第2話 入学早々欠席 ~その2~

 入学式当日の朝のことだ。もうそれはそれは体が重く、怠くてベッドから起き上がるのも嫌になるくらい調子が悪かった。初登校の日だというのに風邪をひくなんて思ってもいない。頑張って学校に行こうかと始めのうちは考えていたものの、体はいうことを聞かなかった。立って歩くのも危うい。このまま学校へ行くというのなら、入学式の最中に倒れるなんてこともありうるだろう。

 結局、大事を取って休むことにしたのだった。その日のうちに医者に診てもらったところ、どうやら自分がかかったのはただの風邪だったわけではないらしい。インフルエンザだったのだ。結果としてそれからというもの一週間ばかり学校を休むということになってしまったのだった。入学早々、一週間も勉学に遅れをとってしまうというのは授業の内容も全くついていけるはずもない。それゆえに学校を休んだのだった。

 最初は一日だけのつもりだった。遅れた分を取り返すために自習を始めようという考えのもとで計画的な休みだった。別に勉強は苦手というわけではない。中学の頃はよく予習していたものだ。授業を直接受けていなくてもある程度はカバーできるだろう。そんな考えは実に浅はかな考えだった。実際、学校を休んでしまうと気が緩んでしまうものだ。ついこの前までインフルエンザで寝込んでいた者が学校を休んで潔く勉学に励めるはずもなく、だらだらとまた一日、また一日と過ぎてしまった。いつしかそんな生活をして一か月が過ぎていた。


「勉強が追い付かなかったから学校に行かなくなったって、それって本当なんですか?」

 髪を後ろで一つ結びにした女子はそう聞いてきた。見れば自分の通うはずだった高校の制服を着ている。刃物を持った殺人鬼だったら、どうしようかと心配していたがそんなことはなさそうだった。依然、侵入者であることには変わりはない。

「そんなことよりどうやって家に入ったんだ?」

「鍵を開けて入りましたが? 何か?」

 あまりにすっとぼけた答えが返ってきたので驚いてしまう。

「鍵ってピッキングとか? それって犯罪だと思うんだけど?」

「見てください。家の鍵です」

 そう言って彼女は鍵を自慢げに見せつけてくる。合鍵を作ったというわけではなさそうだ。クマのマスコットがついたキーホルダーがついている。どうやら母親の持っている鍵をもらったようだ。いや、もらったのではなく略奪したのかもしれないが。

「これはあなたのお母さんから頂戴したものです」

「ふうん。で、何の用ですか? 母親に何か頼まれたんですか?」

「そうです。あなたを学校に登校させるために来ました」

 なんとなく事態は理解できた。おおよそ親が不登校の息子を見かねて説得のために第三者を招き入れたのだろう。

「学校に随分と来てないそうですね? さらに親には勉強に追いつけないからと言っているそうですね? それって本当でしょうか?」

 よくよく振り返ってみれば勉強が追い付けないからというのは、ただの言い訳なのだと薄々気づいてはいたのだ。完全に乗り遅れた自分は居場所がなくなり、学校へと行かくなった。それが大きいかもれない。

「まあ、周りにうまく溶け込めなかったのも原因の一つだとは思う」

「ですよねー」

 彼女の反応がものすごく癪にさわるのは気のせいだろうか。

「結局、君は何なの? 誰?」

「よくぞ聞いてくれました。私は不登校対策委員会岡山支部所属、主任の奥田菜月です」

「担当エリア広すぎません? ここ名古屋だけど?」

 その奥田という女子は咳払いをしてごまかすとさらに続けた。

「それはともかくとして、もう学校に行きませんか?」

「それは嫌だ」

「こんなに可愛い女の子が誘ってるんだよ? ね?」

 自分で可愛い女の子だと言ってしまうのはどうなのだろう。そう思ったのだけれども、実際に見た目はかなり良い。クラスで一番二番人気ぐらいのルックスといった感じだ。癖のありそうな性格を除けば男子からかなりの高評価がつくに違いない。

「こんなことで学校にひょいひょい行けたら苦労しないよ」

「おっかしいなー。男子の九割はこれで登校する気になるのに」

「どんだけ単純なんだよ。不登校男子って奴は」

 確かに彼女の言う通り単純な生き物かもしれないが、全国の男子の名誉を保つためにも、ここでやすやすと学校へと行くわけにはいかない。別にむきになっているわけではないけれども。

「ええと不登校対策委員会というのはですね、昨年の春に設立された文部科学省の組織なんです。不登校の人を救済するために設立されました。私は今まで数々の不登校の人々を学校に行かせることに成功しています。まさに委員の中でもカリスマ中のカリスマ」

 聞いてもいないにもかかわらず、つらつらと何の脈絡もなく奥田は話し始めた。できて約一年しか経っていない組織でカリスマと言っていいのか正直微妙なところではあると思う。しかし、彼女にそんなことを言っても仕方がない。突っ込んだら負けだ。ここは無視しておこう。

「不登校だった五歳の子を一年かけて小学校に登校させたこともあります。病気で寝たきりの不登校の中学生に対しては一週間通いつめることで登校させることも実現できてますし、いじめを受けている女子高生に対してはSNSに他人に見られてはまずい画像を投稿することをほのめかして無理やりにでも登校させたこともあります」

 いかにも自慢げに話しているが、実に突っ込みどころ満載だ。まず五歳の子はおそらく未就学児であり、何もしなくても小学校に通うようになったのではないだろうか。幼稚園で不登校というのが正しい表現なのかはわからないが、そういった話はあまり聞くことはない。それよりも待機児童問題の方をなんとかした方がいいとは思う。

 次に、病気で寝たきりの生徒を登校させてその後の容体は大丈夫だったのかそのあたりが心配だ。保健室登校だとは思うけれども。きっとそうだよね……。

 そしていじめを受けている生徒に対していじめを仕掛けているのは、さすがにまずい気がするのは自分だけだろうか。そして女子高生の他人に見られてまずい画像というのは一体全体どんなものなのだろうか。少し気なるものの、その方に対してかわいそうなので、ここではあえて聞かないことにする。

「そんな実績のある私が今日はあなたを学校に登校させてみせます」

 さてはてどんな手を使って登校させようというのだろう。お手並み拝見だ。そうはいっても、きっとどうしようもなく、くだらないことを言い出すに決まっている。

「登校してくれたら三千円あげます。ですから学校に行きましょう」

「いきなりお金で解決かよ」

 しかも三千円というリアルな金額。そこまで高額というわけではないが、ただでもらえるのなら高校生には嬉しい金額だ。

「ちなみに三千円というはあなたのお母さまからいただいた金額です」

「えっそうなの……」

 親が第三者にお金を支払って説得を依頼している事実を知ってしまっては、情けなさのあまりに学校に行ってしまいそうだ。

「どうですか? 学校に行きたくなりましたよね?」

 にやにやと奥田は笑みを浮かべていた。してやったりという、この彼女の表情がなんとも腹立たしくてたまらない。

「カリスマ委員と言いながらも、お金で解決というその発想はいただけないな」

「おっかしいなー。今までの経験ではここまで説得すると男子の九十五パーセントは、これで登校する気になるのに」

「さすがに男子舐めすぎ」

 彼女の言うことがもし本当なら不登校男子は単細胞すぎる。すると彼女は改まってこう言った。

「ここまでくると最終兵器を使わざるを得ないですね」

 他人に見られてまずい画像でも流出させるとでもいうのだろうか。残念ながらそんな画像はないのでその心配はない。断じて。

「学校に行ってなくても学校に登校していることになる権利を購入しますか?」

 予想の斜め上をいく提案だった。

「そ、そんなの売ってるわけない……だろ?」

「ありますよ」

「どこの世界にそんなものが売ってるっていうんだ」

「売ってますよー。メル●リに」

「リアルに売ってそうだから怖い!」

 実際、小学生の自由研究代行サービスというものが存在する世の中だ。そういうことなら大学の講義に代わりに出席してくれるサービスなんていうのもでてきてもおかしくはない。

「今のはさすがに冗談なんですが、どうして学校を休んでいるんですか? 本当は勉強について行けないからっていうのが原因ではないですよね? 入学早々に欠席してしまったことによってクラスになじめそうになかったからですよね」

「まあ、それもあるかな」

 自分でも気づいていたことだけれど実際に勉強についていけないからというのは建前だった。入学して一週間もたてば各々のグループにわかれているものだ。そんななかに入っていけるかどうか不安を感じていた。

「こうして話してみる限り、初対面にもかかわらずこんなに普通に会話できるじゃないですか。これなら学校に行っても問題なく適応できると思いますけど」

「ううん、なんというか……」

 単に一対一だと問題ないのかもしれない。もう既にグループができているところに入っていくというのは勇気のいるものだ。

「とりあえずこれを見てください。ここまでの会話でカルテを作成しました」

 そんなものいつの間に作成したのだろう。よく見れば奥田はクリップボードを持っていた。そこに挟まれているカルテなる用紙を取り出して渡してくる。


 不登校児童および生徒診断カルテ


 小池弘樹(一五)

 学年:高校一年生

 病名:入学早々欠席

 診断データ:ツッコミ二点(ノリツッコミ〇回)、ボケ〇点(天丼〇回)、フリートーク三点

 総合評価:二点


「何これ? お笑い芸人にでもする気?」

 それにしても総合評価二点というのが低いのか高いのかわからない。五段階評価であることを願ってやまない。

「会話というのは一種のお笑いのようなものなんです。ツッコミやボケというのはテレビの中の世界だけで一見、日常では私たちには関係ないと思われがちですが、これは間違いです。会話の中にはボケがあり、そしてツッコミが必要な場面があります」

「まあ、確かにそういう場面もあるかもしれんな」

「そうですよ! 私の最初の渾身のボケをスルーしたこと許すまじ」

「根に持っていた!」

 強引に家に上がってきた見知らぬ女子が、頭のおかしなボケをかましてきても軽快につっこめるだけのツッコミ魂は自分にはさすがになかった。

「レインボーカラーベーグルクリームチーズサンドのくだり、つっこんでくれなかったこと本当にショックでした。ネットで一時間ほど探してようやく見つかったネタだったのに……」

 涙ぐましい努力、どうもありがとうございました。ちなみに自分の通っていたはずの高校には給食はない。弁当を持ってくるか購買で購入するかの二択だ。まさにしょうもない二段ボケ。「うちの高校は弁当だから!」と寒いツッコミをすればよかったのだろうか。

「他にもあります。女子高生のいじめのくだり、投稿と登校をかけているんですよ。わかっていますか? ですから画像を投稿とJKの登校とを……」

「もうそれ以上は頼むからやめてくれー」

 とうとうボケの解説までし始めてしまう始末。もう本格的にどうしようもない。もう本当にかわいそうな人だ。それに、いじめ関連の話題をギャグのネタに使うのは不謹慎だからやめましょう。

 それから三時間ばかり奥田は文句を言い続けるのだった。もう勘弁してほしい。

「どうして私のボケにつっこんでくれないんですか? ほかにも色々、ボケたはずなんですけど。スルーとか、一番たちが悪いじゃないですか。とんちんかんなことを言っている、頭のおかしい人じゃないですか」

「いや、充分頭のおかしい人だと思うんだけど」

 初対面の人間に対して次々ボケをかましてくる。頭のおかしい人、これはゆるぎない事実ではなかろうか。

 すると意外なところから同意の返事が届いた。

 ぐうう。というおなかの鳴る音。二人しかいない空間では、それは誰からのものか明確だった。

「おなかすいたのか?」

「はい」

 時計を見るともう十四時を回っていた。あいにくカップラーメンの類も昨日食べてしまっているためもう家にはない。キッチンまで行って何か料理を作るのも面倒だ。

「そういえばレインボーカラーベーグルクリームチーズサンド持ってきたんじゃないのか? よし、それを食べよう」

「そんなもの持ってきてるわけないじゃないですか」

 軽快なノリツッコミも返ってくることもなく、いたって普通の返答が返ってきた。ボケやツッコミが大切だという話はどこへいったのだろう。

 仕方なく奥田に対してこう提案するのだった。

「どこかに食べに行くか」

「はい! ここに三千円ありますし!」

「それ、親の金!」


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