第4話 人間アレルギー ~その1~
授業が終わり、放課後になった。これから部活へと向かう人、友達とどこかへ遊びに行こうとする人、塾へと行く人、そのまま帰宅する人、クラスメイトは各々荷物をまとめて教室から出ていこうとしていた。自分もまたカバンを手に取って教室を後にする。行先は名古屋駅。なぜ駅へと向かっているのかといえば、それは奥田に呼び出されたからだった。
呼び出された理由はわからない。名駅の金時計前にくるようにとスマホへメッセージが送られてきただけだった。要件を先に聞いておけばよかったのかもしれないが、なんにせよ奥田とは以前に一度会ったきりそれから会っていないわけであるので、そろそろ会っておきたい。学校に行くことができたお礼を直接言いたいというのもあるけれども、それ以上にどうして彼女が学校に来ないのか気になっていた。不登校対策委員会のメンバーながら自身が学校に来ていないというのは一体全体どういうことなのか。疑問は増すばかりだ。
金時計前に着くと平日にもかかわらず多くの人が待ち合わせをしていた。名古屋では金時計前といえば待ち合わせスポットということで有名だ。けれどもこれだけ人が多いとかえって待ち合わせ場所として本当にふさわしいのか甚だ疑問だ。人の多さ以前に新幹線口の銀時計と勘違いする人もたまにいる。金時計と銀時計は駅の両端に位置しているのだから間違うと結構歩く羽目になるというのに。
周囲を見渡して奥田を探す。けれども彼女の姿は一向に見つからない。待ち合わせ場所を間違えていないかと思った頃、着信音が鳴った。スマホを手に取り電話に出る。
「もしもし、どこにいるんだ? 全然見つからないんだけど」
『その口ぶりだともう金時計にいるということですね? それならちょうどよかったです。今から道案内をするので歩いてきてください』
「わかった」
どうやら奥田はここにはいないらしい。探しても見つからないわけだ。奥田の指示に従う。
『金時計を背にして右側に通路があると思うんですが』
デパート入口の奥に一本の通りがあった。おそらくここのことだろう。スマホを耳に当てながら少し歩く。それから右折してしばらく道なりに歩く。
「改札が左側に見えるけど、右に曲がった方がいい? それともまっすぐ?」
『まっすぐでお願いします』
奥田の言うとおりにすると突き当りまで来てしまった。
「どこまで行けばいいんだ?」
『近くにドーナツ屋さんが見えると思います。そこに入ってください』
確かに右側に有名なドーナツ屋があった。言われたとおりに中に入ったものの、奥田の姿は見えない。
『そのままレジに向かってください』
「え? なんで?」
『いいから』
またしても言われたとおりにすると、店員さんは笑顔でいらっしゃいませと声をかけてきた。何か嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
『百六十円のドーナツを十二個注文してください』
「パシリにあっているような気がするのは気のせいかな?」
奥田はたいしてうまくもない口笛を吹いてごまかした。会う前に差し入れのドーナツを買ってこいということだろうか。
登校できたお礼ということにして、律義にも言う通りにドーナツを十二個も購入して店を出た。それから奥田の道案内を頼りに駅近くの高層ビルへと入っていく。入口にあった案内板を見れば、このビルには数々のオフィスが入っているようだ。その中に不登校対策委員会の文字を見つける。不登校対策委員会という組織自体、奥田と関わるまで一切として聞いたことがなかったので、そもそも実在するものかどうかが怪しかったというのはあった。けれどもこうして目にしてしまうと、そんな風に思っていた自分が少し恥ずかしい。
それからエレベーターに乗り、奥田のいる階まで上がっていく。そのフロアの大半は一流商社の企業が占有しており、その一角に例の不登校対策委員会の事務所があるようだった。フロアマップを見る限り少し大きめの会議室といったぐらいの広さのようだ。
部屋の前で行き、コンコンとドアをノックする。
勢いよくドアが開いたかと思えば、
「ようこそ不登校対策委員会へ!」
という元気な声が聞こえた。
「あ、はい」
あまりのテンションの高さにひいてしまった。奥田の呼吸が少し荒い気がするのは気のせいだろうか。彼女は学校には来ていないにもかかわらず制服を着ていた。
「ドーナツ買ってきましたね!」
「仰せの通りに」
部屋の奥をみればちゃっかり紅茶の準備までしてあり、もう準備万全という感じだった。部屋には奥田以外に誰もいないようだ。
「さあさあ座って座って」
テーブルをはさんで向かい合うように座ると紅茶をすする。この甘いドーナツにはコーヒーなんかも合いそうだと思いつつ、疑問に思っていたことをつぶやいた。
「こんな高層ビルの一室を借りるのもさぞかし高いんだろうな」
国が資金を出しているのか市の教育委員会が出しているのかわからないが、わざわざ事務所をこんな場所に構える必要がよくわからない。学校の空き教室で十分ではなかろうか。
「パパからもらったんです」
「ふうん。そうなんだ」
あたかも父親からいらなくなった腕時計をもらった話を耳にしたかのように何気ない返答をしてしまった。よくよく考えてみるとこれはかなりすごいこと。
「もらったって……お父さんってもしかして」
「奥田商事の社長です」
それは誰しも知っている一流商社の名前だった。このフロアに来た時点で奥田菜月と何らかの関連があるのではないかと一度頭をよぎったが、まさか社長の娘だとは思いもしない。
「そうだったんだ。じゃあ会社のお金でここ借りているのか?」
「正確には会社のお金じゃなくてパパのポケットマネーです」
大企業の社長ともなれば子ども部屋を娘に与えるように会社の会議室を一つ分け与えることもできるというのだろうか。もうレベルが計り知れない。
奥田はドーナツをおいしそうに頬張っている。そして紅茶を飲み終えると、改まってこう言うのだった。
「それで今日呼び出した理由なんだけど、とある小学生を学校に行かせてほしくてね」
「とある小学生?」
「そうそう、委員会に依頼がきていて……とりあえずカルテを見て」
不登校児童および生徒診断カルテ
西本薪奈(九)
学年:小学三年生
病名:人間アレルギー
診断データ:ツッコミ三点(ノリツッコミ〇回)、ボケ〇点(天丼〇回)、フリートーク一点
総合評価:二点
「で、つまりはこの小学生を登校させるために協力しろと?」
「うん、そういうこと。見ての通り私以外に事務所に誰もいない。人手が足らなくて困ってるの」
奥田に対するお礼はドーナツ一ダースで十分過ぎる気もするけれども、困っていると言われれば仕方がない。断る理由などなかった。
「わかった。協力するよ」
こうして不登校対策委員会の業務を手伝うことになったのだった。
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