第3話 入学早々欠席 ~その3~
久しぶりに外の新鮮な空気を吸った気がする。不登校となってからほとんど家の外に出ることはなくなり、家にこもることが多かった。外の世界がこんなにも清々しいとは思ったのは生まれて初めてだと思う。木々にとまっている鳥たちはさえずり、きれいな花を咲かせている植物の近くには蝶がひらひらと羽をはばたかせて飛んでいる。その光景を目にしてまだ春は終わってはいないのだと気づくと少し安心した。
平日の昼間から街を出歩くというのは不思議な気分だ。他の人は今の時間はまだ授業をしているというのに、こんな風にぶらぶらとしているのは、なんだかいけないことをしている気分にさせられる。学校をさぼっている時点で良いか悪いかでいうと無論、悪いことなのだけれども。
「どこまで行くんだ?」
てっきり近くの飲食店あたりで済ませるのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。もう二十分ばかり歩いている。周りはビルが立ち並ぶ街の中心地まで来ていた。
「ここに入りましょう」
そう言って奥田が指さす先はサンドイッチ専門店だった。いかにも女子が好き好んでいきそうなお店だ。自分はというと随分前に一回入ったことがある程度。
店内に入り、注文を済ませて席に着く。奥田はえびとアボカドのサンドイッチを注文し、自分はローストビーフの入ったサンドイッチを頼んだ。
サンドイッチにかぶりつくと、わさび醤油ソースのわさび成分が想像以上に多くて食べ始めは少し鼻にツンときたものの、ローストビーフとわさびの組み合わせはいい具合にマッチしている。奥田のえびとアボカドのサンドイッチはどんなサンドイッチなのだろうかと一瞥すると、おそらく入っているだろうえびが野菜のせいであまり見えない。そういえば奥田は野菜上限までといって野菜をたくさん入れてもらっていたことを思い出す。
「そんなに野菜を入れたらさ、サンドイッチを食べに来ているのか野菜を食べに来ているのかわからんぞ」
「野菜を食べに来ているんです」
意味のわからないこと言い出した。
「そういうことなら他の店でサラダでも頼んでおけばいいものを」
「サンドイッチを食べに来ているんです」
「ああ、また訳の分からないことを言い始めた」
「ふふっ」
と、奥田が笑みを浮かべる。
「あはは」
つられて自分も笑ってしまう。
あまりに馬鹿馬鹿しいやりとりを自分は楽しいと感じ始めていた。ここまでのたった数時間の会話しか奥田としていないけれども、こんな奴と過ごす学校生活も意外と悪いものではないかもしれない。
奥田のしょうもないボケ、そしてそれを八割ぐらい受け流す自分。そんなことはこの先も目に見えているけれども、そんなのがむしろ心地いい。
「私ね、実は小池君と同じクラスなんだ。だから学校来てくれたら嬉しいな。別に明日じゃなくてもいい。ゆっくりでいいから……」
「わかった。気が向いたら登校する」
格好つけて「気が向いたら」なんて言ってはみたものの、もう既に決まっていた。明日、学校に行こう。そう決めていた。
「私、待ってるから」
物語的にはここで終わっておくのが最も美しいかもしれない、とは思う。けれどもこの話には後日談がある。それはお察しの通り自分が学校に行った時の話だ。
入学からおよそ一か月半たった今、朝登校したら見知らぬ生徒がいきなりクラスにいたとするなら、これは少々どころではなく、かなり目立つものだ。これが新しく来た転校生なら盛んに話しかけてくる人間もいただろうけれども、別段そのようなこともないわけであるので、クラスメイトはじろじろと見てくるだけで誰一人として話しかけてくるわけではなかった。学校生活の始まりとしては決して良いとはいえないスタートだ。
結局、そのまま誰にも話しかけられることもなく朝の会に突入。ここでようやく何か足りないことに気づいた。
奥田はどこだ。そもそも彼女が学校に来させようとしたのではないか。クラスメイトだと言っていたはずだ。次の日にいざ学校に行ったら奥田がいないというのは嫌な予感がよぎってしまう。
奥田菜月はこの学校の生徒ではなかった?
そんな仮説が浮上してしまう。冗談なのか本気で言っているのかわからなかったが、不登校対策委員会岡山支部所属と言っていた。実際には岡山の人間ということだろうか。
思い返せば少し違和感を覚える箇所が全くなかったわけではない。そういえば奥田はこんなことを言っていた。
『学校に随分と来てないそうですね? さらに親には勉強に追いつけないからと言っているそうですね? それって本当でしょうか?』
なぜ人づてに聞いたように話すのだろう。もし奥田がこのクラスに所属しているのならば、きっとこう話すはずだ。
『学校に随分と来ていないですね。さらに親には勉強に追いつけないからと言っているそうですね? それって本当でしょうか?』
後半部分が伝聞の口調になるのはわかる。けれども前半部分の、学校に来ていないかどうかはクラスメイトであるならそんな言い方はしないはずだ。
奥田は「私、待ってるから」と言っていたけれども、ましてやこれはSFものというわけはないから、「未来で待ってる」的なドラマチックな仕上がりは期待できない。
もはや完全に騙されたと自覚して、呆然とあたりをぼうっと見ていた。
『私ね、実は小池君と同じクラスなんだ。だから学校来てくれたら嬉しいな。別に明日じゃなくてもいい。ゆっくりでいいから……』
あの言葉は自分を学校に来させるための真っ赤な嘘ということか。実際、受けたショックは大きかった。楽しい学校生活を思い描いた自分が恥ずかしい。もうこの現実から目を背けたい。そうして目を横に向けた時だった。
まさかのまさかだった。そういうことなのか? ある予想が頭の中で突如として浮かんでしまった。
予想の斜め上をいく奥田。
しょうもないボケをかましてくる奥田。
カリスマ中のカリスマと自ら言い放つ奥田。
もしかすると彼女の真の姿はこれなのではないだろうか。
ことの顛末をすぐさま知るため、朝の会が終わった直後に近くにいた男子生徒に訊ねる。
「この席の生徒って誰だか知ってる?」
この席というのは自分の席の左隣にあたる席だ。
「ああ、知ってるよ。そこ、奥田さんの席」
そう、やはりそうだったか。朝の会になっても空席になっていた、この席が奥田の席。となると導き出される結論は、やはりあれだろうか。
「あ、もしかして君も被害者? 僕も二週間前まで不登校だったんだけど、奥田さんに説得されて学校に来たんだ。だけど奥田さん、自身も不登校なんだよねー」
もうこれは呆れを通り越して笑うしかなかった。
学校から帰るとスマホを取り出した。そしてメッセージアプリを開く。
自分を学校に登校させた諸悪の根源、奥田菜月にメッセージを送るために。
送る内容はこうだ。
昨日はありがとうございました。楽しかったです。
約束通り学校に行きました。
なんとまあ君まで不登校だったとはね。
まさに不登校対策委員会のカリスマ中のカリスマですね。
不登校の生徒の風上にも置けないけれども……。
ボタンを押して送信した。スマホを机に置き、両手を上へとあげて伸びをする。
そういえば重要なことを送り忘れていた。もう一度スマホを手に取ってメッセージを打ち込む。
「送信っと」
P.S 被害者同士で友達できました。ありがとう。
はてさてメッセージを読んだ奥田菜月はどんな顔をするだろうか?
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