足を内側に折りたたんで行うようだ。野球部員の足元を見ていると、きらりと光るものが見えた。
「ん?」
野球とサッカーとではこういうところも異なるのか。そのようにさらなる新たな発見をしたところで、ある考えが頭の中で浮かんできた。
それは後藤桃香の不登校に関する考えだ。桃香を学校に登校させるためには、まず調べなければいけないことがある。どうやって桃香を登校させるか考えるのはそれからだ。
バットから放たれた打球はきれいな放物線を描いて飛んでいくのが見えた。
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